第7話 蠅の女王
魔物と冒険者。二種類の新たな都市の散歩者は、どちらもコーデリアにとって厄介な存在だった。
直接的な脅威となったのはなんといっても魔物たちである。
死者に対しては無類の戦闘力を誇るコーデリアだったが、反面、生きている魔物に対してはまったくの無力であったのだ。
死肉であればたちまち解体してしまえる蠅たちは、生身の肉体には傷一つつけることができない。
必殺の黒い嵐も怯ませて逃げる時間を稼ぐのが精々で、目くらましとしてすら役立たぬ場合もままあった。
コーデリアがゾンビの天敵であるように、魔物たちはコーデリアの天敵だった。
魔物の出現により、弔いの難易度は急激に上昇した。当然だ。どれほど蠅を増やそうとも立ち迎えぬ敵、けっして排除できぬ障害が現れたのだから。
生きている敵に対して、少女に出来るのはただ逃げ隠れることのみ。
身を潜めて時を待ち、魔物たちの途切れた空白に乗じて黒い嵐を放ち、再び潜伏する。その繰り返し。
逃げて、逃げて、そしてまた逃げて。
しかし、弔うことからはけっして逃げなかった。
彷徨う死者たちを見捨てて都市から逃げ出すことは、ただ一度として考えなかった。
※
純然たる脅威である魔物と比べれば、冒険者はまったく無害な存在だった。そもそも本来的な意味でいえば敵対者ですらなかった。
冒険者は無害で、しかし、コーデリアには彼らの存在それ自体が不快だった。
「ねぇ母さん、母さんたち。どうやら私は、生きている人間はみんな嫌いみたい」
良い人間は死んだ人間だけ。少女は指先にとまらせた一匹の母にそう囁く。
冒険者という人種の不快さ、魔物とは異なる厄介さ。その理由は彼らの過剰な自意識と無自覚、そしてそこから来る傍若無人な振る舞いに集約される。
程度の差こそあれ、あらゆる冒険者には自分を英雄だと思いたがる節がある。彼らは魔物を一体倒すごとに勝利に酔い、そうして倒した魔物の死骸は平然と放置して先に進む。
その死体が別の魔物を養い新たな不浄の温床となることなど、考えもせずに。
都市の一部であるコーデリアや死者たちとは異なり、彼らはあくまでも部外者、外から来て外へと帰る者たちだった。ひとときの冒険の中で自己のささやかな英雄像に酔いしれ、どこかでこの地獄を舐めてかかり、その結果としてしばしばあっさりと命を落とした。
呆気なく死んで、歩く死体の仲間入りをした。
「これじゃあ私たちがいくら葬っても、きりがないよ。死ぬならどこかよその場所で勝手に死んで欲しい」
コーデリアは徹底して彼らを唾棄した。
冒険者たちを。あるいは生きている人間すべてを。
だから、危機に瀕している彼らを平然と見捨てられたし、意図的に利用して犠牲にしたこともあった。
コーデリアは彼らを救わない。彼女が救うのは死者だけである。
※
コーデリアが救うのは死んだ人間に限られる。
しかし本人の意思とは無関係に、彼女は多くの冒険者の命を救っていた。
およそすべての冒険者にとって、都市にはびこるゾンビは他のどんな魔物よりも厄介な相手だった。
すでに死んでいるから再び殺すのが困難で、数が多すぎるせいですぐに囲まれる。苦痛や恐怖による生態的な硬直もなく、弱点らしい弱点も存在しない。
死者こそが冒険者の天敵だった。
そんなゾンビに関連するある噂が、冒険者たちの間でまことしやかに語られはじめたのだ。
――ゾンビに囲まれ死を覚悟した時、黒い嵐が吹き抜けた。
コーデリアに彼らを救うつもりなどなかった。
少女が救おうとしたのは彼らではなく、彼らを襲っていた死者たちのほうだった。
しかし、結果として多くの冒険者が彼女のおかげで生き延びることができた。
そして生き延びた彼らは、救い主である少女の物語を仲間に語ったのだ。俺は見たぞ。ああ、俺も見た。助けられた。
そんな風に、蠅を連れた救い主の物語を。
※
冒険者は英雄に憧れる。彼らは伝説となることを夢見る。
竜が落ちてから一年が経つ頃、すでにコーデリアは伝説となっていた。
それも、単なる英雄的存在を越えて、祈りを捧げる対象に。
都市を攻略する冒険者たちは、無事の生還を正体不明の救世主に祈願する。昼間の冒険から帰還した酒場の夜に、あるいは戦闘後の小休止に、彼らは畏敬を込めて名も知らぬ少女の二つ名を口にする。
『黒い嵐の運び手』、『死の都市の聖女』、『虫食みの姫君』。
あるいは、『蠅の女王』と。
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