#8 空からギャルが降ってきた


 美千代を抱えて、彰人は窓から飛び降りた。最初は重力に逆らえず、ただ落下する現実を前にして死を悟ったが、地面衝突まであと1秒、走馬灯が過ったそのとき、『宙に浮く』感覚を掴んだ。しかし、まだ足元がおぼつかない。気を抜けば、落下しそうだ。


「あああっ、浮いてるぅ、浮いてるよぉ……!」  


 地表およそ20メートルのところで、今二人は静止している。

 着陸したいところなのだが、下にはモンスターたちが群がっている。

 多勢に無勢だ。降下するわけにもいかない。

 建物に逃げ込もうとも考えたが、あのワイバーン、二人のことを見逃すつもりはないらしい。こうなれば身を隠したところで、もはや無意味。口から吐き出す火球で、いかなるものも容易く破壊することだろう。


「ガァァァァアアアアアア!!」


 立派な顎をガバっと大きく開いて、ワイバーンが突進してくる。ギザギザとした鱗と、大きな2つの角を持った巨体が、猛スピードで迫ってきている。


「【ファイヤバレット】!」


 《勤労ポイントが足りません》


 無理を承知で試みて、やはり不発に終わってしまった。勤労ポイントが足りていなければ、美千代のスキルは使用できないようだ。そもそも、勤労ポイントというのが何なのかさっぱり分からないのだが。


「……おかしいな」


 ふと、彰人の頭にある疑問が浮かんだ。

 勤労ポイントがないと、美千代のスキルは使用できない。そう仮定してみて、納得のいかない点が一つある。


 ファイヤバレット──つまり、美千代のスキルが使えない状態なのにも関わらず、こうして空を飛べていることに、彰人は疑問を感じた。他者が持つスキルの使用に勤労ポイントが必要なように、『夜間強化』『ステータス上昇』『暗視』『飛行』にも、何らかの制限が存在するのではなかろうか?


 “スキル”じゃないから、ポイントを使わなくてもいいってことなのか?

 考えた末に出た結論。それは、職業特性と、それによって得られる恩恵──今回の場合は、『ステータス上昇』や『飛行』など──に、何らかのポイントを対価として支払わなければならないといった制限は、設けられていないということ。


 職業特性とスキル、この2つが全くの別物であると考えれば辻褄が合う。

 ただし、職業特性の恩恵を受ける代わりに、勤労ポイントとは別の対価を要求される可能性もある。 それが分からない。気づかないうちに、何らかのコストを支払っているかもしれない。


 これ以上、考えてもらちが明かない。

 もう、余計なことは考えるな。

 スキルがどうした。コストがどうした。

 今はとにかく、この窮地をどう脱する方法を考えろ。


 手札は『暗視』『不死身』『飛行』と、『労働ワーク』『入社願望エントリー』の5つ。引籠さんのスキルは使用不可。包丁は……部屋に置きっぱなしだったか。攻撃手段は、『殴る』『蹴る』の2つのみ。


「ガアアアアアアア!」


 ワイバーンは、すぐそこまで迫ってきている。

 大きく開いた両顎が、二人を喰らわんと襲い掛かる。

 猛スピードで突っ込んでくる飛竜を正面に捉えながら。 


 今だ! 上昇しろ!


 4メートルほど上空に飛んだ。すんでのところだったので、ワイバーンも軌道修正できず、

勢いを保ったまま、建物に衝突。頑強さが仇となったようで、その建物にワイバーンの頭部が突き刺さった。


 すかさず彰人が、身動きが取れなくなったワイバーンの胴体に蹴りを食らわせる。その衝撃が、ワイバーンの腹部を揺らす。インパクトの波動が、その背中まで伝わった。想像した以上のキックの威力に彰人は狼狽えたが、ステータスに300%のボーナスが追加されたことを思い出して、すぐに納得した。どうやら自分は、超人的な力を手に入れたらしい。


「ガアアアアアアアア!」


 ビルのガラス窓を割るような、ワイバーンの雄叫びには悲痛が混じっていた。

 有効打を与えることができたようだ。もしかすると、勝てるかもしれない。

 このまま一気に畳みかけてやろう。 


「ファイヤバレット。お願いします!」 

「ひゃっ、あっ、はいっ……!」


 美千代のファイヤバレットが炸裂する。

 ドッガァンッッ! 

 炎の弾が、ワイバーンの首筋にクリーンヒット。直撃した部分の鱗は剥がれ落ち、露わとなった表皮が真っ黒に焦げている。効果はあった。ただ、致命打には至っていない。


 これでも、仕留めきれないか。

 ワイバーンが動けない間に勝負を決めるつもりだったんだが。

 長期戦になると、こちらの勝ち目はない。

 そうこうしているうちにも、ワイバーンは再び動き出す。

 引籠さんを抱えている状態で、激しく動き回るわけにも……。


 どうするべきかと悩む彰人の頭の中に『ウチが協力したげよっか?』という、少女の声が響いた。急いで辺りを見回すが、人の姿はどこにもない。声の主に質問してみる。


「すみません。どちら様ですか?」

『あー、ごめん。自己紹介とかは後にしてもらってもいい? とにかく今は、あのドラちゃんをぶっ倒さなくちゃ……でしょっ? それと、念のため捕捉しとくけど、ドラちゃんってのは、あのワイバーンのことね。青色の猫型ロボットは一切関係ないかんね?』

「は、はぁ……」


 相手の姿はどこにも確認できないのに、その声だけが鮮明に聞こえる。テレパシーというやつだろうか。……もしかして、ガイドの言っていた【テレパス】とはこのことを指しているのだろうか? 【テレパス】を使えば、家族と連絡ができるとたしか、あのガイドは言っていたが。


「どうすればいんです?」


 その話はひとまず置いておこう。聞きたいことは山ほどあるが、ワイバーンを討伐するのが先だ。彼女が協力してくれるというのなら、遠慮せずその言葉に甘えることにしよう。


『さっきさ、ドラちゃんの首のあたりに魔法ブッパしてたじゃん。その部分の鱗、確認してみて。剥げてるでしょ? ウチがそこにドカンと一撃食らわせるからさ、隙つくってほしーんだよね』

「……了解しました」

『オジサンから見て、西の方角ってゆーか、まあ左のほうね! ウチ、そっから狙ってるから。誘導よろしくねー!』


 軽薄そうな喋り方が鼻につくが、この状況を打開するには、彼女のことを信じるしかない。……しかし、“隙を作れ“とは無茶を言ってくれるな。


 まあ、プランはあるんだが。

 できれば実行に移したくない。 

 【不死身】頼みの無謀な作戦……。

 最悪の場合、死に至る。仮に生き延びられたとしても、結局、死ぬほど痛い思いをすることに変わりはない。だが、他に方法が思いつかない。やるしか、ないのだ。


「……しっかりつかまっててください!」


 建物から頭を出したワイバーンが、怒りの形相を浮かべて、猛スピードで迫ってくる。


「こんにゃろう!」


 バギィッ! 

 ワイバーンの前歯に、全力の蹴りを食らわせて、その自慢の牙をバキバキにへし折る。しかし、その程度のことでワイバーンの勢いは止められない。むしろ、闘争心に火を点ける結果となった。ガブリと、憎き捕食対象の右脚に食らいつく。


「ぐっ、ぐぅぅぅぁぁぁぁ……!」


 牙を失ったとはいえ、顎の強さは健在だった。彰人の右脚が、ぐしゃぐしゃになって潰れる。熱湯を注がれたような熱さと、今まで経験した苦痛を凝縮したような痛みに、彰人は苦悶の声を漏らす。苦し紛れの脂汗を流しながら、口元に微笑を浮かべた。……元社会人の忍耐力を、舐めるなよ。


『ナイス、オジサン』


  ──ドンッッッ!! 

 ワイバーンの首筋を何かが猛スピードで貫く。レイコンマ数秒後、遠くから銃声が遅れて聞こえてきた。「ガ、アアア……」急所を撃ち抜かれたワイバーンは活動をやめ、生気を失った巨体はすぐさま塵となり宙を舞った。その塵の中から紫色の宝石を見つけ出すと、彰人は急いでそれを手に取った。経験Pt5ポイント分の魔石だ。


《レベルが上がりました 2→4》


     ◇◇◇


 素性の知れない少女と協力して、ワイバーンを討伐することに成功した二人。骨を粉々にへし折られ、原形を失った彰人の右脚は【不死身】効果のおかげで、瞬く間に完治した。


 今回の戦いで彰人の力になれなかったのが、美千代はよっぽど悔しかったのだろう、わんわん泣きながら謝罪してきた。出会って一日もないが、すっかり彼女の扱いに慣れた彰人はこれを見事に受け流し、この話は一件落着。美千代の心の弱さは彼女自身の課題であると常々思っているのだが、それを受け入れてやるのもまた課題なのだろうと、彰人は思った。


「……遅いな」


 ワイバーン討伐の協力のお礼をしたい旨を、テレパシー少女に伝えたら『じゃあ、そっち行くから待っててー』と返事が返ってきたので、二人は今はその到着を待っているところだ。


「やっほ、やっほ、やっほほーいー!」


 ようやく、待ち人がやって来たかと思えば、その少女は、はるか上空から飛来してきた。目を凝らしてみると、パラシュートで降りてきている姿を確認した。短いスカートがひらひらと風に吹かれている。何がとは明言しないが、今にも見えそうだ。


「影原さん?」

「ごほん……」


 お洒落に着崩した制服が色っぽい少女の姿に、思わず彰人は見惚れてしまう。そんな自分に嫌気が差した。いい年して、みっともない。


「あああっ、ちょっ、わぁーっ! ねぇっ、どいてどいて! オジサンそこどいてってー! ぶつかるぶつかる!」


 着地の位置を見誤った少女は、ドタバタ慌てていた。それに、彰人は気づかなかった。……見えて、しまったのだ。“アレ”が。不可抗力だった。角度的に仕方がなかった。そして、恥ずかしながら彰人の目は、それに釘付けになってしまった。


 ……ストライプ。


 自分のネクタイの柄と同じだなと、心のなかで感想を述べる。その1秒後に、彰人は少女とぶつかってしまった。むにぃっと、柔らかくて大きい何かが顔に乗っかる感触を最後に──彰人は気を失うのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る