#7 あなたとホテルとワイバーンと
スーパーで水と食料を調達した彰人たちは、危険な夜を乗り切るための拠点と、ステータスボックスを探すことにした。
ちなみに、クイーンスパイダーは彰人が倒したわけではないので――どうして、あのとき巨大蜘蛛が突然死したのか、その真相は未だ掴めていない――彰人のレベルはまだ『2』のままだ。
それなら、ポイントを割り振る必要ないのではないか? そう急いでステータスボックスを探さなくてもいいのではないか? 彰人は思った。
しかし、美千代が言うには、巨大蜘蛛が残したあの青い宝石は『魔法石』と呼ばれるもので、これをステータスボックスに振り込むと、『魔法石』の価値に応じた『経験Pt』をもらえるらしい。あのガイドがそう言っていたそうだ。
なんでも、青い宝石をステータスボックスに振り込むと、3ポイント分の『経験Pt』が取得できるらしい。魔法石は、『灰』『緑』『青』『紫』『金』の5色が存在しており、『灰』なら1、『緑』なら2、『青』なら3、『紫』なら5、『金』なら7のポイントが貰えるそうだ。
そういうわけで、彰人たちは、この青い宝石を3ポイントに変換するためにステータスボックスを探している。実は、経験Ptの変換以外にも、この宝石の使い道があるのだが、その話はまた別の機会に──。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「ひぃ……ひぃぃ……ふへぇぇ……」
二人の体力は、限界ギリギリに到達していた。
ペットボトル(水がたっぷり入っている)と食料を大量に詰め込んだリュックの重さは、およそ10キロ。これを背負って歩くだけでも、かなり体力を消耗する。
「わっ、私、もう、限界ですー……。ちょっと、ほんのちょっとでいいですから、休みません、かぁ……? イテテテっ……」
「そう、ですねっ……。もう日が暮れそうですし、ひとまず休憩できる場所を探しましょう」
「や……やったぁぁ……」
ポイントによって筋力が向上しているのにも関わらず、この体たらくだ。まったく歳は取りたくないものだなと、彰人はため息をついた。
──ヒュォォォォォォ。
風を切り裂く音とともに、10メートルほどの大きな影が、二人の姿と重なった。何事かと上を見上げた二人は、そこで、信じられない光景を目の当たりにした。
「うそ、だろ……」
《ワイバーンLv.19》
龍が、空を飛んでいた。四本脚で、背中には大きな翼が生えている。体表は鱗に覆われており、くすんだ緑色をしている。縦長の瞳孔が獲物を見つけんと、地上に目を向けている。
発見されたら、終わりだ……。あんなものを相手に、太刀打ちできるわけがない。
幸い、こちらの存在にはまだ気づいていない様子。
二人は急いで、避難場所を探した。
「……あっ、あれっ! 見てください! HOTELって、書いてありますよっ……。あのっ、あそこで、休憩しませんか? モンスターも、見た感じいなさそうですし……」
一刻も早く身を隠したい気持ちが先行し、思考停止状態で「そうですね」と、彰人はうなづいた。えっちらおっちら歩く美千代の後ろを「ぜぇぜぇ……」と息を切らしながら、必死について行く。建物に入ってから、ようやく我に返ると、
ここ、“ラブホテル”じゃないか?
自分が今、ラブホテルのエントランスにいることに気がついた。稼働していない受付パネルと、ムーディーな雰囲気の内装がいかにもそれっぽい。いや、まさしく“それ”なのだが。
モンスターの気配もないし、安全そうではある。
しかし、気まずいな。場所が場所なだけに。
「あの、引籠さん。ここって」
「えっ、ど、どうかしましたか?」
「ああ、いえ、べつに、なにも、ないです……」
美千代は、自分が今どこにいるのか気づいているのだろうか。緊張しているようにも、恥ずかしがっているようにも見えない。……まさか、“慣れて”いるのだろうか。男の影はなさそうだが、実は結構遊んでたり……。
……べつに、そんなの私の知ったことじゃないが。
美千代の男性経験の有無は置いといて、喜怒哀楽が表に出やすい彼女が、こういう場で白々しい態度を取れるとは思えない。……まさか、ラブホテルを知らないってことないだろうな?
「ここがどういう場所かは、分かりますか?」
「へっ? えっ、ここって、ホテル、です……よね?」
「まあ、そうなんですけど。ホテルでは、あるんですけど」
「もももっ、もしかして私、何か勘違いをっ……!? わっ、私、社会のこととかよく知らなくて……引きこもってばっかだったので……その、すみません……」
態度で分かった。これは、知らない人の反応だ。
……だからなんだって言うんだろうか。馬鹿か、私。
ラブホテルを知らない美千代に安堵した自分に、彰人は嫌気がさした。
「ここって、ただのホテルじゃないんですよね」
「ええ、まあ」
「普通のホテルと、どこが違うんですか……?」
「どこがって、そりゃあ……まあいろいろと」
「……き、気になり、ますっ!」
教えてやるべきだろうか。こんなどうでもいい知識を身につけたところで、意味はないとは思うが。……だが、世間を知らなすぎるのも良くない。責任ある大人として、ここは一つ教鞭をとってあげるとしよう。
「……では、お教えしましょう。ここは」
数分後。衝撃的な事実を知った彼女のほっぺたがリンゴのように赤くなる。沸騰するその頭からはプシューと湯気が立ち上り、しばらくの間一切の言葉を受け付けなくなった。
想像以上のリアクションだ……。
思考がオーバーヒートしてしまったようだ。さっきからずっと「はわわわわわわ」としか言ってない。それと心なしか、距離を取られてる気もする。彰人を異性として再認識し、危険であると判断したのだろうか。
「……安心してください。ここがそういう場所だからといって、引籠さんになにかしようだなんて思ってませんから。私は隣の部屋に寝ますので、お気になさらず」
彰人たちは、最上階の部屋に泊まることにした。
上の階のほうが安全、と判断してのことだった。
「それでは、お休みなさい。水はなるべく節約して使ってくださいね」
「……あの……」
部屋の前に到着する。彰人は503号室で、美千代が504号室だ。モンスターの襲撃に会った際に、一緒の部屋にいる方が安全ではあるが、美千代への配慮で、あえて別々の部屋にした。隣の部屋だから、万が一の時にすぐに駆けつけることはできる。
「いっ……し……じゃ……です……か……?」
「どうかしましたか?」
「だから、ええっと、その……」
美千代がもじもじしている。
トイレにでも行きたいのだろうか?
それとも何か言いたいことが……。
「……とにかく、何かあれば私の部屋に来てくださいね」
「いいいっ、一緒のっ! 私と、一緒の部屋じゃ、ダメ……ですかっ……?」
「は?」
と、いうわけで、一緒の部屋に泊まることになった。二人でいたほうが安心するらしい。涙目でうったえる彼女を、放っておくわけにはいかなかった。
「すごいな、これは……」
きらびやかな部屋の内装を見て、感嘆の声が漏れた。
部屋の中央に置かれた円形のベッドはいかにも回転しそうなタイプで、ガラス張りのシャワールームはエロティックだ。
「……ちょっと換気しますね」
……なんだか顔が熱い。
外の風でも浴びようか。
窓を開けると、涼しい風が部屋に流れこむ。
空は夕焼けで染まっていた。
「あ、あのっ、変な質問かも、しれないんですけど……。影原さんは、誰かと、こ、こういうところに……。その、来たこと、あるんですか?」
ベッドに腰掛けて、美千代が言う。夕日の光けが差し込んでるせいか、彼女の顔は赤く染まっていた。
「……元カノと。何度か」
「あっ、そう、なんですね。それじゃあ、その、右手の指輪は……」
「ご想像にお任せします」
「あっ、あの、すみませんでした。私、本当にデリカシーない、ですよね……。まったく、何様だよって感じ、ですよね。すみません……」
「構いませんよ。私の過去なんて、聞きたいならいくらでも話しますよ。これっぽっちも面白くないでしょうけど……」
「いえ、そんなこと……ないです。私、気になります。影原さんのこと」
なんかやたらとグイグイくる。自分の過去話なんて聞いてて楽しくもなんともないのだが。
「聞いたって、面白くないですよ。暗い話ばっかりですから。本当に……」
そう、彰人の人生辛いことばっかりだ。愛する人に裏切られ、人生を捧げると決めた会社には見放され……挙句の果てに、モンスターなんかと戦う羽目になった。
「本当に……」
自分の人生を振り返っていると、家族のことが頭を過った。とにかく心配だ。みんな、無事だろうか。実家に住んでいる、姪の
「……どうしてっ……こんなことに……なったんでしょうね……」
「影原さん……?」
「あ、いや、すみません、これはその……」
彰人の目から、ポロポロと色んなものが溢れ出してきた。恋人の裏切り、会社の裏切り、家族の安否、これからの人生、モンスターと戦う恐怖、考えたくないことが頭の中を埋め尽くして、ついに堪えきれなくなった。
気持ちの整理がつく前に色々なことが起きすぎた。それも短期間で。
彰人にはもっと時間が必要だった。問題と向き合い、立ち直るための時間だ。そんな中、世界はモンスターによって支配された。彰人に、暇なんてものはなかった。心の傷を残したままでも、生き残るために、とにかく行動するしかなかったのだ。
「わっ、私がついてます! ですから、えっと、その、いっぱい、泣いていいですから。あー、すみません、なんて言えばいいのか、分かんなくて……。よ、よしよし〜?」
ぎこちない彼女の腕が、彰人をギュッと抱きしめる。おっさんのくせに泣いている自分が恥ずかしい。図体のでかい赤ん坊だ。みっともないという自覚はある。……でも、今だけは、そんな自分のことを許したい。
◇◇◇
「やっぱり、どこも電力は復旧してないか」
夕日が沈み、夜の時間がやってきた。眠らないはずの東京の街が、今や黒一色に染まっている。不思議な光景だ。やっぱり、世界は一変してしまったらしい。
《条件を満たしたため、ナイトウォーカーの職業特性が発動しました:【夜間強化】》
視界の端に表示されたメッセージ。これはたしか、美千代が所有していたスキルのうちの1つ。彼女の被雇用者となった彰人にも、それは適用されているようだ。
《したがって、全ステータスに、+300%のボーナスを付与。状態 【暗視】【不死身】【飛行可能】を付与。スキル【変身 (コウモリ)】を使用できます。効果解除まで、12時間02分34秒》
300パーセントのボーナスだと? 彰人が、自分の筋力の数値を最後に確認したときはたしか、35だったはず。これにプラス300パーセントだから、140になる。140……?
「夜間強化ってスキル、発動しましたか」
「は、はい。300パーセントがどうのって」
ナイトウォーカー、日本語で訳すと、夜を徘徊する者だ。なるほど夜間においてその真価を発揮できる職業というわけかと彰人は納得する。
夜間強化のボーナスによって、一時的に追加されたらしい【暗視】【不死身】【変身】【飛行】の4つも気になるところ。……いや、暗視は確認するまでもないか。
部屋の中は真っ暗闇のはずなのに、昼間のように普通に物が見えているのだから。
そのおかげか……二人は“ヤツ”の気配をすぐに察知することができた。
「ガァァアァァァァア!!」
《ワイバーンLv.19》
つい数時間前に見かけたあの飛竜──ワイバーンの鋭利な目が、二人のことを捕捉していた。カーテンを閉め忘れていたことを後悔しつつ、彰人は「頭を下げてください!」と、美千代に声をかける。
「ガァッ!」
ワイバーンが、炎の玉を口から吐き出した。
ドガァン!! 炎の玉が、ホテルの下の階に直撃。
「賢いな……あいつ……」
次第に、ホテルが傾き始めた。
どうやら、下の階は崩壊したらしい。
このままでは、倒壊してしまう。
「引籠さん!
「は、はひぃぃぃ……!」
「飛びます」
窓を指さす彰人。そして青ざめる美千代。
飛び降りる。
今はそれ以外に方法がなかった。
「へぇっ!? いや、それはさすがにちょっと……!」
「……大丈夫です。私につかまっててください」
本当は、少しも、全然、まったく、大丈夫じゃないんですけどね……。
彰人は美千代を抱きかかえると、部屋の窓から身を乗り出した。
「かっ、かかか、勘弁してくださぁい……」
「私だって怖いんです」
「……か、影原さん」
「でも、やるんです。やるしか、ないんです」
夜風がいつも以上に冷たく感じる。胸の鼓動が早まってるのが分かる。高いところは得意じゃない。だが、この世界を生き抜くためには、そんなこといちいちボヤいてられない。
「い、いきますよ」
嫌いなこと、難しいこと、やりたくないこと、それらを乗り越えたときに人は成長する、と私は思う。……私は変わりたい。強くなりたい。そして、この過酷な世界で生き延びてみせる。
覚悟を、決めろ。
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