第13話 就職先
「質問がないようなので、候補の就職先だ。ひとつは施設の近くにある、食堂の店員」
ここは良心的な夫婦がやっていて、今までにも何人かお世話になっている。
この世界の住人になじむにはうってつけの所だ。
「ふたつ目は、小さな劇場の掃除と洗濯係。夢見る若者がいっぱいでこの街でも実力ぞろいがそろっている」
支配人やマネージャーもうちの人間だ。
「食堂は2時から10時。なれれば他の仕事と掛け持ちできる」
「2時で閉まるの早くない?」
「夜は酒場になるんだ」
「ふーん。この劇場の方は衣装の洗濯もするの?」
生活魔法が使える者がいれば、洗濯は魔法で何とかなるが大量の洗濯ものを処理するほどの魔力を持つものは、そもそもそんな仕事はしないし、高価な魔石を使うくらいなら、洗濯する人間を雇った方が安いのが現状だ。
「洗濯は嫌いか? 君くらい魔力量があれば魔法で洗濯はできるようになるぞ。別料金だが魔法を教える人間を紹介しようか?」
せっかく魔力がそれなりにあるのだ、いずれは練習することになる。
「嫌いじゃないよ。ただ、衣装は装飾品もついてるだろうし、水で洗って縮んだりしても弁償できないから」
「詳しいな。衣装に興味があるのか?」
「まあ、ちょっと。衣装デザインとか好きだし」
なんだ、初めてこいつから建設的な意見が聞けた気がする。
称号とは違うが、そっち方面も考えるか。
「高価な衣装はないと思うが、そういうのは魔法を使える人間が個別でするんだろう」
「そうなんだ」
ちょっとがっかりしたようだが、興味はありそうだ。
「じゃあ、劇場の方で話を進めとくから、良太さんに相談して早めに書類を提出してくれ」
「わかった」
そう返事をして、席を立とうとするのを、手で制してもう一度座らせる。
何事? と首をかしげているひとみの目を見て「返事はわかりました。だ」と教える。
「は?」
イラっとしたのがわかったが構わず続ける。
「俺と話す以外でもきちんとした言葉づかいを心がけるように」
何様? と顔に書いてある。
「これについても考慮して欲しいが、その契約書にサインしたら俺が上司だ」
ちょっと尊大に言いすぎた気もするが、この世界で生きていくなら言葉遣いを間違えれば命すら落とすこともある。
「ああ、なんだか違和感があると思ったら、その偉そうな言葉遣いね。この前は無愛想だけど丁寧な感じだったのに、今日はパワハラ上司のようだけど」
「人聞きが悪い。君だってわかっているんだろ。学生気分が抜けないと困るのは自分だって」
ひとみは「うぅぅぅ」とうなりながらも、歯を食いしばった。
見た目より馬鹿ではないことは、シナやサムからも報告を受けている。弱いものに八つ当たりすることも、部屋に閉じこもることもなく、やったこともない仕事を真面目にしていたという。
まあ、魅了の力で、ちょっと調子に乗っていた時期もあったが、その後力を封じてからは、またシナと一緒に働いていた。
乱暴な言葉遣いとは裏腹に、性格は真面目なのだろう。
「もう一つ大事な話がある」
「何でしょうかアラン様」
「様は、いらないさんでいい。それとついでだから言っておくがここでは平民に名字は許されていない。名前を聞かれたらひとみと名乗ればいい」
「名字が許されてない? 何それ?」
衝撃的だったのか、俺に対しての反抗的な態度が少し消えて素に戻っている。
「ああ、もしも違う名前がいいならうちで身分証明書を出す前に改名してくれ」
貴族しか戸籍を持たないこの国では、身分証明書を持つにはいくつか方法がある。
一番一般的なのはギルトに登録するときに申請するものだ。他には貴族の家に働いたときに領地など行き来する場合に使用人に発行されるもの。これは期限付きで働いている職場を退職すると無効になる。あとは、隣国を相手にしているうちのような商人だ。
「改名なんかしない。これは私が親からもらった大事な名前だし。地球が現実に存在ることだって忘れないためにも、絶対に変えない」
「そうか。別にどちらでもいい。良太は変えるそうだけどな」
「まさか、マーシャちゃんの名前じゃないでしょうね」
「マーシャ? いや、よく考えてみるそうだ」
何処かで聞いたことあるような気がするが、誰の名前だかはどうでもいい。
「大事な話とは、君の歌についてだ」
「歌? 歌なら人前では歌わないって言ったでしょ。まさか劇場で歌わせるつもり……ですか?」
ピリッとした空気が、執務室に張り詰める。
ライトの鑑定眼では「歌姫」のはずなのにこの様子では、それを生かすのはなかなか難しそうだ。
まったくうちに来るお客はどいつもこいつも、称号をことごとく蹴るやつばかりだ。
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