第4話 スマホがない世界

「ちょっと、人が泣いている横で、なに話まとめてんの。私は履歴書なんか書かないわよ」

 やっぱりあれは泣きまねだったのか。泣いていたはずなのに、涙は乾いてるし言葉も乱暴なままだ。

 現実をまだわかっていないようだな。


「お好きにしてもいいですが、しばらくの間はこちらで用意した宿泊所に泊まってもらう予定でしたが、履歴書を書いていただけないのならお泊めするわけにはいきませんので、ご自分で宿を探してください」

「脅迫するき!」

 ひとみは怒ってソファーから立ち上がると乱暴にテーブルを叩いた。

 本当はこれ以上、感情的になってもらっては面倒だが、いつまでも役立たずに付き合ってはいられない。


「脅迫なんてしていない。気に入らないなら出て行けと言っているだけだ」

 強い口調で言い捨てると、本気だと伝わったのか、ひとみは立ったまま口をへの字に曲げてプルプルとこぶしを震わせる。


「あの、ひとみちゃんもいきなり知らない世界に来たせいで、動揺してるんだと思うんです。私が責任を持ちますので、もう少し落ち着いてから書くってことじゃ駄目ですか?」

 良太が立ったままのひとみの腕をぐいと引っ張って座らせると、俺に頭を下げた。


「強制ではないんで書かなくてもいいですが、さっきも言った通り書いてもらえないなら泊めることはできません。ただ、責任を持つというなら安くて安全な宿を紹介します」

「え? やっぱり泊めてくれないんですか」

「当然です」

 さっきまでの友好的な空気がいっきに凍り付いたが、俺は構わず続けた。


「お金は良太さんに貸しますので、働いたらきっちり返済してください」

「わかりました」

 用心深そうに見えるのに、見ず知らずの俺からお金を借りることをあっさり承諾しょうだくしたのは、同時期にこの世界に来たひとみを見捨てられないからだろう。


 甘いな。

 この世界では、自分の立ち位置を知らないようではすぐに悪意の餌食になってしまう。


「ちょっと、なんで私があんたに面倒みてもらわないとならないのよ。宿ぐらい自分で探すから」

 ひとみは乱暴にポケットに手を突っ込むとスマホを取り出した。


「あ、充電ないんだった」

 真っ黒な画面を見つめ、何もかも男の責任だと言いたげに良太に手を差し出す。


「あんたのスマホ」

「あ、はい。あれ?」

 もぞもぞとポケットから取り出したスマホを確認して、良太は首をひねる。

「まさか、あんたも充電切れ?」

「というより、普通、異世界でスマホは使えないのでは?」

「うそでしょ」

 真っ青な顔で、ひとみはスマホを見つめたまま固まっている。


「この世界には魔法があるし、スマホがなくても大丈夫だよ」

 妙に悟りきった様子の良太に、ひとみはスマホを握りしめたままこぶしを振り上げる。

 止める間もなく振り下ろされたこぶしを、良太は意外にも頭を腕でかばい受け止めたが、ひとみの方が俊敏しゅんびんで、思いっきり足で左肩を蹴りつけた。

 ゴン。

 ソファーから転げ落ち、良太が蹴られた腕を押さえてうずくまる。


「スマホがないと死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬぅ」

 もう一度蹴りを入れようとひとみが足を引き上げた時、両脇を抱えるようにライトが押さえ込んだ。


「こいつのせいじゃないだろ」

はなせこのクソ、さわるな!」

 足をばたつかせて、ライトの腕から逃れようと汚い言葉を連発する。


「お前たちみんな死ね!」


 パチン!


 良太が暴れるひとみの頬を打った。

 無表情に押さえつけられている傷だらけの腕をみて「すみませんが話は明日でいいですか」と俺に確認する。



「わかりました。こんなに興奮させてしまったのは私の責任もありますので、今日はうちの保護施設に案内させます」

 本当はすぐにも放り出してやりたかったが、良太の方は使えそうだったので、今回だけは我慢してやろう。

 俺は施設を管理するサムを呼んで、二人を案内させることにした。


 叩かれてから、ピクリとも動かずちゅうをぼーっと見つめているひとみを良太は優しく立ち上がらせると、サムの後ろをついて出て行った。


「何か飲むか?」

 珍しく、神妙な顔をしているライトに声をかけると「いらない」と小さく首を振る。

 ライトが今でも自分が持っていたスマホを大事に机にしまっているのは知っている。ひとみの態度をすぐに止めに入らなかったのは、彼女の気持ちがわかるからなのかもしれない。


 それにしても……。

「あそこまで取り乱すほど大事なものなんだろうか?」

「たぶん、すがりたいんだと思う。僕も以前の世界が本当に存在していたか分からなくなることあるし。手首の傷も気になる」

 しんみりするライトの頭を俺はわしわしとかき回した。

 ライトもまだ元の世界に帰りたいと思っているのだろうか。




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