テオフリート友人一同の婚礼前夜 後編

 結局その年、二人の距離が近づくことなく、社交期は幕を下ろした。

 テオが領地に帰ってしまったあと、アルたちの家をフィルと一緒に訪ねたとき――。

「今年は楽しませてもらったが、本音を言えば、来年までにテオが彼女に飽きてくれるといいな」

 フィルは思いのほか冷めたことを言い出した。

 タリアは、大きくなりつつある腹を撫でながら首を傾げる。

「あら、なぜですの?」

「彼の家は、国内貴族とのつながりが弱い。シュトラール公はそろそろリーデルフェルトの有力な家と結びつきたいはずだ」

 テオの母は外国の出身で、確か初代の夫人も別の国から嫁いできた。

 シュトラールの服飾系の職人は今や、高位貴族すら顧客にしている。ここまで来たなら、国内の有力な家の令嬢と縁づいたほうが領地のためになるだろう。

 それを考慮すれば、アリアドネ嬢とフロイト侯爵家がやや心許ない相手なのは確かだった。

「婦人の間でも、アリアドネさまの評価は分かれるようですが……」

 タリアは一度視線を逸らす。女性ならではの情報網があるのだろう。

「具体的には?」

「慈善事業には積極的ですし、お母さま主催のお茶会ではきちんとお手伝いをされていたそうですわ。ただ、若い人たちが集まる夜会は皆さまご存知のとおりで、やはりあの一件で同世代との交流に苦手意識が出てしまったようですわね」

 俺とアルまで渋い顔になってしまうから、彼女は慌てて言い添える。

「わたくしの妹から聞いた話ですと、例のご令嬢たちと別の派閥からはそこまで悪く思われていないようですよ」

「うーん、来年までに社交の練習を積んだら、状況が好転するだろうか」

 俺はフィルほどきっぱり割り切れない。あのテオが久々に胸を弾ませるようにしていたのだから、このままうまくいってほしいと思っていた。

「フロイトは狩猟地としても保養地としても、そこまで人気ではないだろう? 彼女が成長するより、アルたちの子が生まれて立ち上がるほうが早いのではないか?」

 フィルの言葉に、夫婦はそろって苦笑いしつつも手を握り合った。


 フィルの推測どおり、アリアドネ嬢が一年で劇的な成長を遂げることはなかった。年が巡っても、相変わらず萎縮したような態度だ。

 しかし、ふたつの変化があった。

 ひとつは、彼女の妹であるイーリス嬢の存在だ。

 フロイト卿の次女は、姉に見た目も中身もまったく似ておらず、すぐに多くの友人を獲得した。そして、積極的に姉を会話の輪へ入れていた。相変わらず、本人は壁の花でいようとするが。

 そしてもうひとつは、アインホルン公爵家の末娘ヘルミーネ嬢のデビュー。前々から評判は聞いていたが、明らかに格の違いを感じさせるほどの存在感だ。

 その影響力はすさまじく、若い令嬢たちの間で、彼女好みのドレス、宝飾品、髪型が大いに流行った。

「これは心配だな……」

 流行の初期にテオが眉をひそめたときはぴんとこなかったが、のちに俺も同意することになった。

 前年以上に、この流行の装いがアリアドネ嬢にまったく似合わないのだ。彼女自身もそれを自覚しているようで、ますます表情が冴えなくなっていく。妹のイーリス嬢は似合っているからこそ、余計に気の毒だった。

「うちの本家のご令嬢がすまないね」

 満面の笑みで、フィルはテオの背を叩いた。全然悪く思っていないのが声によく出ている。

「別に。ヘルミーネ嬢はうちの職人の上客だからな」

「フロイト侯爵家は?」

「商人の出入りは把握しているが……」

 こうなれば早めに行動を起こさなくては、とテオが腹をくくりかけたところで事は起こった。社交期の半ばに、彼の父が突然亡くなったのだ。

 テオはすぐに片恋を放り出し、葬儀の手配や煩雑な爵位継承手続き、動揺する領民たちの統制に取りかかった。


「しばらくは喪に服さなければならないし、近いうちに領地に戻る。また来年会おう」

 弔問の際、テオは感情を一切感じさせない笑みで俺たちに告げてきた。

「……アリアドネ嬢は?」

 アルが遠慮がちに口を開いた。来年、彼女は十八になる。普通なら、結婚が決まってもおかしくない年ごろだ。

「他にいい相手が現れるなら、それが一番だ」

 一年近く気にしておきながら、諦めが早い。

 だが、これからテオはシュトラール公爵の位につく。彼が結婚すれば、その相手はいきなり公爵夫人として振る舞わなければならない。しかも、先代夫人さえ不在だ。あのご令嬢には荷が重すぎるだろう。

「……現れると思えないけどね、あの調子では」

 フィルがぼそりと言うものだから、俺はつい肘で彼を突いた。びくともしないのが癪にさわる。

「まあ、悪い虫がつかないように見張ることはできるさ。いい相手とやらが見つかったら、君の想いなど構わず放っておくけれど」

 フィルの言葉を受け、テオは伏し目がちに笑った。

 その後、フィルは宣言どおり、俺よりもずっと律儀にアリアドネ嬢を守るために暗躍した。

「君は、アリアドネ嬢がテオにふさわしいと思っていないのだろう?」

 ある日尋ねてみると、彼はしっかりと首肯した。

「彼がデメルング卿でいたうちはともかく、シュトラール公になった今はもう無理だろうな。彼女には向いていない。ディーだってわかるだろう?」

「……そうだな」

 テオは、イーリス嬢もいるのだから、これからアリアドネ嬢は少しずつ変わっていくと思っていたのかもしれない。しかし、似合わないうえに装飾過多のドレスを着せられるようになった彼女は、ますます萎縮した様子だった。

 この現状をテオに知らせるべきかどうか……。

「来年、彼が夜会に顔を出すようになったら、どうする?」

「そうしたら、自由にさせるさ。公爵位を継いで、心境に変化が出るかどうか気になるな」

 フィルはにこにこと笑う。率直な物言いをするはずの彼のほうが、テオよりもよほど本音を読みにくい気がしてきた。


「一時はどうなるかと思ったけれど、本当に二人がうまくいってよかったよ」

 酒が進みすぎたのか、アルは目に涙を浮かべている。完全に酔っている。とても、名門侯爵家出身で一児の父とは思えない姿だ。

 まあ、アリアドネ嬢が成長しないままでいてくれてよかった……と俺も安堵するべきだろうか。

 本格的に社交を再開したテオは、喪に服している間に綿密な計画を立てていたとしか思えないほど、一気に彼女を口説き落とし、その後は絶えず社交界に話題を提供しつづけた――シュトラール公が壁の花を溺愛している、と。

 正直、次期公爵となってからのテオに、「溺愛」は最も遠い言葉だと思っていたが……。

 アリアドネ嬢は婚約以来、どんどん表情が明るくなっていったのは喜ばしい。装いだけでこれほどまでに変わるのか、と俺も驚いている。今では、彼女を冷笑していた人々まで見とれさせるほどになった。

 テオの紹介で実際に話してみると、思いのほかしっかりとしたところもある女性だった。自信を持って社交に臨めるようになれば、そのうち公爵夫人らしい振る舞いも身につきそうだ。

 我が友の見る目の確かさに、少し誇らしくなる。

 そのテオは、ロルフを呼び出して、淡々とアルを今晩泊めるよう指示していた。祝福される側なのに逆に気を遣わせてしまって申し訳ない。

「アルが面倒をかけてすまないね」

 感情のこもっていないフィルの謝罪に、テオは苦笑する。

「彼の結婚前夜も、似たようなものだったじゃないか」

「そうだ、浮かれて飲みすぎて、真っ先に寝ていたな」

 三人の笑い声が室内に響く。

 それぞれの立場は変わりつつも、昔と同じように過ごせる関係とはいいものだ。

「ところで、フィルはそろそろ結婚しないのか?」

 俺も先日、めでたく婚約が決まった。特定の相手がいないのは、彼だけになってしまった。

「僕は……まだ検討中かな」

「どうせ、出世のしやすさで選ぼうとしているのだろう?」

 俺の問いに、フィルは無言で笑みを返すだけだった。

 その後、フィルがテオにのろけ話をせがんだり、アルの介抱を追われたりしているうちに、時間はすぐに過ぎてしまった。結局、フィルと俺もそのまま泊まることになった。


 翌朝、テオは完璧な花婿として振る舞い、アリアドネ嬢をようやく妻にできた喜びを隠しきれない様子だった。

 テオがこうした顔をするなんて、想像もできなかったな。

 彼の兄が亡くなってからは、年々近寄りがたい雰囲気が増すうえに本心もなかなか語らなくなり、時々遠い存在に感じることもあった。だから、アリアドネ嬢と婚約してからのテオが、いつも楽しそうにしているのは純粋に嬉しい。

「うう、頭が痛い……」

「お酒に弱いのにどうして飲みすぎるのですか。親友のおめでたい席で、ずっとその青い顔でいらっしゃるの?」

 二日酔いのアルは、ずっとタリアに怒られていた。子どもを産んでからの彼女はたくましくなり、完全に主導権を握っている。

 テオたちは……そもそもアリアドネ夫人がリードする姿などまったく想像できない。

 フィルは、と思ったところで、彼が近くにいないことに気づく。けれどもあの長身だから、見渡せばすぐに見つかった。

「ん、イーリス嬢?」

 花婿と花嫁、それぞれの筆頭付添人だったから、二人が談笑していること自体は不自然ではない。しかし、年齢も身長も差がある組み合わせだ。

「身長で考えれば、むしろフィルとアリアドネ夫人のほうが……」

「ディー、何を考えているんだ?」

 いつの間にか花婿殿が背後に立っていた。夏なのに、この寒気はなんだろう。

「はは、なんでもないよ。今日の主役が、そう凄みのある表情をしていたらいけないだろう」

 どうやらアリアドネ嬢は親族と話が弾んでいるようで、一人こちらに来たらしい。

 俺はごまかすように使用人から酒を受け取って、テオに渡す。

「アリアドネ嬢、いい笑顔をしているな」

「そうか。そう言ってもらえるのが一番嬉しいな」

 意外と控えめな言葉が返ってきたが、幸せを噛み締めているのかもしれない。

「改めて、おめでとう。今までの分、これからは幸せになれよ」

「……ありがとう」

 社交の場ではなかなか見られない、彼の柔らかな笑みを夏の日差しが照らしていた。

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【本編完結・番外編更新】コンプレックスだらけの令嬢はプロデュース好きな公爵に溺愛される ~わたくしに社交界のファッションリーダーなんて無理です!~ 仁志日和(にしひより) @HiyoriNISHI

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