決断のとき

 ツェーフィルさまの知らせから数日後、件の案が議会に提出された。この時点で、問題の品の売買は制限を受けることになった。

 疑問の声が複数あがったものの、アインホルンの勢力が議論を長引かせようと巧みに操作しているという。

 テオフリートさまはすぐに特例措置を申請したけれど、保留とされてしまっている。

「アインホルンには歴史があるし、シュトラールには味方が少ないからな」

 議会から帰ってきたテオフリートさまは、プラチナの髪を掻き上げた。ツェーフィルさまのおかげで、一番打撃を受ける商人たちと対策を考える時間は取れた。とはいえ、厳しい局面に立たされたのは確かだ。

「フロイト侯が……もしものときは麦などの備蓄を送ってくださると言ってくれた」

「父が?」

「近年は私たちの効果で狩猟と保養の収入が上がったから、その余剰分を還元してくださる、と」

 お父さまの顔が浮かぶ。感謝するとともに、申し訳なさも芽生えた。

「シュトラールの備蓄と合わせれば、当面は持ちこたえられる。それに、シェーンボルン伯爵からも支援を打診された」

「シェーンボルン……クロエさまの?」

「彼女のデビューを機に、家族で改めて話し合ったそうだ。ご長女の件も含めて、親子の考えをすり合わせることができたと」

 よかった……。

 クロエさまの笑顔を思い出し、ほんの少し心が軽くなった。

「クロエ嬢の希望で、絹の協力を考えてくれている」

「……!」

 シェーンボルンの絹の素晴らしさは、この春に目の当たりにした。けれども、彼らの絹は王族と自分たちだけのもののはずだ。

「絹自体の融通は禁じられている。代わりに、蚕の品種改良を助けてくれるそうだ」

 シュトラールの絹が発展途上であることを考えれば、天の恵みのような話だった。

「とはいえ、まずはこの社交期をどう乗り切るか考えなくてはな」

 テオフリートさまはわたくしの髪を力なく撫でる。

「嫁いできて早々、妙な状況に巻き込んですまない」

「そんな、わたくしこそ」

 結婚してから、すべてが順調だと思った。けれども実際は、見えないところでシュトラールは揺らいでいたのだ。なんだか、自分が不幸をもたらしてしまっているようで心が重くなっていく。

「アリアドネ、悪いことを考えていないか?」

 彼はお見通しで、顔を覗き込んでくる。

「フロイトの支援が得られたのも、シェーンボルンの絹の話も、君の存在あってこそだ」

 慰めの言葉も、今は素直に受け止められない。

「もっと、役に立ちたいのです。誰かに頼るだけでなく、わたくしの力で」

「……では、まずは私の傍にいてくれ」

 手を握られると同時に、額が触れ合う。決して離れないと思いを込めて、強く握り返した。


 翌日、シュトラールの主だった職人や職人組合の中心人物たちが、屋敷の広間に集められた。テオフリートさまは現状と指示を皆に告げる。

「この国で、お前たちほどの技術を持った者はいない。加工は禁じられておらず、現在も注文は続いている。流行の発信は抑えることになるが、私とアリアドネが他の貴族に働きかけるから、それぞれの仕事に集中してくれ」

 その横で、わたくしは背筋を伸ばして立った。彼らの不安を煽らないように、平然とした態度を貫く。

「議会の終了までには決着がつくし、おそらく棄却されるだろう。一時的なものだと思ってほしい」

 そんな中、数人の職人が顔を見合わせて口を開いた。

「ご領主さま、このあとお時間を取っていただいてもよろしいか?」

「相談なら、もちろん聞く」

 解散後、彼らはバルドゥルやゲルデも残るように言う。

 なんだか物々しい雰囲気で、傍に控えたフィリスが警戒を高める。ロルフも落ち着かない気配だけど、執事としての表情は維持していた。

 老いた職人は、バルドゥルを睨みつけた。

「バルドゥルの工房を飛び出した若造がいるでしょう。あれを久々に都で見かけました」

 それは、ヴィムのことだろうか。

「アインホルンの兵士に、ずいぶんな警護を受けていましたよ。そのまま、あちらさんの屋敷に入っていきました」

「……それは確かか?」

「シュトラールの地と職人の誇りにかけて、嘘は申しません」

 一人が堪えきれないように、バルドゥルに迫る。

「お前、よりによって、アインホルンに弟子をやったのか?」

 すぐにテオフリートさまが割って入った。

「バルドゥル、何か聞いているか?」

「いえ、何も……」

 そのやりとりの間にも、職人たちの怒りが強くなっていくのを感じる。

「我らの間でも、今回の制限の実態は知られています。加えて、あの若造の件。さすがに我慢できません」

「アインホルンほどの大領地が、卑劣な真似を……」

「ゲルデの顧客に、あそこのお姫さんがいるだろう。シュトラール公爵夫人の座も流行の発信役の座も奪った奥さまを妬んで扇動しているともっぱらの噂です」

「それは……!」

 思わず、口を挟んでしまう。

 ヘルミーネさまがシュトラール公爵夫人の座を狙っていたなど、聞いたことがない。テオフリートさまは、王族かそれに並ぶ相手がアインホルンの意向と仰っていた。

 それに、ツェーフィルさまの話を信用するなら、彼女はご自分の縁談の保留を願い出ただけ。熱が入っているのは、周りの一族たちのはずだ。

 そこまで考えて、わたくしも所詮は伝聞の情報しか持っていないと気づく。

「落ち着け。私の知るヘルミーネ嬢はそこまで愚かではない」

 テオフリートさまは冷静な態度を崩さない。

 ずっと無表情で隅に立っていたゲルデが、続いて首肯した。

「同感ですね。あのお方に、他人を追い詰めて憂さを晴らすご趣味はありませんよ。その話は、本当にご本人を知る者の証言ですか?」

「ゲルデ、お前……」

 逸る職人たちを、ロルフが抑えた。

「お二人の御前だ。それまでにしておきなさい」

「しかし……!」

 テオフリートさまが、制するように手を挙げる。

「貴重な証言、感謝する。この件は私が預かるから、お前たちは一度忘れて、自分の仕事に専念してくれ」

 納得しきっていない様子だったけれど、彼らは承服して帰っていった。


「申し訳ございません。私の責任です」

 静かになった室内で、バルドゥルが俯く。その頬は、以前より削げて見えた。

「お前はよくやってくれている」

「旦那さま。これ以上かばえば、余計に彼が周りから反感を買います。明日の商人たちとの会議も荒れますよ」

 ロルフの発言に、バルドゥルは目を閉じた。

「……そのとおりです。奥さまの宝飾品制作もこれまでのようにいきませんし、今は静かに見守っていただけたらと思います」

「そんな……」

 言葉を失うわたくしに、彼は寂しそうに笑った。

「この状況で私の弟子がアインホルンに渡ったのは、奥さまが思っている以上に深刻なのですよ」

「ああいった大貴族への反発心で成り上がりましたから」

 ゲルデの端的な補足に苦笑しつつ、バルドゥルは遠くを見るような目つきになった。

「シュトラールは本当に、何もなかったのです。飢えと寒さに怯えるしかない土地でした」

 だからこそ、彼らには、自分たちの才覚と結束力で公爵領にふさわしい土地に高めた自負がある。その反面、昔から安定を保ってきた他領に複雑な感情があるという。

「シュトラール公爵夫人による流行の発信……胸が躍る日々でした。一時でも関われたことを光栄に思います」

 バルドゥルは優雅な一礼をして、扉へ向かう。

 ずっとわたくしに力を尽くしてくれた彼を、このまま見送るしかないのだろうか。

「待って」

 反射的に、引き留めてしまう。

「本当に手立てはないのかしら? バルドゥルはずっと素晴らしい作品で貢献してくれたのに」

「厳しいでしょうね」

 首を傾げたのはゲルデだった。

「周囲を黙らせるほどの能力は持っています。ただ、ヴィムの件に加えて、今までと同じ頻度で新作を出せない状況ですし」

「……そもそも、頻度が多すぎた気がするけれど」

 思えば、どれほどの数の品を作ってもらったことか。いくら宣伝のためとはいえ、実家にいたころとは比較にならない。

「遠慮なく飾れる女性が現れて、皆浮かれていましたからね」

 領主の婚約者や妻に対して「遠慮なく飾れる」と言えるのは、シュトラールくらいだろう。このような状況なのに、わたくしはつい笑みをこぼしてしまう。

「シュトラールに注文するのは、比較的余裕のある人々でしょう。けれども、ドレスや宝飾品のやりくりに頭を悩ませる貴族も少なくないのよ」

 いつも同じ装いと思われたらいけない。身体の細さやドレスの地味さと同様、内情を心配されてしまうからだ。

 そういったことを話すと、ゲルデはいきなり小刻みに頷き始めた。

「ゲルデ……?」

 首を傾げるわたくしに、ゲルデは眼鏡を鈍く光らせる。

「絹の制限は、私にとっても大変腹立たしい話です。しかも、妨害がせせこましすぎます」

「それで?」

 先ほどまで硬かったテオフリートさまの唇が、わずかに緩んだ。

「今出た、仕立て直しで一撃食らわせましょう。新しいドレスばかり作っていて頭から抜けておりましたが、最も負担なく効果的な手段です」

 彼女はバルドゥルに向き直ってふんぞり返る。

「今まで宝飾品制作の指揮をしていたあなたも参加必須ですよ」

 フィリスがかすかな笑い声をあげた。

「何も知らない後任に引っ掻き回されるのも面倒ですし、引きこもる前に後始末はしていってほしいですね」

 見守っていたロルフは頭を抱えてしまった。

「お前たち。奥さまが驚かれないように、もっと言い方を……」

 わたくしは緩く首を横に振った。

「いいのよ、ロルフ。皆の人柄はわかっているし、あまり取り繕われるとまだシュトラールの一員として認められていないようで切ないもの」

「奥さま、そんなつもりでは……」

 眉を下げるロルフの横で、テオフリートさまが軽く頷いた。

「最盛期をどう乗り切るかについても、話し合いは必要だったからな。アリアドネ、君の意見も頼む」

 彼の表情が明るくなっていて、わたくしの心にも光が差し込んだようだった。

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