もたらされた知らせ
午前の空いた時間。ゲルデも呼んで、帽子や衣装の手入れをしている最中、フィリスはヴィムについて本音をこぼした。
「できれば奥さまに知られたくない話でした。人口が多くないシュトラールにとって、幼いころから教育してきた若者に出奔されるのは痛手ですので」
「他の領地から弟子入りする若者も少ないですしね」
針を淡々と動かすゲルデの呟きに、わたくしは首を傾げる。
「意外だわ。今なら、職人志願者にとって憧れの存在になるのでは?」
「受け入れる側の問題です。ご領主はシュトラールで生まれた者が支えるべきと、上の世代がこだわっておりまして」
「加えて、他所の人からすると、ここは仲間意識が強くて入り込めないようです。すぐ早口になってしまう私たちの気質も関係しているでしょうね」
それに関しては、これまで何度も身をもって体験してきた。
「先代夫人は外国のご出身だったので、特に戸惑われたそうです」
馴染もうと努力したけれども、シュトラールの冬の寒さに身体を壊し、都の屋敷にずっと住まうことになってしまったという。
――気が滅入るようだったら、都にいてもいい。
テオフリートさまが気遣ってくださったのは、そういう背景が関係しているのだろうか。
「正直に言えば、少し疎外感はあったわ。ゲルデもフィリスも知っていたのに」
わたくしもぽつりと本音を打ち明ける。
「末端の職人を奥さまに覚えていただく必要はない、と私たちも思っておりました」
「わたくし自身、全員の顔と名前を把握しているわけではないわ。でも、ヴィムの作品は心に残ったから」
「奥さまが旦那さま同様、一人ひとりを気にかけてくださっていると知って、職人たちは今まで以上に励んでおります」
フィリスはほろ苦さの滲む笑い方をする。
「……初代さまと不毛の地の民が努力したように、今の私たちも変わっていかなければならないのでしょうね」
「フィリス……」
「旦那さまが仰っていました。奥さまはシュトラールにとっての南風――温かな恵みをもたらしてくださると」
「えっ」
最近は結構慣れてきたけれど、彼の表現にはいまだにたびたび驚かされる。
「私も、奥さまが新しい風を吹かせてくださって、今とても楽しゅうございます」
「補足いたしますと、フィリスは公爵家に女性がいらっしゃらず、せっかく磨いた腕をなかなか生かせなくてふてくされていたのですよ」
突然ゲルデが口を挟んできて、フィリスのまとう空気が変わった。
「ゲルデ、職人は余計なことを言わないと習ったでしょう?」
「ああ、そうですね」
二人の視線がぶつかる。声なき口論が激しくなされているような気がした。
内々の騒動はあったものの、今年の社交は順調だった。
「昨年よりもさらに仲睦まじくなられましたね」
「お二人は、今や都中の羨望の的です」
どのお茶会に出ても、そう言われる。
流行の制御や素材の高騰もあり、婚約時代のような街中での宣伝は止めた。それでも、時折二人で散歩に出るので、幸せな夫婦としての姿は見せられている。
ちょうどフロイトの薬草を使った香油の試作品が完成したところで、最近は青髪のときに使っている。すると、テオフリートさまは事あるごとに、わたくしの髪に顔を埋めて――。
「シュトラールの技術を使って、フロイトの香りで君を包めるとは……このような幸せもあるのだな」
人目をはばからないときもあるので、それは少し困るけれど、自分と彼の故郷が結びついたようで嬉しくはある。
庭の春の花々を楽しんでいただくお茶会も無事開催できた。マイエステート公爵夫人には、茶器と同じくシュトラール独自の要素が庭にも必要なのではと指摘を受けてしまい、来年の課題となった。
都にやってきた両親は、わたくしがシュトラールでの暮らしに慣れるのか心配していたけれど、うまくいっていることを喜んでくれた。
イーリスは相変わらずだ。
「お姉さま、ますます美しくなられましたね。領地ではお二人でどのように過ごされていたの?」
この妹が尋ねてこないわけがなかった。
「とても平穏だったわ」
「平穏、ではよくわかりませんわ。事細かに教えてくださらないと。今、お姉さまたちのお話は大事な社交の手段なのです」
イーリスいわく、最近の貴族令嬢たちにとって熱い話題は、わたくしたち夫婦、クロエさまの新しいドレス、それからヘルミーネさま。
「ヘルミーネさま……大人びた装いになったから、てっきりご結婚が決まったと思ったのですが、どうやら違うようで」
表情を曇らせる妹の肩を、やんわりと叩く。
「最近はむしろ、前にも増して生き生きとしていらっしゃるでしょう? 案ずることはないわ」
ヘルミーネさまが精力的に見えるのは事実だ。新しい装いの研究がよほど楽しいのか、例年以上に気合いの入った衣装を披露していた。
今では、淡い色味のドレスを着ても、大人の女性としての威厳を漂わせている。
何か心境の変化はあったのは窺える。けれども、わたくしもイーリスも詳細は知らない。それなら、昨年と変わらない態度で接するべきだ。
「わたくしは、春の祝宴での装いに胸が高鳴ったわ。ドレスの形はそのままなのに、あそこまで印象って変わるものなのね」
「……お姉さまを見習おうと、十年ぶりくらいに思いましたわ」
妹の顔はまだ少し暗い。
「そういえば、ツェーフィルさまとはどうなったの?」
散々テオフリートさまとの話を探られた身としては、そこが気になるところだった。
「今年は軽いご挨拶しか。そちらのほうがお会いになっているのでは?」
都に着いたときや春の祝宴でご挨拶はしたものの、頻繁に会っているわけではない。
「お姉さま。実は先日あのお方が難しい顔をなさっているのを見かけました。何か、お悩みでもあるのでは?」
イーリスの表情はずっと浮かないままだった。元気づけようとしながら、今までと立場がすっかり逆転してしまったのを感じる。
数日後、そのツェーフィルさまが突然、夜遅くに訪ねてきた。
「今日の僕はただの友人としてやってきた。いいね?」
応接間の椅子に座っても彼が寛ぐ様子はなく、テオフリートさまは眉根を寄せる。
「最近、金銀に宝石、絹……シュトラールの産業を支えるものが高騰しているだろう」
わたくしたちは揃って頷く。特に今年の春からは、さらにその勢いは増している。
「それらが欲しいのはシュトラールだけではない。議会に提出されるのはこれからだが……外交に関わることだからと、王城で輸入を管理する案が出ている。今年の領地ごとの輸入量を王城が決めて、現時点で超過している領地はそれ以上輸入できない」
「案が出る前に行われた輸入まで対象に入るのか?」
「ああ、そのために半端な時期に提出するんだ。シュトラールは流行への対応のために、毎年早い段階で仕入れを行っているだろう。輸入量の数値を見るに、完全な狙い撃ちだよ。しかも、現在の制度上、案が出された段階で取り扱いに制限がかかる」
資源に乏しいシュトラールで質のよいものを作るには、輸入品の力が大きい。職人や商人の生活に大きな打撃を与えると、想像がついて寒気が走る。
「つまり、議会の決着がつくまで、我々は思うように動けないわけだな?」
「審議中でも、特例措置の申請は出せるが、城のご老人たちはまだエミールさまを蔑む風潮を覚えているから厳しいかもしれない」
なんて理不尽なのだろう。抑えようとしても、感情が揺らいでしまう。
「その案が採択されたら、シュトラールは……」
わたくしの呟きに、ツェーフィルさまは唇の両端を上げる。ただし、目は笑っていない。
「今までのようにはいかなくなりますね。でも、実際に採択されることが目的ではありません」
「なら、なぜわざわざそのような案が?」
「夫人、よくぞ聞いてくださいました。さて、僕はどこの家系の者でしょうか」
「……あ」
――一応、僕もアインホルンの縁者でもあるので。
いつかの会話がよぎる。目を見張るわたくしに、彼は静かに微笑んだ。
「なにせあちこちに一族がいて、城勤めも多い。特に近年は、結束を高めようとしています。すぐに棄却されないように派閥を作って立ち回るでしょう」
「そうなると、こちらはお手上げだな。数の力には敵わない」
テオフリートさまが珍しく、椅子の背に深く寄りかかる。
「だから早めに知らせに来たんだよ、テオ。あの人たちは素材と職人さえ確保すれば、問題なく新しい服や宝飾品を作れる。一方、シュトラールは在庫を気にしながら注文を待つしかない。商人も簡単に動けないし、アリアドネ夫人の装いに使う分は確保できるかな?」
「常に在庫は余裕をもたせているが、しばらく注文主優先になるな」
きっと、社交の最盛期に入っても、新しいドレスや宝飾品を今までのような頻度で発表できなくなる。
「最近派手に動いたのは自覚している。アインホルンとしては、ここで一度抑えにかかりたいところだろう」
「それと、ヘルミーネ嬢のこともある」
ヘルミーネさまの名前が出て、俯きかけた顔を上げる。
「そろそろ縁談を決める段階だったのに、本人がせめて一年は保留にさせてほしいと言い出したんだよ。アインホルンとしても、流行の発信者として影が薄くなれば、彼女の価値が下がって困る。一族総力をかけて支援しよう、と秋の集いで長老が鼻息を荒くしていた」
うんざりしたように、ツェーフィルさまは頭を振った。
「夫人、今年は彼女をお友達と見ないほうがいいですよ」
「ヘルミーネさまは、このことをご承知なのでしょうか?」
「……アインホルンの女性は、政に関わる話へ加わりません」
言われてみれば、シュトラールの戦略に携わるわたくしのほうが特殊なのだった。
ツェーフィルさまに苦笑されてしまう。
「苦しい時期に入ったが堪えてくれよ、テオ。社交最盛期の動きを封じるだけだから、そこまで長くは続かない」
「初代の苦労に比べたら、たいていのことは難事に入らない。フィル、伝えてくれて感謝する。周囲の目には気をつけてほしい」
「そこは心配しなくていい。僕は今日、友人夫妻の惚気を聞きに来たということになっているから」
話を終えると、ツェーフィルさまはさっそうと立ち上がった。背がとても高いので、何気ない動作にも迫力が出る。
「夫人、フロイト侯爵家の皆さまによろしくお伝えください」
「……はい」
頷きつつ、心は乱れるばかりだった。
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