世代の違い

 クロエさまのデビューは大成功で、彼女はその空間の誰よりも輝いて見えた。

「公爵夫人に励ましていただいたおかげで、堂々と臨むことができました」

 歓談の際、生き生きとした笑顔でそう言ってもらえた。

 やはり心の有様が表情や姿勢に出るのだろう。最初にお会いしたときも綺麗な所作だったけれど、さらに風格が増した気がする。早速、彼女は評判のご令嬢となった。

 テオフリートさまやゲルデが言うには、クロエさまには深みのある色が似合うそうだ。後日、見本の布をいくつかお見せしたところ、追加のドレスのご注文をいただいた。

「以前は、若い女性なら淡くて華やかな色と考える人ばかりでしたね。アリアドネさまのドレスが世に出てからは、濃い色も勧めやすくなってよかったです」

 わずかに抑揚のついた声で語りながら、ゲルデはドレスを試着するわたくしの足元で針を動かす。

 今日は屋敷に皆で集まって、新しいドレスの打ち合わせをする予定だ。

「貴族社会では、若い娘のドレスはそういうものだと教え込まれるのよ。それに、流行の発信役のヘルミーネさまが、淡い色をうまく着こなしていらっしゃったから」

 話しながら、あの晩の鮮やかな赤のドレスが浮かぶ。

「ゲルデ、先日ヘルミーネさまが赤くて透ける生地のドレスを着ていらっしゃったけれど、あれはあなたの作品かしら?」

「いえ。あのお方にはお気に入りの仕立屋が他にも何人かいますから、必ず私に注文するとは限りません」

「そうなのね」

 印象ががらりと変わったので、ゲルデの手によるものなら嬉しいと心の中で思っていたのだけど。

「赤……朝日のような色をおまといだったでしょう? 透ける生地もあのお方にはよくお似合いですし、惜しみなく何枚も重ねれば見事なものになるでしょう」

 実物は見ていないとは思えないほど、しっかり当てるのはさすがだ。

「いろいろな貴婦人のご注文を受けますが、ヘルミーネさまほど的確な指示を出せるお方はそうそういらっしゃいません。たいていの方々はまず、前例や他の女性のドレスを気にされますし」

 貴族はその性質上、どうも保守的になりがちだ。それでいてどこかの時代で風習に変化が生まれるので、世代によって考えが合わないことも多い。

「シュトラール製のものも、老齢のお方にはまだ受け入れがたい存在かと」

 五十代の人々までは、初代エミールさまを蔑む上の世代の影響が残っているそうだ。そのため、シュトラールの得意客はそれより若い世代が中心となる。

「悲しいわね……」

「まあ、あと十数年でだいたい天に召されるでしょうから、アリアドネさまが心を痛める必要はありません。シュトラールはまだまだこれから発展していく可能性があるということです」

 包み隠さぬ物言いにぎょっとすると、帽子の手入れをしていたフィリスの笑顔が雪のように冷たくなった。

「もう少し慮った言い方をなさい」

 ゲルデはまったく気にしない表情で、自分の仕事を続ける。

「そ、そういえば……このドレスにはどういった宝飾品が合うかしら? バルドゥルがすべて手がけるのか、ヴィムの新しい案が採用されるのか、楽しみだわ」

 無理やり話を逸らそうとした瞬間、二人は一瞬動きを止めた。

「……どうしたの?」

「あそこは今、いろいろと忙しいみたいですね。そのうち旦那さまから報告があるでしょう」

 いつの間にか、ゲルデの声が平坦に戻ってしまった。

 バルドゥルはシュトラールの宝飾品職人で一番の実力者だ。社交シーズンが始まった今、流行の影響を受けた女性たちの注文で追われているのは確かだろうけど……。

 首を傾げていると扉が叩かれ、職人が全員到着した旨を知らされた。


「今回は、こちらでいかがでしょう」

 バルドゥルが差し出してきたのは、精緻な彫刻を施した首飾りだ。

「ああ、バルドゥルの彫りは本当に見事ね」

 最近は少しずつ、職人の個性を見分けられるようになった。こうした繊細な技術は、バルドゥルに敵う人がいない。

「そういえば、ヴィムは……」

 思えば、ずいぶん長い間、ヴィムの姿を見ていない。昨年は、あの大胆な発想がよく採用されていたのに。

 部屋を見渡してみると、バルドゥルだけでなく職人たちの表情が一段と固くなっていた。

 テオフリートさまが、極めて静かな表情になる。

「アリアドネ、ヴィムはシュトラールの工房を去った。君の宝飾品は、引き続きバルドゥルが指揮を執るので安心してほしい」

「去った……?」

 何があったのだろう。病気だろうか、それとも他に事情があるのだろうか。

「奥さま、心配には及びません。あいつは勝手に出て行ったので」

 焦れたように、一人の職人が口を開いた。

「出て行ったって、どういうこと?」

 わたくしが問うと、早口の返事が次々に返ってくる。

「奥さまの宝飾品に携わるようになってから、今までにない発想ばかり追い求めはじめたのですよ」

「そしてとうとう、シュトラールのように恵まれた環境から離れて、新たな土地で自分を鍛えたいとか言って」

「皆、静粛に」

 傍に控えていた執事のロルフが声をかけるけれども、職人たちの勢いは止まらない。

「ったく、恵まれた環境だなんて。そうなるまでに俺たちの親父たちがどれだけ努力したと思っているんだか」

「シュトラールが名声を得たあとに生まれたやつらは、不毛の地から立ち上がった苦労を知らないんですよ」

「無鉄砲にもほどがある。ご領主さまにも手間をかけさせて……」

 いつもと違う様子に、わたくしは言葉を失う。

 そのとき、破裂したような音が室内に響いた。思いきり手を叩いたフィリスが、張りついたような笑みを浮かべていた。

「奥さまの御前ですよ」

 彼女の一言に、職人たちは揃って口を噤んだ。

「大変失礼いたしました」

 室内の静寂を確認してから、バルドゥルが口を開いた。

「いえ、気にしないで」

 テオフリートさまが改めて職人たちを見渡した。

「皆の不満は私が受け止めよう。今は引き続き、アリアドネや注文主のために各々腕を奮ってほしい」

「ご領主さま……」

 皆の興奮は治まったものの、ぎこちない空気が微かに残る。そこに、ゲルデがつかつか歩み寄ってきた。

「話は終わりですね。フィリス、さっさと首飾りをアリアドネさまに着けてください。その長さなら、首元の調整をしたほうがいいです」

 彼女の変わらない調子が、この瞬間は特にありがたかった。


 打ち合わせが終わったあと、テオフリートさまはバルドゥルだけを残らせた。

「奥さま、本日は見苦しいところを見せてしまい、失礼いたしました」

 改めてバルドゥルは頭を下げ、かばうようにテオフリートさまが口を開く。

「君に伏せていたのは私の判断だ。ヴィムの話が出たのは冬の初めで、君がシュトラールの地に馴染むことを優先させた。都に来てからも、クロエ嬢のことを第一に考えてほしくて、先送りにしていた」

「我々も、わざわざ奥さまにご報告するまでもないと思っておりました。あれのことを気にかけてくださって、ありがとうございます」

「彼の案は、とても素敵だったから……」

 それこそ、ヘルミーネさまを唸らせるほどに。

「せめて春の祝宴の前には言っておくべきだったな。結果的に君を軽んじるような真似をしてしまった」

 テオフリートさまの憂い顔に、プラチナの髪がわずかにかかる。

「いえ、むしろ気を回してくださったのですから。ただ……職人の出奔は重いことですよね。ヴィムは大丈夫だったのですか?」

 職人たちの結束は固い。それゆえに勝手な行動は許されない。先ほどの一件でもよくわかる。

「心配には及ばない。私が許可を出して、組合にも手を回した」

 領主自ら許したため、ヴィムは表向き、穏便に工房を去れたらしい。

「ご領主さまの寛大なお心、痛み入ります。おかげさまで、他の職人たちもそのときは呑み込んでくれたのですが……」

 バルドゥルの顔色が悪くて心配になっていると、テオフリートさまがわたくしの肩に手を置く。

「前も話したとおり、シュトラールの者たちは不毛の地から這い上がったことを誇りとしている。しかし、生まれたときから豊かなシュトラールしか知らない者との温度差はある」

「ヴィムが言った『恵まれた環境』とは……さすがに少々堪えました。下の世代には、初代さまのころの苦労とは無縁でいてほしいと願っていたはずなのに」

 バルドゥルが珍しく疲れた様子を見せる。テオフリートさまは励ますような眼差しを向けた。

「私は父祖の努力を誇りに思うべき言葉だと受け取った。もうシュトラールは不毛の地ではないと、彼が教えてくれた」

「閣下がそのようにお考えくださるのは幸いでございます」

「お前は今までどおり仕事をしてくれ。アリアドネの宝飾品は、引き続き頼んだぞ」

 バルドゥルは力のない笑みで、わたくしに向き直った。

「奥さま。まだ発想の大胆さではヴィムに及びませんが、今後も力を尽くします」

「よろしく頼みます」

 去っていくバルドゥルの背中は寂しげだった。

 二人きりになった瞬間、テオフリートさまに抱き寄せられる。

「今日は戸惑っただろう。悪かった」

 彼はわたくしの髪に顔を埋めた。

「いえ……むしろあなたが職人をとても大事にしているのを実感できてよかったです」

 ヴィムの出奔をあえて許したこと、バルドゥルへの励まし、他の職人たちへの対応。わたくしの見えないところで、多方面に配慮していたのだろう。

「求婚していただいた夜を思い出しました。この国には自分の服飾を知らない人が多くてもどかしい……そんなお話をされて世話焼きな方だと思ったものです」

「ここでその話か」

 テオフリートの唇が少し綻ぶ。

「わたくしはあなたの優しさに惹かれたのですよ」

「……優しいからと言って、それがよい領主とも限らない。まだ解決しなければならない問題も多い」

「一緒に考えましょう」

 わたくしは彼の背中に手を添えて、その頬に口づけた。

「……!」

 テオフリートさまは目を丸くする。そして表情をわずかに崩して、今度は彼から唇を重ねてくる。

「ありがとう、アリアドネ」

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