新たな装い

 その後、わたくしは相手にふさわしい装いを考えるのに必要な知識を学びはじめた。テオフリートさまはもちろん、ゲルデやフィリスも熱心に教えてくれた。

「これまでアリアドネさまたちの手前、断言する言い方にしておりましたが、本当は判断が難しいのですよ。シュトラールの者の間でも意見が分かれることが多々あります」

 わたくしの春のドレスの裾を縫いながら、ゲルデは早口で説明する。

「アリアドネさま、ヘルミーネさま、クロエさまはそれぞれ似合う色彩やドレスの形が違います。ただ、アリアドネさまは長身で痩せ気味なので、クロエさまに似た体型と思う人もいるでしょう」

 その横で、フィリスもわたくしの髪型をあれこれと模索しながら口を挟む。

「たとえば、イーリスさまはヘルミーネさまと体型が似ていらっしゃいますし、優しい色がお似合いですが……どちらかと言えばヘルミーネさまは暖かめの色、イーリスさまは涼しげな色が映えますね」

 二人は同じドレスが似合うと思っていたので意外だった。

「確かに私たちの中での分類はありますが、その中間に属する人も少なからずいらっしゃいます。慌てて知識を詰め込まず、時間をかけたほうがいいですよ。いろいろな人を観察してみてください」

 ゲルデの言うとおり、半端な知識では火傷をしそうだ。わたくしは自分の見通しの甘さを思い知った。

 肩を落とすと、フィリスが慰めてくれる。

「ゲルデの言うとおりです。女主人として、職人が働きやすいように采配してくださるだけで皆は感謝いたしますよ」

 それでも、と言いかける自分は、背伸びしすぎだろうか。

 テオフリートさまをはじめ、シュトラールの人々は日々の積み重ねで目を養ったのだろう。ほんの二年前は服飾のすべてから目を逸らしていたわたくしが、いきなり身につけられるわけがないことは理解した。


 結局、クロエさまのご依頼はテオフリートさまたちの意見に頼る部分が大きかったけれど、最後まで伯爵家の信頼を保つことはできた。

 クロエさまのドレスは、シェーンボルンの極上の絹とゲルデの縫製で輝くような仕上がり。肌によく合って健康的に見えるし、柔らかな印象を与える。

「このようなドレスを着るのは初めてです。これほど心が弾むのも……」

 ゲルデを伴って現物を届けると、早速身につけた彼女は何度も身を翻し、鏡を見て微笑む。そうした姿も以前の自分と重なって、なんだか懐かしい気分になった。

「ありがとうございます、公爵夫人。いつか、お礼をさせてくださいませ」

「デビューを楽しんでくださるのが、わたくしにとっては一番のお礼です」

 そう返すと、クロエさまは複雑そうに笑う。

「……今日は母が不在ですので、もう少しお話をさせていただけませんか?」

「わたくしでよければ」

 彼女は一呼吸置いてから口を開いた。

「留学した姉は、幼いころより音楽の才が飛び抜けておりました。けれども、貴族女性が音楽家を職業にすることに両親は反対で……」

 クロエさまは一貫して、お姉さまの味方だったそうだ。

「お姉さまと仲がよろしかったのですね」

「ええ。それに、わたくしは姉ほど何かに打ち込めず、彼女は眩しい存在でした。だから、決めたのです。姉には自由になってもらい、その分わたくしが立派な貴婦人となって両親を安心させようと」

 しかし、流行のドレスがどれも似合わず、冴えないように見えてしまう。デビュー段階でつまずいてしまったら、と不安ばかりが広がっていたようだ。

「似合わなくてもいいと両親は言っておりましたが……どうしても完璧な貴婦人になりたかったのです。我が家の娘として」

 お姉さまが留学したとき、彼女はまだ十三歳くらいだったはずだ。どれだけ大きな決意だったか、わたくしには想像もできない。ただ、その心がとても尊く思えた。

 その反面、もしもイーリスがデビューしたとき、前年のわたくしの失敗のせいで気負いすぎてしまったら……想像しただけで心がつぶれそうになる。

「クロエさま。わたくしはこれまでお話したようにとても社交下手で、いつも年の近い妹に助けられていました。時折、彼女を羨む気持ちも芽生えましたが、それ以上に感謝の念が絶えないのです」

 わたくしの話に、クロエさまは真摯な表情になる。

「お姉さまご本人を存じ上げませんが……もしもわたくしが同じ立場なら、クロエさまに感謝すると同時に、ご自分の幸せも考えてほしいと思うのです」

 ああ、よい言葉がなかなか出てこない。そもそも、代弁できるほどの立場ではないのに傲慢だろうか。

 それでも――。

「わたくし自身、完璧な貴婦人とはどんな人か、答えを出せておりません。けれども、素敵だと思う方は皆、自然な笑顔を浮かべるのです。縮こまっていたころの自分には決してできない表情で……」

 友人たちとのお喋りに興じるイーリス、庭を誇らしげに紹介するキルシュネライト伯爵夫人、茶器に目を細めていた公爵夫人、そして……ドレスや宝飾品をご覧になるヘルミーネさま。

「そのご決意は、きっとクロエさまを芯の強い女性として見せてくれるでしょう。そのうえで、社交界に出ることを楽しんでいただきたいです」

 わたくしは長いこと、楽しむ機会を自ら投げてしまったから。

 クロエさまは俯く。わたくしは慌てて口を開いた。

「ご姉妹の実情を知らずに、自分のことばかり言ってしまいましたわよね。失礼いたしました」

「いえ、とんでもない。むしろ……心配してくださって、とても嬉しく思います」

 そう返す声は、胸が詰まったような響きだった。

「まるで敵地に飛び込むような心地でおりましたの。姉のことを内心悪く思う人もいるでしょうし……。侮られてはならない、弱みを見せてはいけないと必死に自分に言い聞かせておりました」

 その言葉に、テオフリートさまの言葉がよみがえる。シュトラール公爵家は不遇な立場から始まったゆえに、侮られてはいけないというのが代々の教えだったと。

 とっさに、彼女の背中をそっと撫でる。

「わたくしは味方でおります。その分、ほんの少し、心を軽くしていただけないでしょうか」

 まだ頼りない味方かもしれないけれど……力になりたい。クロエさまにはそう思わせる何かがあった。

「……はい」

 顔を上げたクロエさまは、頬を緩ませて頷いた。まだ少女の面影が残る笑みだった。

 いまだにわたくしの知識は乏しい。せめて空虚な存在にならないように、目の前の人の心を精いっぱい見つめようと、改めて誓った。


 貴族女性のデビュー時期は、毎年決まっている。国中の貴族や富裕層が集う、春の祝宴の日だ。

 国王王妃両陛下への謁見を済ませ、社交界の新たな一員となった彼女たちは、広間でダンスを披露することになっている。

「昔はドレスのデザインまで全部決められていたが、今は思い思いのドレスを着られるから、シュトラールとしてもありがたいな」

 テオフリートさまの口調から、新しいドレスを発信できることを楽しみにしているのが伝わってくる。

「今回、君は自分のドレスよりもクロエ嬢のドレスに夢中になっていたのではないか?」

「そ、そんなことは……。今回も、皆の尽力に感謝しております」

 今夜のドレスは、葡萄酒のように深みのある赤。細かな折りひだが入って、とても繊細に揺れる。

 直線的なパーツをつないだ首飾りは、長さの違うものを三つ用意して、重ねづけしている。

「今回の宝飾品は、バルドゥルがいちから考えてくれたのですよね」

「ああ……」

 テオフリートさまにしては気の抜けた返事だ。菫色の瞳は、ある一点に集中していて、それを追うと――。

「……!」

 そこにはヘルミーネさまの姿があった。そのお召し物に釘づけになる。

 明るい赤の、柔らかく透ける生地を使ったドレス。切り返しの位置が高く、そこから裾にかけては何枚も生地を重ねている。春風を身にまとっているような軽やかさだ。

 首飾りは真珠と金細工を組み合わせたもので、華やかに結った髪も耳も真珠で飾っている。目元には金粉を散らしたような輝き。

 少女らしさを感じる装いがいつもお似合いだったヘルミーネさま。ドレス自体の形はあまり変わらないはずが、ずっと大人びて見えた。

 もともとヘルミーネさまは、従来の貴婦人の装いを自分に似合わせるように変えながら、流行を発信してきた。わたくしのドレスやクロエさまのドレスが斬新なら、ヘルミーネさまのドレスは正当に進化させたものに思えた。

「ごきげんよう、テオフリートさま、アリアドネさま」

 艶めいた唇が笑みを象る。

「ごきげんよう、ヘルミーネさま。今回は雰囲気を変えられたのですね」

 興奮を抑えながらご挨拶する。

「アリアドネさまが昨年仰ったように、いろいろな装いがあったほうが楽しいですから。冬の間、自分なりに研究を重ねましたの。試行錯誤とは楽しいものですわね」

 ふと、テオフリートさまが怪訝そうな表情を浮かべる。ヘルミーネさまの微笑みはいつも以上に美しいのに、心がざわめくのを感じた。

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