虚ろな人形
テオフリートさまと入れ替わるように、ゲルデが入ってきた。
「彼女が、わたくしのドレスを主に担当している仕立屋です。ヘルミーネさまのドレスも手がけているのですよ」
跪くゲルデを示しながら、わたくしは満面の笑みになる。
「ゲルデ、こちらのご令嬢のドレス作りをあなたに任せます。事前に、いくつか注意点があるのでよく聞いてちょうだい」
シュトラールの人々は遠慮がない。それは、彼らが身内と判断した相手だけだ。
ゲルデは、他の貴族女性の前で不用意に口を開いたりはしない。注文主の強い要望があれば多少納得できなくても従う。似合わないものを勧めることはしないが、貴族の望みを全部否定することもない。
いつだったか、ヘルミーネさまが「テオフリートさまにもっと相談できれば」とこぼしていたのを思い出す。対等な関係でない以上、貴族が職人の本音を知ることも、職人が貴族へ率直な意見を述べるのも、本来は難しい。
そこで、わたくしの出番だ。わたくしがゲルデの意見をもとに方針を判断し、指示を出すような体裁を整えれば、彼女は格段に仕事しやすくなる。
「ゲルデ。わたくしにヘルミーネさまの着るようなドレスが似合っていなかったのは、あのお方と体格が違うからだったわね?」
「仰るとおりです。ヘルミーネさまは首や肩のあたりが華奢に見えるのに対し……」
話を振れば、ゲルデは的確に答えてくれる。
クロエさまも伯爵夫人も、時が経つにつれて、淀みなく見解を述べるゲルデの話に聞き入っていく。
ゲルデいわく、わたくしやヘルミーネさまは立体的な特徴がわかりやすい身体らしい。
一方、クロエさまは、骨が目立ちやすい上に均一的な体つきなので、それぞれの体型を強調するドレスはどちらも似合わなかった。
「公爵夫人はすらりとしていらっしゃるから、こちらのドレスなら自分にも似合うと思ったのですが……」
「背の高さと手足の細さでそう思われがちなのです。胸のあたりはさほどでもないので、目立たないように猫背でごまかしておりました」
まだ社交界に出ていないクロエさまは、自信がなかったころのわたくしのことを伝聞でしか知らなかったようだ。当時の悩みを打ち明けるたびに、驚きの表情を見せてくるので、なんだか新鮮な気分になる。
最終的にゲルデが提案したのは、全体がゆったりとした形のドレスだった。わたくしのドレスともヘルミーネさまのドレスとも違う。
「図だけなら素敵だけれど、太って見えないかしら?」
伯爵夫人は首を捻る。
「他のお方ならそうかもしれません。しかし、クロエさまならばお似合いになります」
平坦だったゲルデの口調が、少し熱を帯びる。新しいデザインのドレスを作れる喜びが、ほんの少し滲み出ていた。
これなら、窮屈にならず柔らかな雰囲気になるかもしれない。わたくしは大きく頷いてみせる。
「クロエさま。わたくしも、このドレスであればお似合いになるのではないかと考えております。いかがでしょうか?」
クロエさまは一度、伯爵夫人と視線を交わす。
「……はい、お願いいたします」
ひとつ問題が解決できて、ひそかに胸を撫でおろす。
「公爵夫人。このドレスは、どのような生地を想定しているでしょうか?」
伯爵夫人の問いに、わたくしは悠然と唇の端を上げた。
「デビューのドレスは白と決まっていますが、ひとくちに白といっても、似合う色味は人によって異なります。まずはそれを確認いたしましょう」
どうも、今まで教わったことをそのまま語るだけになってしまう。
ゲルデは、クロエさまに数種類の生地を合わせていく。その中で、温かみを感じる色を当てた瞬間、彼女の目つきが変わった。わたくしも、はっと息をのむほど納得がいく。
「ゲルデ、これがよさそうね?」
「はい。落ち着きが感じられて、品よく見えることでしょう」
傍から見ていた伯爵夫人とクロエさまは、感嘆の息をこぼした。
「こうして比べて見ると、わかりやすいですわね」
「本当に。これまであまり気にしたことがございませんでした」
クロエさまの表情が一段と明るくなる。
こうして喜んでいただけるのは嬉しい。シュトラールの人々が張り切ってしまう気持ちがわかる気がする。
「この布の端切れを持ち帰ることはできるでしょうか? 手持ちの絹の中に似たような色のものがあったはずです」
シェーンボルンはかつて絹を名産としていた。今は王室と自分たちの分しか作っていないけれど、その質は名高い。きっと晴れ姿にふさわしいドレスに仕上がるだろう。
「ええ、もちろん。後日、ゲルデの工房に人を遣わしてくださいませ。必要な量や納期について、より具体的なお話ができるでしょう」
クロエさまが目元を和らげた。
「公爵夫人、ありがとうございます。少し気後れしたのですが、本日伺ってよかったと思っております」
その称賛は本来ゲルデに捧げられるべきものだけれど、ここは橋渡し役として受け取ることにした。
「わたくしも、クロエさまのデビューが楽しみになってまいりました」
自分のデビューが散々だったからこそ、他の人には心からの笑顔でその日を迎えてほしい。そう願ってやまなかった。
「よくやってくれた、アリアドネ」
クロエさまと伯爵夫人が帰っていったあと、テオフリートさまは声を弾ませて労ってくださった。
クロエさまはもちろん、テオフリートさまも伯爵夫人もゲルデも喜んでくれた。それなのに、先ほどからずっと胸に何かが刺さっているような気がした。
「アリアドネさま?」
ゲルデにまで心配されてしまう。わたくしは慌てて笑みを作った。
「とても緊張してしまったの。結局、誰かの受け売りしか話せなくて恥ずかしいわ」
これまでは、あまり自分で考えることをせずに済んだ。皆が積極的に提案してくれるのを受け入れるだけでよかったからだ。自分で決めるにしても、用意された選択肢の中から選ぶだけでよかった。
「ゲルデに頼ってばかりで、わたくし自身が相談に乗れることは少なかったし……」
「そう仰る必要はございません。私は一介の職人なので、他所のお貴族様に対する発言権はないのです。アリアドネさまがいらっしゃるからこそ、従来よりも踏み込んだご提案ができました」
ゲルデの言葉に、心が軽くなる。
テオフリートさまは早速、ゲルデと込み入った相談を始める。クロエさまと顔を合わせたのはわずかな時間だというのに、どうして彼はここまで意見を出せるのか不思議になる。
二人の議論が活発になると、相槌すら挟めなくなる。ひたすら目と耳に意識を集中して、知識を蓄えるのに専念した。
打ち合わせが終わってゲルデが帰り、二人きりになった途端、テオフリートさまに頬を撫でられる。
「まだ、浮かない顔だな」
「婚約指輪のときのことを思い出して……」
あれから一年半ほどの時が経っているのに、自分が成長できていない気がする。
テオフリートさまはもちろん、ゲルデたち職人や、フィリスのような使用人……わたくしが身につけた自信は彼らの優しさで成り立っている。結婚前から、実家の家族も含めていろいろな人に甘えっぱなしだ。
何も考えずにただ提案を受け入れるのと、信頼して任せるのは違うのではないか。テオフリートさまとゲルデの活発な議論を聞いたせいか、先ほどの自分がいかに虚勢を張っていたのかを実感する。
見かけだけやたら大きくて中身は虚ろの、不格好な人形みたい――。
「自分がいかに空虚な人間か、身にしみました」
「本当に君が空虚な者なら、あのお茶会で皆の胸を打つ言葉は出ないし、今日のクロエ嬢を笑顔にすることもなかっただろう。クロエ嬢は解決策以上に共感を求めていた。君は君にしかできない仕事をした」
テオフリートさまはそっと抱きしめてくれる。
「私も、父や兄の域に達するまで必死に学んだ。君が知りたいのなら、なんでも知識を与えよう」
このお方は本当にどこまでも甘やかしてくださる。それを実感しながら、わたくしは彼の胸元に顔を埋めた。
「ところで、ひとつだけいいか?」
笑いをこらえたような声が落とされる。
「私とゲルデがクロエ嬢のドレスについて意見を出し合っているとき、君はいつものように真面目に聞いていたな?」
「はい、新しいデザインのドレスですし、わたくしでは思いつかなかったことばかりでしたから」
肩を震わせる振動が伝わってくる。テオフリートさまが何を面白がっているのかわからない。
顔を上げると、菫色の眼差しが悪戯っぽさをにじませていた。
「他の女性のドレスにここまで口を出すのは初めてなのだから、多少は妬いてくれるのではないかと密かに思っていた」
「あっ」
小さく口を開ける。
振り返れば、テオフリートさまがわたくし以外の装いにあれこれと口を出すことはほとんどなかった。せいぜい、婚礼のときにわたくしの家族の礼服について確認したくらいだろうか。
「君には独占欲がないのだな」
「ええと……」
クロエさまには、笑顔でデビューの日を迎えてほしい。その気持ちが強かったから、話し合いでは全然意識しなかった。
だからといって、テオフリートさまが他の女性たちばかりを見るようになってしまったら――。
無意識に、彼の服をきゅっと握った。
「わたくしのことは、一番に見ていただきたいです……」
初めてエスコートしていただいた夜は、ささやかな願いしか持たなかったのに。こんなに望んでしまっていいのだろうか。
その答えを与えてくださるように、テオフリートさまはさらに深く抱きしめてくるのだった。
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