夕闇の交渉

 早速、使用人たちがわたくしのドレスや宝飾品を運んでくる。

「……こんなにたくさん作ってもらっていたのね」

 婚約時代から、社交の場に出るときはもちろん、街へ外出するときもシュトラールは充分すぎるほどの新作を用意してくれた。注文を促す見本とはいえ、その量に圧倒される。

 与えられてばかりだと自覚していたけれど、いざ目の前にその量が提示されると震えてしまう。これは、他所の人々から「溺愛」と言われても反論できない。

 けれども、この量はテオフリートさまやシュトラールの皆の期待の表れでもあった。だからこそ、彼らの気持ちを無駄にしたくない。

「どうせ仕立て直しで話題を作るなら、特に世間の反応がよかったものを使いたいな」

 テオフリートさまの言葉に頷いたゲルデは、まず赤いドレスを取り上げる。それから、婚約披露のときの青いドレス。春の祝宴に着たドレスは昨年のものも今年のものも。

「これらを発表したときは特に、ご注文を多くいただきました」

「ああ、確かにこのあたりのドレスを仕立て直せば意表を突ける」

 テオフリートさまは、青いドレスをわたくしの身体に当てながら頬を緩める。

「……思い出すな。あの日は、君を自分の婚約者だと紹介できるのが誇らしくて」

「ああ、そういった話はあとでお願いします。数日後、ヘルミーネさまと同席する舞踏会があるのでしょう? それまでに一着完成させなければ」

 容赦ないゲルデの遮りに、室内は乾いた笑い声に満たされる。

「ゲルデ、これは婚約指輪のサファイアに合わせたものだろう。どう直すつもりだ?」

「まったく違う宝飾品を主役にして、調和するように直します」

「あの日……ヘルミーネさまは即時に指輪との合わせ方を評価してくださったわ。きっと驚いてくださるでしょうね」

 あのとき、熱心にドレスと指輪を見比べていた彼女の様子を思い出すと、胸が燻ってしまう。

「バルドゥル、さっさと候補を選んでください。あなたの仕事ですよ」

 ゲルデにバルドゥルは力なく笑いつつ、了承した。

 皆に任せていないで、わたくしも知恵を絞らないと。

「あのときの主役は指輪だったから、今度は首飾りを主役に持っていきたいわ」

 わたくしの案に、テオフリートさまは笑みをこぼした。

「それはいい。ちょうど、前々から試したいことが――」

 いつもより少人数での話し合いになったものの、率直な言葉を交わし合う。まだ皆に教えられることは多いけれど、充実した時間となった。


 数日後。わたくしとテオフリートさまは、春にしては大規模な舞踏会に出席した。

 クロエさまをはじめ、服飾品の注文は途切れていないので、職人たちがすぐに困窮することはなさそうだ。商人の中にも、香油など輸入制限とは関係ない品の売り上げを伸ばしている人々がいる。

 けれども、議会はいまだに膠着状態。素材の在庫が増えることはない。今夜はヘルミーネさまと接触して、なんらかの成果を得たい。

 わたくしたちが会場に入ると、何人かがこちらを見て目を丸くする。全員、婚約披露の宴の招待客だった。

 あの宴は昼間だったので、肌の露出を控えたデザインになった。今回は夜の舞踏会に合わせて、ゲルデが大胆に肩から袖までを断ち切ってくれた。

 主役となる首飾りは、大粒のファイアオパールをはめた金細工を使った、長めのものにした。これはテオフリートさまの提案だ。

 この石も金も、本来わたくしに似合う色ではないらしい。ただし、小物に使ったり顔から離れた位置に飾ったりする分には問題ないそうだ。

 宝飾品に馴染ませるため、ゲルデはドレスにレースを追加したり、裾に金糸で刺繍を入れてくれたりした。原型を残しつつ、しっかりと改変がわかるような絶妙な仕上がりになっている。

 実を言えばここ数日、食欲はまったく湧かなかった。けれども皆の努力を無駄にしないよう、体型はなんとか維持した。

「ごきげんよう、公爵ご夫妻。そのドレスはもしや……」

 早速、一人が挨拶に来てくれる。

「一昨年ご列席いただいた、婚約披露の宴のときのものです」

「大胆なことをなさいましたね」

 婚約披露のドレスは大切に保管し、生まれた娘に受け継がせる家もある。ここまで大きく作り変える例はまだ少ないだろう。

「私たちにとって思い出深いものだからこそ、屋敷の奥で眠らせておくのが惜しかった。形こそ変わったが、この青を見るとあのときの彼女を思い出して、いっそう愛しさが増すのだ。同時に、婚約者から夫婦へ変わった幸せも」

 テオフリートさまが柔らかな眼差しを向けてくる。

 大事なドレスを仕立て直さなければならないほど、シュトラールは困っているのか。そんな声を封じるのは充分すぎる発言だった。

 その後も、ドレスの変化に気づいた方々からのご挨拶が続いた。概ね好評で安堵する。お母さまだけは少し残念そうな様子だったけれど。

「お姉さま、仕掛けは大成功ですね。驚きましたわ」

 イーリスは、久しぶりに朗らかな笑みを見せる。

「先ほどのお義兄さまのお言葉、周りのご令嬢たちが悲鳴を抑えるのに必死でしたのよ。それなのにすっかり慣れたような顔をして。夫婦だけのときは、どれほど濃厚な言葉を交わしていらっしゃるの?」

「あ……」

 ドレスを仕立て直した理由として必要な説明だと受け止めてしまった。

「もう少し、恥じらったほうがよかったかしら?」

「お姉さまったら」

 呆れるイーリスの背後で、明るい紺色の生地がふわりと触れた。

「ごきげんよう、皆さま」

「ヘルミーネさま……」

 彼女のドレスを飾るレースは、量こそ控えめながらも、効果的に彼女の華やかさを演出している。まだ少女の面影をわずかに残すような、儚い美しさが感じられる。

 無意識に、わたくしの視線はヘルミーネさまの宝飾品に向いた。黄金の蔓のような曲線と青の石が、彼女の首を彩っている。

 ああ、これはヴィムの仕事だ。

 意識して眺めると、すぐにわかった。直線的なものが似合うわたくしと、曲線的なものが似合う彼女。傾向は違っても、その形に彼の思い切りのよさが感じられた。

 周囲の人々が、少し緊張感を帯びた視線を送ってくる。そこでわたくしは、思いきり唇の両端を上げた。

「本日も素敵な装いですわね」

「アリアドネさまこそ。そちらはご婚約披露のときのドレスですわよね。驚きましたわ」

 空色の瞳が、興味津々に見つめてくる。

「あのときは、サファイアの指輪との調和が素晴らしくて、他の石との組み合わせがまったく想像できませんでした。しかも、金を合わせて……」

 こぼれるため息は、どきりとするほど熱を帯びている。

 ――今年は、彼女をお友達と見ないほうがいいですよ。

 ツェーフィルさまの忠告が浮かぶものの、こうした様子を見ていると彼女自身がこちらに敵意を持っているとは思えないのだ。どうしても信じたくなる。

 わたくしは姿勢を正して、ヘルミーネさまを見下ろした。

「ヘルミーネさま、お庭はもうご覧になりましたか? 今年は灯りを多めに配置して、とても華やかなのですって」

「まあ、そうなのですね。まだ時間的には早いですけれど、人の少ないうちに拝見しましょうか」

 彼女は笑みを深めつつ、視線を横に動かす。

「最愛の夫人を独占しまうのは申し訳ないので、テオフリートさまも一緒にいかがでしょう?」

「女性同士の話に割り込むつもりはないが、せっかくのお誘いだ。ぜひ」

 その瞬間、何人かの貴族が同行を願い出ようとして動きかける。それをヘルミーネさまは、微笑みひとつで制した。

「お兄さま方。社交期後半の装いについて、ご夫妻とじっくりお話したかったのです。長くなりそうですし、付き添いは不要ですわ」


 ヘルミーネさまは、テラスを抜けて庭へと進み出る。ほのかな夕闇の中、彼女の姿はひときわ輝いて見えた。

「それで、何からお話いたしましょうか?」

 彼女は早速切り込んでくる。わたくしは、口を開きかけるテオフリートさまの袖を引いて視線を送る。

 まず確認したいことがあった。

「その首飾りは、シュトラールにいたヴィムの作品でしょうか?」

 待っていたとばかりに、彼女は余裕に満ちた表情で頷く。

「ええ、優秀で助かっております」

「彼は……元気にしていますか?」

「元気に働いてくれていますよ」

 この言葉、以前も聞いたことがあった。思わずテオフリートさまを見上げる。

「アリアドネさま?」

「あ、いえ。夫も以前、同じような答えを返してきたことがあって」

「まあ、そうでしたの」

 軽やかな笑い声とともに、空色の眼差しがテオフリートさまを捉える。

「最近思うのです。テオフリートさまが女性だったら、わたくしたち親友になれたのではないかと」

 彼が女性だったら――まさかの発言に頭が真っ白になってしまう。

「そ、それは困ります……!」

 思わずテオフリートさまの腕を抱いて主張すると、ヘルミーネさまの表情がやや力の抜けたものになった。

「アリアドネさま、すっかり染められていますわね。そうした惚気話が本題でしょうか?」

「……いえ」

 ああ、毅然とお話をしたかったのに、わたくしは何を……。

 先ほどまで張りつめていた空気は完全に消えてしまった。恥ずかしすぎて、久々に思いきり肩を丸めたくなる。

 テオフリートさまが苦笑しながら、彼女に向き直る。

「いろいろ聞きたいことはあるが、まずはヴィムの現況が確認できてよかった」

「余裕ですわね。有望な職人の流出は痛手なのではなくて? 特に、今は」

 思わせぶりなくらい、彼女は「今」の一言を強調した。

「アインホルンの総意ではなく、君個人の考えを聞きたい」

「わたくしの?」

 ヘルミーネさまは優雅に首を傾げた。揺れる首飾りが、庭の灯りを反射する。

「そう、君のだ」

「……いいでしょう。今宵のアリアドネさまの装いを拝見して、わたくしの心は決まりました。ただ、今のやりとりで気が緩んでしまったので、仕切り直しをお願いいたします」

 彼女の面持ちは再び、強い意思を感じさせるものになった。

「お二方、明日か明後日のご都合は? ぜひ我が家へお招きしたいのですが」

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