伝えるべきこと
とうとう、シュトラール公爵夫人として初のお茶会の日がやってきてしまった。婚礼の日ほどではないものの、屋敷の中は支度に追われる使用人たちの足音がよく響く。
広間には、程よい間隔でテーブルを並べる。上に飾る花は、お茶を邪魔しないものを品よく。窓から見える庭の様子も問題ない。
茶葉は、テオフリートさまと行ったティーハウスの品の中から相談して選んだ。軽食とお菓子も、屋敷の料理人と話し合って吟味した。給仕を行う使用人たちは頼もしい面々。
聞けば、テオフリートさまのお母さまにあたる先代夫人は、外国出身ということもありリーデルフェルトでは珍しい品を見せるお茶会を開いていたらしい。わたくしに同じことはできないので、自分らしく、シュトラール製の品々を宣伝することにした。
今回一番見てもらいたいのは、室内の調度品とティーセットだ。ティーセットは、今評価が上がってきている若手職人のものを選んだ。
ドレスは上品に見える灰色。昼間なので袖は長いけれど、すっきり見えるようにしてもらっている。
きっと大丈夫。実家でお母さまのお茶会も何度か手伝ったし、お茶会へのお招き自体は経験を重ねている。だから、大丈夫。
「アリアドネ、最新の席次はどうなっているの?」
お母さまに声をかけられ、肩が跳ねる。テオフリートさまと相談して、今回は初めての主催ということで密かに頼ることにした。
お茶会は女主人の采配が試される。テオフリートさまは助言程度に留めてもらい、心得を改めてお母さまに教えてもらうことにした。
「現時点のものは、こちらに……」
お母さまは紙に並んだ名前を、睨むように見つめる。
「概ね問題ないわね」
密かに安堵する。最初に考えた席次表は、イーリスから即刻却下されたのだ。
家格や親戚関係、普段の交流を考慮して配置したものの、一見仲が良さそうで嫌い合っている人たちを隣同士にしてしまっていた。こういうときは、普段から社交に熱心で貴婦人たちの人間関係を正確に把握している妹には勝てない。
「こういうことは慣れだから。手助けがある今日のうちに、しっかりとやり方を覚えなさい」
「……はい」
両親とは、先日の婚礼で感動的な別れを告げたはずだ。けれども、時が戻ってしまったかのように感じる。
ここで弱気になってはいけない。今日のわたくしにはいくつもの役目がある。
新たな公爵夫人として堂々とした振る舞いを見せること、シュトラール製の品を知っていただくこと、ヘルミーネさまと良好な関係を維持すること。
……ああ、荷が重い。
早速食が細くなって、屋敷の皆から心配されてしまったけれど、しっかりしなければ。
「皆さま、本日は足をお運びいただき、心より御礼申し上げます」
出席者ひとりひとりの顔を丁寧に見るようにしながら、わたくしは挨拶の口上を述べる。
客人は全員女性。こうして見渡すと、シュトラールの打ち出した流行を取り入れた装いが多い。それぞれ配慮してくださったのだろう。
ヘルミーネさまは、杏色のドレスに、前で留める首飾りを合わせている。春の初めの宴で強い興味を示していたから、早速誂えたのだろう。
短めで、華やかな曲線を描いたものにしているのはさすがだ。彼女の首元によく映える。
「楽しい時間をお過ごしいただけたら幸いです」
給仕の使用人たちが動き始める。お茶会の始まりだ。
「素晴らしいティーセット……シュトラールらしいお茶会ですわね」
社交界でも特に発言力のあるマイエステート公爵夫人が、早速カップの意匠に目を細める。このお方はティーセットがお好きで、国内有数の蒐集家だ。
普段はお祖母さまのように厳格な空気をまとっているけれど、カップを見つめる眼差しは柔らかくてほっとする。
「夫人にお褒めいただけて嬉しゅうございます」
このお方の振る舞いは、いずれ自分に必要になってくるものだ。失礼のない範囲で、見ておかなければ。
ありがたいことに、今のところ室内の雰囲気はいい。どのテーブルも話が弾んでいるようだ。
「公爵夫人、こちらのお菓子は美味しゅうございますわね」
若い子爵令嬢が、笑顔を咲かせる。この家は三代にわたるシュトラールの得意客。彼女は今日、わたくしが着るものに似たドレスをまとっている。
「お口に合ったなら何よりです」
けれども、彼女はどこか切なげに皿の上を見つめた。
「……いかがなさいましたか?」
「いえ、近ごろ減量しておりまして」
首を傾げるわたくしに、別のご令嬢が口を開く。
「公爵夫人はすらりとしたお身体で、新しいデザインのドレスが映えるでしょう? 皆、公爵夫人のようになりたくて、太らないよう必死に努力しておりますのよ。コルセットもなるべくきつめに締めて……」
その瞬間、自分の心が凍りつくのを感じた。夏の日差しの差し込む室内が冷えていくようで――。
彼女たちの言葉が、心の中で濃い霧に変じる。
昨年のシーズン前半まで、わたくしはなかなかふっくらとした身体になれない自分に悩んでいた。棒のような手足に引け目を感じた。なかなか体重を増やせず、食事が辛いと思うこともあった。
今、まさに逆のことが起きている。
「……公爵夫人?」
イーリスがさりげなく声をかけて、我に返る。
「失礼いたしました。そのように言ってくださるなんて……」
公爵夫人として初めてのお茶会。決して失敗はできない。わかっているのに、声がうまく出ない。
自分のドレスが誰かに無理を強いるなんて、考えもしなかった。
どれほどテオフリートさまがそのままのわたくしを愛してくださっても、女性らしくない身体つきと流行のドレスの似合わなさに悩んでいた過去は消えない。
あのような悲しい思いをする人を増やしたくて、シュトラールの人々と新しい流行を出したわけではないのに。自分の喜びと引き換えに、誰かを悩ませるなんて。
流行を変えた結果、違う苦しみを生み出しただけになったしまったようで、口の中が苦くなった。
少しずつ室内に戸惑いが広がっていく。心配そうな視線がいくつも絡みつく。
イーリスやお母さまがどう助け船を出そうか、迷っているのがわかる。
「大変失礼いたしました。公爵夫人のようになりたいだなんて、おこがましいですわよね」
令嬢たちが揃って謝罪の言葉を口にしたところで、わたくしはとっさに首を横に振った。
「いえ、そのように言っていただく必要はございません。ただ……」
何度か深呼吸をする。
お祖母さまに教わった、貴婦人らしい佇まいを目指そう。
「ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、わたくしは以前、この身体に悩んでおりました。身長が高いうえに食が細くて……。夫にドレスを見立ててもらうまでは、自分に何が似合うのかわからないままでしたの」
おそらく、先ほどのマイエステート公爵夫人やヘルミーネさまなら、もっと賢くこの場を乗り切る。他の皆さまだってそうだろう。でも、どうしても今は自分の言葉で伝えたかった。
「ドレスに自分を無理に合わせなくてもよい――それを夫やシュトラールの職人から教わりました。それから着飾るのが楽しくなったのです」
初めてゲルデの作ったドレスを身にまとったとき、鏡を見ながら心が浮き立つのを感じた。その瞬間まで、ずいぶん長いこと忘れていた感情だった。
あの日を思い出すと、自然と唇が綻んだ。
「それに、自分にはあまり似合いませんでしたが、本当はふわりとした華やかなドレスが好きなのです。少なくなってしまったら、とても悲しくなりますわ。いろいろな装いがあったほうが楽しいですもの」
少しずつ、周囲の表情が変わっていくのがわかる。特に、ヘルミーネさまの空色の瞳は大きく見開かれていた。
「そのときの自分に似合わせつつ、好きな装いを楽しめたら素敵ですわよね。シュトラールにご相談いただけたら、できる限り皆さまの思いに沿う装いをご提案できると思いますわ」
途中で空気が固まったのが嘘のように、最後は和やかな雰囲気でお茶会は終わった。
「またぜひ、お話を聞かせてくださいませ」
例のご令嬢方が朗らかに微笑んでくれて、安堵の息がこぼれた。
マイエステート公爵夫人の視線はやや鋭かったけれど、彼女も帰り際に口端を上げてくださった。
「まだ覚えることがたくさんあるでしょうが、努力なさいませ。またご招待くだされば、喜んで出席いたしましょう。また素敵なティーセットを楽しませていただきます」
そしてヘルミーネさまも、優雅な笑みで挨拶してくださった。
「アリアドネさまのお言葉、感服いたしましたわ。おかげで、わたくしも迷わず自分の道を進もうと決意いたしました」
その眼差しには、強い意思が宿っていた。初めてお会いしたときから今までの中で、最も気迫を感じる表情だった。
「それと……先日はかばってくださってありがとうございます。嬉しゅうございましたわ」
……この間の失態、少しは拭えたかしら。
笑んではくださったけれども、なんだかまだ心配になる。これからも交流を重ねて、今日言ったような社交界を一緒に作れたらいいのだけど――。
ほとんどの出席者が帰り、残ったのはお母さまとイーリス。お母さまはぐったりとしていた。
「ああ、どうして嫁いだ娘のことでこれほど心乱されなければならないのかしら。未婚の娘があと二人もいるのに……」
嘆くお母さまの背中を、イーリスは優しく撫でる。
「お母さま。亡きお祖母さまだって、きっと今日のお姉さまを誇らしく思ってくださるはずですよ。最後はとてもご立派でしたもの」
「二人には大変負担をかけました」
「まったくですわ、公爵夫人。今度埋め合わせをしてくださるわよね?」
そして夜、わたくしは熱を出して寝込んだ。さすがに自分にできる範囲を大きく超えてしまったようだ。
「すまないな。最近、負担をかけすぎた」
額に当てられたテオフリートさまの手が冷たくて心地いい。
……今日くらいは、わがままを言ってしまいたくなる。
「あの……風邪や病ではないので、もう少しお傍にいていただいてもいいですか?」
彼は穏やかな笑みを返してくれる。
「君が頼ってくれるとは嬉しいな。こうして手を握っているから安心してお休み」
つないだ手の感触はとても安らげて、わたくしはすぐに眠りに落ちた。
「力になってやれなくてもどかしかったが、君らしいお茶会だった。私は本当に素晴らしい妻を得た」
沈んでいく意識の中、労いの口づけがもたらされた。
後日、執事のロルフから聞いたところ、お茶会の間、テオフリートさまはずっと落ち着かない様子だったらしい。
妻として心配させないようにしたいけれど、まだまだ先は長いかもしれない。
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