仮の婚礼衣裳

 隣室は陽光がよく射し込み、眩しさに一瞬目を閉じる。

 再度まぶたを開いたときには、無言で立ち尽くすテオフリートさまの姿が目の前にあった。

「……いかがでしょうか?」

 ゲルデたちもフィリスたちも、最大限の仕事をしてくれた。

 袖を通して立体的になったドレスは、さらに美しさを増した。

 揃いの宝飾品も、仮のものとは思えない完成度。透かし彫りなど派手な細工は施していないものの、細部までこだわったことが窺える。本番では、プラチナの地金にダイヤモンドと真珠を使う予定だ。

 今は祝宴を想定して、複雑に編まれた髪に精巧な造花を飾っている。当日は全て生花にするので、瑞々しさが増すだろう。

 婚礼の儀式では花ではなくティアラを飾る予定で、そちらは鋭意制作中という。

 化粧は最も本番に近い状態で、目元は宝石を砕いたかのような繊細な輝き。対して、唇は少し強めの色で印象的に仕上げている。

 舞踏会のときも婚約披露のときも素晴らしかったけれど、今回はさらにそれを上回る。本番ではどれだけ質が高まるのか、もう想像が追いつかない。

 それなのに、テオフリートさまは何も仰らない。

「あの……テオフリートさま?」

 まさか着るわたくしに問題があるのではないか、不安になりながら声をかける。

 そこでようやく、彼は我に返ったように小さく呼吸した。

「すまない。私としたことが……」

 彼はわたくしの手を取ると、自分の唇を一度押し当てた。

「出来上がっていく品々を見ながら、毎日のように想像していた。これらを君が身につけてくれたら、どれだけ美しくなるだろうと。けれども、やはり現実の君には勝てなかったな」

 吐息混じりに言われ、胸の鼓動が大きくなってしまう。

「いつもそうだ。君は、思い描いていた姿の百倍も千倍も優艶で――」

 そう讃えてくるあなたさまのほうが、はるかに麗しいのですが……。

 シュトラールの人々は誰もが目を伏せて、自分たちの気配を消す。普段から慣れている様子だった。

「これほど気品に溢れた花嫁を迎えられるとは、何にも勝る幸福だ」

 このお方の褒め言葉は、いったいどこから湧いてくるのだろう。今度、どういった本を読んでお育ちになったのか聞いてみようか。

 テオフリートさまはゲルデたちに細部を調整させて、満足そうに頷いた。

「これで侯爵夫人にも見ていただけるな」

 少しして、お母さまが部屋に入ってきた。その瞳がわたくしを捉えたとたんに大きく見開かれる。

「まあ……!」

 それ以上、言葉にならない様子だった。

「先に見た無礼を許してほしい。どうしても、彼女がこのドレスを身につけた姿をいち早く目にしたかったものだから」

「いえ、とんでもない。当家は閣下のご指揮に全て委ねてしまっているのですから」

 慣習では、花嫁のドレスづくりは花嫁の母親が主導する。花婿が婚礼当日まで見てはいけないと考える人もいるくらいだ。

 そのため、体裁としては、お母さまとわたくしがシュトラールの職人たちへ婚礼衣装一式の制作を依頼し、テオフリートさまは領主として品質確認のために同席しているという体裁だ。

「それにしても……思い描いていたドレスとまったく違いますわね」

 お母さまは興味津々で、わたくしの姿をあちこちから眺める。

「彼女には新しい流行を担ってもらう。斬新だが品格を落とさないデザインを模索した」

「仰るとおり斬新ですが、洗練されていて……娘がこれほど素晴らしい装いで婚礼に臨めるなんて、親としてこの上ない喜びです」

 お母さまの言葉に、ゲルデたちの雰囲気が少し和らいだ。

「実際のドレスではどのような生地を使う予定でしょうか?」

 歩み寄ってきたゲルデが、生地見本を見せる。

「アリアドネさまのお肌の色味を考慮いたしますと、この青みがかった絹がよろしいかと」

「まあ、最高級の輸入品ではないの!」

「これは私から愛しいアリアドネへの贈り物とさせてもらいたい。レースは今、シュトラールで最も優れた職人に――」

 お母さまは娘の衣装を決める女主人として、テオフリートさまと詳細を話し合う。けれども、見本を眺める目は、まるで少女のような輝きだった。


 その後も、シュトラールの職人たちが代わる代わる、お母さまに今後の方針を説明してくれた。

 髪型だけ少し難航したものの、ティアラの形と、お母さまが我が家で育てる花も使いたいと希望したのをきっかけに話がまとまった。

 お母さまは始終楽しそうにしていた。つい半年ほど前は、わたくしのドレスに苦悶していたとは思えないほどに。その横顔を見ると、こちらまで嬉しくなってしまう。

 ただし、わたくしはずっと人形のように座って、髪型や宝飾品を替えつづけるだけの存在になってしまっている。あまり会話に加われていない。

 窓から差し込む光は、既に色づいている。そろそろ切り上げる頃合いだろう。

 婚約者とはいえ、私的な訪問の場合、未婚女性が遅い時間まで男性の家に滞在するのはよくないとされている。しかも、こちらは当主であるお父さまが不在だ。お母さまも、話が終わった以上、長居は考えないだろう。

 あまりゆっくりお話できなかった寂しさを、笑顔でごまかしながら、テオフリートさまとお母さまの話を聞く。

「閣下は、いつまで都にいらっしゃるのですか?」

「あと数日で、領地へ一度帰る予定だ。ただ、雪深くなる前には都に戻って、そのまま春まで過ごすつもりでいる」

 シュトラールは冬になると雪で閉ざされ、往来が難しくなる。今年は婚儀の準備があるので、都を拠点にせざるをえないという。

「シュトラールは東部でも南寄りの土地ですのに、それほど積もるのですか?」

 フロイトは軽い積雪で済むのであまり想像できず、つい口を挟んでしまう。テオフリートさまは唇の両端を上げた。

「険しい山に囲まれているからな。少人数ならともかく貴族の移動には向いていない。私でなく、使いを走らせるほうが身軽で済む」

「シュトラールは多くの素材を輸入していますし、苦労されたのではないですか? あのあたりは、水運も厳しいでしょうに」

 興味深いお話に、わたくしはあれこれと尋ねてしまう。

 それを遮ったのは、お母さまのさりげない咳払いだった。先ほどの輝く表情はすっかり消え失せ、複雑そうに顔をしかめている。

 ……やってしまった。

「閣下、娘が話し足りない様子ですので、どこかで時間を作っていただけないでしょうか? わたくしたちもしばらくは都に滞在いたしますので」

 お母さまの硬い笑顔に、テオフリートさまは苦笑した。

「私も二人で落ち着いた時間を過ごしたいと思っていた。明日、彼女を連れ出してもよろしいか?」


 翌日、テオフリートさまは宣言どおり迎えにきてくださった。

「疲れは残っていないだろうか?」

「ええ。侍女たちが全身を揉みほぐしてくれましたし、よく眠れる香油を使いましたから」

「母君の機嫌は?」

 問いながら、彼は肩を揺らす。

「……お小言はありましたが、嫁いでから必要となる知識だからと許してもらえました」

 お母さまとしては、自分は別室に移って二人で甘い言葉を交わす時間をとれるように気を利かせるつもりだったらしい。

 ところが、わたくしが意図を読まず、貴族令嬢らしからぬ話ではしゃぎはじめて頭痛がしたそうだ。

「気にすることはない。うちの者たちは、君がシュトラールに関心を持ってくれて喜んでいた」

 励ますように、テオフリートさまが手を握ってくれる。少し厚い手袋越しの感触がどこか新鮮で、季節の巡りを感じる。

 馬車は街中をゆっくりと走る。

「今日はどちらへ?」

「時間があるから郊外へと思ったが、あいにく曇天だから冷えるだろう。ティーハウスの部屋を押さえてある」

「ティーハウス……!」

 無意識に声が弾んでしまう。結局、話に聞くだけで今年も行かないままだった。

「最近、ご令嬢たちが交流に使っているようだが、君は?」

「お恥ずかしながら、友人が少ないので……」

 今まではそれでもいいと思っていたけれど、テオフリートさまの妻になるのなら人脈は必要だ。わたくしは、シュトラール主導で流行を発信するために嫁ぐのだから。

「そうだな。来年は二人で――」

 そのとき、緩やかに馬車が止まった。外を見ると、華やかな店構えが目に入る。

 先に降りたテオフリートさまに手を差し出され、慎重に馬車を出た。

 こうしてエスコートを受けることにも慣れてきた。あとはもっと会話の練習を、と思っていたところで涼やかな声が聞こえた。

「あら、テオフリートさまにアリアドネさま」

 店から、ヘルミーネさまとそのお友達が出てくるところだった。

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