待ちわびた再会
待ちわびた秋の終わり、わたくしとお母さまは再び都へ上がった。本当はイーリスもついてきたがったけれど、泣く泣くお母さまの代理として残った。
社交期でもないのに都に行くのは初めてのことだった。これまでは春から夏までの滞在だったから、秋の街並みはとても新鮮だった。
到着の知らせを出すと、すぐにテオフリートさまが我が家を訪れる。お母さまには応接間で待ってもらい、まずはわたくしだけで出迎えた。
「久しぶりだな。すぐに会いたくて、来てしまった」
顔を合わせるやいなや、抱きしめられる。
ああ、懐かしい。テオフリートさまの温もりだ。
もはや恥ずかしさよりも嬉しさが勝ってしまう。こうして優しい腕に包まれていると、とても安心してしまう自分がいた。
「……少し痩せたか?」
テオフリートさまが心配そうな声で囁いてくる。
イーリスが言うように、溺愛されているわけではない。それでも、婚約者として大切にされているのを実感して、心までじんわりと温かくなった。
「自分ではあまりわからないのですが……」
狩猟でも本格的な社交を行うようになり、晩餐会や小さな舞踏会が続いたせいか、食欲が落ちてしまったのは事実だ。けれども食事自体は豪華なものが多く、釣り合いは取れているつもりだった。
「腰のあたりが、やや余っているので気にかかった」
テオフリートさまの指先が、ドレスの布地を滑る。
「……!」
もしかして、今抱きしめられているのは、体型が変わっていないか確かめるため?
自分の勘違いが恥ずかしくて顔を上げられない。いっそ、このまま彼の胸に顔を埋めてしまいたくなる。
「申し訳ございません。ドレスの制作に影響するでしょうか」
身体に変化が出ると、その分、余計な手間を取らせてしまうことになる。背が伸びるたびに実感していたはずなのに、どうして心の外に追いやってしまっていたのだろう。
せめて、コルセットをいつもより強く締めすぎたと答えればよかったものを。慌てるあまり、とっさに心配させない受け答えができない自分が悲しかった。
「気にしなくていい。そのための仮縫いだし、皆慣れている」
慰めてもらうものの、もっと自己管理を徹底しようと心に誓った。
旅の疲れを癒した翌日、わたくしとお母さまはシュトラール公爵邸を訪れる。テオフリートさまやお母さまから離れ、奥の一室に通されると、ゲルデたち仕立屋の一団が待ち構えていた。
「久しぶりね。ゲルデ」
「お待ちしておりました。早速、こちらをお召しください」
差し出されたドレスを見ると、おのずと感嘆の吐息が漏れた。
「素敵……」
図案は、前に見せてもらっていた。けれども、いざ形になるとその素晴らしさがより鮮明に伝わってくる。仮縫いとは思えない。
首飾りを美しく見せるため、一般的な婚礼用ドレスよりも首元が開いているデザイン。袖はレースで軽やかに。
胸から腰にかけては体の線にそっと合わせて、腰から下は控えめに広がっている。ただし、それは正面から見た印象に過ぎない。裾は後ろへ流れるように、贅沢に生地を使っていて滝のようだ。
「アリアドネさまは腰が高い位置にあるので、それが映えるように全体の形を整えております」
腰と言われ、ぎくりとする。
「実は……テオフリートさまに腰のあたりが痩せてしまったと指摘されて……」
「わざわざ申告されなくとも、見ればわかりますからお気遣いなく。誤差の範囲です」
さすがだ。
ゲルデたちはわたくしに仮のドレスを着せると、手早く細部を調整する。その間におなじみの侍女たちがやってきて、宝飾品や整髪の準備を始めた。
結婚後はわたくし付きの侍女になる予定のフィリスが、肌の調子を見てくれる。
「フロイトの皆さまは、お願いしたとおりにお手入れしてくださったのですね。嬉しいですわ」
「丁寧に教えてもらったからよ。今では、うちの領地の使用人たちまで肌が綺麗なの」
フィリスの指導を受けたのは、都に滞在した侍女たちだけ。それでも、彼女たちは美に貪欲で、自分たちの肌でも研究を重ねたようだ。
その成果は、領地に残してきた使用人たちが驚くほど明確に表れていて、すぐに女性の使用人全員にその技術が広まった。
幸い、髪や肌の手入れに使うクリームと香油の材料はフロイトでも手に入る。わたくしが使った残りと、自分たち用に少し質を落としたものだけでも、充分な変化をもたらしたようだ。
「積み重ねが大事ですからね。今のアリアドネさまは、最初にお目にかかったときよりもずっとお美しくなられていますよ」
シュトラールの影響を受けた侍女たちが、日々の身なりに気を遣ってくれるおかげだ。
お母さまもイーリスも以前より洗練された雰囲気になり、イレーネは新しい髪型がお気に入りとなった。たった一人、アレクシスだけは我が家の変化に呆然として、お父さまにそっと肩を叩かれていた。
「次の社交期が楽しみですね。今でも貴婦人の方々の注文が殺到しておりますから、お二人の婚儀もきっと盛り上がることでしょう」
シュトラールの服飾系の工房は、どこも大忙し。従来はじっくりと職人を教育していたところを、数をこなして短時間で実力をつける方針に切り替えたという。
「それは嬉しいわ。少しは、テオフリートさまのお役に立てているのなら」
「少しどころか」
その場にいた全員が口を揃えて言った。
「多くのご令嬢が、アリアドネさまの装いに夢中ですよ」
「私どもも、アリアドネさまのおかげで張り合いが出ました」
「今は老いも若きも皆、次は何を身に着けていただくか考えております」
「そ、そうなの……」
勢いに押されぎみになってしまう。
テオフリートさまといい彼女たちといい、シュトラールではこれくらい押しが強くないと生きていけないのかもしれない。
一緒に過ごしていたら、わたくしもこれくらい逞しくなれるのだろうか。
「旦那さまも、これまでとは比較にならないほど充実したご様子です」
「とはいっても、アリアドネさまと離ればなれになってからは、あからさまに元気をなくされましたけど」
「各工房を見回ってはアリアドネさまのお召し物についてあれこれと口出しして、時々切なげにため息をついたりして……」
「ああ、あれはさすがに鬱陶しかったですね」
華やいだ声の侍女たちのお喋りに紛れるように、黙々と針を動かしていたゲルデがぼそりと呟いた。
「ゲルデ、アリアドネさまの御前ですよ」
フィリスが眉間にしわを寄せる。それもそうだろう。本来、平民が貴族を軽んじるような発言は罰せられる。
けれども、ゲルデの物言いからは悪意を感じない。シュトラールはもともと、厳しくない土地柄なのだろう。それは、フィリスや他の人々の態度からもわかる。
「いいのよ、フィリス。ゲルデの率直なところが好きだから。むしろ、テオフリートさまへの信頼を感じるわ」
「……ご寛容なお言葉に感謝いたします。シュトラールの領主と民の関係は特殊なのです。他所の方からすると、驚かれることでしょう」
フロイトは代々我が家が治めていて、古くから仕えてくれる民も多い。それでも、これほどまでに気安い関係ではない。
節度やけじめは必要だ。とはいえ、わたくしは彼らの距離感が嫌ではない。
そう伝えると、フィリスたちは表情を緩めながら口を開いた。
「アリアドネさまの秋のドレスが仕立て上がったとき、ご自分でお届けしてはと皆で何度も進言したのですよ」
「それなのに、行ったら帰ってこられなくなるから駄目だと仰って」
「ふふ、そうだったのね」
今年は突然、フロイトへ狩猟や保養に来る貴族が増えた。純粋に我が家と誼を結びたいのではなく、姻戚となるシュトラール公爵家との縁を狙っていたのだろう。
そこに公爵閣下ご本人がいらっしゃるとなれば、フロイトは大騒ぎになっていたに違いない。賢明なご判断だ。
わたくしでさえほぼ毎日社交に追われていたのだから、テオフリートさまはもっと大変なことになっていただろう。
「旦那さまは、暇さえあればアリアドネさまからの手紙を読んでいらっしゃいましたわ」
「ええ。事あるごとに読んでは表情を綻ばせて……」
侍女たちはくすくすと笑う。フィリスも困った表情をしつつ、やはり目が笑っていた。
手紙とは……あの乙女らしさの欠片もにじみ出せなかった報告書めいたものを言っているのだろうか。
戯曲のように情熱的な文章を書ける彼からしたら、さぞ拙く思えたはずだ。苦笑している姿が目に浮かぶ。
「恥ずかしいわ……」
「何を仰いますか。お二人が仲睦まじくて何よりです」
フィリスがこう励ましてくれるということは、手紙の中身は漏れていないと思いたい。
お喋りに興じながらも、彼女たちは完璧に仕事を終えた。いつの間にかドレスも髪型も宝飾品も全て整っていたから、やはり皆優秀だ。
「さあ、まずは旦那さまにご覧いただきましょう」
フィリスの介添えを受けながら、わたくしはテオフリートさまの待つ隣室の扉へ向かう。
どんな反応をされるかしら。
不安と期待が混ざり合う中、扉が開いた。
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