早速のお誘い
テオフリートさまは仕事が早い。
求婚の直後、屋敷へ送るついでとばかりに彼はわたくしの両親に、改めて結婚の意思を表明した。
我が家にとっては願ってもない話で、その場で仮の許しは簡単に得られた。縁談とは、こんな速度で進めるものなのだろうか。
まだ実感が持てないまま、自分の屋敷に帰る彼をお見送りする。
「困ったな、こんなにも君と離れがたくなるとは。早く妻として迎えたいものだ」
去り際の一言に、両親も我が家の使用人も一斉にざわめいた。具体的な話を詰めに、明日もいらっしゃる予定とは思えないほど、切実な声だった。
やはりこのお方の発言はぎょっとするものなのだと、他の人々の反応を見て少し安心した。
その後、友人との交流をたっぷり堪能して帰ってきたイーリスが驚きの声をあげて、もうひと騒ぎあったのだけれど。
そして翌日。
「おはようございます、お嬢さま」
侍女たちの声が、いつもの数倍明るい。
「本日もシュトラール公爵さまがお見えになるのですよね。どのお召し物になさいますか?」
「昨日、あちらの侍女の方々が、下ろした髪型のほうがいいと言っていましたよね。今日はそういたしましょうか」
「宝飾品は何を合わせたらいいかしら」
わたくし付きの使用人たちが、こんなに楽しそうに話しているのを久しぶりに見た気がする。
いつも「見苦しくなければなんでもいい」としか言っていないし、社交に出るときも憂鬱な顔でいた。イーリスと比べると張り合いがない主だったに違いない。
今まであまり気を配れていなかった、と彼女たちの姿を見ながら反省する。
朝食の場に行くと、両親も妹も上機嫌な顔で迎えてくれた。
「お姉さま、求婚の言葉はどのようなものでしたの? どうお答えになったの?」
イーリスが早速質問攻めにしてくる。
「ええと……」
視線を逸らしながら、記憶を手繰り寄せる。結婚してくれないか、妻になってほしい。ごく一般的な求婚だったと思うけれど……。
――私自身、君にどんなドレスを贈ろうか、考えるだけで胸が弾んだ。
――君が、欲しい。
関係のない言葉まで思い出して、顔が熱を持つ。
「……秘密」
「ふふっ、そこまで照れるほど情熱的だったのですか? ゆくゆく聞かせてくださいな」
「そ、そのうちね」
そんなわたくしたちのやりとりに、両親はしみじみと語り合う。
「正直、今でも信じられないくらいだ。つい先日まで、嫁ぎ先に頭を悩ませていたというのに」
「こんなことがあっていいのかしら。公爵のお立場にあるお方が、あれほどアリアドネを大事にしてくださって……」
別に、あのお方はわたくしを真に愛していらっしゃるわけではないと思う。領地のさらなる発展のため、利用価値があると判断したまでだ。
とはいえ、この場でそれを打ち明ける勇気はないし、テオフリートさまもそのつもりはないだろう。わたくしは黙って微笑むに留めた。もちろん、浮かれてはならないと自分にも言い聞かせて。
テオフリートさまは午前のうちに、花束を携えて我が屋敷を訪れた。
「アリアドネ嬢。君が気に入ってくれるとよいのだが」
花の色は、昨日のドレスや宝飾品に合わせていた。完璧すぎる。
「もちろん、嬉しいです。ありがとうございます、テオフリートさま」
こうして特別な夜が明けても名前で呼び合えるのが、どれだけ幸せなことか。頬の緩みを隠すように、わたくしは花々に顔を埋めた。
「アリアドネ、お返事を」
お母さまから耳打ちされて、はっとする。
古い習慣ではあるものの、求婚で花束を頂いたときは、一輪の花を相手の男性の胸元に差す。それが正式な返事となるのだ。自分には縁のないものと思っていたから、お祖母さまに教わったのにすっかり忘れていた。
震えながらも、赤い花を彼の胸元に飾る。すると、テオフリートさまが自分の手をそっと重ねてきた。緊張で冷えた指先に、心地よい温もりが宿る。
ひっそり様子を見ていたイーリスや使用人たちが、小さな歓声をあげた。
お父さまはテオフリートさまに敬意を表して一礼する。
「閣下。改めて、我が娘を望んでくださったことに御礼申し上げます」
「私こそ、ご令嬢との婚約を認めてくれて感謝する」
言いながら、彼はわたくしの手を握りしめて、柔らかな眼差しを向けてきた。まだ内定の段階とはいえ、このお方が本当に自分の婚約者になっただなんてまだ信じられない。長い夢を見ているような気がした。
お父さまの咳払いで我に返り、慌てて身を離す。
応接間へ移動すると、早速テオフリートさまと両親で、具体的な婚儀の日取りを決めていく。
「アリアドネ嬢には最高の花嫁衣裳を用意したい。そのためには準備に二年ほどかけたいが……私が待てそうにないな」
甘やかな公爵閣下の声に、両親は視線を交わして苦笑する。
「では、一年後でしょうか。この子も十九になりますし」
「そうだな。婚約期間はなるべく長めに取ったほうが、こちらとしてはありがたい。挙式は来年の初夏にするとして、発表だけは今回の社交期に間に合うよう――」
当事者であるはずのわたくしだけ置いていかれている気もしているけれど、そもそも結婚は家同士のこと。
テオフリートさまはご自分が公爵位につかれているし、侯爵家の主としてお父さまが交渉の中心となるのは当然のことだ。
お母さまはというと、嫁入りに何を持たせるかで頭がいっぱいな様子だ。あれこれと話しかけてくるものの、まだ現実感が乏しくて空返事になってしまう。
そういえば、社交期の初めに出会って、終盤には婚儀を済ませる男女もいるという。その行動力がどれほど素晴らしいのか、今はよくわかる。わたくしは絶対、その速度についていけない。
「ところで、フロイト卿。これからアリアドネ嬢と外出してもいいだろうか?」
「えっ」
今日は我が家で話し合うだけだと思っていたから、全然心の準備ができていない。それなのに、両親は勝手に話を進めてしまう。
「我々は構いませんが……どちらへ?」
「婚約指輪だけはすぐに取りかからなくては、発表に間に合わない。それに、結婚後のことも考えて、一度我が領の職人の工房を彼女に見せたい」
テオフリートさまの視線を受け止めて、わたくしは無言で頷く。要は視察だ。
「そういうことでしたら、アリアドネの支度が必要ですわね。少々お時間をくださいませ」
お母さまの視線を受けて、部屋の隅にいた侍女が忙しげに廊下へ出た。しばらくして、部屋の外が騒がしくなる。
「あの、お母さま。そんなにお待たせするわけにもいきませんし、大げさには……」
今日はテオフリートさまをお迎えするために、いつもより気合いの入った装いにしてもらっている。簡単に着替えるだけで、格好はつくはずだ。
「何を言っているの。閣下との外出なのだから、軽く考えてはいけません」
反論の余地もなく、そのまま退出させられた。
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