まさかの申し出

「どうか、私の妻になってくれないか」

「え……」

 テオフリートさまの口からは、思いもよらぬ言葉が次々に出てくる……たびたびそう感じてはいたけれど。

 今、何を言われたのだろうか。妻、ということは……。

「フロイト侯爵家のアリアドネ嬢、どうか私と結婚してほしい」

「ええっ!」

 淑女らしさの欠片もない声をあげてしまう。けれども、今だけは許してもらいたい。

 あのシュトラール公爵ともあろうお方が、わたくしに求婚なんて。このようなことが起こるはずない。

 つい先ほどまで、このお方との時間がずっと続けばいいのにと思っていた。けれども、このような形で叶うとは思いもしなかった。

 何も反応できないでいると、彼は表情を曇らせる。

「……他に想う相手がいるか?」

 どうしてそんな発想になるのだろう。

「い、いえ、まったくおりませんが」

「ならば、安心した。さすがに君の心までは変えられないから」

 こちらは安心どころか動揺が止まらないのですが……。

「なぜ……わたくしなのですか? 他に魅力的な女性はたくさんいるでしょうに」

「私が君を好きだから、では信じられないか?」

「閣下がわたくしを……!?」

 ありえない――そう心のままに言ってしまえば、身分が上である相手の言葉を乱暴に否定してしまうことになる。すんでのところで、無礼を留まることができた。

「君がデビューしたばかりのころ、他のご令嬢を一喝した件で惚れた、と言っても?」

 その話は……!

「か、からかうのはご容赦いただけますと……」

 そんなことを言われたら、余計に信じられるわけがない。自分にとって、最も記憶から抹消したい失敗なのに。

 やはり見られていたのだ。あのときの恥ずかしさを思い出して震えてしまい、思わず身を固くする。

「……すまない、そんなに気にしているとは思わなかった。今のは忘れてくれ」

 テオフリートさまは苦笑しながら、ゆっくりと立ち上がる。無言で促されて、庭園の奥へと進んだ。


「わかりやすく言えば、君が逸材だからだ」

 わかりやすい、とは……?

 大仰な語句が出てきて、またうろたえそうになる。

「逸材だなんて、そんな」

「現に、今夜は出席者の誰もが君に注目していただろう」

「注目といっても、普段の姿とまったく違うから皆さま驚かれただけで……」

 月光に美しい輪郭を照らし出されながら、彼は悩ましげな声を漏らす。

「君は、なかなか手強いな」

「手強い……?」

「納得できる理屈がないと、なかなか受け入れない」

 まったくそのとおりで、返す言葉もなかった。頭でっかちと、よく家族にからかわれる。

 軽く口説かれたことすらないのに、いきなり求婚されたのだ。恋の駆け引きを知らぬわたくしがうまく対応できるわけがないというのに。

「なら、もう少し細かく理由を言おうか」

 テオフリートさまは、わたくしの肩にそっと触れると――。

「女性にしては高い身長で、均整の取れた体型だ。背筋を伸ばして顔を上げると、独特の存在感が生まれて、周りの目を惹きつける。君は自分の体型に自信がないようだが、私にとっては実に飾りがいがある。顔立ちも――」

「あ、あの……もう、結構です……!」

 身内さえ決して口にしないような言葉が、すらすらと流れるように出てきた。一周回って恐ろしく思える。シュトラールでは、いつもこのような会話が飛び交っているのだろうか。

「……アリアドネ嬢。私は常々、妻にするなら我が領の職人が腕を振るいたくなるような人がいいと思っていた」

「は、はあ……」

 つい間の抜けた返事になってしまって情けない。

「ゲルデは、特に身分の高い女性の衣装を手がけているし、美人も見慣れている。その彼女が、君の採寸を終えて戻ってきてから、今までにないほど生き生きと針を動かしていた」

 確かに、最初は気難しそうな印象だったゲルデが、どんどん熱が入ったような雰囲気になっていったけれど……。彼女は根っからの職人気質で、難題を解決するのを楽しんでいたようにも見えた。

「私自身、君にどんなドレスを贈ろうか、考えるだけで胸が弾んだ」

 温かな眼差しを向けられるだけで、胸が高鳴ってしまう。自分のことを言われているとは全然思えないのは抜きにして。

「先代までの努力のおかげで、我が領は国内外の王侯貴族の装いを手がけるようになった。けれども、私は現状維持で終わらせるつもりはない。さらに領地を潤したいのだ」

 その一手として、シュトラール公爵夫人による流行の発信を打ち出したい。テオフリートさまは熱のこもった口調で語る。

 彼のお母さまは、確かかなり昔に亡くなったはずだ。もともとシュトラール公爵家は女性が少なく、娘を嫁がせて他家との結びつきを強める手段がなかなか取れないと聞いた。

 今、貴族女性の多くがシュトラール製の服飾品を持っているけれども、確かに流行の発信者になるような人を輩出していない。


「あの、テオフリートさま。もし仮に……仮にわたくしが公爵夫人になったとしたら、流行の発信者として振る舞わなければならないのですか? ヘルミーネさまのように?」

「そのとおり」

 無理です……! 二年間、何をご覧になってきたのでしょう。容姿に難があるだけではなく、社交下手なのもおわかりでしょうに。

 想い人に求婚されているのに、まったく浮かれた気分になれないなんて。自分の気質が悲しい。

 別に、大それた願いなど抱いていなかった。ただ、ささやかな恋心を大事にしたかっただけだった。それなのに……。

 及び腰になるわたくしに、テオフリートさまはぐっと迫ってくる。

「君に足りないのは自信だ。俯かずに背筋を伸ばすだけで、皆が君に見とれる。そんな君が身にまとうものは、必ず欲しがる者が出てくる。私が保証しよう」

「そんなこと……」

「きっと君は、今の流行に馴染めなかった女性たちの希望になる」

 その瞬間、何も言えなくなってしまった。

 ずっと、自分に似合わない格好をしていた。同じように、今の流行が自分に合わないのを感じながら過ごしている人がいるかもしれない。ヘルミーネさまの好みとは違う流行が生まれたら、その人たちは喜ぶだろうか。

 けれども、さすがに荷が重すぎる。公爵夫人なんて器ではない。それなのに、テオフリートさまは情熱的にわたくしの手を握って囁いてくるのだ。

「我が領のさらなる発展のためにも君が必要だ。君が、欲しい」

 この方にここまで言われて、拒める人がいるのだろうか。しかも、相手に恋心を抱いている状態で。

 逡巡の末、小さく頷く。すると、彼はほっと息を吐いた。

「感謝する、アリアドネ嬢」

 次の瞬間、頬に穏やかな熱が灯る。その正体がテオフリートさまの唇だと気づいたのは、彼の顔が離れてからだった。

「……!」

 頬どころか、全身がじわりと熱くなっていく。

「必ず君を社交界の花にしてみせよう」

 またとんでもないことを言われている。つい了承してしまったけれど、本当によかったのだろうか。

 テオフリートさまを失望させてしまったらどうしよう。そんな不安が渦巻くけれど……。

「ああ、今日は人生で最高の夜だ」

 彼が心底嬉しそうにしているから、何も言えなくなってしまった。

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