いつもと違う夜
主催者のリンドン侯爵夫妻から離れたところで、いろいろな出席者に囲まれる。
「アリアドネさま、そのドレス、とてもよくお似合いですわ!」
「新鮮なデザインですわね。こちらもシュトラールの職人の仕立てでしょうか?」
そんなふうに話しかけてくるご令嬢の大半は、イーリスの友人だった。肝心の本人もいつの間にか到着していて、離れた場所で胸を張るようにしてこちらを見つめていた。
「皆さま、ありがとうございます。……テ、テオフリートさまが仰るには、わたくしにはこういったドレスのほうがよいと……」
つっかえつつも、わたくしは公爵閣下のお名前を口にする。遠巻きに見ていた人々までざわめいた。
「アリアドネ嬢の魅力を引き立たせたくてね。褒めてもらうと、私も鼻が高い」
シュトラール公は、しっかり視線を合わせながら微笑んでくる。すると、令嬢たちはいっそう盛り上がった様子になった。
「さすがですわね、閣下。すぐにアリアドネさまのお姿に目を奪われましたもの」
「一段とアリアドネさまが輝いて見えますわ!」
褒められ慣れていないせいか、どう振る舞っていいかわからない。必死に笑顔を作っていると、一段と華やかな集団がやってきた。
「……ヘルミーネさま」
本日も、ふわりと裾が広がるドレスがよく似合っている。小花柄が実に愛らしい。
こうして見ると、本当にわたくしとは対照的だ。彼女には優しげな色合いがよく映える。
ヘルミーネさまはいつものように優雅に微笑みながら一礼した。
「ごきげんよう、テオフリートさま、アリアドネさま」
「やあ、ヘルミーネ嬢」
「さすが、テオフリートさまですわね。アリアドネさまをここまで変身させるなんて」
ヘルミーネさまの視線がわたくしに注がれる。ご自分が普段お召しにならないドレスに興味津々なのだろう。
「変身など、とんでもない。私は、彼女が最初から持っている魅力を引き出す手伝いをしただけだ」
ヘルミーネさまは、虚を突かれたように目を大きく見開いた。
「テオフリートさまがそこまで仰るとは、珍しいですわね」
彼女がそう評するということは、やはりいつものシュトラール公とは少し違うのかもしれない。
そういえばヘルミーネさまは、「閣下に細かなことをご相談できれば」と先日お話されていた。
いつも親切にしてくださるし、せっかくの機会なのでお役に立てたら――。
「テオフリートさま、今度はヘルミーネさまのお召し物をお選びになってはいかがでしょうか?」
わたくしの印象をここまで変えてしまうお方だ。きっと、ヘルミーネさま相手なら、さらに美しく可憐な装いを見られるかもしれない。
けれども、わたくしの胸の弾みに反して、彼は困ったように曖昧な表情を作る。
「ヘルミーネ嬢は既に、我が領の中でも最高の職人たちのお得意さまだ。彼らの目は私の目でもある」
ゲルデも、似たようなことを言っていた。シュトラールでも特に腕の立つ職人は、公爵閣下の思考を完璧に把握しているのかもしれない。
「これ以上、私が口を挟むことがないほど完璧だ。ここまで似合った装いをできる人も、そうそういないだろう」
「……」
いつの間にか、ヘルミーネさまは顔を伏せていた。身長差があるので、その表情は窺えない。
……いけない、助けになるどころか、むしろ気まずくなってしまったのでは?
何か声をかけようとしても、言葉が見つからない。その間に、彼女は顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。
「光栄なお言葉ですわ。今後もシュトラールの職人たちには期待しております」
それでは、と彼女はお友達を引き連れて去っていく。
さすがはヘルミーネさま。すぐに和やかな雰囲気に戻してくださった。
そんな中、シュトラール公は怪訝な顔をしながら、彼女の背中を見つめていた。
「閣下?」
声をかけると、細いため息がこぼれた。
「君は……もう少し会話の練習が必要だな」
「……はい」
その後、公爵閣下は込み入った話がしたい相手がいるとのことで、一度別行動をとることにした。
孤独を感じる暇もなく、イーリスが軽い足取りでやってきた。
「お姉さま、本当にお綺麗だわ。お姉さまがいるところだけ、特別な光が当たっているみたいだもの」
「あなたまでそんなことを言うのは止めてちょうだい。もう、今夜だけで一生分褒められた気分よ」
「あら、これからもそういったドレスをまとえば、何度だって称賛されるでしょうに」
彼女は弾んだ声で囁いてくる。
「ほら、ご覧になって。招待客の全員が、お姉さまに注目していますわ」
わざわざ見渡さなくてもよくわかる。あちこちからの視線が自分に突き刺さるのを肌で感じた。
いつもの癖で肩を丸めそうになったところで、イーリスに止められる。
「もう! 先ほどまであんなに堂々としていらっしゃったではないですか」
「それは……あのお方がいてくださったから、心強くて。けれども、今は……」
だんだん声が小さくなってしまう。すると、イーリスは唇の両端を上げてみせる。
「今も、シュトラール公が贈られたドレスを身につけていらっしゃるでしょう? それなのに下を向いていたら、ドレスが台無しではなくって?」
妹の言葉に息をのむ。そうだ、せっかく公爵閣下が贈ってくれたドレスを着ているのに、暗い表情をするのは失礼だ。
――君は堂々と背筋を伸ばして立っていればいい。
あの声を思い出しながら、姿勢を正す。イーリスの表情がいっそう明るくなった。優しい妹に感謝する。
そのとき、会場の隅で準備を始める楽団の姿が見えた。ダンスの時間だ。
同時に、一人の男性がこちらに向かってきた。
「閣下……」
わたくしの呟きに、彼は笑みを深める。圧が強い。
「私のことは、なんと呼ぶ約束だった?」
「テ、テオフリートさま……」
「よろしい」
そんな言葉を交わす横で、イーリスが声なき声をあげる。あとで詳細をすべて説明させられることになるだろう。
テオフリートさま。心の中で何度も反芻しながら、くすぐったい気持ちになる。
「フロイト侯爵家のアリアドネ嬢、最初にあなたと踊る名誉を賜っても?」
テオフリートさまが優雅に一礼してくる。
これまでは、ダンスのお誘いがあると、ひたすら居たたまれない気分になった。誘うのが礼儀とはいえ、相手の男性に気を遣わせているのが申し訳なかったし、大勢の視線にさらされるのに抵抗もあった。
背が高いだけの社交下手が、部屋の中央に出るなんてとんでもない。身のほど知らずだ。いつもそう自分に言い聞かせていた。
それなのに、今は自然と彼の手を取ってしまう。手袋越しでも、重ねた掌の温もりがはっきりと感じられた。
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