別人になったように

「これが、わたくし……?」

 それ以上、言葉にならなかった。鏡に映る自分が、あまりにいつもとは違うから。

 制作期間はわずか。採寸しかしていないとは思えないほど、ゲルデの仕立ては完璧だった。

 着る前は頼りなくさえ思えた少ない布地が、体型をくっきりと見せている。かといって、決して貧相な印象にはならなかった。

 腰から裾にかけてのスカートも、身体の輪郭を撫でるように裁断されていた。ペチコートで膨らませることはせず、裾に近い部分だけふんだんに布を使っていた。

 肩回りも胸元も同様で、必死に装飾でごまかしていた部分はすべて削ぎ落されていた。それでいて、胸だけ強調されているようには見えず、窮屈にも感じない。

 袖だって、棒のような腕がはっきりとわかるような仕上がりなのに……。

「不思議だわ」

 やたらと縦に長い自分の身体がこんなに強調されているにもかかわらず、全然嫌だと思えなかった。

 着る前は派手すぎるように思えた色も、驚くほど馴染んでいた。

 今まで避けていたものすべてが、この身体をいつもよりずっと引き立たせている。信じられない。

「やはり、よくお似合いでしたね。閣下に早くお見せしたいです」

「あら、ゲルデ。気が早いわよ」

 肌と髪の手入れをしてくれた女性たちが、張り切った様子で積み上げられた箱を示す。

「髪も宝飾品もお化粧もこれからなんだから」

「本当は、下ろした髪型のほうがお似合いになると思うんですけれどね」

「最初から冒険しすぎるのもよくないから。今回は一般的な結い方にしましょう」

 自分がどんな姿になるのか、まったく想像できなかった。けれども、不安な気持ちは欠片も湧かなかった。


「公爵閣下がご到着されました」

 うちの使用人が報告に訪れ、室内はさらに活気づいた。

 化粧も宝飾品も髪型も、ゲルデたちは完璧に仕上げてくれた。今までの自分はどこに行ってしまったのかと思うほどに。

 ドレスに合わせて、はっきりとした色で飾った唇と目元は、何度見ても感嘆する。ずっと化粧のしがいのない顔だと思っていたのに。

「さあ、アリアドネさま。こちらの靴を履いて、閣下のもとへ」

「ええ……でも……」

 浮ついた心は、高いヒールの靴を前にした途端どこかへ行ってしまいそうになる。

 シュトラール公は長身だけれど、このような靴を履いてしまったら身長差が……。

「こちらも、あのお方がアリアドネさまのために御自ら選ばれた品ですよ」

 背中を押すように、ゲルデが声をかけてくれる。

「私たちの主を信じていただけませんか?」

 鏡に映る今のわたくしは、まったくの別人のようだ。あれだけ自分のことを嫌っていたのに、思わず見とれてしまうほどに。

 ここまで来て、臆病なままでいるのは失礼だろう。

 わたくしは意を決して、靴に足を入れた。


 客間からは、お父さまのご機嫌な声が聞こえる。お母さまやイーリス以上に浮かれているようにも感じた。

 使用人に扉を開けてもらい、心を落ち着かせながらゆっくりと室内へ進む。

 シュトラール公がいち早くこちらを向いた。続いて、両親やイーリスもわたくしを見て、ぽかんと口を開ける。

「……やはり」

 菫色の瞳が、ゆっくりと細められた。その優しい表情に、呼吸が一瞬止まる。

「お姉さま、素晴らしいわ!」

 イーリスが頬を紅潮させながら駆け寄ってきた。お父さまもお母さまも呆然としていて、はしたないと注意することもしない。

「ありがとう。着慣れていないデザインだから、まだ少し落ち着かないのだけれど」

「想像を超える美しさだ。ドレスを贈った私ですら、対面した瞬間、息をのむほどだった」

 公爵閣下が間に入ってくる。

 今、恐ろしいほどさらりと褒められたような……。

 シュトラール製のものを身につける貴婦人の多さを考えれば、これくらいの言葉は普段から言い慣れているのかもしれない。

「さあ、お手をどうぞ」

 差し出された彼の手を、わたくしはぎこちなく取った。


 今夜の会場はリンドン侯爵邸。

 社交期の盛りを過ぎつつも、出席者の数が多い。その分、多くの人の目に触れるということだ。

 緊張で歩調が乱れそうになっていると、くすりと笑う声が降ってきた。

「怖いのか?」

「……まだ、ほんの少し」

「大丈夫だ、私がついている。君は堂々と背筋を伸ばして立っていればいい」

 そうだ、今日のわたくしはいつもと違う。あのシュトラール公がエスコートしてくださっているのだ。

「今夜はパートナーなのだから、私のことは名前で呼ぶといい。私も同じようにするから」

「えっ!」

 親しいわけではない、身分が上の男性を名前で呼ぶのは失礼にあたる。

 ヘルミーネさまのようなお方ならともかく、わたくしがそのような大それた真似なんて……。

「きっと、皆驚く。やってみてくれ、アリアドネ嬢」

 早速名前を呼ばれて、心臓が跳ね上がる。そんなわたくしの反応を見る彼は、悪戯好きの少年のような顔をしていた。

「行こう」

 導かれるように広間に入った途端、それまで賑やかに談笑していた人々が一斉にこちらを向いて……静まり返った。

 また俯きそうになるのを堪えて、ただ前を見つめる。まずは主催者であるリンドン侯爵夫妻のもとへ。

「ええと……」

 閣下と挨拶を交わしながらも、夫妻は丸い目でこちらを見る。

「フロイト侯爵家のお嬢さまは、ずいぶんと雰囲気が変わりましたね……」

「今夜の装いはすべて、閣下にお任せいたしましたので」

 答えた瞬間、腰にそっと手を置かれた。

「彼女の美しさを一番よく引き出してくれるドレスを作らせた。こうして披露できる場を作ってもらって感謝している」

 背後から、若い令嬢たちのざわめきが聞こえる。

 それにしても、公爵閣下のご発言は心臓に悪い。今までお人柄をよく存じ上げなかったけれど、このように不可思議な物言いをなさるお方とは思わなかった。

 ふと周囲を見ると、すべての出席者の目がこちらに向けられている。いつもとは違う視線。

 今になって、自分がとんでもない状況に置かれている実感が湧いてきて、震えそうになった。

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