予想外のドレス

 この身長と手足の細さが長所……?

 ゲルデの思いもよらぬ発言に、戸惑うばかりだった。そんなわたくしに、ゲルデは強い光を目に宿して訴えてくる。

「一人の職人として申し上げますと、こんなにドレスの作り甲斐があるお方はそうそういらっしゃいません」

「ええと、わたくしのことを言っているのよね?」

イーリスを指しているならわかるけど……。

「当然、あなたさまのことでございます。きちんとお似合いのお召し物を身にまとえば、社交界の主役になりえますよ」

 社交界の主役――。

 あまりに現実ばなれした言葉に絶句した。代わりに、イーリスが目を輝かせながら身を乗り出す。

「そうよね! ずっと前から、そんな気がしていたの」

「イーリス、みっともないわよ」

 お母さまの苦言に、妹は明るく笑いながら一歩下がった。


「アリアドネさまは色が白くて、髪や瞳との対比がはっきりしていらっしゃるので、こうした色がお似合いになります」

 色白……? いつも顔色が悪く見えるとは言われるけど。

 ゲルデが選んだ生地の色は、青みのかかった濃い赤だった。

「だいぶ今の流行から逸れるけれど、大丈夫かしら? こうした色のドレスは、今どき誰も着ていないのではなくて?」

 お母さまが途方にくれたように眉尻を下げる。確かに、ヘルミーネさまやイーリスに似合う、柔らかな色味とはかけ離れている。

「奥さま、ご安心くださいませ。今後はご令嬢が新しい流行を作るかもしれません。少し斬新なくらいがちょうどよいのです」

「流行? わたくしが?」

 公爵閣下といいゲルデといい、予想外の語句ばかり飛び出てくる。シュトラールとはいったいどのような土地なのだろう。

「アリアドネさま。閣下が自ら、ドレスを贈りたいと仰ったのです。ご自分をお信じいただけないでしょうか」

 何につけても明瞭な物言いのゲルデ本人は信じられても、わたくし自身を信じることはいまだに難しかった。

「ねえ、ゲルデ。ドレスはどんなデザインになるのかしら? どんな装飾を施すの?」

 イーリスはすっかりゲルデが気に入ったようで、好奇心たっぷりの眼差しを向ける。

「それは……当日のお楽しみです」

 本来なら、完成までに仮縫いや調整作業が入るはず。けれども、シュトラール公のご意向で、今回はどのようなドレスになるのか当日まで秘密らしい。

「成長は止まってきているとはいえ、本当にそれでよいのかしら? この子のドレスの調整は本当に難しいのよ」

「奥さま、これは公爵閣下のご意志でございます。我々もめったに行わないことですが」

 そう答えるゲルデの声には不安も戸惑いもなかった。


 採寸からしばらくして、シュトラール公がエスコートしてくださる日がやってきた。

 その間、いろいろなお方からご招待を受けたけれど、とても対応しきれなくて断ってしまった。

「どこへ行っても、すっかりお姉さまたちの話で持ちきりなのですよ」

「最初は戸惑ったけれど、やはり嬉しいものね」

 その日の朝食でも、お母さまとイーリスは華やいだ声で社交界の最新情報を教えてくれる。

「まさかアリアドネがこんなに注目されるとはな。私も鼻が高い」

 近ごろはお父さままで、すっかりこの有様だ。他の貴族と顔を合わせるたびに、わたくしの話を振られるらしい。

「どんなドレスが来るのかしら」

「公爵閣下のお見立てですもの。素晴らしいに決まっているわ」

 母とイーリスの期待は膨らんでいくばかりだった。イーリスも今夜の夜会には招待されているはずなのに、ゲルデの仕立てるドレスのことしか頭にないようだった。

 そして昼になって、ゲルデがドレスや宝飾品を携えてやってきた。今日は連れてくる人数が多い。

「こ、こんなにたくさんの人をどうするの……?」

「これからアリアドネさまを徹底的に磨きあげます。彼女たちは美容に通じておりますので、ご安心ください」

 まずは肌を整えるところからと、浴室に連れていかれる。

 髪も身体も、普段よりもずっと入念に洗われ、絶妙な力加減で揉まれる。いい匂いの香油を使ってもらったこともあり、緊張がどんどんほぐれていった。

 シュトラール公から派遣されるだけあって、ゲルデと同じく、素晴らしい技術だ。うちの使用人も目を輝かせながら観察していた。


 浴室を出ると、全身の水気を拭い取られ、特に髪は丁寧に乾かされる。

「これでようやくお支度にとりかかれますね」

 満足げな様子で言われ、鏡を見ると――。

「これは……」

 いつもとは比べ物にならないくらい肌や髪に艶がある。顔つきすら変わってしまったように見える。

「アリアドネさま、まだまだ先は長いですよ。ドレスと宝飾品を身につけて、髪を結わなくてはなりませんから」

 採寸のときは落ち着いていたゲルデの声が、今はかすかに高く聞こえる。

「そういえば、どのようなドレスになったのかしら」

「どうぞご覧くださいませ」

 ゲルデが恭しく箱を開けて、中身を取り出す。例の赤い生地を使ったドレスだけど……。

「え?」

 思わず目を見開いた。

 最近着ていた、袖や裾がたっぷりとしているドレスとはまったく違う。全体的に布地が少ないように見える。特に肩や胸元のあたりは、心もとないと感じるほどだ。

 このようなドレスを着たら、背の高さや手足の細さが強調されるだけでは……。

「あの、本当にわたくしがこれを着るのかしら?」

「ええ、閣下も素晴らしい出来だと仰っていましたよ」

 シュトラール公も……。そう言われて、改めてドレスを眺める。

 ――似合わないドレスを着ているのが、あまりにもったいなく思ったんだ。

 あのお方は、あのときからこのデザインを思い描いていたのかしら。

 ふと手に口づけされたことまで思い出し、指先が熱く感じた。

「……お気に召しませんか?」

 ゲルデにしては遠慮がちな口調で尋ねてきた。自分でも気づかないうちに、ずいぶん長い間黙ってしまっていたらしい。

「いいえ。ただ、今までこういったデザインは着たことがなくて……」

 以前の自分なら、この期に及んでも勇気が出なかっただろう。けれども、このドレスは閣下とゲルデが、わたくしに似合うものとして用意したのだ。

「……着るのを手伝ってもらえるかしら」

「かしこまりました」

 ゲルデはわずかに唇の両端を上げ、周囲の女性たちに目配せをした。

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