公爵閣下の職人
「君に似合うドレスを贈ろう。次の舞踏会にはそれを着て、私のエスコートを受けてくれ」
そう言われた夜から、早三日。いまだに夢だったのではないかと疑ってしまう。
シュトラール公は常に人々の注目を集める。テラスでは二人きりだったものの、室内では多くの人々がこちらの様子を窺っていたらしい。
そこに、あの申し出だ。会場は騒然となった。
誰もが呆気にとられた顔をしていた。ヘルミーネさまたちも、信じられないものを見るような表情だった。
――あの、いつも陰気なくせにやたら目立ってしまうフロイト侯爵家の長女が。
そんな囁き声すら聞こえてきた。
シュトラール公は彼らをひと睨みで黙らせると、後日職人を派遣すると告げて、会場を後にした。
「次こそ、君の笑顔が見たい」
そう言い残して去っていく公爵閣下を、声を失ったまま見送ってしまった。イーリスが誇らしげな顔で歩み寄ってくるところまでは覚えているけれど……。
「まさかシュトラール公が、アリアドネを見初めるなんて」
あの日以来、お母さまはずっとそわそわしている。家族が集う食事の場ではその話ばかりで、それは今朝も変わらない。
「落ち着きなさい。まだドレスとエスコートの申し出だけだろう? 一度のことで浮かれたら、むしろ笑われるのではないか?」
お父さまが窘めるけれど、お母さまとイーリスが反論する。
「何を呑気なことを。フロイト侯爵家の転機になるかもしれないのですよ。なんといっても、公爵閣下がお相手なのですから」
「あのシュトラール公がお姉さまの装いを見立てると自ら仰ったなんて一大事ですわ! ドレスも宝飾品も一式贈ると! あのお方が婦人と二人でお話されるだけでも珍しいのですから!」
イーリスはずっと興奮が治まらない。
「さすがだわ。あのお方はお姉さまの魅力をわかっていらっしゃったのですね」
浮かれっぱなしの妹に苦笑してしまう。彼女は自分というものをきちんと持っているから、わたくしのように他者を羨むことはない。そこがまた、自己嫌悪につながる。
「今日はとうとう、シュトラールの仕立屋が来るのよね。ねえ、お姉さま、わたくしも同席していいかしら」
この愛らしい妹は甘え上手でもある。このようなことを言われたら、誰だって頷くに決まっている。
「もちろん……」
本音を言えば、職人が気の毒だった。どうせならイーリスのような娘に美しいドレスを仕立てたいだろうに、彼女を横目に冴えない娘の採寸をしなければならないのだから。
午後になり、シュトラールの仕立屋が我が家を訪れた。ゲルデという名の、気難しそうな女性だった。分厚い眼鏡の奥にある目つきが鋭い。
挨拶を終えると、彼女は主と同じようにわたくしの全身を見つめると、ゆっくり頷いてみせた。
「公爵閣下からすべてを任されておりますので、私の選択は閣下のご意思とお思いくださいませ」
「まあ、それほど信頼している職人を寄越してくださるなんて」
「本当に」
お母さまとイーリスが華やいだ声を出す。
シュトラール公からは事前にお手紙を頂いていた。お立場上、彼は婚約者でもない未婚女性の装いに深く関われない。代わりに、最も有能な職人を派遣してくださる、と。
ゲルデの言うままに動いて、身体のあちこちを測られる。それが終わると、今度はさまざまな色味の布を肌に当てられた。
「青だけで何種類も布があるのね」
イーリスは感心しながら、ゲルデの手元を覗き込む。
「ひとくちに青と申しましても、どの青が似合うかは人によって異なりますので。アリアドネさまは、はっきりとしたお色が映えますね。今回はこの系統でドレスをお作りいたしましょうか」
「えっ」
うろたえて妙な声を出してしまう。
ただでさえ身体が大きくて布をたくさん使うのに、はっきりした色なんてとんでもない。目立つに決まっている。
ゲルデが示した布は、まさに今まで避けていた色味だった。
「あの……わたくし、かなり背丈があるでしょう。こんな色を使ったら、派手すぎて笑われないかしら」
「まさか」
ゲルデは即刻否定した。
「閣下のご指揮で、私がアリアドネさまにお似合いのドレスを仕立てるのです。誰が笑いましょうか」
媚びたところがまったくない、明瞭な回答だった。彼女にそう言われると、なんの疑念も浮かばなくなるほどに。
「ところで、アリアドネさまが普段お召しになるドレスをお見せいただいてもよろしいでしょうか?」
彼女に言われるまま、使用人がいくつか持ってくる。ゲルデは唇を引き結びながら、一着ずつ丁寧に検分していった。
「どれも流行のデザインですね」
「ええ、まあ……」
「恐れながら、我が主の言うように、大変もったいないと感じます」
ゲルデの言葉に最も衝撃を受けたのはお母さまだった。
「もったいない、とはどういうこと? もう少し詳しく説明してくれるかしら?」
お母さまはお母さまなりに、娘のことを考えたうえでドレスを作らせてきた。動揺するのも当然だった。
「……仕立ては素晴らしいです。さすが、侯爵家お抱えの職人と感心するほどに。ですが、アリアドネさまの肌の色にも体格にも合っていないのです。流行は大事ですが、ご本人の魅力を隠してしまうのはシュトラールの者として大変遺憾に思います」
ゲルデはだんだん早口になっていく。
「アリアドネさまはとても痩せていらっしゃいますが、肩から腰にかけてはしっかりとした作りのお身体です。このように袖や裾を飾りすぎると、威圧的な印象を与えてしまうのです」
「でも、そうしないと背の高さばかりが目立ってしまわない?」
わたくしの疑問に、ゲルデははっきりと首を横に振る。
「アリアドネさまの身長や手足の細さは、決して隠すべき欠点ではございません。むしろ、強調すべき長所と言えましょう」
ゲルデが何を言っているのか、まったく理解できなかった。
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