第13話 赤子、閻魔大王と邂逅する
「さて、次は嘘を付いてくれるなよ?」
「ひ、ひゃい……」
スワンの体の傷が徐々に治っていくのを見て、地獄がどんな場所であるか悟ったメビウスは冷や汗を流す。
「それでは、もう一度聞くよ。なぜ、クラウス商店を襲った?」
そんな簡単な質問に、スワンは体を強張らせながら答える。
「そ、それは……も、申し訳ございません!!」
「な、なんだと……?」
一度痛い目にあったとはいえ、スワンが謝罪したことに、俺は思わず衝撃を受ける。
「つまり、君たちは、クラウスに対し、謂れのない罪で無法を働いた意識がある訳だ。謝罪をしたということはそういうことだよね? しかし、わからないな。なぜ、そんなことをしたんだ?」
「そ、それは……」
純粋な興味関心。
赤子がそう尋ねた瞬間、壁に開いた穴から赤く熱された鎖が伸び、スワンの首に絡み付く。
「ぎ、ぎゃああああああああああああっ!」
耳を劈くスワンの絶叫。
赤子は壁に開いた穴に視線を向けると、残念そうにため息を吐いた。
「残念……もう気付かれたか……」
「な、なにが……一体なにが起こって……」
気付けば、部下たちが皆、気絶している。
目を剥き、スワンを首を縛る鎖の先に視線を向けると、穴の先にある巨大な目玉と目があった。
「うわぁ! うわぁああああっ!」
思わず漏れ出る悲鳴。
強烈な畏怖を放つ存在に対し、赤子はまるで旧来の友人に会ったかのように声を掛ける。
「――やあ、久しぶりだね。閻魔大王。まさか、君が来てくれるとは思いもしなかったよ」
赤子の言葉を聞き、メビウスは思わず息を飲む。
「え、閻魔大王……だと……?」
「ああ、メビウスは会うのが初めてか。彼の名は閻魔大王。地獄の主にして輪廻転生を司る存在さ。それで、閻魔大王。君がここにいるということは、彼らに届けて貰った陳情を聞き入れてくれたということでいいのかな?」
赤子がそう尋ねると、閻魔大王は眉間に眉を寄せながら言う。
『……なぜ、お前は地獄に固執する』
「――なぜ? 決まっているだろう。地獄がボクの故郷だからだよ。それ以外に理由が必要か?」
赤子が両手を広げながらそう言うと、心なしか閻魔大王は嫌そうな表情を浮かべた。
よく分からないが、閻魔大王はこの赤子のことを相当嫌っているらしい。
「メビウス……」
赤子の言葉を受け、思考を読まれたことに気付いた俺は、滝のような汗を流す。
しかし、それも一瞬のこと。
最早、俺のことなどアウトオブ眼中。
むしろ、俺は、赤子が赤く熱された鎖を手に取り、うっとりとした表情を浮かべていることに気付く。
「地獄に帰るためには、自分と対等かそれ以上の力を持つ者の手引きが必要だ……」
鎖によりジューッと音を立てて焼ける手。
赤子は自らの手を焼く鎖を愛おしそうに見つめる。
「閻魔大王。君が来てくれて助かったよ。亡者を地獄に繋ぐ鎖は、今、君が引いている。つまり、これを辿れば現世にいるボクでも地獄に帰ることができるということ……」
ぶちぶちぶちっ!
「ようやくだ。ようやく地獄へ帰ることができる!」
そう言うと、赤子は、スワンの首に絡み付く鎖を首ごと引き千切り、地獄に繋がる穴へと駆けていく。
『むう……!』
まさかの事態に唸る閻魔大王。
「――ひゃはははははははっ!」
赤子は狂気の笑みを浮かべると、くり掛かるように魔法円へと手を伸ばす。
その瞬間、地獄に繋がる鎖が根本から断ち切れる。
赤子は突然、断ち切れた鎖を見て尚、口元を歪めて笑った。
「――即断するとは驚いた。でも、地獄に帰りたくて仕方のないこのボクが、千載一遇のチャンスを逃すと思うか? 何人の人間を地獄送りにしたと思っている! 地獄に囚われた亡者共よ。来やれ、ボクの元へ」
赤子がそう声を上げると、部屋の至る所に魔法円が浮かび上がり、見るも無残な姿となった地獄の亡者たちが這い出てくる。
「スワンのことは切り捨てたようだが、地獄の鎖は、基本的に亡者を逃がさない作りとなっている。その性質が仇になったね」
一度、断ち切れた鎖が亡者に反応し分裂すると、赤子により現世に強制召喚された亡者たちの首に鎖が巻き付いた。
「閻魔大王……君が鎖を断ち切れば、彼等は現世に取り残される。スワン一人ならいざ知らず、これだけの人数を地獄から現世に解き放つことを君は許容できるかな?」
閻魔大王は地獄の主にして、極卒の長。
原則、地獄に囚われた亡者が逃げることを許容しない。
地獄に戻れることを強く確信した赤子は、嬉々とした表情を浮かべ再度、地獄へ繋がる魔法円へと手を伸ばす。
『甘いわっ!』
すると、閻魔大王は目をカッと見開かせ、亡者と繋がるすべての鎖を断ち切った。
バラバラ音を立てて落ちる鎖。
『お主がどんな策を講じようとも無駄なこと。地獄へは一歩たりとも入れさせぬ!』
「な、なにっ!?」
想定外だったのだろう。
閻魔大王がすべての鎖を断ち切ったことに、赤子は驚愕といった表情を浮かべる。
『地獄の亡者は霊力なくして存在を保つことはできぬ。どの道、霊力が尽きればこちらに戻って来ることに変わりはない。今、優先すべきは貴様を地獄に戻さぬこと、ただそれだけだっ!』
「なっ!? 横暴だっ! 幼気な幼児がこんなにも地獄に堕ちたいと望んでいるのに、その気持ちを蔑ろにする気か!?」
赤子の心からの叫びを聞き、閻魔大王は嫌そうに言う。
『良い。むしろ、蔑ろにすることで地獄の平穏が保たれるならそれに越したことはない』
閻魔大王のハッキリとした断言。
この赤子は、地獄で相当やらかしたのだろう。それこそ、地獄で刑罰を与える存在に疎まれるほどの何かを……。
一瞬、顔を歪ませたものの、赤子は平静を取り戻す。
「中々、言ってくれるじゃないか……」
閻魔大王が、これ以上話すことはないと言わんばかりに瞼を閉じると、地獄に繋がる魔法円が徐々に小さくなっていく。
『――すべてを諦め、現世で永劫の時を過ごすがよい。さらばだ……』
閻魔大王が最後に言った言葉。その言葉を最後にあの世とこの世を繋ぐ魔法円が閉じ詰所に静寂が訪れた。
◆◆◆
「マルボロにケント、パーラメントにフィリップモリス。皆、皆、死んじまったんだな……」
閻魔大王が魔法円に現れて数時間。
あれから数十度ほど、嫌がらせを込め、あの世とこの世を結び地獄の亡者を召喚してみたが、魔法円に閻魔大王が姿を現すことは無かった。
むしろ、姿を現すのは、獄卒鬼ばかり。
皆、ボクの姿を見るや否や亡者を置き去りに逃げ帰ってしまう。
「閻魔大王め……本気でボクのことを地獄に帰さないつもりだな?」
まったく、困ったものだ。
ボクは一千年の時を地獄で過ごしてきた。
その間、数多の獄卒鬼を捕食したことにより、霊力は極限まで高まっている。
あの世とこの世を結んだ所で、ボクのことを地獄に引き入れることができるのは、閻魔大王位のものだろう。
ものは試しと、獄卒鬼に獄卒鬼を喰らわせ、獄卒鬼の霊力を高める実験をして見たが、人間と違い獄卒鬼には、喰らったモノの霊力を体に取り込む術を持たないらしい。
上手くいったら、獄卒鬼に獄卒鬼を喰らわせ続けることでボクと同じ位の霊力を持たせ、地獄側から引き入れて貰おうと思っていたが残念な結果に終わってしまった。
「まあいいさ……」
地獄に戻ることは叶わなかったが、閻魔大王がボクに関心を持っていることはわかった。
ならば、ボクはこれまで通り、地獄に戻る方法を模索しながら地獄に人間を送り続けるまでのこと。
天国や地獄を含む霊界と現世は、魂を錘として天秤の様に釣り合っている。
その均衡を崩し続ければ、閻魔大王もボクを無下にはできまい。
「さて、メビウス……そろそろ感傷に浸るのは止めにしよう。良かったじゃないか。死んだはずの仲間が戻ってきて……まあ、その亡者たちの体は、ボクの霊力なしには生きられない体になってしまった訳だが……」
ボクの言葉を受け、メビウスは苦い表情を浮かべる。
一千年もの間、地獄で獄卒鬼を捕食し続けたことで、ボクの霊力は閻魔大王クラスまで高まっている。
霊力を分けてやるのは造作でもない。
亡者たちも再び地獄に舞い戻るのが嫌なのか、懇願するようにボクに霊力を求めてくる。地獄に帰りたいボクとしては、実に理解し難い考えだ。
指先から無駄に霊力を垂れ流し、亡者たちをおちょくると、ファイア・オブ・プロメテウスの補助を受け、黒皮のソファに両足で立つ。
「このままだと霊力を使い果たしたスワンたちが地獄に戻ってしまいそうだからね。仲間想いな君のことだ。何が最善かわかるだろう?」
ボクとしては、スワンたちが霊力を使い果たして地獄に戻ろうが、自警団が壊滅しようがどちらでも構わない。
そう言うと、メビウスはボクの前で頭を垂れる。
「加わります。あなたの麾下に加わります。ですので、コイツらを助けてください」
その言葉を聞き、ボクは笑みを浮かべた。
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