第11話 赤子、食が合わないことを嘆く

 ……もう地獄に帰りたい。


 ボクことステラは乳母の乳首に吸い付きながら心の中でため息を吐く。

 閻魔大王の計らいにより、体が地獄にいた時と同じになったのはいい。

 しかし、この世界……圧倒的に食が合わない。

 ホットミルクを飲んでも腹を下し、クラウス商会に突っ込んできた馬を焼肉にして食べて見ても腹を下す。

 飲むことができたのは、心配したクラウスが呼んだ乳母の乳位だ。

 しかし、その乳母の乳も非常に塩辛い。もはや、乳腺炎を疑うレベルの塩辛さである。

 クラウスによると、人間の赤子は母の乳を吸い育つらしい。

 どうやら赤子に味覚は無いようだ。あったら、こんなもの飲めるはずがない。


「――けぷっ(まずい)」


 しかし、飲まなければひもじい思いをするので仕方がなく乳母の乳に吸い付く。


「ふふっ、胸が張って痛むから助かるわ。美味しい? 沢山、飲むんですよ」


 ボクは、ボクに話しかけてくる乳母に視線を向け思う。

 この女はボクのことを搾乳機かなにかと勘違いしているのではないだろうか。

 そうでなくては、胸が張って痛むから助かるなんて言葉は出てくるはずがない。


「あーあー(勘違いするな。腹が減ったから飲んだだけだ。味自体は塩辛くて飲めたものではない)」

 

 なんというか、塩分濃度の高い牛乳のような味がする。

 クラウスに乳母の前では喋らないで下さいと懇願されたため、仕方がなく「あーあー」言っているが、自由に喋れないというのは、キツイものだ。

 しかし、栄養になる物がこれしか無い以上、選択の余地はない。

 うん? 獄卒鬼の血はどうしたかって?

 当然、試したさ。飲んだ瞬間に腹を下したがな。

 血を飲んだ瞬間の腹の下しようは凄かった。毒を盛られたのではないかと錯覚した程だ。当然、ボクの腹を壊した獄卒鬼はクソだらけの中庭に埋めてある。

 きっと、植物を育てるための、いい肥料になるだろう。


「ケプッ」


 もうお腹いっぱいだ。

 乳を飲み終わると、何故か、目蓋が重くなってきた。

 何だこれ? 呪いか? 呪いか何かか?

 自分の意思では抗えないほどの尋常じゃない眠気。

 やはり、この世は地獄より地獄だ。

 地獄では眠気なんて一切感じなかったのに……。

 心の中でそう呟くと、ボクは乳母にもたれ掛かる。

 次、目覚めた時、外は真っ暗だった。

 起きてすぐ、十数人の人間がクラウス商会に向かってくることを察知する。


「また賊か……」


 これで何度目だ?

 既に相当数の賊を地獄送りにしている気がする。

 何なら、ボクが乳母の乳を吸っている時にも来ていた。

 塩辛い乳を吸うのに夢中だったので、察知した瞬間、ファイア・オブ・プロメテウスの炎で灰にしてやったがな。


「どれ……」


 クラウスたちは寝ているらしい。

 起こすのも可哀想なので、いつも通り賊の対応はボクがするか。


「ファイア・オブ・プロメテウス……」


 そう呟くと、火の原初精霊・ファイア・オブ・プロメテウスがボクの目の前に現れた。ファイア・オブ・プロメテウスは、ボクのことをそっと抱きかかえると、意図通りボクを外に連れ出してくれる。


「赤子? こいつが報告のあった……」

「……殺るぞ。俺たちの素性を知られた以上、殺るしかない」


 出迎えてやると、賊たちは揃いも揃ってそんなことを静かに言った。

 意外なことに、ボクが賊の半数を地獄送りにしていることと、賊の素性を知っていることを理解しているらしい。

 それ故に解せない。何人も地獄送りにしているのだ。力の差は理解しているだろうに……。

 どうやら賊というのは力の差も理解できない。人種らしい。

 数の暴力が個の持つ暴力より強いと錯覚しているようだ。

 まあどうでもいいか。


「死ね……」


 そう言って、銃弾を撃ってきた賊に視線を向ける。

『パンッ!』と乾いた音がした瞬間、頭に衝撃を感じた。でも、傷は付いていない。

 銃というのは、よく賊が好んで使う玩具だ。

 引き金を引く事で、鉛玉を撃ちだす事のできる玩具で、服に丸い穴をあける位の威力を持っている。


「なっ! 銃が効かないっ!?」

「……化け物めっ!」


 ――パンッ! パンッ!


 まったく、これだから学習能力のない賊は嫌なのだ。

 そんな玩具でボクを殺せると思っている事自体、お笑い種である。

 確かに最初は面白い玩具だと思った。

 引き金に指を掛け引くだけで鉛玉が飛び出し、服に穴を空けるのだ。

 しかし、それだけなら獄卒鬼の振るう棍棒攻撃の方が強い。

 ボクは獄卒鬼を賊の背後にそっと忍ばせると、召喚されてすぐ獄卒鬼は棍棒を横に振った。


「えっ? ひっ、ぺ――」


 その瞬間、肉塊となる賊たち。

 やはり、玩具よりも獄卒鬼の振るう棍棒の方が強い。

 何故、服に穴を開けるだけの玩具を賊が愛用しているのか意味がわからん。


「ファイア・オブ・プロメテウス……」


 獄卒鬼が散らかした賊の肉塊をファイア・オブ・プロメテウスの炎で燃やし尽くすと、ボクは軽く欠伸する。


「いい加減、鬱陶しくなってきたな……」


 今の時間は丑満時。

 夜更けに、こう何度も睡眠妨害されては堪らない。なにより、ボクは忠告したはずだ。クラウス商店に手を出すな、と……。

 折角の忠告を聞き入れないならやることは一つ。


「潰しに行くか……」


 そう呟くと、ボクはファイア・オブ・プロメテウスに抱えられながら賊の本拠地へと向かった。


 ◆◆◆


 町の自警団詰所。

 そこでは、異常事態を察知した自警団の団長、メビウスが仁王立ちで立っていた。


「……お前等、俺を舐めているのか?」


 既に、副団長を含む二十名の団員が消息を絶っている。

 明らかな異常事態。しかし、部下からはなんの報告もない。


「か、勘弁してください!」

「俺たちは、副団長のスワンさんに言われて仕方がなく……!」


 この通りスワン、スワンと喚くだけ。

 中身のない言い訳など、どうでもいい。


「いいから、なにがあったか説明しろ! もう二十人も失踪しているんだぞ!」


 そう叱責すると、メビウスの気迫に負けたクレインとラークがモゴつきながら言う。


「そ、その……実はクラウス商店に住む赤子と揉めてまして……」

「皆、クラウス商店に住む赤子に殺されてしまったといいますか……」


 クラウス商店に住む赤子?


「正気か? 何を言ってるんだお前たち……まさか俺の部下たちが赤子に殺されたとでも言うつもりじゃないだろうな?」

「え、ええ、まあ……」

「実はこの火傷もその赤子によるものでして……」


 クレインとラークの足に目を向けると、確かに火傷の跡がある。

 それも、まるで火炙りにされたかの様な火傷だ。

 本当にいるのか?

 そんな化け物みたいな赤子が……。

 そもそも何故、自警団とその赤子が敵対している。わからないことだらけだ。

 このままでは埒が開かない。


「仕方がない。俺が直接確認してくる。確か、クラウス商店だったな。その化け物がいるのは……」


 その瞬間、部屋の空気が変わる。


「――へぇ、誰が化け物だって?」


 背後から聞こえてきた子供のソプラノボイス。

 メビウスは内ポケットに入れていた拳銃を抜くと、声のした方角に発砲する。


 ――パンッ、パンッ!


 そして、距離を取ると、背後にいたであろう子供に目を向ける。


「おいおい。何の冗談だ、これは……」


 背後にいたのは、まだ産まれたばかりであろう赤子。その赤子は二本指で銃弾を受け止め両足立で佇んでいた。

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