番外編 デビュタント 中編
次の日から私は自分のドレス作りに没頭することになった。
楽しさと、不安。そのどちらもが顔を出しては引っ込んで。でもやはり、少しずつ形になっていくドレスを見ていると楽しさの方が段々と強くなっていった。布や綺麗なレースに囲まれていると幸せな気持ちになってくる。
やはり私はドレス作りが大好きなのだ。
ドレス作りに没頭していたある日の夕食のことだった。
「エリザベス、デビュタントにエスコートしてくださるのはウィル様で良かっただろうか?」
と、たずねられて私は持っていたスープのスプーンを取り落としそうになった。
その様子を見たお母様が一瞬眉根を寄せて私を見る。
「エリザベス、あなたまさか…?」
お母様が困惑した声で私を見据えた。私は焦って、
「ごめんなさい!」
と、大きな声を出してしまった。その様子に、お母様は空を仰ぎお父様はため息をついた。
「ウィル様から申込みのお手紙は届いていたはずよね?一月ほど前だったかしら?」
確認するようにお母様に言われて、私はうっとなる。お母様の言うとおりなのだ。一月ほど前にはウィル様からエスコートの申込みが手紙であった。承諾のお返事をしなければ、と、思っていたにも関わらず、仕事が忙しかったのと自分のドレス作りに没頭しているうちに、すっかり忘れてしまったのだった。
ウィル様にはこの繁忙期に入ってからお会いしていない。だから、直接催促されたこともなく、私の脳内からはすっかり抜け落ちてしまっていた。
「食事が終わったらすぐお返事を書きなさい。わかったわね?」
呆れ顔のお母様方から強く言い渡されて、私は「はい。」と小さな声で返事をする。お父様もため息をついて、
「お前が一つのことに夢中になると他のことが疎かになるのは分かっていたが。さすがに自分自身のデビュタントまで疎かになってしまうのはいただけないな。」
と、耳の痛い一言をもらってしまった。私はできる限り急いで残りのスープを飲むと、慌てて自室へ戻り便箋を準備して机に向かう。
まずはお返事が遅れてしまったことへの謝罪、エスコートへのお礼と承諾。たったそれだけのことなのに、私は手紙を前に頭を抱えた。一月である。私がウィル様からエスコートの申し入れをもらって、一月。ここまで来たら直接お会いして謝罪したほうが良いのでは?という考えが頭をもたげてきたが、ドレス作りだけでなく休日にはヘアメイクの打ち合わせやダンスの練習などがあってウィル様にお会いする隙がない。やはりまずはお手紙で謝罪しよう。デビュタントの日に改めて謝罪させてもらおう。
どうして私ってこうなのかしら。
自分でも、自分のこういうところに呆れ返ってしまう。熱中してしまうと他の事がどうしても疎かになる。こんなふうでは、いずれ侯爵家に嫁いだときに困ってしまうだろう。
もう少し、余裕を持たないと。
何事にも余裕を持ったスケジュールを組むことにしよう。とはいえ、デビュタントまでは最早そう上手く行かないけれど、意識だけでもしなければ。
私はそう思ってウィル様への手紙を書き始めたのだった。
ウィル様へ謝罪とエスコートの承諾の手紙を出してすぐ、ウィル様からお返事があった。やはりお小言が少しだけ書かれていたけれど、手紙の最後に『デビュタント、楽しみにしているよ。』と書いてあるのを見つけると、私の心は簡単に浮き立った。
だが。
そこで舞い上がって周りが見えなくなってしまってはいつも通りだ。私は手紙を机に置き、胸に両手を当ててゆっくり深呼吸をした。三回ほど繰り返し、平静を保つよう心がける。よし、なんだか少し冷静になった気がする。
お母様に相談して教えてもらったこの方法は、簡単だし思いのほか効果がありそうだ。忙しい時や集中しすぎてしまうときにはこれを行うことにすることに決めた。
この調子なら、もう少し余裕のある私になれるかも。
私はそう心のなかで呟くと、ウィル様からの手紙を大切に片付け、今日の予定の準備を始める。朝早く返事が届いたのでつい気持ちが先走って手紙を読んでしまったが、これからお母様と侍女とヘアメイクの打ち合わせだ。
いつもヘアアレンジをしてくれる侍女のナターシャがデビュタントのヘアメイクも担当してくれる。いつもであれば全てお任せするのだが、一生に一度のデビュタントなので、私もどんなヘアスタイルが良いかイメージがある。それをナターシャとすり合わせていく作業だ。
マリアの時は綺麗な生花を使ったアレンジで、それはシンプルなマリアのドレスとよく合っていた。私のドレスもそんなに装飾が多い方ではない。ただ、肩のレースがたっぷりめなのでヘアスタイルを豪華にしてしまうとバランスが悪い気がする。なのでパールを使って華やかすぎず、地味すぎないアレンジをしてもらえないかお願いしてある。
お化粧は今回が初めてなので、ナターシャにお任せすることにした。正直何が何やらわからない。というか、知識としておしろいや口紅などは分かっているが、どう使えばお母様のように華やかになるのか全くわからない。下手に口を出すととんでもないことになりそうだから、こういうことは詳しい人にしてもらうのが一番だと思う。
どんな自分になるのか楽しみな気持ちで、私はお母様達との打ち合わせに臨んだ。
デビュタントまでは瞬くような速さで日々が過ぎていった。
ドレスを縫うだけでなくダンスの練習が厄介だった。ハンナさんの工房に入ってからダンスの練習なんてすることがなかったのですっかり忘れていたが、私はダンスがそんなに得意ではない。貴族の子女の嗜みとして、もちろん基礎的なレッスンは一通り受けているものの、元々体を動かすことが苦手だ。いわゆる運動音痴というやつだ。なので休日のダンスの練習だけでなく、工房の仕事が終わって帰宅してからもお父様に付き合ってもらってダンスの練習を繰り返した。おかげでなんとか少しは形になったと思う。
そんなわけで、日々が目まぐるしく過ぎてしまって、あっという間にデビュタント当日となった。
その日私は、自室でドレスを着てヘアメイクをしてもらい、その姿を鏡で見ると言葉が出なくなってしまった。
驚いたのだ。いつもの幼い顔の私が、今日は少しメイクで大人びた雰囲気になっている。それもそのはずで、大人への一歩だからと濃紺のドレスを作ったのだ。とはいえあまりクラシックな雰囲気にするとまるでお下がりのように見えかねないので、袖をひらひらとしたたっぷりめのレースにし、腰にはダークベージュの長めのリボンをつけてある。
「エリザベス!なんて美しいの!」
お母様が目に涙をためて私を見つめている。そして、お父様に至ってはもう既に泣いている。
「いつもハギレだらけのエリザベスが…。」
お父様、事実だけど余計な一言である。ナターシャの顔を見ると、満足そうに満面の笑みを浮かべている。
そんな風に家族の時間を過ごしていると、ウィル様が迎えに来たようだった。私達は慌てて玄関まで迎えに出た。丁度ウィル様が馬車から降りたところで、ウィル様と目が合う。
ウィル様が一瞬、息を呑んだのがわかる。そして、次の瞬間には真っ赤になった。私もその反応を見て一気に体温が上がるのがわかる。恥ずかしい!改めてこんな格好で会うのは初めてだ。そしてこれから、お父様同伴とはいえウィル様にエスコートされてデビュタントに臨むのだ。分かっていたことなのに、何故か気恥ずかしい。
ついウィル様から視線を外して床を見てしまう。いけない、こんなことでは、と、意を決して顔を上げるとそこにはウィル様がいて、いつの間に目の前まで来ていたのかと私は驚きと恥ずかしさでわけが分からなくなりそうになる。
「エリザベス。」
ウィル様は真っ赤な顔のまま、でも私から視線を外そうとはせずに真っ直ぐな声音で名前を呼んだ。
「はいっ!」
私は返事をしようとして、つい声が上ずってしまう。本当に恥ずかしい。
「今日はエスコートのお許し、ありがとう。」
そう言って真っ赤なままのウィル様が、片手を差し出した。私はそっとその手に自分の手を重ねる。すると、ウィル様がふわりと笑った。その笑顔がいつも通り優しいものだったから、私はなんだかホッとして、ウィル様に微笑みを返す。
そして私はウィル様にエスコートされ、王城に向かったのだった。
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