番外編 デビュタント 前編

 どれだけこの日を待ち望んだだろう。私の私による私のためのデビュタントドレス!やっと作ることができる!


 私の名前はエリザベス・ウィンダーバーグ。今年十五歳になる。私が住んでいる国オルテアでは、貴族の子女は十五歳になる年にデビュタントに参加する。いわゆる公式的な初めての社交の場がデビュタントとなる。だから、特に貴族の令嬢たちは張り切ってデビュタントドレスを用意する。ドレスのために、半年以上前から懇意にしているドレス工房と念入りに打ち合わせをし、華々しく社交界にデビューするのだ。


 私はそのドレスを自分自身の手で作り上げることを切望していた。姉であるマリアのデビュタントドレスを作った経験もあり、それから更に研鑽を積んでいる。自分自身のために、自分の手でドレスを作りたい。私はそう強く願っていた。


 だが。

 現実は厳しい。


 私はハンナさんの工房で働いている。つまり、ハンナさんの工房に来る注文を捌きながら自分のドレスも作らないといけない、こういうことだ。

 実はハンナさんからは、自分のドレスに集中できるように私の分の仕事を減らそうかという提案はあった。だが、工房の皆に迷惑をかけたくないという思いから、問題ありませんと答えてしまったのだった。

 今はとっても後悔している。毎年このシーズンがとっても忙しいと分かっているのに、どうして私は格好をつけてしまったのか…。


 どうしよう、邸に持ち帰って作業しようか…そんなことを考えていると、ハンナさんから声がかかった。


「エリザベス。ちょっといいかしら?」


 私は声をかけられて「は、はい!」と変な声を出してしまった。


 どうしよう、自分のドレスが間に合っていないことをとうとう気づかれてしまった?それともなにか大きな失敗をした?


 頭の中ではぐるぐると忙しい。


 ハンナさんはそんな私に気づいているのか気づいていないのか。淡々とハンナさんの執務室に案内され、そこの応接セットに対面で座るよう促された。


「あのね、エリザベス。」

「はいいっ!」


 緊張で変な声が出てしまった。嗚呼、私ってどうしてこうなのかしら…もう逃げ出してしまいたい。


「あなたのドレスの進捗、どうかしら?」


 ストレートに聞かれて、私は焦った。


「ええっと…そう、ですね…あの、なんとか…。」


 あまりにストレートな聞き方だったから、私はしどろもどろになってしまった。ハンナさんの表情がたちまち曇る。私はどうして、もっと上手くやれないのだろう。私のあの様子で、ハンナさんは気がついてしまったはずだ。


「うまく進んでいないのね?」


 またしてもストレート。しかも的確にそれだけを聞かれてしまったら。


「はい…。」


 と、私は素直に答えるしかない。


「あなたがドレスをすべて自分の手で手掛けたいと言っていたから、あなたのドレスは作業外になっているけれど…。やっぱり難しいのではない?」


 ぐっと詰まる。デビュタントは迫ってきている。私が私のドレスだけに集中すれば、余裕を持って作り上げられるだけの期間はまだ残っている。ハンナさんはそのギリギリのラインを見計らって声をかけてきたのだろう。

 そもそも私のドレスも、私が自分で作るとはいえ注文されたものだ。だから私がきちんと自分の分も進めていればこんなことにはなっていない。つい、他の人の手伝いを申し出たりして自分のドレスを後回しにしてきたツケがここに回ってきたのだ。


「あのねエリザベス、あなたが他の子たちの手伝いをしてくれるのは助かるの。でも、あなただって分かっているはずよ。納期というものがある。自分のドレスだからってそれを疎かにしていいものかしら?」

「はい…。」


 全くそのとおりです。もう、ぐうの音も出ない。


「特に今回はあなた自身のデビュタントドレスよ。何よりも優先すべきドレスじゃない。あなただってここに来て三年目。大事なことが何なのかは分かっていると思っていたけれど…違ったかしら?」

「仰るとおりです…。申し訳ありません…。」


 ただただ至らない自分が申し訳なくて、頭を下げた。その様子に、ハンナさんは困ったように笑みをみせる。


「わかっているならいいの。納期を守るということは信頼を守るということよ。私達の仕事はデザインや出来上がったときの華やかな部分だけではなくて、信頼していただくということもとても大切なの。忘れないでちょうだいね。」


 はい、と頷くとハンナさんはにっこりと微笑んだ。


「それはそうと、いつものあなたならきちんと時間配分を考えながら他の子の手伝いをするはずよ。どうしてこんなにも自分のドレスを後回しにしてしまったの?」


 そう言われて、どきりとする。これを言っていいものか。でも、言わなければハンナさんには納得してもらえない気がする。


「あの、私、怖くなって…。」

「怖い?何が?」


 ハンナさんはキョトンとした表情で私を見た。その様子を見て、私は言ってしまえと一気に話し出す。


「今までたくさんのドレスに関わってきましたけど、自分のドレスをこの工房で作るのは初めてで。しかもデビュタントで色んな人から注目を浴びるってことは、その場で色んな感想が聞こえてきてしまうってことですよね!人前で自分の作ったドレスを着るのは初めてなんです!そう思ったら怖くなって、ついデビュタントのことを考えないように後回しにしてしまって。その結果が、これなんです…。」


 一気に話し終え、最後には自分の気の小ささにがっかりして声もしぼんでしまう。


「なるほどね。」


 私の話を聞いたハンナさんは、腕を組んでうんうんと頷いている。


「まあ、あなたが気後れしてしまう気持ちは分からないでもないわ。マリア様のデビュタント以降、エリザベス・ウィンダーバーグの名前をこの国で知らぬ者はいないものね。今回のデビュタントであなた自身が社交界デビューするということに、世間は強い関心を抱いているわ。」


 そう言いながら、ハンナさんは私を鋭く見据えた。


「でも、それが何?あなたはマリア様のドレスだけ作ってきたわけではないわ。今まであなたにデザインを任せて作ったドレスが沢山ある。全部一定の評価を得てきたドレス達よ。あなたにはそれだけの才能だけじゃなくて地力があるということ。自分で自分を見くびるなんて、そんなことをしたら今まであなたが手掛けてきたドレス達が泣くわよ。」


 ドレス達が泣く。ハンナさんにそう言われたのは衝撃だった。


「あ、私…。」


 見てきたはずだった。色んなところで、私のドレスに身を包んだ人達の姿を。喜びの姿を。その度にどれだけ気分が高揚したか。どうして自分のこととなると、こうも自信がなくなってしまうのだろう。自分が情けなくなって、私は大きなため息をはあ、と吐いた。


「エリザベス、目は覚めた?」


 ハンナさんがにこにこと悪戯っ子のように笑いながら私を見ている。


「はい、申し訳ありませんでした。」


 私が改めて頭を下げると、ハンナさんは顔をあげるように言い、笑顔のまま私に告げた。


「エリザベス、あなたはあなたのドレスに集中してちょうだい。あなたのドレスだって、ウィンダーバーグ家から注文されたもの。納期を守らないなんて許されないわ。他のドレスは、他の子たちがきっちり仕上げてくれるわよ。だから心配しないで。」


 私は「ありがとうございます。」とお礼を言い、自分のドレスに向かうことにした。



 工房に戻るとボニーがミシンをかけながら声をかけてきた。


「ハンナさん、なんだって?」

「私のドレスのこと。そっちに集中するよう言われたの。」


 そう言うとボニーは、ああと納得したようだ。


「最近特に、デビュタントドレスを見ないようにしてたものね。あんなにドレスを作りたがってたのにどうしたのかな、とは思ってた。」


 ボニーにも気づかれていたのか。そりゃあ、同じ工房で作業していれば気づくわよね…と、私は肩を落とす。


「これからはそっちに集中するってことは、それなりに吹っ切れたの?」

「ええ。」

「それなら良かった。」


 ボニーはそう言うとミシンの手を止めて私を見つめ、そしてニコリと笑ってみせる。


「イノシシみたいにドレスを作ることに没頭するくらいじゃなきゃ、エリザベスらしくないもの!」

「ちょっと待ってイノシシって…!」

「あら、それ以上に適した言葉がある?」


 ボニーは本気でそう思っている様子で、きょとんとした表情を浮かべている。私もそう言われてしまうと返す言葉が出てこなくなって、はあ、とため息をついた。


「もう!とにかくドレスを作るわ!」


 私は自分のドレス作りを進めるため、工房の隅に置いてあるトルソーの前に向かったのだった。

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