第16話


 ウィル様への恋心を自覚したなら、ロマンス小説だったら普通は一気にエンディングまっしぐらだろう。

 だが残念なことに私はロマンス小説の主人公ではない。自覚した恋心と勢いで、あなたが好きですと相手に伝え、相手もそれを受け入れてハッピーエンド…。残念なことに私はそうはならなかった。悲しいかな、恋愛への経験値があまりにも少なすぎる。


 私は十ニ歳から工房と邸の往復生活を始めた。この一年半、私はドレス作りに没頭してきた。休日に会うのは家族とハンナさんとウィル様だけだ。そう、私には同年代の仲の良い令嬢がいないのだ。


 ボニーは仲の良い友人だと私自身は思っているが、やはり会話は仕事のことがメインになってくる。ボニーは大家族の末っ子なので、お兄様お姉様達の恋愛話をうんざりするくらい聞いている。つまり耳年増なのだ。だが、ボニー本人も仕事に熱中するタイプで実際の恋愛ごとには疎い。つまり私にとって恋愛方面で頼りになる人は誰もいないということなのだった。

 

 そんなわけで、私は今とてつもなく困ったことになっている。ウィル様は毎週私の休日に一時間だけ邸にやってくる。そのウィル様が、以前と違って見えるのだ。ウィル様が成長中なのを加味しても見え方がおかしい。なんというか…眩しいというか。まともに直視できないのだ。どうしていいかわからない。多分私がウィル様への想いを自覚したせいなんだろうか。

 ウィル様が話しかければ緊張して今までのようには話せない。目線を合わせようとされれば顔が真っ赤になってしまうのでその視線から逃れるように顔をそむけてしまう。一事が万事、そんな感じなのだ。ウィル様は初めのうちは気にもとめていなかったようだが、最近はなんだかおかしいと思っているようで、私の様子を伺っている感じが分かる。


 ウィル様が決定的なこと、つまり「どうしたのか」と追及してきていないことが救いだ。追及されたら多分逃れられない。芋ずる式に自分の気持ちを話してしまうと思う。でも、ボニーには「お互いが承知してれば別に問題ないんじゃないの」と言われたものの、それでもプロポーズのことが気になってしまうのだ。もしかしたらそれが乙女心なのかもしれない。


 私がこういったことでぐるぐると悩み続けているうちに、マリアが月に一度帰宅する日を迎えた。

 私は自室のソファで最近再開した髪飾りを作りながら、隣に座るマリアの話に耳を傾けていた。


 マリアからは、最近は効率的に瘴気の強い場所を回れていること、魔物に対峙しても恐怖心から逃げたい気持ちが薄れてきている、という話を聞かされた。


「とはいえ、気を抜いて何かあるといけないから、いつも周囲に気をつけるようにとは殿下に叱咤されているわ。」


 そう言うと、悪戯そうに、そして恥ずかしそうに笑う。

 そういえば、と気が付いた。マリアは自覚しているのだろうか。自分がブランドン殿下に好意を寄せているということに。

 身分差のあることだから、気づいていないならその方がいいのかもしれない。そんな風に考えマリアの話に耳を傾けることに集中する。


「…本当に、殿下にはいつもお世話になっているの。慣れない王宮暮らしも、殿下のおかげで暮らしやすくしていだいているわ。」


 そこまで話して、ふう、とマリアはため息をついた。そして黙り込む。私もその様子を見て、なんと声をかけていいのかわからないので黙り込んだ。それにしても、人の恋する様子はよくわかる。自分のことは分からないのに。

 そんな風に私がぼんやりと思っていると、そういえば、と、マリアが聞いてくる。


「ウィル様はお元気?全然お会いできないから気になっていたの。」


 ここでウィル様の話をされるなんて思ってもみなかった私は、動揺してうまく声が出ない。ついでに、一気に顔が真っ赤になっていくのが分かる。

 そんな私の様子を見て、マリアは初めはきょとんとしたものの、そのうち何かを得心したかのようににっこりと笑う。満面の笑みだ。


「ああエリザベスあなた、そういうこと。」

「そういうって…なんですか…!」


 マリアは一層笑みを深くしてにこにこと続ける。


「長年のウィル様の気持ちがとうとう成就したのね!」


 そう言って私の両手を取ると、一気にまくしたてる。


「あなた達いつ婚約するの!?きっとデビュタントの前には婚約するのよね!?それにしてもエリザベス、何がきっかけ!?もうお父様もお母様もご存じなの!?」

「待って!待ってお姉様!」


 必死で叫んで両手を振りほどく。きょとんとした表情のマリアに向かって、私は首をぶんぶんと振って見せる。


「婚約なんて!まだウィル様に気持ちを伝えてもいないというか、ウィル様のこともまともに見られないのにそんなの無理よ!」

「えっ!」


 マリアは信じられない、といった表情で言葉を失う。そうです、私は恋愛音痴なんです!


「だってあなた、ウィル様はあんなに分かりやすいのに…。」


 そう言ってマリアは黙り込んでしまった。ふがいない妹に驚きが隠せないようだ。

 私はマリアに話すことにした。ウィル様への気持ちを自覚したこと、自覚したとたんウィル様と普通に話せなくなったこと、目も合わせられないこと。どうしていいかわからないこと。

 マリアはうんうんと聞いて、最後にうーんと首をひねって言った。


「あなたの気持ちが落ち着くまで、それはどうにもならないんじゃないかしら…。」


 そのうち慣れるわよ、と苦笑いしながら私の肩を叩く。何の解決にもなっていない。

 そして、そう、あなたも恋をする年ごろなのね、と、独り言のようにつぶやく。


「ねえエリザベス、聞いてくれない?」


 突然愁いを帯びた表情で私を見つめる。何事かと息をのむ。


「私ね、ブランドン殿下に恋をしているの。」


 え、と、言葉が続かなくなる。知っていた。マリアがブランドン殿下に好意を寄せていることは。だけど、もし気が付いていないならその方がマリアにとって幸せかもしれないと思って、そのことには触れないで来たのだ。

 だけどマリアは自分の気持ちを自覚していた。そして、私にそれを話した。どうしたらいいのだろう。

 混乱する私をよそに、マリアは話を続ける。


「あなたとウィル様のこと、きっとお父様とお母様には話してないでしょう?だから私の話も二人には秘密にしてくれる?」


 そう穏やかに言われて思わずうなずく。ありがとう、と言うとマリアは目を伏せた。


「もちろん身分差があることは分かっているわ。だから心に秘めておくつもり。なにより、殿下には忘れられない方がいらっしゃるから…。」

「忘れられない方?」


 そこまで聞いて不思議に思う。ブランドン殿下に婚約者はいなかったはずだ。確か今年19歳になられたけれど、そういえば縁談を進めているという話も聞いたことがない。

 私が心底不思議そうな表情をしていたのだろう。マリアはああ、と呟くと困ったように笑った。


「殿下には婚約者がいらしたのよ。殿下が十歳の頃に亡くなってしまわれたのだけど。」


 知らなかった。九年前はまだ私は四歳だから、知らなくても仕方ないことかもしれないけれど、それでも王家に対してすら興味がないなんて。ボニーの言った通り、私は本当にドレス作りに没頭してきたんだなあと、自分で自分にため息をつきたい気持ちになる。


「公爵家のご令嬢だったそうよ。殿下はそちらに婿入りする予定だったの。お二人とても仲がよろしかったんですって。でも、彼女が亡くなってその話は無くなった。妹君がいらしたからそちらと縁組を、という話にもなったそうなのだけど、殿下が頑なに拒否されてそのまま、という話よ。」

「そう…。」

「殿下はとても素敵な方よ。王宮での暮らしだけでなく、学院のことについても心を配ってくださるの。とても紳士的だし、信頼できる方だと感じているわ。でも、どんなに私が想っても身分の差もあるし、何より殿下のお心に私が入る余地がないの。」


 マリアは悲しそうに目を伏せ、あとね、と続ける。


「この数百年に一度の瘴気は、数年すれば必ず終わるのですって。だから、聖女の務めもいずれ終わるわ。そうしたら、私はお互いに丁度いい方と結婚して、この家を継ぐ。この想いは今だけのものだから、大事にしたいの。」


 そう言うと、再び私の両手を取って真剣な眼差しを向ける。


「だから、あなたも自分の想いを大切にしてほしいの。今はまだ戸惑うことも多いんでしょうけれど、いずれはウィル様の心に寄り添ってあげて。折角気が付いた恋なんだもの。」


 私はそう話すマリアに、ただ「はい」と頷くしかできなかった。 

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