第15話
それからの私の日々は怒涛、と言った方が正しいくらい慌ただしく過ぎた。
ハンナさんのデザインの授業が休日まで入ったのだ。仕事中の休憩だけでは時間が足りないと、ハンナさんはわざわざ邸までやって来て授業をしてくれている。そして、一緒にデザインを考える。
使えそうなデザインが出来上がれば、それはもうすぐに工房へ回して作成に入る。時間が惜しいからだ。
それで割を食ったのはウィル様だった。休日のたびに邸に来ていたのに、会えるのはお昼休休憩の一時間だけになった。私はたった一時間のために無理に来てもらわなくても大丈夫だと言ったが、
「少しでも君といる時間を作らなければ、君は僕の顔を忘れてしまうんじゃないかと心配だから。」
と笑顔で言われ、私は色々な意味で恥ずかしくなり真っ赤になってしまったのだった。
ただし、マリアが月に一度帰ってくる日だけは話が別で、その日はデザインの勉強もお休みだし、ウィル様もいらっしゃらない。家族の時間を大事にしたほうがいい、という二人の計らいだった。
マリアの話では、週に一度学院がお休みの二日の内一日を使って王宮の精鋭部隊の方々と瘴気の濃い場所を巡ったり、強い魔物を払ったりしているらしい。どうもそういう場所を調べさせているのはブランドン殿下の役目だそうで、実際に現地に赴く際にはブランドン殿下もご一緒だということだった。
ただ、マリアは心配そうに話していた。「癒しの力が発現しないの。」と。文献によると聖女というのは瘴気や魔物を払う力だけでなく、癒しの力も持っているものだという。だがマリアは、ブランドン殿下がわざと剣で自分自身につけた軽い傷すら癒すことができなかったという。殿下や陛下たちからは「これから発現するのかもしれないからあまり気落ちしないように」と言われているとのことだが、マリア自身は心配そうにしていた。
マリアは家を離れる日に言っていたとおり、私からの髪飾りを毎日つけているようだった。「これをつけていると暖かい気持ちになるの。」と、にっこり笑う。そんな風に喜んでもらえると私も嬉しい。しばらく髪飾りを作れていないが、時間が取れるようになったらまた作って贈りたいと思う。
そしてどうやら、マリアはブランドン様に恋をしているようだった。これは私の予想でしかないし、何より私たちとブランドン殿下とでは歴然とした身分差があるから敢えて口には出さないのだけれど。
毎月帰ってくるたびにマリアの口からブランドン殿下、という言葉が出る回数が増えていった。殿下がね、それで、こうおっしゃったの、と、少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにはにかんだ様子で語るマリアの姿は妹の私から見ても愛らしいと思う。
そして、マリアのそんな姿を見るようになって、私はウィル様のことを考えることが増えていった。
ウィル様はこの頃更に背が伸びて、私とは頭一つ分くらい背が違うようになっていた。いつの間にか変声期を迎えたのか、私とそんなに変わらない高さだった声はやわらかい落ち着いた低いものに変わっている。
見た目はそんな風に変わったが、ウィル様が私に向けてくれている好意は相変わらずだった。むしろ見た目が変わるにつれて更に、ハッキリと私に示すようになってきている。
でも、私は自分がそんな風に真っ直ぐウィル様を想えるのかどうか自信がなかった。正直に言えば、ウィル様が笑ってくれれば嬉しいし、時々ふとした表情にドキリともする。ほんの一時間の滞在とはいえ、会えるのは嬉しいし、ウィル様が帰ってしまうのは忍びなく感じる。
でも、それでも。私は。「ウィル様と結婚すれば自分の好きなように工房を運営することができるかもしれない」。だから、ウィル様を好意的に思っているのではないかと不安になる。自分にそんな下心のようなものがあるとは思いたくないが、実は自分にそんな部分があるのではないかと考えると、ウィル様を真っ直ぐ見つめることができなくなってくるのだ。
マリアのように、真っ直ぐ誰かを想うことができるのがうらやましい。それが、最近の私の悩みでもあった。
そんな私の様子に気が付いたのは、ボニーだった。
私の教育係だったボニーとは、仕事を一緒にこなすうちに貴族と庶民の垣根を超えた友情が芽生えていた。
「エリザベス、最近どうかしたの?なんだか思い悩むことが増えたみたいだけど。疲れがたまってるんじゃない?」
ミシンをカタカタとかけながら聞いてくるボニーに、デザイン画をああでもないこうでもないといじくりまわしていた私は狼狽した。焦った挙句、紙の下半分をぐしゃりと握りしめてしまう。しまった、この紙はもう使えない。どうしようと思いながら、平静を装ってボニーに答える。
「そんなことないわ。きちんと眠っているし、三食きちんとお食事もとっているし、健康だと思うわ。」
健康?と、ボニーは訝し気に、それでもミシンをかける手は止めずに追撃してくる。
「そうね、人に心配されて焦ってデザイン画を握りしめるような人は体は健康かもしれないわね。私の後ろから紙を握りしめる音がしたわよ。やっぱり何か悩んでるんじゃない?」
私は焦って紙のしわを伸ばし始める。そんなことをしたって紙が元に戻るわけではないし、むしろ書いた黒鉛が紙中に広がって酷いことになっている。
手元の紙はまるで私の頭の中のようだ。ひどく混乱している、それを見せつけられたようでため息が出る。
「ほら、大きなため息。エリザベス、あなた今日何回大きなため息をついたと思ってるの?私の後ろで何度も何度もついてたのよ。気になってミシンどころじゃないわ。」
ボニーはそう言うが、ミシンは相変わらず規則正しくカタカタと動いているし、ボニー自身も縫い目から目を離そうとしない。さすがボニー。
私は観念して話すことにした。話して解決することじゃないけれど、と前置きして、ウィル様のことを洗いざらい話した。ユリア様のドレスを納品に行った日にプロポーズされたこと、むしろそれが自分のウィル様への想いへの枷になっていることを。
すべて話し終えると、ボニーは手を止めて私の顔をまじまじと見つめる。そして、心の底から不思議そうな顔をして言った。
「あなた、そのウィル様という方が好きなんでしょう?」
え、と言葉に詰まる。好き?好きってウィル様を?私が?
「あなた自分で言ったのよ。プロポーズが無ければウィル様を素直に好きでいられるのにって。」
え?え?そういうことになるの?
「自分でプロポーズが枷になってるって言ったんじゃない。」
ええええええええええええ!
心の中で叫ぶのと同時に顔が噴火したように真っ赤になるのを感じた。
「え、だって、ロマンス小説でよくあるような、胸の高鳴りとか、夜になって相手の方を想って恋焦がれるとか、そういうことが私にはわからないのよ?」
淑女の嗜みとして、私もロマンス小説くらいは読んだことがある。大抵、彼のことを思うと夜も眠れないとか、食事も喉を通らないとかそんなことが書いてある。私には当てはまらない。
顔の熱を冷まそうと、持っていたデザイン画で顔をパタパタとあおぎながら反論する。だが、ボニーはますますわからないといった顔をして言う。
「そんなの作り話じゃないの。そりゃあ、作者はそういう体験で恋をしたのかもしれないけど、別に違う形の恋があってもおかしくないんじゃないの?」
撃沈だった。ボニーの言うとおりだ。
―私はどうしてロマンス小説にこだわってしまったのか。
「そんなの、エリザベスがドレス作りに没頭して恋をしたことがないからに決まってるじゃないの。」
心の中でつぶやいたと思った言葉が口に出ていたらしい。ボニーが的確に指摘してくる。恥ずかしい。穴があったら入りたいとはこういうことか。
「なんだ、ただの恋煩いか。心配して損した。」
ボニーはあーあ、とため息をついて仕事に戻る。またしても規則的なミシンのカタカタといった音が響き始める。
「待ってボニー!じゃあ私はどうしたらいいの!プロポーズを受けたら、下心があって受けたと思われないかしら!」
ボニーは私の方には目もくれず、淡々と仕事をこなしながら答えた。
「そんなのお互いが承知してれば別に問題ないんじゃないの?そうじゃなくてもあなた達思いあってるんでしょ?だったら何の問題もないんじゃないの?」
その発想はなかった。
そして私は今度は、あのプロポーズはまだ有効なのだろうか、ということで頭がいっぱいになったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます