第10話
デビュタントの日がやってきた。
ウィンダーバーグ邸は朝からおおわらわだった。
侍女たちも浮足立っているのだ。マリアの一生に一度のデビュタントだ。
エスコートするのはお父様だった。親戚に年の近い男性がいないのもあるけれど、どうもお父様自身がエスコートしたかったようだ。
この日はお姉様の大事な日だから、着ている姿を見たいだろうから、と、お休みをいただいたが、特に私はすることがあるわけでもない。
マリアのドレスを納品してから、なんとなく落ち着かない気持ちが続いていた。本当にお姉様に似合うだろうか、とか、私が作ったことでお姉様が馬鹿にされたりはしないだろうか、と。
そんな時気持ちを落ち着かせるために、最近は刺繡をしたり髪飾りを作ることにしている。私はどうも、手を動かしていないと余計なことをあれこれと考えてしまう性分のようだ。なので、今日もそうして過ごすことにした。
無心で作ってしまうので、大量に出来てしまう日もある。そんな時はマリアに大体ねだられるので、差し上げてしまう。マリアは私が何かを作っている姿が好きらしく、出来上がったものを喜んでもらってくれ、更には使ってくれるので、私も作り甲斐があるのだった。
さて、マリアの出発の時間がやってきた。
何度も仮縫いで着用している姿は見ているのだけれど、ヘアセット、メイク、全てを完璧にしたマリアのドレス姿は本当に美しかった。
ゆるやかなアップスタイルに白いお花がワンポイントで飾られている。初めてメイクをしたマリアは、ドレスにもお花にも負けなかった。
「それじゃあ行ってくるわね。」
と、マリアがお父様と馬車に乗り込む。
そしてまさか、このデビュタントがマリアと私の人生をガラッと変えてしまうことになるとは誰も思っていなかったのだ。もちろん、私も。
マリア達が出発し、私はのんびりとお母様とお喋りをしながら夕食をとり、静かな時間を過ごしていた。
その後はハンナさんから借りている図録を眺めたり、刺繡をしたり。
そんな風にのんびりと過ごしていると、突然外からけたたましい馬の鳴き声が聞こえ、バタバタと足音が玄関へ近づいてくる。
そして玄関のドアをドンドンと叩かれ、外から男性の声で何度も「ウィンダーバーグ夫人!伝令です!」と大声で叫ばれる。
私は恐怖を抑えながら、何事かと様子を伺い、二階からそっと玄関を覗いた。
すると、執事のジャックがドアを開けると、そこには王国の兵が一人立っていた。
「ウィンダーバーグ夫人はご在宅ですか!」
ドアを開けたジャックに、焦った様子で兵は言う。
「何事なのですか。」
ジャックは静かに、そして穏やかに兵に問いかける。すると、
「ウィンダーバーグ子爵が王宮でお倒れになったのです!すぐに夫人とお嬢様を連れて王宮へいらしてください!」
と言い残し、自身はくるりと踵を返して乗ってきた馬に乗って王宮の方へ駆け去ってしまう。
ジャックは焦ったように「奥様!」と叫んでお父様とお母様の寝室へ向かった。私は衝撃のあまり声も出せず、よろよろと自室へ戻る。
そこへバタバタと侍女たちが飛び込んできて、
「お嬢様!登城の準備をいたします!」
と、私の返事も待たずに着替えをさせ始める。
気持ちが落ち着かない、不安な中で、私はただされるがままになるしかなかった。
私とお母様の準備が終わると、もう既に馬車は玄関に準備されていた。
二人で乗り込むが、不安な気持ちが強く、お母様も私もなにも言葉を発することができない。
王宮までの時間が、とても長かった。
王宮に着くと、すぐに応接間に案内された。私にとって初めての王宮だけれど、全く素敵だと思えなかった。きっと、豪華な装飾や素敵な絵画が飾られていたのでしょうけれど、目に入らなかった。
応接間のソファにはお父様が横たわっていて、その向かいのソファにマリアが呆然とした表情で座っていた。
そして、その後ろに若い男性が立っている。私は殆ど邸と工房の往復しかしていないので、貴族の知り合いに乏しい。きっとあの方も偉い方なのだろうと思いながら、マリアの横に座った。
お母様は顔面を蒼白にして、お父様のそばへ寄る。
「あなた…!」
そう言うとお母様は座り込んで顔を覆って泣き出してしまう。いつも快活で明るく、鷹揚なお母様のそんな姿を見るのはショックだった。
しかし、次の瞬間、信じられないことが起きた。起きた、というか、言われたのか。
マリアの後ろ側に立っていた男性が、こう言ったのだ。
「夫人、お呼びだてしてすまない。こんな騒ぎを起こして本当に申し訳ないことだが…ウィンダーバーグ子爵は気絶しているだけだ。」
その言葉に、男性に背を向けていたお母様がえっ!と大きな声を出して振り向いた。
「先ほど宮廷医にも見てもらったんだが、特に問題はないそうだ。騒がせてすまなかった。どのように聞いたか分からないが、あなたを呼んだのは子爵がこのような状態なので、代わってあなたとマリア嬢についてお話をしたかったからなんだ。」
「どういうことですの、ブランドン殿下。」
私は混乱していた。どうやら父は何ともないらしい。だが、この男性。ブランドン殿下とお母様は呼んだ。つまり、この方は、この国の第二王子ブランドン殿下ということになる。
どうして?どうしてそんな偉い人がここに?
そしてはっと気が付いた。マリアは私たちがここに来てから一言も喋っていない。それどころか、どこか心ここにあらずといった風情なのだ。マリアらしくない。
「実はデビュタントに、魔物が入り込んだんだ。空を飛ぶ魔物で、私たちも帯剣しかしていなかったから戦いようがなく、手をこまねいているところにマリア嬢に向かって突っ込んでいったんだ。」
それを聞いたお母様は「まあ!」と口を手でおさえたきり声を発せない。
「子爵がマリア嬢を守るように剣を構えて立っているのを見て、私も加勢しようと子爵の横に並び立った瞬間、マリア嬢から光が発せられて…次の瞬間には魔物は消えて、マリア嬢だけがそこに座り込んでいたんだ。」
その言葉に、マリアは静かに頷いた。
「そして、その横で子爵は倒れていた。だからここに連れてきて、すぐにあなた方を呼んだんだ。…まあ、子爵は脈も正常だし卒倒しただけだろうということで、ここに寝かされているわけなんだが…。」
申し訳なさそうに言いよどむブランドン殿下を見て、お母様は慌てて頭を下げる。
「申し訳ございません、自分の娘も守れぬ父親なんて、恥ずかしい限りですわ…。」
はあ、と、ため息をついてお母様はお父様を見やる。
「そこで、マリアについてお話になりたいことというのはなんでしょうか?」
落ち着きを取り戻したお母様はスッと立ち、ブランドン殿下と向かい合っている。
「落ち着いて聞いてほしいが…マリア嬢は恐らく、聖女と呼ばれる存在だと思う。」
「聖女!?」
ブランドン殿下の言葉にお母様は驚きのあまり大きな声を出した。が、すぐに冷静さを取り戻し、逆にブランドン殿下に質問する。
「聖女というと、何百年に一度現れるという伝説は聞いたことがありますが…。どうしてですの?」
「何百年に一度聖女が現れるのと同じような周期で、瘴気の濃くなる時期がある。その度に聖女が現れ、国を救ってきたとされている。今回、デビュタントに魔物が入り込んだ。普段ならあり得ないことだ。恐らく、濃い瘴気が強い魔物を生み出して、それが王宮に入り込んだのだろう。」
なるほど、と、お母様は頷く。
「今回問題なのは、デビュタントだったということだ。沢山の貴族たちが参加していて、マリア嬢の不思議な力を目の当たりにしている。不埒な考えを持つ輩が出てこないとも限らない。マリア嬢を王宮で保護したい。」
保護したい、と言われて私は思わずマリアを見た。マリアは私と目が合い、困ったように微笑む。
「でも、娘は…マリアは、魔法も使えないし剣技の才も無い子です。そんな子が聖女だなんて…。それに、デビュタントを終えたばかりで学院に入学もしていませんのに…。」
お母様は困惑している。お父様はまだ目を覚まさない。
「すまない、今日は皆混乱しているだろう。今晩は泊っていくといい。子爵が目覚めるまではまだ時間がかかるのだろうし、もう夜も遅い。明日にでも王と話をしてもらいたい。」
お母様はしばし瞑目した。黙り込んだところで、これは命令だ。私たちが抗えるはずもない。
しばらく考え込んだ後、お母様は答えた。
「かしこまりました。明日、夫と娘と共にお話を伺わせていただきます。」
その表情は、もう何かを決意した表情だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます