第9話
ユリア様のドレスの納品を終え、デビュタントまで半年となった。
この時期、国中のドレス工房には貴族のお嬢様たちからの依頼が殺到する。
他国では白一色で作る等規定がある場合もあるらしいが、オルテアではデビュタントのドレスには「気品を保ったドレスにすること」以外の規定はない。だからこそ、貴族たちはここぞとばかりに家の威信をかけた豪華なドレスを作るのだ。
さて、ハンナさんの工房にも依頼が大量に入り始めた。そんなわけで、デビュタントドレスの納品までは、チームを組んでそのチームごとに作業をすることになる。そのうえで、普段のドレスの依頼も受けるのだから、この時期だけは目が回るほど忙しいそうだ。
私は姉であるマリアたっての希望もあって、私がマリアのドレスのお針子になった。私は結局、デザインを任せてもらうまでには至らなかった。工房に入って以降、ほとんどデザインを描いていないので、それは仕方のないことでもあるのだけれど。デザインやラフはハンナさんが作るらしい。そして、マリアのドレスのお針子になったことで、私はドレス全体を縫えるだけの技量を身につけなければいけなくなった。
なので私は、またしても工房のはぎれとミシンを使って様々な縫い方を試した。ここでもボニーに沢山相談に乗ってもらい、練習を重ねるうちに段々と上手くなっていった。
ところが、である。
それは突然だった。私が夕方工房で一人、練習のためにはぎれを胴まわりの形にカットしたものを縫っていると、ハンナさんが血相を変えて私のところへ来たのだ。
「エリザベス!あなた、マリアお嬢様のデビュタントドレスのラフを何枚か…そうね、三枚くらいあればいいかしら、描いてきてほしいの。」
何を言われたのか一瞬理解できず、ポカンとした顔でハンナさんを見返す。
するとハンナさんはため息をついて、こめかみに指をあてる。これは、困っているときのハンナさんの癖だ。
「今日マリアお嬢様のデビュタントドレスの打ち合わせにお邸に伺ったのよ。でも、どのデザイン画もダメ。最終的にマリアお嬢様が、『エリザベスの作ったデザインではいけませんか。私はあの子の作るドレスが好きです。お針子をすることは存じていますが、あの子のデザインが好きなのです。』っておっしゃるのよ。」
それを聞いて私は頭が真っ白になった。なんてことを。私はまだデザインを習っていないし、何より工房に入って半年以上、ほとんどデザインを描いていない。そんな状態で姉の望むようなデザイン、しかもハンナさんを納得させるようなものができるというのだろうか。
答えられずに呆然とする私を見て、ハンナさんは続ける。
「私も、お止めしたのよ。でも、『デビュタントでドレスを着るのは私です。デビュタントは一生に一度。悔いなくデビュタントに臨んではいけませんか?』って。そう言われてしまったら、もう何も言えなかったのよ…。」
どうしよう、なんと言ったら。姉の気持ちはわかる。だけど…。
「エリザベス。これはウィンダーバーグ家からの命令と同じよ。あなたに拒否権はないわ。ただ、あなたのデザインは荒いところがあるから、私が少し手直しする。そこが落としどころかしら。」
とんでもないことになってしまった。姉の思いを軽視していた。姉は、『エリザベスの考えた、エリザベスの作ったドレス』が好きなのだ。
それから私は夜寝るのも惜しんでデザイン画を描いた。一度に複数枚描くなんて初めてだし、当たり前だがデビュタントは経験したことがない。ハンナさんから借りた図録を何度も何度も見て、姉のイメージを膨らませて。
結局、何枚も描いたうちから三枚に絞るのに、一月ほどかかってしまった。
できたデザイン画はハンナさんがマリアとの打ち合わせに持参し、マリアがこれがいいと言ったものをハンナさんが手直しをし、それをまたマリアが確認し…という手順で進められた。
そして、デザインも決まりパターンも取られ、私の出番が再度やってきた。縫うのだ。マリアが着たいと言ったドレスを、私が。
一針一針縫っていく。マリアのドレスはシンプルなもので、薄いグレーのドレスの上に薄いレースを被せた上品なドレスになっている。それは、私が工房に顔合わせで持参したときに持ってきたドレスに似ていた。あのドレスは水色だったけれど。
マリアのドレスはとてもシンプルで手のかからないドレスだったから、私以外のお針子さん達は他の複雑なドレスに駆り出された。そんなわけで、私は今、マリアのドレスを一人で作っている。
もしかしたら、こういうドレスにすることで私だけが作れるようにしたのだろうかと考えることもあったけど、さすがにドレス作りをしたこともない姉がそこまで考えているわけはないか、と、考えを振り払った。
私の考えたドレスを、私以外の誰かが着る。
これは私にとって初めての事だ。だんだん楽しくなってくる。一針一針縫い進めながら、うきうきした気分がやってくる。
そして、想像する。姉がこのドレスを着ているところを。きっと美しいだろう。私はデビュタントの会場には行けないけれど、きっと誰もが姉に注目するはずだ。なんて素敵なんだろう。
そしてやっぱり…私はドレスを作ることが好きだ。大好きだ。これを諦める事なんてできない。強く、そう思ってしまう。
どうしたら…そう思った瞬間、ウィル様の顔が浮かび、顔が熱くなる。手元が狂いそうになって作業を一旦やめて、火照った顔をパタパタと仰ぎ、周囲を見回す。よかった、みんな忙しすぎて私のことを気にする余裕もないようだ。
ドレスを作るためにウィル様と結婚することを考えた。あの時、ウィル様の笑顔を見たとき、確かに私はどきりとした。でも、ドレス作りをしているときほどの高揚感はない、ような気がする。
でも。あそこまで色んなことを考えてくれたのは純粋に嬉しかった。私が恋というものを理解できていれば、ウィル様は笑ってくれるのだろうか。考えてみたが、よくわからなかった。
そこまで考えて、改めてドレスを縫うことに集中することにした。考えても分からないことを考えても仕方がない。とにかく今は、このドレスを作り上げて、マリアが着ているところを見てみたい。
その一心で、私はドレスをただただ黙々と縫い続けたのだった。
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