第7話

 次の日から私は、ハンナさんの工房に通い始めた。

 今日からは工房内ではお嬢様としては扱わない、自分のこともハンナさんと呼ぶようにと言い含められていた。

 働くのだからと、いつも着ているドレスではなく城下町に馴染むエプロンドレスをハンナさんが数着見繕ってくれていた。

 私は「おはようございます!」と意気揚々と工房に入ったが、ハンナさんのお店はこの国オルテアでは人気のあるお店だから、朝工房に着いた早々、私はおおわらわだった。


「エリザベス!おはよう!そこの右から五番目のビーズを取ってちょうだい!」

「待って!その前にエリザベスの真ん前にあるレースを私に持ってきて!」


 こんな風だから、人の顔と名前を覚えながら装飾品の保管場所を一緒に覚える、というなかなか難易度の高い試練が私に課された。 

 そして、先輩達の使い走りをしながら、私はボニーのお仕事を見せてもらう、という感じで一日は過ぎていった。

 先輩達ののお仕事まではなかなか見ることはできないものの、ボニーの縫物の腕は確かだった。ハンナさんが褒めるだけあって、驚くほど真っ直ぐ綺麗に縫われている。

 袖をつけるところは円になっているわけで縫いにくいのだが、そこでもボニーの腕はやはり確かで、綺麗に寸分のずれもなく細かく縫われている。私は舌を巻いた。


 夕方、人もまばらになった工房で、私は一人一着のドレスを着せられたトルソーを見つめていた。

 これはボニーがスカート部分と袖の部分を縫ったもので、昼間縫っているのを見てはいたが、トルソーに着せられているのを見るとなんともいえない気持ちになる。


「これが、売り物…。」


 そう、私とは全然違う。

 私の作ったドレスはやはり趣味だ。素人よりは少し上手なくらいだろうけれど、プロには敵わない。

 邸でもお母様やお姉様のドレスを見せてもらったりしていたけれど、実際に作っているものを見たうえでの「売り物のドレス」のインパクトは強かった。

 私のドレスはどうだろう。確かに形にはなっているけれど、手縫いなのもあって縫い目は荒い。大きい縫い目や小さい縫い目があちこちに散見されるし、ちょっと曲がったままのところもそのままになっているから、少しだけれどヨレている。

 自分で着る分にはそれでいいだろう。でも、私は今工房で、お店で働き始めたのだ。私も近いうちに針子として縫物を任される日が来るはずだ。

 それまでにボニーの技術を学んで真っ直ぐ綺麗な縫い目で縫うことができるようにならなければならない。

 そのためにできることは、と考えてギュッと拳を握った。


 縫うしかない。


 今できることはそれだけだ。

 デザインを考えてラフを作るのも、レースやビーズ、宝石を眺めてどんな風にドレスを飾り立てるかを考えるよりも、まず縫うことだ。

 縫って、縫って。ボニーに少しでも追いつかなくては。あのレベルになってようやく、「売り物」になるのだから。


「どう?エリザベス。一日働いた感想は?」


 物思いにふけっている間にハンナさんが横に来ていた。そして、不敵に私に笑いかけてくる。


「ハンナさん、はぎれはありませんか!ありったけのはぎれをください!」


 少し驚いた表情をしたハンナさんが、満面の笑みで答える。


「今日だけですごい刺激になったようね。はぎれなら沢山あるわ!だってここは工房なんだから!」


 それからの私の毎日は、とにかく縫うことに占められた。


 もちろん働いている時間は下働きの仕事もする。慣れてくると先輩達の顔と名前も覚え、彼女たちの要求に答えながら、ボニーに指導を受けることも可能になってきた。ボニーの指導は的確で、コツも出し惜しみせずに教えてくれる。だから私はボニーを心から信頼したし、ボニーも素直に指導を受けている私に親しみを感じてくれているようだ。

 そして、先輩たちが帰宅した夕方から一人で遅くまでミシンの練習をする。はぎれはお店に山ほどあるので困らない。また、日中はボニーに的確な指導を受けることでみるみる真っ直ぐ縫えるようになっていく。

 縫うことが楽しくて仕方なかった。お父様は遅くまで残ることに渋い顔をしていたけれど、夕食の時間までに帰ってくるならと許してくれた。うっかり馬車を待たせてしまってお父様に叱られることもあったけれど、それ以上に私は必死だった。あんな風に売り物を作りたい。その一心で、毎日を過ごしていた。


 そして、そんな生活を3ヶ月ほど過ごしていたある日、突然私はハンナさんに、


「エリザベス、そろそろはぎれではなくて小さな子のドレスのスカートを縫ってみない?」


 と言われた。

 私は仰天したが、隣にいるボニーも「そうですね。」と頷く。


「最近のエリザベスの上達ぶりには目を見張るものがあると思います。小さな子のスカート部分だったら、大人用より生地の重みに引っ張られることもないし縫いやすいですよね。」

「そうよね。ちょうど7歳になるお嬢様からお誕生日のお祝いにドレスを作ってほしいと依頼があったのよ。スカート部分だけならエリザベスに任せても良いと思うのだけど。」


 二人でなんだか盛り上がり始めている。私は、(本当に私でいいの?)という気持ちと、(やってみたい!均等に縫えるようになってきたし!)という気持ちの狭間で揺れ動いてしまう。


「不安そうな顔をしてるわね、エリザベス。」


 ハンナさんは私の表情を見て苦笑する。


「それじゃあ、教えてあげる。今回の依頼はイーズデイル侯爵家のユリアお嬢様からのものよ。お兄様のウィルフレッド様からの口添えがあったようね。ハンナの工房でエリザベスに関わらせてやってくれって。」


 それを聞いて私は驚いた。ウィル様が口添えを?あんなに反対していたのに?


 実はウィル様とは、ハンナさんが邸に来て私のドレスを査定していった日以来会っていない。

 気まずかったとかそういうことではなく、ただただ純粋に私が縫物に没頭しすぎて邸と工房の往復しかしていないからだ。

 ウィル様からは「上手くやっているのか、どう過ごしているのか、心配している」と心配の手紙が届いていたけれど、私はその返事を書く時間も惜しく、「万事問題ありません」とだけ書いて送った…ような気がする。正直あまり覚えていない。


「つまり、あなたを指名してるってこと。だからあなたは心配しすぎずに自分の仕事をしてくれればいいわ。さっきボニーも言っていたけれど、最近の縫い目は以前より真っ直ぐ綺麗に縫えている。そろそろ何か売るものを作ってもらおうと思ってはいたのよ。だから今回は丁度よかったわね。」


 そう言ってハンナさんは私に目配せする。

 私はほっとしたのと同時に、ウィル様にお礼のお手紙を書かなければ、今度は素っ気ないものではなくきちんと気持ちの伝わるものを、と思ったのだった。

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