第5話
ウィル様とのことがあってから、元々ハンナの訪問予定に浮立っていた私の心は更にふわふわと落ち着かないことになってしまい、ハンナの訪問までの日々をどう過ごしたのか正直よく覚えていない。
兎にも角にもあっという間に時間は過ぎてしまい、ハンナの訪問の日を迎えた。
その日は朝から晴天だった。ドレスを見てもらうには晴れて明るいほうが見やすいだろうから、絶好の日よりではあった。
何故か我が家にいる挙動不審なウィル様を除いては。
ハンナは十三時きっかりにウィンダーバーグ邸に現れた。
ウィル様は約束の時間の前から玄関をウロウロと所在なく歩き回り、お姉さまやお母様には苦笑いされお父様には小声で「ウィルフレッド様のドレスを見繕うわけでもあるまいに…。」と、呆れられていた。
現れたハンナはいつもどおり美しかった。
たっぷりとした黒髪を結い上げ、羽根付き帽子を被っている様は絵画のようだ。
ハンナ自身の容姿が優れているのもあるのかもしれないけれど、装いが見事だった。
一見地味に見えるネイビーのドレスだが、袖や裾にぐるりと美しいレースがあしらわれており、気品を感じさせる。
更に首周りにグレーのショールを巻いており、それを左肩のあたりでカメオで留めているのが実に優雅だ。
いつもならハンナの来訪は何よりも嬉しいし、ハンナに工房での話を聞かせてもらうのが楽しみで喜び一色の感情しかないが、さすがに姿を見ると緊張してしまう。
「ハンナ、今日はようこそいらっしゃいました。」
語尾が震える。
カーテシーも上手にできただろうか。
緊張で頭が真っ白な私に、ハンナがふわりと微笑む。
「ご機嫌よう、エリザベスお嬢様。本日は楽しみにしてまいりました。」
いつもどおりのハンナに少しだけ緊張が解ける。
ドレスを作り始めた最初の数着のうちは出来上がったことが嬉しくて、我が家に訪ねてくるハンナに見せたりしていたけれど、そのうちお母様に「毎回見せに来るのはやめてちょうだい、話が進まないわ。」と、叱られてしまったので、ハンナに見てもらうのは本当に久しぶりなのだ。
緊張はするけれど、見てもらうのは楽しみでもある。そう気がついた私は、お母様に案内されるハンナの後に続き、応接間へ向かった。
応接間には既に私の作ったドレスが十着、ハンガーラックにずらりと並んで鎮座していた。
ハンナは「まぁ…。」と言ったきり言葉を発さない。その代わり先導してきたお母様の方を向いて小さく頷く。
「ハンナ、忌憚なき意見を聞かせて頂戴。娘が手をかけて作ったものだから褒めてもらいたいのが親心ではあるけれど、これは家の問題にもなることだから、手心は加えないで頂戴ね。」
お母様がそう言うやいなや、ハンナは「かしこまりました」とドレスが並んでいるハンガーラックに向かった。
一着ずつ手に取り、丁寧に縫い目や、飾りに使った刺繍等を吟味するように見ていく。
全て見終えるのに一時間ほどかかっただろうか。
見終えたらしいハンナはため息を一つつき、固唾をのんで見守っていた私達家族に向き直った。
「懐かしいドレスもありましたが…お嬢様、本当にこれをお一人でお作りになったのですか…。」
呟いたハンナの意図がわからず、私は困惑してしまう。
恐る恐る尋ねる。
「ハンナ、それはどういうこと…?」
すると、ハンナは私達家族をじっと見つめて言った。
「私がお嬢様にドレスの作り方を手ほどきして三年。手ほどきしたと言いましたが、あのときはほとんど私の工房のお針子達が作っているのをお嬢様は眺めていらっしゃるだけでした。だというのにこれだけの量、質のものをたった一人でお作りになるなんて…。これは才能です。旦那様、奥様。デザインはまだ荒削りではありますし、手縫いですから縫い方も少し荒いところがあります。デビュタントまであと1年…正直に申し上げればデザインもミシンでの縫い方も改めてこれから手ほどきさせていただくとなると、マリアお嬢様のデビュタントに参加するドレスをお嬢様におまかせできるかどうかはお嬢様次第と言えます。でも…。」
ハンナは更に私を見て付け加える。
「エリザベスお嬢様、お嬢様の才能をハンナと一緒に伸ばしてみたくはありませんか?私の工房でデビュタントの衣装をお作りいただくのはもちろん、もっと質の高いものをお作りいただけるように私どもの手伝いをしていただけないでしょうか?」
それは、驚きの申し出だった。
私が工房に入れる?もっと近くでお針子さんの仕事やデザインを見ることができるということ?
そんな魅力的な話を断ることなんてできっこない!と私が頷こうとした瞬間、お父様が私とハンナの間に割って入る。
「何を言い出すんだハンナ!曲がりなりにもエリザベスは貴族なんだぞ!工房で針子の真似事などさせられるわけがないだろう!」
ハンナはそれに動じず、静かに答える。
「そうですね、貴族のお嬢様が出入りするような場所ではないことは私も重々承知しております。ですが旦那様。私達商人は貴族の皆様ともやり取りをし、礼儀作法にも精通しています。それに、お嬢様が今までお作りになれなかったようなドレスも私どもの工房では可能になります。お嬢様の才能があれば、そしてお嬢様の成長によっては今までとは比べ物にならないドレスをマリアお嬢様のデビュタントで披露していただくことも不可能ではありません。」
お姉さまのデビュタントをちらつかされて、お父様は言葉に詰まったようだった。しかし、呻くような声で呟く。
「しかし…、ハンナの工房でエリザベスが好きなようにドレスを作るとなると、一体幾らかかるというんだ。うちは恥ずかしながら裕福ではない。だからこそエリザベスの自作のドレスを不問にしてきたというのに…。」
確かにそうだ。我が家で私のドレス作りが問題にならなかったのは、そうやって私が作ったほうが工房に依頼して買うより安いからだった。
「このような申し出をさしあげるのは大変心苦しいのですが、旦那さま。それではエリザベスお嬢様にお給金をお出しするというのはいかがですか?マリアお嬢様のデビュタントのドレスについては、それと差し引きいたしましょう。」
「な…!エリザベスを労働させるというのか!」
お父様は目を白黒させているが、ハンナは動じない。むしろにっこりと笑って、鷹揚に構えている。
「労働させるとおっしゃいますが、働く者に手当を出すのは当たり前のことです。それに、エリザベスお嬢様の才能は正直に申し上げますと喉から手が出るほど欲しいものです。お給金はその対価、ということでいかがでしょうか?」
うむぅ、と唸ったきりお父様は黙り込んでしまった。貴族の挟持と目先のお金で悩んでいるのだろう。
そこへ、ずっと黙っていたお母様が口を開いた。
「あなた、ハンナの言うとおりにしたらどう?」
「キャサリン!?」
「あなたが驚くのも無理はないけれど、私はとってもいいお話だと思うのよ。うちが貧乏なのも事実だしね。何より私はエリザベスの作るドレスが好きだし、それが洗練されていくのなら見てみたいわ。ただ、そうね…。エリザベスはあと三年後には学院に入学しなくてはならないから、当座三年間ってところでどうかしら。その後のことはその時決めたらいいじゃない。」
「しかしだな…。」
まだ渋るお父様にお母様は畳み掛ける。
「勉強しながらお給金がいただけるなら、これ以上のことはないじゃないの。」
その言葉でお父様は負けた。私を見て、頷く。
「エリザベスはどうしたいんだ?」
それを聞いて私は待ってましたとばかりに答える。
「私は働きたいです!自分で作ってそれを着て…、それだけでも楽しいけれど、他の人が私の作ったドレスを着ているところを見てみたい!」
そう宣言すると、お母様とハンナはふふっと笑い、目を合わせる。
「決まりね。ハンナ、よろしくお願いするわね。」
私はこれから始まる未知の世界に心躍らせていた。そして、隣りにいたマリアも満面の笑みで私を見つめている。
「これで私、デビュタントにはエリザベスのドレスを着て行けるのね!」
その嬉しそうな姿を見て、私も嬉しくなってしまう。
そこに水を差す野暮な人間が現れた。ウィル様だ。
「エリザベス、僕は反対だ。庶民に混じって貴族の君が働くなんてできるのか?」
今日は何をしに来たんだろうと思っていたけれど、こういうことを言いに来たのだったらたまったものではない。
「ウィル様、なんですか?大体これはうちの家庭の話です。なぜ貴方が口を差し挟むんですか?」
せっかくのいい話が台無しになってはたまらない。
私は怒りもあって、少し早口でウィル様にまくしたてる。
「私が庶民の方達と上手くやっていけるかどうかはやってみなければわからないではないですか。それに、実際にそのお仕事を間近で見ることも習うこともできるんですよ?そのチャンスを棒に振れと言うんですか?」
「いや、僕は…。ハンナに邸に来てもらって習うこともできるだろうと思って…。」
旗色が悪いウィル様は、目も合わせずにぼそぼそと喋る。
「ウィルフレッド様、確かに私がお伺いして指導することも吝かではないのですが、実際にそうするには私には時間がなさすぎるのです。エリザベスお嬢様にいらしていただくのが、期間も三年と決まっておりますゆえ近道かと。」
ハンナはそう言って続ける。
「うちの針子達は確かに皆庶民ですが、礼儀作法にも通じておりますし性格の良い子ばかりですよ。ウィルフレッド様がご心配のように、確かに始めはお嬢様とどのように接していいか分からずギクシャクすることもあるかもしれませんが…、お嬢様のような落ち着いた方なら、すぐに溶け込めるのではないでしょうか。私も、トラブルにならないよう目を光らせますので。」
ハンナにそこまで言われては、ウィル様はもう何も言うことができず、項垂れるだけだった。
ウィル様が口を挟んだせいか、あとは大人達で、と、マリアと私とウィル様の三人は応接間から退室させられた。
項垂れたままのウィル様を見て、お姉様はにっこりと笑う。
「ウィル様はエリザベスが心配なだけなのですよね。自分の知らないところでエリザベスに何かあったらと不安なんでしょう?」
「なっ…!」
マリアににっこりととんでもないことを言われたウィル様は、とたんに顔を真っ赤にして言葉もなく、「なっ」を繰り返す変な生き物になってしまった。
「ぼ、僕はただ、殆ど邸から出たこともないエリザベスが庶民と関わるなんて無謀だと思って…!」
「何を言ってるんですか、ウィル様。ハンナだって貴族の邸に出入りしているとはいえ庶民ですよ。私はそのハンナの工房と邸を行き来するだけだというのに、何が無謀だというんですか?」
とはいえ確かに、貴族の中でも派閥があったり色々と複雑な人間関係があると聞くから、用心に越したことはないのだろうけれど。
そんな風に気を引き締めなければと私が思っている頃、私の後ろでは私に言い負かされたウィル様がまたしてもしょんぼりと項垂れていたのだった。
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