エピローグ:口からでまかせを言う盗賊は、師匠とも英雄とも呼ばれたくない
エピローグ①:約束
……ここ、は……。
ぼんやりとした頭。閉じた瞼の向こうが明るい気がする。
正直、何も考えが回らない中、俺はゆっくりと瞼を開こうとした。
が、予想以上の眩しさに、目を開けられず顔を背けてしまう。
たかだか顔を背けただけなのに、不自然なほどに重い動き。
正直、生きている実感はない。
それでも何とか目を開くと、霞んで見えにくかった視界が、少しずつはっきりとしていく。
……ベッドの、上……か?
目に映ったのは豪華な天蓋。貴族でも住まう部屋、だろうか。
そのまま顔を声をした方に向けると、窓際に一人の人影を見つけた。
貴族が纏うようなドレスを着た身につけた長髪の女が、こっちに背を向けたまま膝を突き、窓より天に祈りを捧げているようにも見える。
窓からの逆光で、誰かはわかねえ。
が、光の筋に照らされながら祈るその神々しさは、まるで聖女のように感じた。
……あいつは……誰だ?
俺は重い身体に鞭打ち、ゆっくりと上半身を起こしたんだが……身を起こすために突いた左腕の感触。それは間違いなく、デルウェンに斬られ無くなったはずの腕だった。
着せられているパジャマの隙間から、俺は自身の身体を見てみたが、そこには聖女の血の力で血が吹き出た傷すら残っていなかった。
……身体に受けた傷ってのは、術なんかで回復しても消える事はねえ。
そして、俺はメリナの墓の前で死んだはず……って事は、ここはあの世、なのか?
だとしたら……。
胸の鼓動の高鳴りを覚えながら、俺はゆっくりとベッドの横に出て、立ちあがろうとする。
が、瞬間くらりと立ち眩みを起こし一瞬意識が切れると、次の瞬間。強い痛みと共に、ベッドに背を打ちつけ、座り込んでいた。
……くそっ。
身体の自由が効かねえじゃねえか。
焦ったさに思わず舌打ちをしていると。
そこに立っていた女が、はっとしてこっちに振り返った。
ふわりと靡く髪。そのシルエットに、
「……メリナ、か?」
俺がそう呟きかけた、その時。
「……ヴァラード……様……」
何処か惚けた、震えた澄んだ声が耳に届く。
聞き覚えのある声。
それが、俺の心で膨らみかけた期待を、一気にしぼませていく。
「……ティアラ、か?」
「……はい……」
丁度陽が雲の影にでも入ったのか。光が弱まり見えたのは、茫然としたティアラが両手を口に当て、その場に立ち竦んでいる姿だった。
……何で、あいつがここにいるのか。
……何で、俺がここにいるのか。
それは分からなかった。
が、失意に沈んだ心が、何となく今の俺の現実を理解させた。
「俺は……死に損ねたんだな……」
そう独りごちると、自然と俯き、唇を噛む。
……十年待ったってのに。
……願いを叶えてやったってのに。
それなのに、まだ
まだ哀しみを背負って生きろってのか。
心を覆う失意に、顔すらあげる気力も持てずにいると、ゆっくりと俺の側まで歩いてきたティアラが、その場で両膝を突くと、そのまま俺の前まで必死に這い寄り、がっと両腕を掴んだ。
あいつもまた、俯いたまま。
身体を振るわせ、ぐっと何かを押し殺した後。
「……そんな事を、仰らないで下さい」
絞り出すように、涙声をあげた。
「……
何とか必死に想いを絞り出すティアラ。
未だ俺を見ず、涙だけを流しながら語っていたあいつは、瞬間顔を上げた。
涙を隠さず、哀しみを隠そうとしない、くしゃくしゃになった、悔しそうな顔。
そして、感極まったティアラは、俺に叫んだ。
「貴方様がメリナ様に逢いたい。その気持ちは痛い程分かります! 貴方様が命を捨ててでもデルウェンを倒し、仇を討とうとした想いも分かります!
ティアラはそのまま、俺の胸に飛び込みぎゅっと俺を抱きしめる。
「弱い女で申し訳ございません! 情けない女で申し訳ございません! ですが! ですが今は、喜ばせてください! ヴァラード様が生きていて下さった事を! どうか……どうか……」
……俺は、若いこいつをここまで追い詰めていたのか。
それは、メリナに逢えなかった哀しみ以上に、俺の心に強い痛みを寄越す。
ティアラは強い女だと、ずっと思っていた。
が、決してそうじゃねえ。こいつだって俺と変わらねえ、一人の人間。
だからこそ、俺が死んだと哀しんでくれて、生きてほしいと願ってくれたのか……。
己の不甲斐なさに言葉を返せぬまま、泣き止まぬティアラの嗚咽を耳にしていると、ふと心にある言葉が思い出された。
──「できる限り、女を泣かさない事」
同時に浮かんだメリナの悪戯っぽい笑み。
……それは、過去にメリナと交わした約束だった。
§ § § § §
「なあ、メリナ」
「ん? どうしたの?」
聖女が眠っていると言われる石碑がまだ立つ前。
そこには一本の大樹が立っていた。
クエストを一段落させ、次のクエストまでの間、王都でメリナと二人、久々にのんびりと楽しんでいたある日。
初夏の陽射しを避ける為、大樹の下の日陰に入り、芝生に腰を下ろした俺達は、公園を楽しむ人達を眺めていたんだが。俺はそこである事を実行しようとしていた。
数日前から心を決め、覚悟を決めていたはずなんだが。
あいつが隣で寄り添いながら、じっと真剣な目を向けてきたのを目にし、思わず気後れした俺は、赤くなった顔を背け、思わず目を泳がせちまった。
「いや、その……」
思わず口籠もる俺に、不思議そうな、だけど楽しそうな笑みを浮かべるメリナ。
ふん。どうせ俺をまた弄れるって思ってるんだろ。
そんな不満を心に持ったものの。それでも奴の顔を見れないまま、俺は何とかこう口にしたっけな。
「その、よ。……結婚しねえか?」
「……え?」
付き合ってそこそこ経つのに、予想外と言わんばかりの驚きを見せたあいつの顔は、俺をより不安にさせてな。
「あ、いや。その、あれだ。別にすぐって訳じゃねえし、嫌ならいいんだ。お前だってまだ、俺とそういう関係になるのはちょっとって、思いもするだろうしよ」
自分から言っておきながら、思わず逃げるような言葉を口にしちまったんだが。
それが可笑しかったのか。ちらりと俺を見たあいつは、くすっと笑みを浮かべると、俺の腕に絡まり、身を寄せてきた。
「そうね……。ひとつ、約束してくれるなら」
「約束? 何だ?」
そりゃメリナと結婚できるなら、約束のひとつやふたつ構いやしねえ。そう思っていたんだが、あいつが口にした言葉を聞いた時、俺は拍子抜けした。
「できる限り、女を泣かせない事」
「……女? お前じゃなくか?」
そりゃ疑問にも思うよな?
俺は結婚を申し出たってのに、あいつは急に変な約束を口にしたんだから。
だが、あの時のあいつは、相変わらず意図が読めねえ笑みを見せてたっけな。
「そうよ。私だって女だもの。泣かせる気はないでしょ?」
「そ、そりゃそうだが」
「ならいいの。あと、私より先に死なない事」
「は? 何でだよ?」
「私を泣かせないんでしょ? あなたが先に死んで、私が泣くのは嫌なの。私は死ぬまであなたに愛されたいし、笑顔でいたいもの」
結婚の話なのに死ぬ時の話をされて、あの時俺は内心何を言ってるんだって思っていた。が、あいつが頬を赤くしながら、嬉しそうな笑みを浮かべてるのを見たら、そんなもん吹っ飛んじまってよ。
「……おい」
「なーに?」
「約束が増えてるじゃねえか」
俺はそんな皮肉で、恥ずかしさを誤魔化すのが精一杯だった。
「あ、そういえばそうね。でも、私はそんなわがままな女よ。それでもいいの?」
「……別に。構わねえよ」
「……ふふっ。ありがとう。ヴァラード」
からかう表情も程々に、あいつは幸せそうに笑うと。
「……ずっと、大事にしてね」
そう、優しく口にした。
§ § § § §
あの頃、あいつが既にその先の未来を知り、死を悟っていたのか。正直それは分からねえ。
だが、メリナはきっと、自分が先に死んだ後の、俺の幸せも考えていたからこそ、あんな言い回しをしやがったんだろう。
じゃなきゃ、遺書に俺がモテるか見守るなんて書きやしねえはずだ。
あの時の言葉を、こんな時に思い出すとは俺も察しが悪すぎだ。
既に戦う前から、俺はティアラやアイリ、エルを泣かせてきたってのに。
もっと前に思い出してりゃ、もう少し……いや。きっと俺は変われなかったか。
メリナの仇を討ちたい。そんな気持ちを捨てられはしなかったしな。
「……悪かった。すまねえ」
俺はティアラを安心させるように、胸元に顔を埋めるあいつの頭をゆっくりとなでてやる。
それでも嗚咽は中々収まらなかったが、彼女の身体の震えは少しずつ落ち着いていった。
「……貴方様の本音を知りながら、あのような事を申してしまい、本当に──」
「謝るな。謝るぐらいなら口にするもんじゃねえ」
あいつの弱気を咎めた俺に、あいつは不安そうに顔を上げる。
ったく。自分であれだけのことを言ったんだろうが。
「お前は気にするな。俺が未練がましい
「ですが……」
「いいか? あんな弱気な事はもう言わねえ。だからお前も聞かなかったことにしろ。でないと、アイリやエルも哀しませる事になるからな」
「……はい」
「後……お前も、素直に喜んでくれ。俺が生きていたことにな」
「……それは、大丈夫です。
俺が笑みを浮かべながら語る言葉を聞き、未だ涙を零しながらも、嬉しそうな笑みを浮かべるティアラ。
……これでいいんだよな? メリナ。
俺は少しだけ天を仰ぐと、逢うことが叶わなかったあいつに、心の中でそう呟いた。
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