第九話:積年の想い
騒がしい時間から解放され、一人風呂まで済ませた俺は、パジャマ姿のまま頭にタオルを被り、髪を乾かしつつリビングのソファーに腰を下ろした。
既にテーブルの片付けを済ませ、寝に入ったであろう三人の姿がない事に安堵すると、静かにくしゃくしゃと髪を乾かし続ける。
そして、ある程度
ソファーの肘掛けに乗せられた毛布。
ティアラの奴、相変わらず気が利くな。
ここにいないあいつに心の内で感謝をすると、毛布を下半身に掛け、肘掛けを枕がわりに仰向けになり、両手を頭の上にやる。
俺は独りの時間が好きだ。
急に何かを思い出し、虚しさを思い出す事もあるが、何を気にする事なくぼんやりとできるのもこういった時。
誰に縛られるでもない時間をずっと過ごしてきたからこそ、望んだ時間。
そして、こんな時間だからこそ、巡らせられる思考もある。
……しかし。
あいつらの願いを聞き入れて、本当に良かったんだろうか?
ぼんやりとした頭で、そんな事を考える。
押しかけてきたティアラもそうだが、アイリにしろエルにしろ、過去に助けてやったとはいえ、俺とは無関係。
それが、急に俺と旅を同行する事になっている。
村で考え込んでいた時もそこに違和感を感じていたが、落ち着いて考えりゃそれだけじゃない。
ハイルの村での襲撃も、十分違和感ありありだ。
国の護りに影響すらしない
となれば、ガラべが言っていた通り、あいつにとっての厄災を探していたって事になるが……。
奴が厄災と呼んだ相手は、結局俺だったのか。アイリ達だったのか。それとも別の誰か……いや、それはないな。
ディバイン達には悪いが、あいつらじゃガラべを脅かすには力不足。そして他に村にいた奴の大半は年寄り連中。
戦闘や戦術、魔法で脅威になるような存在なんて、俺が知る限りいなかったはず。
とすれば、答えはほぼ二択か。
もし俺達がガラべの
アイリ達が厄災だとすれば、それは何とかしてやるべきだが。逆に俺が厄災だったとすれば、下手に一緒にいりゃ巻き込んじまう。
とはいえ、この謎に迫るべく王都まで共に行くと決めた以上、そこは割り切るしかない。
ま、三人とも実力は十分。もしもの時は、あいつらの手も借り上手くやるか。
……さて。
考え込んでいても良いが、少しは寝ておくか。今晩だって何があるかは分からねえしな。
ごろりと横向きになった俺は、静かに目を閉じ、暖炉の薪が燃える音を子守唄代わりに、軽く眠りについた。
§ § § § §
……どれくらい経ったか。
俺は側に立つ人影を感じ、寝た振りをしながらも、静かにソファーの肘掛けと座面の間に忍ばせておいた
くそっ。
殺意や敵意を感じなかったせいか、気づくのが遅れた。俺も
心で舌打ちすると、俺は僅かに瞼を開け、細目で相手に目をやる。
そこに見えた人影は……って、アイリかよ。
「……おい。何やってるんだよ」
俺はそこに立っていた、パジャマ姿の赤髪の少女を見て、安心し気を抜いたんだが。
「ふふふっ。師匠」
何となく普段と違う、少し妖艶じみた声色でそう口にしたあいつは、次の瞬間、ソファーの上の俺に覆い被さっていた。
って、油断してたとはいえ、避ける暇すらなかった。無拍子とも言えるその動きは凄えが……って、感心してる場合じゃねえ!
「お、おい!?」
「師匠。師匠だ。師匠がいる。にひひひ」
こっちの呼びかけが聞こえてないのか。まるで懐く猫のように、俺の胸板にすりすりと頭を擦りつけてくるアイリ。
その動きに合わせて、こいつのでかい胸の感触が、互いのパジャマ越しながら、はっきりと身体に伝わってくる。
あいつの口から感じるのは酒の匂い。
こいつ、寝酒してやがったな!?
「アイリ。ど、どけって」
「この匂い。この感触。夢とは違う本物の師匠。うふふふ。やっぱり堪りません」
夢心地のまま嬉しそうな声を出し、俺の感触を堪能しているアイリ。流石に怪力で締め付けられるよりはマシだが、それでもこいつは、俺が押し退けようとする動きを見事に封じてきやがる。
ちっ。どんな才能の無駄遣いだよ!?
互いにパジャマを着ているとはいえ、これはやばい。
別にこいつに手を出す気はねえが、俺だって男。こんな事が続きゃ困る事もある。
実際こいつのパジャマの胸元がはだけかけてるじゃねえか。そういうのも刺激が
とはいえ、大声を張り上げりゃ、エルやティアラを起こす可能性もある。
流石にこのみっともない、かつ誤解を与えるような状況を見られるのは絶対にヤバい。
ったく。どうすりゃいいんだよ。
俺がほとほと困り果てていると、相変わらず惚けた顔をしながら、アイリが誰に言うとでもなく、こんな事を口走った。
「僕は、ずーっと師匠に会いたいって思ってたんですよ。助けてもらったお礼も言って。言われた通りに聖騎士を目指して。強くなった所を見てもらって、褒めてもらいたかったんですよー」
アイリの動きが少し緩やかで小さくなると、同時にこいつは、少し切なげな顔をした。
「今でも怖いんですよ。あの日、殺されかけた時の事を思い出すと。でも、師匠が助けてくれたから、こうやって生きて、強くなって、村どころか、多くの人を助けられるようになったんです。師匠を想い続けたから、怖くても頑張れたんです。僕は、そんな機会をくれた師匠に、本当に感謝して、本気で尊敬してるんですよー。知ってますか?」
……知るか。
そう言ってやりたい気持ちを、俺はぐっと堪える。
ティアラの時にも思っていたが。素直にそんな感謝を口にされたら、こっちもふざけて返せねえだろうが。
「僕も、いっぱい頑張ってきたんですよー」
「……ま、よく頑張ってるよ」
きっと俺に言ったであろう、寝言のような言葉に、ぽつりとそう返すと、タイミングよくあいつはにんまりと笑う。
「でも、やっぱり師匠はかっこよかったなぁ。初めてお会いした日も、線が細くて、ニヒルで、優しい顔をしてましたけど。あれから十年経って、渋みも増して、無精髭なんかも生やしてて。僕はもうメロメロです。僕は師匠がだーい好き。大好きですよー。だから、もっといっぱいべったりしてー、お喋りしてー、一緒にご飯食べてー、デートしてー、あんな事やこんな事をしてー。それから、それから、ぐふふふ……」
さらりと寝言で告白しながら、未だ擦り寄って離れようとしないアイリ。が、少しずつ反応は鈍くなり、最後には俺の上に覆い被さったまま、幸せそうな顔ですやすやと寝息を立て始めた。
この間も、酔った勢いで酷いアピールをしていたが。
……ったく。物好きが。
動かなくなったアイリをゆっくりとソファーの奥に追いやりつつ、あいつを起こさないよう何とかその身を入れ替え脱出すると、残された彼女に毛布を掛けてやる。
しかし。
俺はこんな普通の少女に、これだけの力を与え、危険に駆り出したって事か……。
何となく、自分が
とはいえ、今更だな。
「ふわぁ……」
居場所を奪われた俺は、自身の心に浮かんだ後悔を流すように、キッチンにある
§ § § § §
「あれ……ここ……」
アイリの襲撃から数時間後。
朝焼けで、外が薄っすら白みがかってきた頃、あいつは目を擦りながら、ソファーから上半身を起こした。
ったく。結局朝まで寝床を奪われるとは。
そんな悪態を
「よお。よく寝れたか?」
「あ、師匠。はい。よく寝れ……」
俺があいつの側に立ち、わざと笑いかけると、素のまま返事をしようとしたアイリが何かに気づき、一気に顔を青ざめさせる。
「……し、師匠」
「師匠じゃねえ」
「あ……えっと、ヴァラード様。これって、一体……」
「ああ。夜中に酔っ払ったお前が俺の所にやってきて、ウザ絡みしやがってよ。で、俺の代わりにそこで勝手に寝やがっただけだ」
嘘と
「……す、すすすす、すいませんでした!」
より顔を青くしたあいつは、そのまま素早くソファーの上で土下座し頭を下げた。
俺は大袈裟にため息を漏らすと、何も言わずにそのままキッチンに向かう。
「寝酒でもしたんだろうが。ハイルの村でもそうだったが、お前は酒癖が悪過ぎる。この先俺といる時は禁酒しろ。いいな?」
「は、はい! 申し訳ございません!」
背中に届く声に返事をせず、俺はそのまま朝食の仕込みを始めると。
「……あ、あの……ヴァラード様。僕、何か変な事を口走っていませんでしたか?」
あいつはそんな不安そうな声をあげた。
肩越しにアイリを見ると、ソファーの背もたれから恐る恐る顔を出している。
「ああ。言ってたぜ」
「ど、どんな事を……」
「こっちが恥ずかしくなるほどの、感謝の言葉」
「え?」
「それから、頑張ってきたアピールも凄かったぜ。ほんと、無理矢理起こされて、それを延々聞かされる身にもなれってんだ」
「あ……その、すいません……」
どうせ言ったことを覚えちゃいないんだろ。
俺が言った事を間に受け、安堵と反省が入り混じった困った顔のまま、顔を半分ソファーの陰に沈める。
……ふん。あんなもん聞かなかった事にしてやるよ。
変に勘違いされるのも、墓穴を掘るのも真っ平御免だからな。
俺はそう心に決めると、あいつを放置し再び一人、キッチンで朝食の準備に勤しんだんだ。
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