第五話:俺の負け
「それじゃあな」
「はい。では、お休みなさいませ」
その日の夜。
俺達は飯や風呂を済ませた後、
風呂を済ませ、紅茶を飲んで寛いだ後。勿論、今の俺は寝巻き姿だ。
部屋に入ると、ベッドのサイドボードに置いた蝋燭に、火付け石を二、三度勝ち合わせ、火花で火を灯し、代わりに壁に吊るしたランタンの火を吹き消す。
より灯りが弱くなった部屋。
俺は再びベッドの側に戻ると、ベッドの縁に腰を下ろし、蝋燭に息を吹きかける。
ふっと消えた灯り。
部屋の窓にはカーテンもしてるからな。僅かな月明かりは入るが、それでも
俺はそんな中、前屈みに腰をかけたまま、じっと動かず、暫く時を過ぎるのを待った。
……あれから大体二時間。
カーテンの隙間から漏れる月明かりが、少し短くなったのを見て時間を判断した俺は、すっと立ち上がると、クローゼットから着替えを取り出し、暗闇の中でも迷わず普段の盗賊衣装に着替えていく。
勿論、この程度の暗闇で動くのなんて朝飯前。物音ひとつ立てやしない。
ま、そんなヘマ踏むようじゃ、盗賊失格だからな。
服を着替え、胸当てや手甲、脛当てを付け、マントを羽織る。
腰のポーチには、鍵開け用のツールセットを。ベルトには幾つかの薬液が入った細長い瓶や、愛用の
左腰にはぶら下げ型のランタン。だが、まだ灯りは付けない。
一旦眼帯を外すと、傷しか残っていない目に手をやる。目があった場所に感じる触感。
これをすると、そこにまだ生があると感じられる。ま、旅立ち前の儀式みたいなもんだ。
ぼさぼさの髪の一部を後ろで束ね直した後、近くに置いたバックパックに着替えや食糧、予備の道具を入れると、それを片手だけで背負う。
……よし。これでいい。
俺は足音を立てず、静かに部屋から居間に出ると、視線をティアラの部屋のドアに向けた。
隙間から灯りは漏れていない。
ここ数日の生活リズムからすりゃ、既に寝付いているだろう。
……悪いな。ティアラ。
俺は心でそう謝罪しながら、音を立てずに玄関の扉を開けると、静かに外に出た。
人の気配なんてない夜の世界。厳しい寒さが肌を刺す。
秋口かつ深夜ともなれば、随分と冷え込みも厳しい。
精霊の機嫌が悪けりゃ、雪さえ積もる北の山。
こんな場所だからこそ、
俺は後ろ髪を引かれるように、ゆっくりと自分の家に向き直る。
……きっと恨まれるだろうと思いつつも、俺はあいつを置いて行くことに決めた。
王家の兵が絡むって事は、俺の手を貸りたいって可能性が高い。
が、そうじゃなかった場合、俺を捉え、何かしかに利用しようと画策している可能性もあるからな。
それでなくても、五英雄でも唯一、まっとうな道を歩んでいない盗賊の俺だ。それまで雲隠れして過ごしていたのに、サルドの街でその名が浮上した事で、何か企んでると思われた可能性もなくはないしな。
勿論、捕らえられるような心当たりはない。
だが、そんな警戒をしておかなきゃいけない程、今回の件は突然過ぎる話だ。
そして、本当に万が一、俺が国からのお尋ね者になろうものなら、彼女を巻き込む可能性だってある。
俺を慕ってやってきたとはいえ、流石にそんな事になるのはティアラも嫌だろうし、あいつの両親にだって申し訳が立たない。
だったら、今が別れ時だ。
何となく、あいつが哀しむ顔が思い浮かび、少し胸が痛む。
そんな後悔を白い息と共に吐き捨て、俺は踵を返し、旅立とうとした。
と、その時。
「ヴァラード様」
俺は、背後から聞こえた声に、心臓が飛び出る思いがした。
「ティアラ!?」
咄嗟に振り返ると、そこにはさっきまで気配すらなかったはずの、ティアラの姿があった。
既に服装は冒険者らしいローブに、寒さ対策の長いコートを羽織っている。
満月に薄っすら照らされているあいつは、じっとこっちを真剣な目で見つめたまま、静かに口を開いた。
「まさか、
「い、いや……って、お前、俺が旅に出るって、何時から気づいた!?」
「あの兵士達を見た後からです」
「は!?」
いや待て。
あの時俺は確かに、既にティアラを置いていく決意はしていた。にしたって、そんなのを表情に出してなんていないはずだ。
俺はそう思っていたってのに。
「ヴァラード様はあの後から、私にお優しい目を向けてくださいました。普段、優しい目をしていないという訳ではございません。ですが、普段以上にそれを強く感じた時、きっと
……マジかよ。
こいつはたったあれだけの時間で、俺のほんの少しの気配の違いを見極め、心情を理解し。その上で、俺に付いていく感情を気取られないよう過ごしたってのか……。
共に過ごすにつれ、より強く感じるこいつの凄さ。本人がそこまで理解してるのか分からないが、才能があるってのは、こういう事を言うんだろう。
「さっきまで気配すらしなかったのは?」
「神術、
「って事は、外に出たのはもっと前って事か?」
「はい。三十分程前でしょうか」
「は!? 馬鹿野郎! 風邪でも引いたらどうする!」
「貴方様に置いていかれるより、余程ましでございます」
俺があいつの前に立って一喝しても、ティアラは揺らがない。
流石に寒さが堪えているのか。あまり顔色は良くない。そりゃ、こんな寒い夜に、外向けの格好とはいえ、動かずじっとしていたんだ。身体もかなり冷えているはずだ。
「……どうしても、付いて行く気か?」
「はい」
一度そう短く答えた後、彼女は少し申し訳なさそうな顔で目を伏せる。
「……私は、貴方様と違い、無償の愛などとは程遠い、我儘で迷惑極まりない女にございます。ですが、貴方様がメリナ様を失いたくなかったように、
静かにまた顔を上げ、俺と視線を交わすあいつにあるのは、決意と覚悟。
「ですから、どうか
姿勢を正したまま、すっと頭を下げるティアラ。
……ったく。
俺は少しだけ頭を掻く。
自然と口を
……誰かを失っても、想い続けた成れの果てなんざ、決していいもんじゃねえからな。
天然なのか、策士なのか。
もう、そんなものはどうでもいい。
結局、一時的にでもこいつを預かると決め、ここまでの事を見越し、覚悟ができなかった時点で俺の負けだ。
頭を下げたまま、顔を上げないティアラに肩を竦めた俺は、歩み寄りながら羽織っていたマントを脱ぐと、彼女のコートに重ねてやる。
予想外だったのか。あいつははっと顔を上げた。
「ティアラ。こんな所で風邪を引かれたら、それこそ足手まといなんだがな」
「あ……」
その言葉を聞き、しまったと言わんばかりに口を手で覆う彼女の反応に、俺は呆れ笑いを見せてやる。
「いいか? 二つ、約束してくれ」
「……何でしょうか?」
「まず、俺はお前が思う以上に身勝手だ。勝手に行動し、勝手に気を遣い、勝手に離れようとするだろう。一緒にいたいってなら止めない。が、そうしたきゃ、お前が必死で付いて来い。いいな?」
「はい。もうひとつは?」
俺は、まるでさっきのあいつの反応を再現するかのように、一旦視線を落とす。
「……俺がそう口にした時だけでいい。俺が信じろと言った時だけは、俺を信じてくれ」
「ご安心下さい。
「確かにそうかもしれない。だが、今日みたいに疑って掛かるべき時だってある。それに、お前はさっき、自身が無償の愛とは程遠いって口にしただろ。それは、想いが揺らぎ。疑いを持つ事があるかもしれないって言ってるようなもんだ。ま、五英雄だかなんだ言ったって、相手は結局盗賊。常に疑ってかかるくらいが丁度いい。……が、俺が信じろと口にしたその瞬間だけは、俺を信じてくれ。頼む」
──「はん! そりゃそうだよな! 俺は仲間である前に盗賊。こんな大事な時だからこそ、この力だって信じられねえんだろ! ……ま、それでいい。盗賊なんか信じなくてもよ。だが、仲間ごっこはここまでだ。俺は独りで勝手にやる。だから……お前らも勝手にしろ!」
……昔、仲間に信じてもらえなかったあの日を思い返し、唇を噛みそうになるのを必死に堪える。
結局、あの決戦の時から、俺はずっと怯えてるんだ。
人に信じてもらえず、裏切られたと感じる事を。
顔を上げ、じっとティアラを見ながら答えを待つと、
「……はい。承知しました」
彼女は小さくこくりと頷いた。
事情を聞く事もなく、さも当たり前のように。
「……よし。じゃ、まずは部屋に戻るぞ。出発は明日の早朝。それまではしっかり布団で温まれ」
「はい。あ、ですがまたヴァラード様が勝手に独りで出て行かれるのは、流石に心配にございます。ですから……その……」
笑顔から一転、少し恥ずかしげな仕草を見せたティアラが、ぽそりとこんな事を言う。
「床を共にし、温めては……いただけませんか?」
「……はあっ!?」
こいつがそんな事を言うなんて思ってなかったもんで、反応が遅れたじゃねえか!
急に何を言い出してやがるんだって!
「ば、馬鹿言ってんじゃねえ! ちゃんと明日の朝、一緒に出発してやる。俺を信じろって!」
「……ふふっ。はい。信じております」
……こいつ。
ふざけた振りして、この言葉を引き出しやがったな。
顔を真っ赤にしながらも、俺の言葉に嬉しそうにはにかんだティアラを見て、一本取られた俺は、ただ頭を掻くことしかできなかった。
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