第二話:告白と独白

 真剣ながら、流石に口にした言葉のせいか。ティアラの顔は真っ赤。

 ……まあ、その勇気だけは褒めてやる。

 だが、そんなんだから、お前はダメなんだよ。


「おいおい。まさか、あの時助けてもらったのが理由だとか言わねえよな?」

「え? あ、その……それでは、ダメなのでしょうか?」


 突然の俺の言葉に、ティアラが思わず俯き上目遣いになると、恐る恐るそう尋ねてくる。

 ったく。思わず俺は頭を掻く。


「ダメに決まってんだろ。お前はライトみたいになりたいのか?」

「い、いえ。そんな事は……」


 あいつのわがままに振り回されただけあって、流石のあいつもこの例えには、俯き目を泳がせる。


「いいか? あいつの失敗は、相手を大して知らぬまま、あっさり心を許した事だ。今のお前は、それと同じ過ちを冒してるんだぞ?」

「そんな。あの時のヴァラード様の優しさは、紛れもなく本物にございます」

「何が本物だ。俺は言っただろ。あれはただのお節介だってよ。あんたがあんな男の浅い恋愛観に振り回され、見世物になってたのが癪に触っただけ。たったそれだけだ」

「それは十分わたくしの事を想ってくださっているではありませんか! それに貴方様は、あの時のわたくしに未来をくださった!」


 俺の言葉に必死に抗おうと思ったのか。彼女が少し前のめりになり、言葉に熱が篭る。


「あの時のわたくしは、ライト様の仰った言葉に絶望しておりました。わたくしにそこまで魅力がなかったのか。わたくしの拙い愛情では満足なされなかったのか。この先どうなってしまうのか。どう答えを返すべきなのか。未来の見えぬ状況の中、戸惑う事しかできませんでした。そこに手を差し伸べてくださった方こそ、ヴァラード様だったのです!」

「だから。お前は誰かに優しくされたら、そいつにホイホイ付いていく気か? そうやって人は騙される。まずは疑う事を知れ」

わたくしだって、そこまで世間知らずではございません! 貴方様が偉大なる五英雄である事も、内にある優しき心も知って──」

「ふざけるな!」


 それまでは、呆れながら話せていた。

 が、俺はたった一言にカチンときて、バンっとテーブルを叩き立ち上がると、思い切り怒鳴り返した。


 あまりの声に、ティアラが愕然としたまま固まる。

 だけど、俺は止まれなかった。

 こいつの口にした言葉を許せなかったから。


 そう。こいつは俺を、なんて口にした。

 こんな


 強い苛立ちから、俺は感情をあらわにしたまま、捲し立ててしまう。


「何が五英雄だ! あの戦いは王都にいるあいつらが何とかしただけ。俺は何もしちゃいない! ただおこぼれに預かって、俺の手に余る称号を得て、あいつらがもたらした平和の中、のうのうと暮らしてるだけの能無しだ! そんな名ばかりの俺を、偉大だなんて言うな! これだけ怒鳴るような奴を優しいだなんて言うな! 俺は大事な奴一人助けられず、大事な奴等を見捨てた臆病者だ! そんな俺が──」


 我を忘れ、ただ己の持つ後悔を、感情のままティアラにぶつけていた、その時。


  ──「いいじゃない。言わせておけば」


 俺の脳裏に急に浮かんだ声に、思わず言葉を止めた。


  ──「誰だって最初は相手を知らないわ。でも、それでも興味を持つって事は、私達が有名になれるチャンスなの。男ならどーんと構えなさい。じゃないと、あなたの魅力が台無しよ」


 忘れたくても忘れられない、優しく、楽しげなその声。

 昔、俺に掛けられたそんな言葉と、白銀の長髪を持つ、悪戯っぽい笑みを向けてくる、神魔術師のローブを着た彼女を思い出した瞬間。

 俺の心にあった、虚しさと寂しさが一気に膨れれあがり、それらが熱くなった気持ちを一気に冷ます。


 口を開けたまま、愕然としているティアラ。

 俺は、たかだかこんな事で、こいつにこんな顔をさせたのか。

 ……くそっ。


 ぎゅっと奥歯で己の感情を噛み殺し、俺は彼女から視線を逸らすと、そのままテーブルを離れ、家の玄関に歩き出す。


「ヴァラード様……」

「……風呂の準備をしてくる。あんたは適当に待ってろ。荷物はそっちの奥の部屋に運べ。今日のお前さんの寝床だ」


 腫れ物に触るかのように、恐る恐る、だけど心配そうに俺の名を呼んだティアラに、俺はぶっきらぼうに指示を出すと、頭を冷やす為、ひとり家の外に出て行った。


   § § § § §


 山々の日暮れは街なんかより早い。

 既に山肌は闇に染まり、空も夕焼けから星空へと変わった頃。

 風呂の準備を終えた俺は、ティアラに先に風呂に入れと短く伝え、裏庭にある風呂場の外の竈門の前に置いた、横にした椅子替わりの丸太に腰を下ろした。


 空気が肌寒さを増す中。パチパチと音を立てる竈門の中の炎。


 火が弱くなったのを見て、一本薪を焚べる。

 新たな燃料を得て、少しずつ大きくなっていく、ゆらゆら揺れる炎。

 それをぼんやりと眺め、流れ作業のように火の番をしていると。


「失礼致します」


 と、風呂場の空いた窓越しに、ティアラの声がした。

 だが、それ以上の会話もなく、あいつが身体を洗い流すお湯の音を時折耳にした後、暫くして、ちゃぽんと湯船に浸かる音がする。


「熱過ぎないか?」

「はい。丁度良い湯加減でございます」

「そうか」


 俺達は短い会話を終えると、また気まずい沈黙に戻っていく。それを嫌う薪が燃える音だけが、沈黙を誤魔化そうと音を立て続ける。


「……申し訳、ございません」


 そんな中。大きなため息が聞こえた後。そんなティアラの言葉が届く。


「……わたくしはずっと、五英雄こそこの国を救った救世主であり、素晴らしい方々だと聞かされ育って参りました。ですが、その裏で貴方様が経験した、話したくない哀しき一面があるかもしれない事に、気を回す事すらできませんでした」


 気落ちした声に、胸が痛む。

 だが、俺はそれを気取られないよう、出来る限り平然を装った。


「お前が謝る事はねえ。ティアラ。あんた、幾つだ?」

「十七にございます」

「そうか。十年前ならまだまだ子供。そして、耳にした事しか知らないのは、至極当たり前の事。感情的になり、そんな当たり前の事に気を回せなかった、大人気ない俺が悪いだけだ。……怖がらせたろ。済まなかったな」

「いえ……」


 短い返事の後、続く言葉はない。

 だが、あいつはきっと気にしているだろう。さっき中途半端に口にしちまった、俺の弱い心を。


 ……ったく。

 俺は頭を掻くと、ふっと苦笑する。


 別に俺は、ティアラに恋心とか、そんなもんは持っちゃいない。

 だが、こいつに勝手に世話を焼いたのは俺。

 それがこいつに下手な感情を持たせちまい、こんな思いをさせたんだ。

 だったら、こっちの口が滑っちまって、下手に知っちまった俺の話を話もせず、苦しめる訳にもいかないか。


「……五英雄に、メリナって奴がいたのを知ってるか?」

「……獣魔王を封じた聖女様でございますよね。お名前は存じております」

「そうか」


 俺はあいつの返事を聞いた後。

 ひとりごちるように、ぽつりぽつりと話し始めた。


「世間的には聖女様。ま、元から同じパーティーの仲間だった俺にとっちゃ、あの何処か悪戯っぽい雰囲気に、聖女らしさなんて感じられなかったし、まだ神魔術師のイメージの方が強い奴だった。ま、術師らしくもなかったけどよ」


 ほんと。メリナの事を思い返しても、やっぱり聖女のようなお淑やかさなんてない。

 ただ、何処か俺を小馬鹿にして。何時も悪戯っぽく笑ってるあいつの姿は、悲観さを感じさせるような事なんてなかったな。


「獣魔王デルウェンが率いた、獣魔軍との戦い。それは、今考えても熾烈だった。それでも俺達は国の為に必死に戦ったが、獣魔王デルウェンは本当に強くってよ。闇神あんじんラーグの加護を得た、傷つけても無限に再生する身体。不死者アンデット顔負けの能力に、王の名を冠するだけある、戦人いくさびととしての腕前。それに俺の仲間も手こずったらしくてな。結局、聖女様の命懸けの封術により、何とか奴は封印はされたが、そのせいでメリナは命を落とした」

「……その時貴方様は、皆様のお側にいらっしゃらなかったのですか?」


 その質問に至ったって事は、あの言葉で勘付いたか。ほんと、頭の冴える奴だ。


「ああ。俺は仲間と離れ、別の戦場を駆け回っていた。だから、俺が知ってるのは、デルウェンが封印された事と、メリナの死に間際の姿だけだ」


 脳裏に浮かぶ、血塗れになった死に間際のあいつの笑み。込み上げる物を必死に抑え、俺は語る。


「俺達は、戦いを終えたら冒険者を辞め、結婚する予定だった。それが、たった一度の決戦でおじゃんだ。しかも、愛し合い、婚約までしてたってのに、俺は仲間との仲違いからあいつの側を離れ、一人単独で行動してた。その結果がこの様だ。愛した奴を護れもせず、信じて肩を並べて戦いもせず。結局、あいつに重荷だけ背負わせ、死なせただけ。……メリナ達共々、俺も五英雄なんて言われちゃいる。が、俺は仲間達とは違う。同じ戦場で、共に最悪の敵と戦う選択をせず、凶報に慌てて奴等の元に駆けつけただけ。……たったそれしか出来なかった、出来損ないの盗賊だ」


 俺の言葉に、ティアラは何も返してこない。

 きっと、口にされた重い現実に返す言葉もないんだろう。


 俺はそう思っていた。

 思っていたのに。


「ヴァラード様は、やはりお優しい方です」


 ティアラは、昔メリナが俺に言ったのと、同じ言葉を口にしたんだ。

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