第2話 二人は視覚効果の怪物に追われる


 さて、ハクハツの個人的な思いをよそに役所の手続きは順調に終わった。

普段は長い時間がかかる筈の手続きも、少女が黒い杖を見せた途端、認可証が渡されたから不思議なものだ。


 そして「行くのは早ければはやい程良い」という雇用主の要望で、役所に向かったその足で、東朱門への道を歩いている。


 道といっても獣道の一つもない森だ、見知ったものでなければ途端に迷う事だろう。知己者であればまず向かう事すら拒むこと請け合いである。


「しかし、随分険しい道だね。舗装された道ひとつないだなんて」

「最近まで禁足地だった場所だからね、おいおい手が出せる訳がない」


 東朱門が美しい外観を持つと噂されながら、観光資源たりえない理由が正にそれだった。


 福祉の充実、時代の変化もあり多少緩和したものの、翡翠町は土着信仰を深く根ざした地区である。

 法的には禁足地ではなくなったものの、長年の意識というのは取り払うのは難しく、以前まで過不足なく暮らしていけた人々にとって、東朱門一帯の認識は 『触れれば祟る神域』であり『虎児のない虎穴』だった。


 だからこそ、ハクハツのような者どもが一部の道楽者にむけ道案内をしていたが、流行の変化によって、それもめっきり減ってしまっていた。


「時代の流れも速すぎると困りものだね」


 少女の言葉も最もだった。風習を生活の一つとして取り入れた人々の方もまだ多い。形だけでもいいから続けている方が多数派だ。

 宿屋の店主など正にその代表例だろうと思う。どれだけ仕事が忙しい日でも、礼拝を欠かすことはなく、その度に人手としてこき使われていたのを覚えている。


 不信人なのはハクハツのような若者が多い。まだ名残りは残っているけど。


「あなたの名前もそうでしょ?その綺麗な白髪、呼び名にするのにもってこいだもんね。あ、伝え忘れてたけど私クロ、よろしく」

「どうも、よろしく」

「名前、こっそり教えてくれてもいいのよ」

「いわないよ」


 朗らかそうな印象があった少女___クロであったが、話していくと中々愉快な人物だった。「生き物の気配もないのはつまらない」と鳥の鳴きまねをしだしたり、街中で子供とかくれんぼしてあっけなく捕まったり、第一印象で感じた冷徹な近寄りがたさとは一転、快活な子供のように感じられた。


 緑葉に覆われた低木から黒髪を隠しきれずにいたときはハクハツもついに吹き出してしまい、すっかり絆されてしまった。


 最初の心配はやはり杞憂であったのかもしれないと向き直る


 前を向いて歩こうとする。


 方角を確かめ、今いる位置を確認する


 そうすると、なにか通常ではちがう、違和感、おかしさのようなものを感じた。





 禁足地に動物はいない。虫、獣、鳥にいたる生き物の全てが避けるように暮らしており、代わりに木や苔がそこらを埋め尽くすように茂っているのが東朱門一帯の特徴である。


 だがどうだ、木の枝が折れている、苔に踏みしめた跡がある。生命の住まう痕跡が僅かだが明確につけられている。

 ハクハツらと同じ見物客という線は薄いだろう。折れた枝は低い位置にしかなく、足跡は人とは思えぬほど歪だ。


 何かがいる。生命の形をした何かが。急速に巻き戻る不安感を抑えながら振り向いた。






 

 ___そこには異形がいた。


 大まかな概形こそ、キツネかオオカミのような四足獣の姿であったが、動物特有の丸みは無く、直線の組み合わせで作られており、自然の摂理に背いていた。体毛もなく、黒く浮き出た輪郭の内に、短く切られた直線が対流している。


 あれはいけないものだ。鈍いハクハツでもすぐにそれが分かった。


 形而上のもの、不認識の存在、神格の領域。そのようなものが今目の前にいるのだと悟った。


「____っ!」


 いままで幾度も通った道だったのに、一度もこんなものに出会うことは無かった。なんでいまさらとも思ったが、明確になっていく死のイメージに押しつぶされ、考える余裕すら失われていく。


 立ちすくんでいたハクハツに少女が手を差し伸べていた。


「手を握って、早く!」


 藁にもすがるような気持ちでクロの手を握り返した。


 荒れる息や拍動の音が耳奥から流れる中、視界に妙な違和感を覚える。

 ついに、まともに目も見えなくなったのかと思うとそうではない。妙な現実感をもって視覚が訴える。


 ハクハツの足元に不思議なものが散乱している。土煙というにはきれいすぎ、鱗粉にしては明瞭な存在だった。


「いい?あれは”視覚効果の怪物”。あなたの足元にある『視覚効果エフェクト』を糧に現実を食い荒らす存在。その中でもスプライトと呼ばれる異形」


 クロが話しかけてきた。息がこぼれる中どうにか声を出す。


「どうすればいい」


「あれに近寄ってはいけない、逃げるの。でも絶対走っちゃ駄目。走ると生まれるエフェクトで、アレは驚異的に速くなる。」


 言われるがごとく、じりじりと歩きながら”視覚効果の怪物”から離れていく。そうすると、四角のようだった足元のエフェクトは波線のような形となり歩くたびに生み出される。

 思ったよりも相手の動きは遅かったが、僅かにハクハツらを上回っており、時間が立つほど近づいていく。


「追いつかれるぞ!」

「跳ねて!スキップするの!ジャンプのエフェクトならアレは取り込めない。足止め出来るかも!」


 言われるままにジャンプする、歩いてジャンプする。それを繰り返す。

 そうすると、ハクハツの足元に渦のようなエフェクトが生み出されだし、それに触れた”視覚効果の怪物”は目に見える程遅くなった。


 「このまま、このまま逃げるよ」


 クロに言われるまま、その動きをし続ける。


 スキップなんていつぶりだろう、しかも少女と手をつなぎながらなんて。

 恐怖を薄らと感じながら、きっと傍から見た自分は凄く不格好なんだろうな、と遠くなる異形を見ながら思った。

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