3-2
賑やかなクリスマスを過ごし、瞬く間に年末ムードへと突入した。
アンド・ア・ハッピーニューイヤー。聞き慣れた歌詞を飾る言葉のとおり、年の締めくくりを祝う日が立て続けにやってくる。煌びやかな聖夜から一転、世間が落ち着いた雰囲気に包まれた。
店先には先取りしすぎた門松、ゆったりとした時間の流れに反し、人々は親戚への挨拶準備や受験就職その他へのラストスパートに追われ、我に返れば阿鼻叫喚だ。
休日を満足に堪能できていない人々を見ると、日本人はやはりブラックな環境に身を置いている、と実感する。
幸い、三上家はそういった忙しさからある程度の距離があった。近い将来の地獄を横目に、比較的穏やかな年末を過ごせそうだった。
居間に降りれば、いつものようにキッチンに立つシスターも、こたつで気だるげにしている妹もいる。仮染めの安寧は、束の間の平和をもたらしてくれる。
クリスマスという楽しいひと時もあっという間に終わりを告げ、三日が経っていた。
……その間、木陰と会うことはなかった。
木陰は魔女である。
そんな信じたくない真実からは、目を背けてしまいたい。
いや、木陰は男だから、魔女ではないか。呼び方としては正しくない。この場合はもっと大きな括りで魔法使いと呼ばなければならないだろう。
そう考えたがしかし、やはり『魔法使い』という呼び方だけは抵抗があって、俺は変わらず木陰と呼称することに決めていた。
とはいえ。
これからどうなるかは、俺にも想像がつかない。
木陰が何を成そうとしているのか、教会で何をするつもりなのか。その後、俺たちは友人のままでいられるのか。そのとき俺は木陰のことをどう呼んでいるのか。
結末なんて、知っているやつはいない。いるとすればそいつは、救いの手を差し伸べるつもりもない薄情な神様か、あるいは命を持たないガラスの魔女くらいのもの。
瞳が映し出す世界からひとつズレたどこかで、今も彼女が悪戯な笑みを浮かべているんじゃないかと、俺はそんな想像を胸に抱いた。
今日も、ペンを動かす。
宝石騒動があった四月。予め予知していたかのようなタイミングで、このノートは送られてきた。
無地。
まっさらに綺麗な白は、雪ほど純白ではない。
罫線もマス目もないため、そこに書き込まれた文字は孤独にも感じられたが、どこか魔法使いが好みそうな雰囲気を感じとる。
一見普通のノートではある。すくなくとも一般人の自分にとっては。唯一不自然なのは、ページがやぶり取られていることぐらいだった。裏表紙から数ページ分、カッターでもハサミでもなく、すこしだけ雑に裂いた跡が残っている。
送り主である魔法使いのことだ、何か意図あってのことかもしれないが――俺にはわからない。ヒントが無さすぎる。
本日は快晴。
最後にそうしたためて、俺は一週間に一度の時間を終えた。
「もうそろそろかな」
時計をみて、独り言をこぼす。
今日は教会で新しいステンドグラスがお披露目される日だ。
もっとも、以前と絵柄は同じためそう大掛かりなわけではない。参加者も三上兄妹とシオン、新凪さんだけだ。
シスター曰く、ささやかな祝いとして外食を奢ってくれるそうなので、おそらく妹はそちらの方が目的だろう。
まるで機を見計らったかのようにどたどたと階段を登る音が聞こえた。
……その騒々しい足音は、三上家では特に聞かない。
俺は何事か、と扉の方へ向いた。
「お兄ぃっ!」
バンッと、自室の扉が開け放たれる。
柄にもなく乱暴な妹に、俺は半身で振り返った。すこしくらい落ち着けないのか、こいつらしくない。
「おい、まだシスターが迎えにも来てないのに、もう少し──」
「違う! ニュース、ニュース見てないの!?」
「……は?」
妹の顔は緊迫していた。
何かに焦るみたいに、取り乱している。
……嫌な予感が、背筋に降りてきた。
『えー、こちら現場からです。ご覧ください、ビルの窓ガラスが辺りに散乱しています。被害に遭った建物数は推定で一四○棟以上とされ、鐘之宮市中心部のほとんどが危険な状態へと陥っています──』
ふたりして、呆然としていた。居間のテレビを前に立ち尽くしていた。
画面の向こう側では、見覚えのある店や建物が映し出されていた。通学駅から歩いて数分もすれば、俺たちはリポーターの前にたどり着ける。
建物のどれもが、騒然としていた。黄色いテープが貼られ、周囲に近づくことはできそうにない。テープの内側では、ヘルメットを被った大人がホウキなどでガラス片を集めていた。
田舎とはいえ、中心市街地はそれなりに発展している。山の麓とはわけが違うのだ。五回建以上のビルくらいならいくらでもあるし、何ならちょっとしたショッピングモールもあったはずだ。
画面が切り替わった。
今度はスタジオで、超常現象研究家や気象関係の専門家がコメンテーターとして顔を合わせ、議論をはじめた。
一般家屋はもちろんのこと、高層の建物は一階から五階まで一斉に割れ、破片の雨が降り注いだという。
意見として、突風や気づかないほど微弱な揺れなどが挙げられていた。歌声によってコップを割る周波数の例えなんかも飛び交っていた。
だが、俺たちはそんなことなどどうでもいい。もっと単純で可能性の高い原因を知っている。ガラス関連の騒動となれば、必然的に『彼女』と結びつけることができた。
「こ、これ……あの人、じゃない、よね……?」
こちらの顔色を伺うように、妹が訊ねた。
そこには若干の怯えも感じられる。言葉に詰まって、そりゃあそうか、と今になって思い至った。
ガラスの魔女は、死んでいる。
俺は生前に仄めかされていたし、「もしかしたら」なんて考えていたし、なんなら宝石騒動で体験している。ガラスの魔女は復活しかけた。いや、正確には復活とはほど遠い結果に終わり、ニセモノは消え去ったのだけど。
それでも、非日常であることには変わらない。
妹のように事情を全く知らない者にとっては、恐怖すら抱くだろう。
──死んだヒトが起こしたとしか思えない事件。
舞台は鐘之宮市で、ガラス関係の騒動。
悪い想像が、生き返った彼女を連想させるのは容易だ。ここまで大規模に事をやってのければ、復讐かなにかと勘違いしても仕方がない。
死者が蘇ることは、とても怖い。そんな当たり前のことを、俺は今更になって理解した。
平静を装って、否定した。
「大丈夫、彼女じゃない」
「でも」
「心配するな。俺はわかってるから」
「ほ、ほんと? じゃあどういう、」
「それは言えない。けど、魔法使いじゃあない。それは確実だ」
「……」
黙り込む妹。不安そうに顔を俯かせた。握ったテレビのリモコンが、きゅ、と握られる。
……無言で、頭に手を置く。
普段の妹であれば振り解くだろうに、この時だけは抵抗しなかった。なんだか昔に戻ったみたいだ。
俺はテレビの画面を睨むように、目を細めた。
別の気がかりが、張り詰めた緊張感を与える。もはや犯人など探す必要もない。俺からすれば、分かりきった問題提起だ。クリスマスからずっと尾を引いていた予感が、悪いカタチで現実となっているのだから仕方がない。
発生は予想できていても、中身はどうしようもないのが難点だ。俺が魔法使いだったなら、どうにかできていたのかもしれないが。
くそ、と心の中で焦る。そして「なぜ」が幾重にも重なって、頭を埋めた。
耐えられなくなり、心の奥で届きもしない言葉を投げかける。今どこにいるかも知らない彼に向かって。
何をするつもりなんだ、と。
そのときだった。
──どさり。
背後から響いた音に、妹が肩を震わせた。
飛びついてきた頭を軽く押さえて、振り向く。瞬時によぎった彼女の亡霊は、やはり妄想だ。ホラー映画なら件の魔女もどきが現れるところだが、そうはならない。
「……」
居間の入り口。足下にトートバッグを落としたまま、唖然とするシスターがいた。教会でお披露目を控えていたためか、装いは聖職者のもの。ただし、頭につけるヴェールだけが外され、信じられないとばかりに立ち尽くしている。
見開かれた視線は、無感情に流れる報道へと注がれていた。
「ミノリ、ちゃん?」
「……」
「あ、の。聞こえてる? よね……」
妹が目の前で手を振ると、シスターはその手を払い除けて、おぼつかない足取りでテレビへと近づいた。
部屋は、無音のままだ。ガラスの散乱した惨状が、電波に乗って雑音となっていく。力なく垂らされた手のひらが、「信じられない」という心情を物語っていた。
妹の不安げな表情が、俺を見上げた。静かに首を振ると、一歩後退。固唾を呑んで見守る体制になった。
無言で見つめる背中に、近づく。
シスターにとって、魔女がそれほど大きな存在であったとは思えない。いや、たしかに特殊な関係性であることには違いないのだけど、こんなに我を忘れるほどではない。
それでも、ここまで取り乱すほどの事件、と考えると、嫌でも答えに行き着いてしまう。
否、答えなんてとっくに提示されていた。
こんなもの、答え合わせにも及ばない。
「シスター」
「……」
ニュースは変わっている。が、それでも報道内容は同じだ。
相変わらず、
「おい、シスター」
肩に手をかけた、その瞬間。
「みの──」
「やめてくださいッ!!」
軽い痛みが走った。振り払われた手を下ろして、俺は言葉を失う。
悔しげに引き結ばれた口元。わなわなと震わせた肩。そして、目元から流した涙。
切実な感情をこれでもかと溢れさせながら、シスターが叫ぶ。
「だからあのとき言ったじゃないですか! 後悔するって!!」
「──」
キン、と室内に声が響いた。びくりと、妹が縮こまる。かつて、これほどまでに感情を露わにしたことがあっただろうか。
宝石騒動の最中、夜中の教会で対面したときよりもよっぽど強く、まっすぐにぶつけてくる。
放たれる言葉は、きっと今までのどんな罵倒よりも鋭利だ。
「ずっと昔からそうだったんです! 魔女が関わるたびに、私の人生は狂わされていく! ほんとなら今頃、今ごろ……ッ、」
言葉を切って。
それでもなお、止め処なく痛みは流れ出る。
「私だけじゃない! 彼までもが人生をめちゃくちゃにされた! 価値観は歪む! 生き方は
「……それでも、」
「それでもなんですか! 自分で選んだ道だとでも言いたいんですか! ふざけないでください! そんな綺麗事で片付けられるほど、私たちは強くないんですよ! わかりますか、あなたほど立ち直る強さはないってコトです!!」
今まで溜め込んできた分、ソレは留まるところを知らない。
シスターの罵りは、向けられて当然の台詞だった。若干の立ちくらみを覚えるほどに、それは深く胸に刺さる。
シスターは膝から崩れ落ちて、どこかで世を騒がせる彼を嘆く。やはり、彼女は全ての元凶を
「出会わなければ……出逢わなければ、こんなことになんてならなかった! 彼が道を踏み外したのは、全部魔女の
顔を覆った手のひら越しに、涙声が訴えた。
「ガラスの魔女に関わったヒトは、みんな不幸になる……私も、彼も、あなたでさえも……!」
俺は見下ろしたまま、自分を抑えつける。
──すべてはわるい魔女の所為なのです。
ああ、たしかにそりゃあ正解だ。反論の余地もない。
温厚なシスターにここまで言わせる魔法使いの影響力を、俺は誰よりも知っている。『彼女を生き返らせる』などという大義めいた呪いを背負っているのだから当然だ。
優しいからこその嘆きと罵倒。
俺はそれを真正面から受け止めた上で……やはり魔法使いを諦めきれなかった。だから、根本的なところで、俺とシスターは対立している。ずっとその感覚が意識の奥底にへばりついて離れなかった。
シスターから吐露されるのは、至極当然の台詞ばかりだ。耳に痛い。
「それでも。俺は意志を曲げるつもりはない。あの日と同じ結論だよ」
「他人を巻き込んでまで後悔するというのですか! あの日と同じ結論で!」
「そうだ」
「ッ、……どうしてッ、生き返らせるんですか! あんな……、」
彼女は一瞬だけ躊躇して。しかし言い放つ。
「あんな、化け物じみたヒトなんかを!!」
思い出の写真に、ナイフを突き立てられた気分だった。
魔法使いを揶揄する声。
生前になかったわけではない。なのに、シスターに言われるとグサリと音を立てるほど痛い。
俺たちは現実を生きている。地道に努力して、毎日を血反吐を吐きながら乗り越えるしかない存在で。たったひとつの片想いでさえも、遥か彼方の星々だ。それをひとっ飛びできる異端性を、無視なんてできやしない。
しかし、頭ではわかっていても、本能が否定した。
生きる世界が違う?
存在そのものが化け物じみている?
はっ、百も承知な前置きだ。すべてを受け入れてでも、俺は手を伸ばそう。例え恵まれない結末が待っていようとも。
あの日、雨の教会で対話したときと同じ答えに、胸を撫で下ろす。
脳裏に、かつての魔法使いが笑みを浮かべた。
苦い痛みにも似た思い出が迫り上がってきて、それに堪えた。知れば知るほど、思い出を辿ればたどるほど、ガラスの魔女は孤独だった。ひとりくらいは道連れがいてもいいじゃないかと、どこかの誰かへ言い返す。
声にならない、弱々しい反論だった。発してしまえば最後、シスターと友人でいられる気がしない。致命的な溝を生んでしまう気がした。
「……やめてよ」
はっとした顔で、シスターが顔を上げた。俺も声の主を振り返る。
悲しげに表情を曇らせながら、妹がシスターを見つめていた。リモコンを握る手が力んでいる。恐怖を押し殺す仕草で、妹がか細く語る。
「あの人のこと、そんな風に言わないでよ……」
あまりに予想外な乱入で、困惑する。
俺が魔法使いを生き返らせようと知ってもなお、擁護してくれるなんて、こいつにしては意外すぎる。
「ミノリちゃんの言うとおり、魔女さんは特殊だったよ。普通じゃないし、関われば色々とあるのはわかるよ」
「なら……!」
「でも、私、あの人より優しいヒトを知らない」
「──、そんな、」
ことない、と続くはずの言葉は、か細くなって、シスターは押し黙った。
「ミノリちゃんにはわからないかもだけど。今の私たちがちゃんと家族をしていられるのは、魔女さんがいたからなんだよ。あの人の不器用な親切心が生んだ生活なんだよ」
シスターが妹の顔を見上げた。真っ赤な目元と痛切な表情で。そして、なにか核心を突かれたかのように俯く。
妹は俺に向かって、問う。
「お兄ぃ、隠しごとしてるでしょ」
突然なんだ。俺は眉根を寄せた。
「あいにく、隠しごとが多すぎて」
「どれのことか分からない? それともはぐらかしてるのかな。お父さんのことだけど」
言われて、そうか、と納得が降りてきた。
妹がニュースをみて取り乱したのは恐怖ゆえではなく。さらに言えば、魔法使いを擁護する理由も理解できてしまった。
魔女より優しいヒトを知らない。
その表現は的を射ているのだろう。魔法使いはとても隠すのが上手い。悩みも親切心も、あらゆる行動をイメージで上書きするのが魔法使いだ。
俺を連れ回すあの日々は、避けられない『死』の怖さを紛らわすつもりだったのかもしれないと、今なら思い至る。が、それを彼女はいつだって、持ち前の性格で誤魔化していたのだから。
妹は、当時の魔法使いの言動が、功績を誤魔化すためのものだったと、
「さすがに気づくよ。お兄ぃと魔女さんがやってくれたんでしょ?」
脱力した指が、わずかに震えた。
妹が自身の頭を指差して、泣き出しそうな笑みを浮かべた。心の芯に痛みを伝えた。
誰にも知られていなかった二人だけの秘密が、明かされる。妹は記憶の齟齬と、その原因たる人物を悟っていた。すこし考えればたどり着く答えだ。そも、妹が魔法使いと面識があった時点で、違和感を抱くべきなのだから。
今まで気づかれなかったのは、魔法のお陰というわけだ。それが、今は解かれているけれど。
その事実に、俺は引き攣った笑みで平常心を装うことしかできない。きっとひどい顔をしている。鏡もみたくない。
「何があったのかは聞かないよ。お兄ぃたちがそこまでするんだもん、きっと悪意はないだろうし」
「そりゃあ……助かる」
妹は苦笑して、うずくまるシスターへ目を配った。
「お兄ぃ、あの人のこと、生き返らせたいんだ」
「……怒るか?」
「……怒るよ。でも、最後には許す。それがホントにあの魔女さんであれば」
「いい、のか」
「お兄ぃが前を向くために必死なのは、見ればわかるから。大切なんでしょ、魔女さんのこと」
ああ、と声が漏れた。
自然、本心が返事をした。そこへ、否定の声が紛れ込んだ。
「――ません」
ボソリと、シスターがうめく。
「わかりませんッ!!」
「ミノリちゃん……」
よろりと立ち上がり、シスターが目元を袖で拭う。赤く腫らした目元で、俺たち家族を睨んだ。瞳の奥はかつてないほどに、困惑で揺れていた。
「理解できません! ガラスの魔女も、あなたたちも、自分自身も……!」
ヅカヅカと三上家から出て行く。
財布も何も持たず飛び出していく背中を、俺と妹は追いかけることができなかった。
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