三章 もう本心を誤魔化せない。

3-1

 寝不足を文字で紛らす。

 シャーペンが紙ごしに叩く音を耳にしながら、一心不乱に手を動かす時間が流れた。時計の針がまた一歩を刻み、そのたびに焦りが支配した。最終日といえど、教室は冷たい戦場であることに変わりはなかった。

 だれもが問題を解いていく最中さなか、俺は付け焼き刃の知識を総動員して、ときには面倒な問題を飛ばして埋めていく。

 すこし。

 すこし、またすこし。

 記憶を辿るように、焦燥に追い立てられるように手を動かして。無意識に筆圧が強くなって──


「はい、後ろからあつめてー」


 教師の声に呼応して、チャイムが鳴り響いた。

 自分を含めた生徒皆から、盛大なため息がこぼれた。弛緩する空気の一員となって、俺もペンを置く。

 かたり、手の重みから解放される。

 解答用紙を集めながらも、口々に交わされる安堵の声。あるいは薄っぺらい絶望の感想が、けれど今は心地よかった。

 背もたれに体重を預け、何の気なしに窓を眺める。

 冬の寂しげな枝が、ベランダまで腕を伸ばしていた。その向こう側に広がる空模様は今日も一定、灰色とも白色とも言い難い、微妙な色を保っていた。


「なぁなぁ、加塚たちとカラオケいくんだけどさ、お前もどうだ?」

「まじ眠いー。テスト中、気ぃ失ってたかもー」

「問三の六の答え、eだよな? な! よかったぁ!」

「まぁいいんじゃね? 今はテストよりクリスマスだかんね」


 午後は答案用紙の返却にあてられる。学生にとっては半分気楽な授業になるだろう。今年の最後に待ち受ける最後のモンスターを倒したのだから、浮かれるのも無理はない。


「……」


 騒がしさに包まれ、空気に合わせる気にはならない。黄昏るように、時が流れるのを待っていた。

 喧騒が、不思議と耳に届かない。緊張の糸が途切れた反動に違いない。こんな、クリスマスに対する高揚感と呼ぶにはほど遠い、些細な気の緩みは。


 黒板に大きく書かれた、白い制限時間。

 黒板消しがおうぎ形の跡を残して、さらっていく。燻っていた圧迫感が、また薄れていった。


 ああ、ようやく向き合える。

 気になっていたことに、ちゃんと思考を向けられる。


 俺は目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。

 帰宅時間にはまだだろうけど。きっと夜には、また雪が降る。

 最近の天気予報は、ウソをつかない。






 今夜はクリスマスイヴ。

 社会人も多くの人が仕事納めになる。年中働き詰めだった母も、今日はうきうきで帰ってくることだろう。妹は誰よりもはやく帰宅して、シスターと料理の準備に取りかかっていた。普段はしないくせに、こういうときに限って手が早い。シスターも参加するとなればなおさら張り切り、まだ夜に入りきっていないのにキッチンに立つ。

 こいつ友達いるんだろうかと、ひそかに心配をする。

 学校の女子の多くは、カラオケなりショッピングなりを計画していた。妹が遅くまで出歩かないのは安心だけど、孤立しているのならそれはそれで考えものだ。

 しかし、そんな兄の杞憂を、妹は簡単に吹き飛ばす。


「お兄ぃ、ケーキ屋行ってきて」


 徐々に漂う食べ物の匂いに吊られ、様子見がてら降りてきた俺に、かけられた第一声がそれだった。

 帰宅して蒼矢サイダーを飲み、ようやく落ち着いてきたというのに。夜の気配が増していき、部屋の明かりも点いた時間帯、夜道を歩きケーキをとつてこいと命令が下る。

 不満げな反応をするも、妹は腰に手を当て、シッシと急かす。

 もうちょっとお疲れ様とかメリクリとかないんだろうか。これでも一年間頑張ったと思うんだよ、俺。


「はいこれ。受付番号。引き換えだからなくさないでよ」

「まぁいいけど……他に買ってくるものは?」

「ない。あとはお母さんが買ってくる」


 へー、と適当な返事をすると、妹はすぐさま踵を返した。

 居間と玄関の境目に立ち、居間に隣接したキッチンを眺める。向こう側は温かな生活の空気に包まれていた。キッチンで鍋をかき混ぜる妹に、まな板上で包丁を動かすシスター。

 ……働かざるもの食うべからず、ということか。

 今年の三上家は例年よりも賑わいそうだ。

 シスターという新たなゲストも参戦しているのだ、妹だって当たり前に喜んでいる。張り切るのも無理はないかもしれない。一年間という奮闘を乗り越えた彼女らにとって、今日は労いの日。羽目を外すのもお構いなしに楽しもうという意気込みを感じる。

 玄関で靴を履きながら、ふと思い出したように背後をふりかえった。

 楽しげなシスターと妹の話し声が聞こえる。居間と隔てる扉の手前には、別の個室がある。引き戸は今日も、静かに口を閉じている。

 俺は笑みをこぼし、前へ向きなおる。今は考えるべきじゃない、と思考を切り替えて。


「湿っぽいな、今年の冬は」


 ぎゅ、と片方の靴紐を結ぶ。

 今年もいろいろあったけれど、やはり一番の出来事は宝石騒動ではないだろうか。

 なにせ二年間も待ち望んだ出来事だ。それも哀しい結末で幕を閉じた。俺は平然と日常を謳歌おうかして、何気ない毎日を過ごしているけれど。ふとした瞬間に、彼女の面影がよぎってしまう。

 本来であれば、俺は生きる希望を失って、無気力になっていてもおかしくない。それこそ、シスターが危惧していたように。しかしそうなっていないのは、自分の諦めの悪さと、それを支える儚い面影のお陰だ。

 ニセモノであろうと、魔女は魔女。

 『魔法使いである』という事実は深く、濃く傷を残していったのだ。

 微かな予感を再確認しながら、俺は外へと繰り出した。



◇◇◇



 予報のとおり、夜道は雪が舞っていた。

 まだ積もるほどではないが、薄らアスファルトに白色を残すくらいには降っていた。

 踏み出すたびに、跡が残される。たどった道路の脇を点々と。

 立ち並ぶ住宅街はいつもより明るい。中にはイルミネーションがはみ出しているところもあって、冬の彩りが瞬いていた。

 ケーキ屋は駅とは反対方向に位置する。つまり、教会のまえを通って人通りの多い方へ抜ける必要があった。

 もはや通い慣れた坂道を上りながら、いつものように思考した。スマホに送られてきた情報屋の調査概要をさらりと読んで、またポケットに突っ込んだ。

 いつもよりクリアな感覚に、すんなりと入り込む。期末試験という重荷がなくなったからか、自然とヒントを整理できた。

 ステンドグラス。

 垣間見た人影。

 木陰とシスター。

 理由と原因。

 ガラスの魔女。

 わかりきった問題が浮かんでいる。でも、それをどう解決すべきなのかが、目下考えなければならないことだった。

 きっとこれは、俺へ向けられた騒動だ。

 最初からそうだった。

 ステンドグラスを割った意味は今も不明だけれど、魔法使いの隠れみのを使ったのはあまりにも直接的だ。他でもない俺自身を標的にして、事は動いている。

 そう考えると、すこし不愉快だ。

 俺を標的にするのはいい。何かを伝えたいのだという意思も感じられる。それも構わない。


 だけど──

 魔法使いを利用したことは気に入らない。


「……ん? あれは、」


 坂の途中、気配を感じた俺は、足を止めて前方を見上げた。

 ちょうど教会の前あたりに、誰かが立っていた。静かに教会を眺めていた人影は、こちらに気づく。白いブラウスの上に、紺色のカーディガンを羽織り。はためくスカートから覗く肌が、氷のような生気を醸し出していた。

 見覚えがある。

 引き結んだ口元も、色素の薄いその髪も、みぞれを踏みしめる編み上げブーツも、特徴的な魔女帽子も。

 視線の先に立つ彼女と向かい合って、音が途切れるのを意識した。足音がなくなれば、耳をつくものはなにもない。ただしんしんと降る雪を、闇に慣れた瞳が捉えていた。

 彼女が右手に持っていたのは、寒さを助長するかのような炭酸だ。緑色のラベルに青い矢が印刷されていることを、俺はよく知っている。


 ……似ている。

 だけどまるきり別人だ。


 先に立つ彼女は、宝石によって再現されたニセモノ。比べるべくもない。博物館の展示品を真似たみたいな造形だ。

 ポケットに突っ込んだ手を軽く握った。

 吐いた息が、白く空気に消えた。

 ぽつんと立った街灯の光が、彼女の顔に影を落とす。周囲は変わらずもの静かだった。不自然なくらいに寂しかった。都会ってわけでもないし、クリスマスの夜といえば実際そんなものなんだろうけど、やはり他人の気配は極限まで遠ざけられている。


「……」

「……」


 距離を縮めていっても、互いに言葉はない。

 俺はじっと彼女を見つめて、彼女はじっと俺を見つめ返している。表情がうかがえなくとも、視線が注がれていることだけは肌で感じる。

 考えても始まらない。

 今更捕まえようとも思わない。

 俺は無言で、坂を上りはじめた。

 音を立てるほども積もっていない道を、一歩一歩踏み込んでいく。しかし、佇んだ人影は逃げる素振りを見せない。それどころか、待っていたかのように身体を真っ直ぐこちらへ向けた。

 敵対する意思がないことは、すでに伝わっている節があった。

 振り返れば、綺麗に足跡が残されていることだろう。しばらく人通りがなかったこの坂は、絹を敷いたみたいな雪が、薄く張っていたから。

 すこしだけ見てみたいと思いつつ、俺は魔女と対面する。いくらニセモノにも届かないハリボテだからといって、他に気を回す余裕を、俺は持てない。自分という生き物を説明しようとすれば、根幹には魔法使いがいる。経緯がどうであれ、事情がどうであれ、出会ってしまったのならそれが運の尽き。彼女は死後も、こうやって関わり続けるのだ。

 手を伸ばせば触れられる距離になっても、やはり彼女はそこにいた。

 どちらとも、なにも言わない。

 魔女帽子の下、記憶を真似た色合いの髪が覗いている。微動だにしないところはマネキンを思わせるが、吐息が白く漏れていた。

 少しは表情を拝めるだろうか、なんて小さな期待は裏切られた。影に覆われて、その相貌は隠されていた。

 舞い落ちる雪の中。

 音の途絶えた坂の上。

 俺は彼女に、ひそやかな声音を差し向ける。


「メリークリスマス」


 数秒の間を挟んで、魔女帽子が小首を傾げた。しかしすぐに、見間違いかと思うほど小さく頷きを返してくれる。言葉の意味が伝わらない、という訳でもないらしい。

 俺は真っ暗な教会を一瞥して、訊ねた。


「君は、寒くないのかな」


 また、数秒の沈黙。直接的な疑問を避け、遠回しな問いをしたことに呆れているのだろうか。いや、元より言葉なんて持ち合わせていないのかもしれない。視線を投げて、彼女に応える素振りが見られないことを確認し、俺はひそかに嘆息した。

 ……ケーキ屋は、何時までやっているんだろう。

 急がないと、受け取りそびれてしまう。だけど、どうしたって膝は動かない。不完全にすぎるこの瞬間を見逃せない。

 まあいいや、と俺は呟く。なんだか遠回しに話すのは煩わしくなってきて、今度は直接的に、核心を突いてみた。


「君は、もしかして──」


『ピリリリリリリリリリリリ──!!!!』

 突然鳴り響いた着信音に、思わず「うおっ」と声を漏らしてしまった。音の発信源が自分のズボンであることに気付き、慌ててスマホを取り出す。

 着信音はすぐに鳴り止んだが、通知画面を眺め、眉根を寄せた。

 ……マナーモードにしていたはずだ。こんな大きな音で鳴るはずはない。

 ともかく、応答は後回しだ。今はそれよりも優先すべき状況だった。もしかしたら、ステンドグラスを割る目的を聞き出せるかもしれない。

 しかし。


「……、あれ──」


 前に向き直った俺は、もはや驚きもしなかった。

 さっきまでそこにいたはずの彼女は、綺麗さっぱり存在を消していた。音もない。前触れもない。ただ忽然こつぜんと。視界はただ静かに、何事もなかったかのように、雪を空から散りばめていた。

 自分の中の朧げな考察が、徐々に確かな輪郭を備えていく。

 白にくっきりと残った足跡だけが、夢でないことを伝えていた。


「ま、いいか」


 明るく照らす携帯の画面に目を落とす。

 すでに呼びかけ音は途切れているが、履歴にはしっかりと名前が表示されていた。

 きっと、彼ならこの考察を評価してくれることだろう。

 今度はこちらから電話をかけた。



◇◇◇



「や」


 片手を掲げて、木陰は挨拶した。

 教会が建つ丘を越え、件のケーキ屋へやってきたところで、彼は自動販売機を背に待っていた。

 小ぢんまりとしたケーキ屋は変わらず明かりを灯していて、忙しく営業を続けているようだ。普段は人通りも多い道だが、交差点の反対側に佇むコンビニには車が二台しか停まっていない。

 世間の人々は、今頃自宅で楽しいひとときを過ごしていることだろう。

 木陰の待っていた場所は、その外側にひっそりと設けられた休憩所だった。具体的には、ケーキ屋の駐車場に隣接した公園。今まで二度三度目にしたことはあれど、踏み入ったこともない、申し訳程度の公園だ。低い柵の内側には、鉄棒しかない。

 木陰は顔を合わせるなり、手に持ったなにかを放り投げてくる。それを受け取って、小さく感謝だけを述べた。こういうとき、彼は金を受け取ってくれない。

 冷えた身体にココアはとても染み渡る。マフラーの隙間から吐息をこぼして、俺は傍らの鉄棒に背を預けた。


「良い夜だね」

「とても静かで、な」


 目の届く範囲にあるのは、見知らぬ家庭の明かりだ。一台だけ、コンビニに車が入っていく以外は、まさしく無音だった。

 雪が降り積もっていくごとに、音は吸収されていく気がする。


「君は楽しんでいるかい? せっかくの聖夜だ」

「ほどほどに。そういう木陰は、今日も絵か」

「あはは、バレた?」


 お汁粉の缶を握る手に、緑の絵の具がついている。記念日だろうと、彼の行動は変わらないらしい。

 木陰はファー付きのジャンパーで、鼻の頭を赤くしている。でも、身を震わせるほどの寒さではなさそうで、至って普通の雰囲気だった。

 すこしだけ話さない? という提案があったのが、つい数分前のことだ。

 木陰の自宅からここまでそう遠くはないらしく、見渡すと近くに自転車が立てかけてあった。

 つまり。そうまでして話したいことが、今の彼にはあるということ。もしくは、そうまでして話したがっている俺の内心を、汲み取ったか。

 ……すこしだけ考えて、後者ではないかと結論をだす。

 俺はもう一口ココアの甘さを味わって、おもむろに口を開いた。


「なぁ木陰」

「うん?」


 ずず、と木陰も缶に口をつける。

 空気感は、いつもと変わらない。木陰がいて、俺が来て、昼休みの数十分を過ごしていたあの日常と、なんら変わらない時間が刻々と流れていた。舞う雪の遅さが経過を遅れさせ、まだしばらくこうしていられるんじゃないかと錯覚する。

 けれど、そうはならない。


「なぜシスターの告白を断り続けるんだ?」


 木陰が、また口を近づけていた缶を、ぴたりと止める。ゆっくりと下ろして、含み笑いを滲ませながら返される。


「今日はまたずいぶんと君らしくないね。直接的で、有無を言わさない問いかけだ」

「なんでだろうな。クリスマスだからじゃないか」

「あはは、それもあるかもね。でもボクが思うに、君は今年の春からおかしかったよ」

「春から、ね」


 宝石騒動があった時期だ。半年以上まえ。思えば、あの日から木陰は俺がいつもと違うことを見抜いていた。

 俺は、いけない、と思考を修正する。

 ウチでケーキを待ってる妹がいるんだ、遠回しに話すほど薄情ではない。気を取り直して話を戻した。


「美術室で絵をみた」

「……へぇ」


 木陰は静かに微笑んでいる。

 やはりか、と予感が的中した。


「わざとだな」

「まぁ、そろそろ潮時かと思ってさ」


 人気のない美術室。隅に置かれたキャンバス、かけられた布。繊細で力強いタッチのその絵は、ひとりの女の子を描いた作品だった。

 無銘の絵画。いち学生が描きあげた、たった一枚の人物画。それは、息を呑むほどに魂が込められ、目にした者に感情を伝播させるほどの魅力を宿していた。

 木陰が、寒空を見上げながらつぶやいた。


「本人に許可はもらってる」

「どうしてシスターを描いた?」

だよ」

「……」


 あっさりとした物言いにすこしだけ驚愕して、となりを見やる。

 木陰は変わらず、口元を綻ばせたまま、吐息を漏らして空を見上げていた。


「ミノリは、ボクの人物画の最初のモデルになってくれた。それ以来、他に誰かを描いたことはないよ」

「そういえば、基本的に木陰は景色ばかり描いていたな」

「そうだね。そういう意味でも、別の意味でも、ボクにとっての彼女は特別だ」


 木陰が一口、ココアを味わう。


「彼女がボクを好きでいてくれるのは、とても嬉しい。告白だって、毎回思い悩んでいるんだよ。これでも」

「なら、なぜ受け入れない? そうまでして頑なに受け入れない理由はなんだ。俺には理解できない」

「……そりゃあそうだ。ボクは君に、秘密にしていることがあるから」


 秘密。

 言葉にせず、胸の内側で反復する。俺にとって、『木陰』という人間は秘密だらけの存在だった。突き詰めて言ってしまえば、魔法使いよりも底がみえない。

 神出鬼没なところとか、妙に全てを見通しているかのような佇まいとか、常に悠然とした態度とか、目的があやふやな行動とか。正直、わからないことだらけだ。

 そんな風に、客観的にみた自身の在り方を、木陰はおそらく自覚している。つまり、ここでいう『秘密』とは、とりわけ重要なことに違いない。他人がみて解るような情報ではないのだろう。

 そう――この程よい関係性にヒビを入れてしまうような、そんな秘密だ。


「俺にその秘密を知る権利は?」

「もちろんあるよ。君に関わる秘密でもあるんだから」


 木陰は穏やかに答える。

 俺は目を細めて問い返す。


「俺に関わる?」

「そう。君に関わる」

「それはなんだ」

「君といえばコレだろう? ボクは人並み以上に知っているよ」


 そう言うと、木陰は一度言葉を切って、指を一本立てた。

 俺が怪訝に見つめていると、その指がくいっとケーキ屋の方へ向く。

 すると──


 ケーキ屋の自動ドアが、あいた。


「──、」


 遠くの店内で来客の合図が鳴り響く。しかしそこに客はいない。ヒトを察知するセンサーが、無人にも関わらず作動した。

 俺はその光景を眺め、諦めのような、落胆のような――それ以上にぴたりとピースを嵌めていく、納得に近い感情に襲われる。

 半ば確信していた推測が、そのまま結果となって突きつけられた。やはりそうなのか、と。

 ケーキ屋から女性の店員が顔をのぞかせた。誰もいないのに開いたとなれば、当然不審感を抱くだろう。当然の行為だ。

 そして、その店員はすぐさまこちらに気づく。


「あっ、ご来店のお客様ですか?」

「ええと……」

「いきなよ」


 木陰が、自販機となりのゴミ箱へ缶を捨てる。そして、自転車の方へ歩き出した。

 俺が振り返ると、木陰の流し目が俺を捉える。


「メリークリスマス。三上。次は教会で会おう」


 「そのときはすべてを打ち明けるよ」。そう残して、颯爽と木陰は去っていった。

 その背中に、俺は届いたかもわからない「メリークリスマス」を呟いた。

 

「お客さま?」

「あ、はい。すみません。ケーキを予約してるんですけど――」

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