2-5

 新たな疑問に振り回された結果、勉強に身が入ったとはいえない夜を過ごした。

 翌日の期末試験一日目はそれこそひどい有様で、過去最低の出来になった気がする。日頃の怠慢がたたったようだ。

 幸い試験の日程は二日にわけられているため、午後は時間が空く。

 半分の科目を乗り越えた生徒たちは図書館か塾か、もしくは帰宅して明日に備えるのが定石だ。間違っても諦めて「カラオケ行こう」だとか「ゲーセン寄ってこう」なんていうのは愚策。すこしでも赤点回避のために抗うのが理想。俺としても、明日の科目の出そうな範囲に、すこしでも目を通しておきたい。今日の手ごたえを鑑みれば当然の帰結だった。

 しかし、現実は甘くない。這いあがろうとした俺を蹴落とすように、あるいは脚を掴んで引きずり込むように、新たな刺客が現れる。



「新しいステンドグラス?」

「そうです。もしよければ、一緒に見にいきませんか?」


 小首を傾げて、柄にもなく「お願い」とねだるシスター。語尾にハートマークでもつけそうな仕草だが、聖職者としての装いを知っているからか似つかわしくない。まぁ、それを言ったら夕食が怖いので、口にはしないが。

 ともかく。さてこれから一夜漬けだ、なんて息巻いていた俺だが、以前話していた『新しいステンドグラス』のお目通りが来てしまったらしい。

 なんでも、教会の窓枠に嵌める工事は数日後だが、一足さきに拝むことができるとのこと。割れてしまった一枚と絵柄は同じ。それでも、完成品のチェックを兼ねて誘われているようだ。

 忘れかけていたけれど、俺はシスターに頼み込まれ、ステンドグラスを割った犯人を追う立場だ。お供に選ばれるのも自然な流れといえる。

 ……正直、あまり気が乗らないけれど。


「なんですそのイヤそうな顔は」

「実際イヤなんだよ。明日は期末テスト二日目だぞ。追い込みだぞ。呑気に過ごすやつがどこにいる」

「ここにいますけど」


 ……俺が断る可能性を微塵も考慮していない。

 午前中は座りっぱなしで全身ガチガチ、はやく寝転がって参考書でも開きたいのに、我が家の玄関先での仕打ちがこれか。

 だれか助けてくれ。だれでもいい。妹――はまだ帰ってきてないみたいだし、ファミレスかどこかで備えているのだろう。俺もそうすればよかった。

 などと天井を仰ぎながら後悔していると、シスターが光のない目で笑った。


「いいのかなぁ……三上家の献立、私にも決める権限があるんだけどなぁ……」

「っ……」


 思わずたじろぐ。

 いや、持ち堪えろ。今は耐えろ。成績の最低ライン維持の方が大事だろ、三上春間。魔法使いもそんなことを言ってた気がする。

 俺は鼻を鳴らした。


「はっ、一日くらい。赤点回避の方がよっぽど優先だね」

「へぇそうですか。では仕方ありません。あまりこの手は使いたくなかったのですが……今後蒼矢サイダーを禁止とします」

「え」

「お母様から許可はいただいております」


 俺は愕然として、肩かけカバンを床に落とした。

 ウチに聖職者の皮をかぶった悪魔がいることを、俺は今日悟った。



◇◇◇



 渋々家を出る。

 帰って間もなく、午後の予定は潰えた。シスターの知り合いだという女性は、かのステンドグラス作家と繋がりがあるらしい。本日向かう先は彼女の自宅で、ちょっとしたお披露目会のつもりで見せてもらえる。

 歩きながらシスターが事情を教えてくれて、俺は聞き流すように相槌をうつ。

 時間が経ち、重くなった雪の道。一歩ごとに靴裏が踏み固めていく。冬の寒さは増していく。相変わらず雪は音を吸って、季節を上着越しに感じていた。人通りが少ないのは、皆等しく机に向かっているからなのだろう。そう考えると、時間の無駄遣いをしている気分になる。



 着いたのは、最寄駅を反対側に出て、十分ほど歩いた場所だった。

 鐘之宮市はどちらかというと田舎だ。毎日通学に使っている駅周辺も、それほど賑やかというわけではない。ファミレスとかコンビニとか、パン屋なんかが立ち並んでいるくらいで、とりわけ目を引くものなんてないのが特徴。

 それは駅の反対側も同じことで、少し離れるだけでも住宅街に突入した。

 くだんの家は、想像よりも大きい屋敷だった。

 見上げた表門の表札、備え付けられた監視カメラ。なるほどたしかに、一人で訪ねるのは勇気がいるかもしれない。シスターが強引に連れ出した理由はこれか、と今更思い至った。

 ピンポーン、と呼び出しチャイムが鳴る。清潔な和のテイストに、ハイテクな気配が所々に散りばめられていた。周囲を見渡せば、昔ながらの塀で囲み、連なる瓦が目に止まる。足元はコンクリートで、ざらざらとした、足を滑らせにくいベージュの質感。

 シスターとふたりして待っていると、ほどなくしてガコッと音がした。

 門の横に備え付けられた小さい扉が開いて、同い年くらいの女の子が顔を覗かせた。


「ああ、神林さん。お待ちしてました」

「いえこちらこそ。すみませんわざわざこんな機会を設けてくださって」


 丁寧な物腰で挨拶を交わすふたり。新凪あらなぎと名乗る彼女は、連れのこちらに視線を投げてお辞儀をした。茶色がかった長髪がゆったりと揺れた。こちらもかしこまって挨拶を返す。

 住んでいる家もさることながら、シスター同様、とても礼儀正しい常識人な印象だった。しかしその分奥手な性格でもあるらしく、おずおずと伺うように上目遣いをする。


「あの、実は私の友人も来ていて……一緒に見てもいいかな?」

「ご友人ですか? 私は構いませんよ」


 三上さんは? と視線で問われ、こちらも首肯した。

 別にひとり増えようと問題はない。どうせステンドグラスが教会に並べば、誰でも拝むことはできる。であればそこまで隠す必要性すら皆無。重要なモノであるのは言わずもがな、だけど独り占めするほど、シスターは短慮ではない。


「ありがとうございます。では、ど、どうぞお上がりください」




 ひろい座敷を取り囲むように、木目の廊下が続いていた。広く、それでいて畳は清潔に保たれていて、スリッパで歩くだけでも些か緊張してしまう。先頭を歩く新凪さん、次いでシスター、自分の順で、ステンドグラスが保管されているという部屋に向かう。俺はせわしなく周囲を眺めていた。

 塀の内側も日本らしい庭が広がっていた。

 昼間にみる灯籠も、小柄な池も、岩を覆う苔も。今は雪の白さがプラスされているが、とても風流な光景を創り出している。この縁側でお茶でも啜りながら、年越しでもするのだろうか。そんな想像を膨らませては、思考の奥底へと流していった。

 しばらく歩くと、真っ直ぐな廊下を外れ、渡り廊下にさしかかった。石畳みに降りて、大きい家屋と隣接する離れに移った。

 全体的に四角いカタチをしている。が、倉庫と呼べるほど簡素ではなく、ちゃんと上品さを残した造りだ。

 目前に現れた一枚の扉のまえで、新凪さんが「こちらです」と告げた。

 なんとなくシスターと顔を見合わせてから、彼女に続いてお邪魔する。

 瞬間、妙に聞き慣れた、気力を根こそぎ吸い取るが如く声が響いた。


「遅かったじゃない!」


 仁王立ちで出迎えた新凪さんの友人──そいつの顔をみて、絶句する。


「初めまして! 揃いも揃って事件を呼びそうな顔ぶれね! いいわ、願ってもない虫の知らせ! 安心なさい! この邂逅は悪夢の始まりなどではなく、パンドラの箱に残された最後の希望だということを証明してあげる!」


 ぶわっと、衝撃波に似た勢いが吹き荒れる。つい先週に顔を合わせた情報屋のパートナーが、偉そうな出立ちでそこにいた。


「よろしくッ!!」

「……」

「……」


 案の定、場は凍りついた。ふふん、と言葉を待つ小柄な爆弾、友人であるがゆえに申し訳なさそうに顔を俯ける新凪さん。

 シスターはというと、ぽかんとした表情で立ち尽くしていた。まれにしか見られない動揺だ。


「新凪さん」

「は、はい」


 しばらくして、ようやくシスターが口をひらく。

 ひそかに呆れる自分に気づかず、努めて冷静に事実確認を開始する。


「この騒がしいヒトはなんですか」

「一応、私の友だ――」

「片勿月シオンっ!」

「……です」


 シスターが明らかにゲンナリする。

 勢いに早速やられている。わかる。わかるぞ……疲れるよな、こいつの相手をするの。

 俺は心の中でがんばれと呟くしかなかった。


「と、とりあえずあがってください。ほら、しおりちゃんも」

「ちょっ……それ本名、本名で呼ぶのやめて。ありきたりだから苦手なの!」


 しかも本名じゃなかった。




 離れの中は一般的な家に近く、少し落ち着く。こたつ仕様の漆塗りテーブル、周囲に並べられた座布団。お盆に積まれた茶菓子の周りには、ふたつほどの小袋が散乱していた。おそらくしおりちゃん──もとい、シオンが食べたのだろう。

 掛け軸やエメラルド色の壺なんかも目に止まったが、正直価値は計れない。

 シスターは引き戸を見やって、新凪さんに問いかけた。


「ステンドグラスはこちらですか?」

「あ、はい。包装された状態なので、今から解きますね」

「手伝いますよ」


 ありがとうございます。いえ依頼主ですからこれくらいは──。云々。

 ああ、平和なやりとりだ。シスターも新凪さんも耳に優しい。対するこちらは穏やかではいられないのだけど。まったく予想外の人物にどうにかなりそうだ。

 俺は隙をうかがいつつ、そっともうひとりの方へ寄った。そして、聞こえないよう小声で話しかける。


「(何してるんだ、こんなところで)」

「(聞いて驚きなさい! アンデア・カヴェアーよ!)」

「(日本語で)」

「(潜入捜査!)」

「(潜入員にしては騒がしすぎる)」

「(なんですって!?)」

「(もっと静かにできないのか)」

「(これ以上抑えろというの……ッ!?)」

「(お前の限界がソレか、すごいな逆に)」

「(できるけど。でもプラァイドが許さないッ!)」

「(なんでいちいちネイティブな喋り方に寄せるんだやめろ)」

「(……)」

「(したり顔するな。別にすごくともなんともないからな。で、答えは?)」

「(断るッ!!)」

「(そう言うと思った)」


 俺は距離をとった。

 ひそひそと話しているつもりが、もはやダダ漏れな気がする。あとやはり体力を使う。会話を切り上げた途端にどっと疲れが押し寄せてきて、正直ゲンナリする。可能であれば、お茶で一息したいくらいだった。


「三上さん」

「ん?」


 ちょうどいい。さすがシスター。

 謎の安心感を覚えながらとなりの部屋に入ると、部屋の広さギリギリの大きさをした箱が横たわっていた。開けられたソレの中身は、緩衝材に包まれ、わずかに色を覗かせている。

 デカイ。

 となりの部屋がここまで広いのかと驚きはしたけれど、それ以上にステンドグラスの長さに驚いた。教会で見上げていたときはもう一回りほど小さく感じたが、こうして間近で対面するとやはり違う。


「どうですか?」

「どうですか、と言われても。すごいとしか言えない」


 上に被せられた白い布を取り去り、ガサガサとステンドグラスの絵柄を露わにさせる。

 肌を露出させ、纏った布をはためかせる貴婦人。背中から純白の羽を広げ、天を仰ぎながら祈りを捧げている。なにより目を引くのは、女性の背に描かれた一輪の青い薔薇だ。神々しさすら感じさせる曲線美、花弁ひとつひとつがガラス全体を引き立てている。

 木陰が落胆するのも納得だ、と思った。それくらいの芸術美が、ステンドグラスからは感じ取れた。


「青いバラ、いいじゃない!」


 となりに並んだシオンが賞賛を述べる。

 シスターはそうですねと呟いて、新凪さんはすごいですよね、と感心していた。


「一般的に青薔薇はブルーローズとも呼ばれるわね! 薔薇は青い色素を持っていない──だから、昔は人工的にしか手に入らなかったけど。今は遺伝子組み換えによってちゃんと咲かせられるようになったのよ!」

「詳しいな、しおりチャン」

「フフン。そういう経緯を持ってる青薔薇は、『不可能』『存在しない』みたいに、まさにブルーな気持ちになる花言葉だったの! でも咲かせることが可能になった今は、『夢が叶う』とか『奇跡』とか、前向きな花言葉に変わってるのが特徴ね! あと次しおりチャンって呼んだら許さないから!」

「へぇ……青い薔薇がステンドグラスに描かれるのも、今だからこそって面もある……というわけか。そうだねシオンちゃん?」

「それでヨシ!」


 そんなやりとりをする俺たちを、シスターがじと、と懐疑的な視線で睨んだ。


「あなた方、もう打ち解けられたんですか?」

「別に」

「別に!」


 屈んで、ステンドグラスをまじまじ見つめてみる。それなりに高価なことは知っているため、触るのは抵抗がある。呼吸も気持ち抑えめで、色彩の継ぎ目に注目した。

 ……光に透かしているわけではないため、教会で眺めたときほどの美しさはない。ただそれを抜きにしても素晴らしい出来だ。以前読んだ雑誌のステンドグラス特集を思い出し、改めて感心する。

 職人の技術か、それとも機械の精密さか。もしくはその両方か。なんにせよ、これほど正確にカットし当てはめるのは至難の業ではなかろうか。

 と、そんな俺の興味を読み取ってか、新凪さんが説明してくれる。


「内山さん──あっ、親戚のステンドグラス作家の方なんですが……その人、他にもガラス細工やってて、花瓶なんかも作れるんですよ」

「ガラス細工。いかにも好きそうな単語じゃないですか。ね、三上さん」


 む、と睨み返すと、シスターのしたり顔。

 魔法使いの存在を引き合いに出して揶揄っている。後にも先にも、すでに居ない彼女を使って軽口を言うのはシスターくらいかもしれない。最近は特にそう思う俺であった。

 ふむ、と顎に指をあてる。

 ガラス。継ぎ目。精巧さ。

 ……本当なら家でテストに備えていたところだが、こうなってしまったのなら仕方がない。気になることは訊ねておくべきだろう。

 俺は新凪さんの方を向いて、口をひらいた。


「新凪さんは、ステンドグラスに詳しいのかな」

「えっ。うぅー、ん……専門家ほど、じゃないけど。ちょびっとなら」

「十分。ステンドグラスの強度ってわかる?」

「……強度?」


 シスターが真剣な面持ちになる。

 聞き返した朝凪さんと俺を視線でいったりきたりしながら、シオンは黙っていた。


「色ガラス一枚一枚の厚さ。継ぎ目の脆さ。地震の揺れにどれくらい耐えられるか。なんでもいい」

「ええと……まずですが、ステンドグラス自体、それなりの強度があります。よほどの地震でない限り問題ないかと……あと継ぎ目については、ケイムっていうH型の枠? を使ってるので、揺れとかにも耐性あります」


 新凪さんが身振り手振りで説明してくれる。改めて、黒い線を描くケイムの部分に目を落とした。

 色ガラスとの境に隙間は見られない。きっちりとはめられているようだ。


「もし割れることがあるとすれば、キャセ──ああええと、色ガラスの部分くらいだと思います」

「まえのステンドグラスもこれと同じ構造だったの?」

「はい。ティファニー方式っていう、ガラス同士をハンダ付けでくっつける構造もあるにはあるんですけど、一般的に教会のステンドグラスといえばこちらの方式です。前回と異なるのは、ケイムの溝が深くなっていることと、強化ガラスで挟んで補強してるところ……に、なりますね」


 「どうでしょうか……」と顔色をうかがう新凪さん。なんだか彼女自身がステンドグラス作家に思えてきた。あくまで橋渡し的立ち位置にいるだけなのに。


「ありがとう。参考になったよ」


 お礼を述べて、俺は立ち上がった。

 そこで謎の緊張感はぷつりと途切れ、「どうせならお茶していきませんか」と新凪さんが申し出る。

 こたつの部屋へもどり、談笑する流れとなった。


 緩やかな空気のなか、俺は難しい顔をやめられなかった。




 教会のステンドグラスが割られたあと──窓枠に取り残されたケイムを思い出す。当てはめられた色ガラスのピースが、まるでそのまま押し出されたかのように飛び出す。そして一直線に床へ叩きつけられる光景が、脳裏に再生される。

 やはり、不自然さが際立つ。近辺に爆弾でも落とされたか、もしくは屋根が吹き飛ぶほどの突風でなければ、あの割れ方はしないだろう。物理的な衝撃で割られたという線は、やはり考えなくても良さそうだ。

 あり得ない現象。

 あり得ない条件。

 考えれば考えるほど、およそ現実的ではない要素が濃くなっていく。


「……え、なにしおりちゃん」

「だ、だから……! シオンって呼びなさいって言ったでしょう!」

「新凪さんとシオンさんは仲が良いですね」

「も、もうあなたでいいわ。ちょっと耳貸しなさい!」


 三人の会話を聞き流しつつ、湯呑みに目を落とす。

 指に伝わる暖かな温度、反して思考は冷え切っていく。ゆらゆらと映り込んだ光の反射に目を細め、これからの動きを組み立てていった。

 ……ああ、答えなんてわかっているさ。

 こんな常識から外れた事件、魔法が関わっていないとは考えにくい。ガラスの関わる騒動で、俺の周囲で発生していて。ましてや犯人らしき人物すら目撃している状況だ。十中八九、彼女は関わっているのだろう。直接的であれ、間接的であれ。

 けれど。

 けれど、やはり主犯と結び付けることだけはできない。安易に魔法使いをこの現象の犯人とするのは気に入らない。それはひどく、間違った方向な気がしてならなかった。拭えない違和感が渦巻いて仕方がない。

 なら、やはりそう捉えるしかないのだろうか。 

 認めたくないけれど、突拍子もない発想だけど。頭のなかに浮かんだ想像こそが、すべてを納得というカタチで片付けることができる。


「三上さん、聞いてます?」

「え、」


 名を呼ばれ、見上げる。

 個包装のバウムクーヘンを片手に、背筋をピンと伸ばしたシスターが、怪訝そうに顔を覗き込んでいた。


「ええと、なんの話だった?」


 申し訳なさそうに頬をかきながら訊くと、彼女は傍に座った小柄な方を指差した。

 視線で追いかける。


「……っ」


 ぱちり。シオンと目があったと思うと、シスターの袖をつかみ、背後にこそこそと隠れてしまった。口煩いはずのこいつが、こうもしおらしい態度をとることに、内心顔をしかめる。

 あせあせしながら、新凪さんが説明してくれた。


「えと……! この子、ちょっと人見知りみたいで!」

「人見知り?」


 こいつが……?


「その、お兄さんと電話番号を交換したいそうです」


 こそっとこちらをうかがい見るいじらしさ――は、ないな。不思議と感じられない。本性を知っている所為か、裏があるとしか思えない。

 その推測は、か細くもたらされた一言で的中した。


「お、お兄さんは……恋人、とかいますか。と言っています」

「なぜ通訳」

「恥ずかしい。だそうです」


 いちいち耳元で囁くふたりを見やり、俺はそっと湯呑みを置く。

 こいつのやり口がわかった気がする。

 頬を染めて上目遣いしたり、視線を彷徨わせたりとらしい仕草はしているけれど、おそらく全て演技。きっと、人間関係を構築しては入り込むのがシオンの基本的な動きなのだろう。

 なるほど優秀なわけだ。情報屋の裏でひっそりと営むスタンスとは異なり、彼女は積極的に入り込むタイプ。情報収集が目的で友人という立場に入り込むその内面を悟られないのは、その性格が所以ゆえんか。

 とはいえ、一般的に世間ではテスト期間だし、依頼してから一週間も経っていない。具体的にはおよそ三日間。

 その短期間で新凪さんと仲を深め、距離を縮め、こうして潜入するのだから筋金入りの情報屋。ヨーグルト好きの彼が一目置くのも納得だった。

 だが。


「断る」

「なんでぇ!?」


 新凪さんの背後で驚愕するシオン。

 シスターも新凪さんも苦笑しているが、「手伝いなさいよ!」とか「このシオンがオネガイしてるっていうのに!」とか、そういったニュアンスが表情に表れていた。

 それに対し、シスターがフォローをしてくれる。


「あー、だから言ったじゃないですかシオンさん」

「えぇ……でもぉ……」

「この人、片想いの相手がいるんですよ。だからそういう色恋の誘いは断りますよ。良く言えば一途、悪く言えば柔軟性に欠ける」

「けなしてるのかフォローしてるのかどっちなんだ」


 笑って流しながらも、シスターは宥める。しかしそこは情報屋の意地が勝るようで、シオンは食い下がった。


「本当にダメ?」


 すこし考えて、俺はやはり頷く。

 これは一種の確認だ。他人が聞けば男女の駆け引き、しかしその実、交わされたやりとりの裏には別の会話がある。この誘いを断れば、シオンは俺に……いや、俺の周囲に関わることが難しくなる。平然と友人関係の内側に居座る大義名分がなくなるのだ。

 当然、依頼した調査も滞る。ステンドグラスの犯人探しはおろか、もうひとつの調査依頼も先延ばしになるだろう。

 「それでいいのか」と、シオンの目が問う。

 「それでもいいんだ」と、視線で返した。

 結局俺は、なにを差し置いても魔法使いを優先してしまう。現実なんておざなりで、全ての根幹に彼女がいた。願望が叶うことなどないと解っているのに。それでもなお、と思いを馳せてしまう。ヒトの恋心は難儀なもので、きっと自分というちぐはぐな生き物は、シスターより遥かに重く面倒で、滑稽な片想いをしているのだろう。その自覚があっても、ガラスの魔女を突き離すことなんてできやしない。我ながら、愚かな生き方をしているものだ。

 俺は愛想笑いで受け答えをしながら。

 僅かな焦燥のなか、ゆったりとした憩いに身を置きながら。


 サイダーが飲みたいと、そう思った。

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