2-2
バッと傘をひろげる。傘ごしにしんしんと雪があたり、すべり落ちていく。
シスターとは別行動をとり、俺は携帯で指定された場所へ向かっていた。教会とは反対側、通学時に見慣れた景色からひとつズレた通りにあるファミレスだ。徒歩で通える距離なあたり、彼はこちらの方へわざわざ赴いてまで話したいらしい。そんなことしなくても、互いに合流しやすい距離で選べばいいだろうに。
まぁ、仕方ないことなのだが。
春に起こった宝石を巡る騒動──その元凶であり産物でもあった魔法使いは、消えるまえにあらゆる痕跡を薄めた。
決してまっさらにしたというわけではないけれど。できるだけ「なかったこと」──いや、「俺と魔法使いだけが覚えていること」にしたかったのだろう。事実、宝石を手にしていた
ただ。
「……ふたりだけの秘密、とはいかないか」
記憶を消したことで、無視できないほどの違和感を生んでしまった生徒も中にはいる。
俺は傘の内側でスマホをいじり、日時と送り主の名前を確認した。
ああ、たしかになかったことにはなった。魔法使いの残した遺産をめぐる騒動。大がかりで遠回しな魔法の残滓。覚えているのは、彼女の存在を知っていた人々のみ――の、はずだった。
そう時間もかからず、目的の場所に着く。
軒先に避難し、傘を閉じる。雪をトントンと落として、傘立てに突っ込んだ。
しずかに舞っては降り積もる白を眺めてから、俺は入店した。
来客の合図を耳にしながら、入り口に近い席に陣取る背中をみつけた。店員に待ち合わせしていたことを伝え、そのテーブルに無言で近づく。
「……」
向かいの席にどかりと腰を落として、俺は情報屋と対面した。
「お、来たな。時間どおり」
テーブルに置かれた大皿。おそらくふたり分であっただろう盛られたポテトは、すでに半分ほど減っていた。傍らに置かれたグラスも、氷が溶けて水滴を垂らしていた。
それを見やり、呼び出しボタンを押しながら口をひらく。
「そっちは、ずいぶんとはやく来てたみたいだけど」
「あんたにとっちゃオレぁただの記憶喪失な知り合いなんだろうが、こっちからすればまだ分からんことだらけなんだよ。そんな相手にこっちから呼びかけたんだ、そりゃ配慮するってなモンだろ」
俺はそういうものか、なんて口にする。
情報屋はそういうものさ、と答える。
店員がテーブルまでやってきて、オーダーをとる。朝食からそう経っていないため、注文はドリンクバーのみにした。
席を立ち、コーヒーを持ってもどる。
「みどり先生はどうだった?」
最初は当たり障りのない話題から切り出す。
情報屋は指を舐め取って、不敵に笑みを深めた。
「最高だったね」
「おまえ、仮にも学校の先生だぞ……」
若干引きつつも、以前の彼にすこしだけ戻ってきたような感覚があり、内心で安堵する。
人々は、一連の宝石騒動に関する記憶を失った。
当事者である名塚かおりも弧寄茜も、宝石を振るって命を奪っていたことを忘れている。これは善意で動いてくれたシスターと、俺自身の接触によって確認済みだ。蝶に変えられ、最後には無惨にも殺されてしまったみどり先生も言わずもがな、宝石騒動を仄めかす問いを投げかけても首を傾げるだけだった。
だが、例外は存在する。
当事者ではないにしろ、宝石騒動の一端を目にした生徒──情報屋。
生徒の情報を個人的に集めて、恋に悩める生徒たち相手に商売じみたことをしているヤツだ。
彼も同様、記憶は失われていた。
名塚かおりがみどり先生を消すところも、夜の学校で撮影した化け物の写真も、すべて彼の生活からは消された。
ただ、俺となんらかの取引をしていたことだけは覚えていた。
「いやぁ、さすが以前のオレだぜ、見る目がある。あんな面白い人が我らが鐘之宮高校の先生だなんて最高と言わずなんと言う!」
「はいはい、そーね」
「情報屋つづけてよかったぜ。でなけりゃ、今ごろオレぁみどり先生のことも忘れてたワケだしなぁ」
情報屋は情報に敏感。
それは他人に限らず、自身についても言えること。
なまじ俺との繋がりを覚えていた
名塚かおりを調べ、弧寄茜を調べ、みどり先生を調べた。その末に、俺に接触を図った。
宝石騒動以降、もう関わることはないと思っていた関係だけど。その実、再び会うことになったのは騒動の二ヶ月後のことだった。今でも、興奮気味に真実について訊く彼を覚えている。
つまり今の情報屋は、宝石騒動における出来事を知らない。精々が、俺から伝え聞いた──いちど、みどり先生は魔法で殺された──くらいの知識だ。しかしながら、『魔法』という非常識な存在を知っているという事実は、それなりに有用である。情報屋として彼は協力してくれたし、性格もそう悪くはない。俺が未だに交流を続けているのは、そういうわけだった。
──差しあたって。
「それで? 今日は何の用事? そっちからどうぞ」
ポテトをもそもそしていた彼は「じゃあお言葉に甘えさせてもらう」と情報屋の顔になった。
呼び出したのは彼の方。けれど、そのうちこちらから連絡しようと思っていたところだ。ベストタイミングかもしれないと、俺は思っていた。
つまり今日のファミレスの一角──ここでは、俺も情報屋も、互いに用事を抱えての参加となっている。先行は彼からだ。
「いやな。この際だからあんたにも紹介しておこうと思ってよ」
「紹介……?」
「そ、紹介。俺もさ、ひとりで色んな生徒の情報を集めるのは骨が折れるわけじゃん? あの学校それなりの在籍数だしよ。たまに学外からもくるしよ。だから、ちょっとしたパートナーを雇ってるんだわ」
なるほど、と納得する。
情報屋は複数人で情報を集めることで、情報屋としての尊厳を維持していたらしい。
情報屋は身振り手振りで説明した。「あいつちょっと変なやつでさー」とか、「たまに手を焼くことはあるんだけどー」とか何とか。いったいどんな人なんだろうかと不安が湧き上がったけれど、俺はひとまず黙って聞いていた。
「まぁ信用はできるヤツだからさ。ちょっと顔だけ合わせてくれ」
「……え、なに。今来てるの?」
情報屋は頷くと背後を振り返った。そして「おーい」と控えめに呼びかける。
俺たちの座るテーブル。その斜め後方に位置する席に、女の子がひとり座っていた。かと思うと、情報屋の呼びかけにぴくりと反応し、立ち上がる。
そのままこちらへ赴き、情報屋のとなりに腰を下ろした。
情報屋より拳ひとつぶんくらい背が低い。きれいに切り揃えられたショートボブ。前髪の隙間から覗く双眸からは、大衆を嘲笑うような自信がみて取れた。彼女は紫色のドリンク──おそらくドリンクバーのぶどうジュース──をこくりと一口味わうと、ことりとグラスを置き、開口一番、
「あなたが
……?
あ、自己紹介か。
「……えっと、初めまし」
「さあ、あなたの探し人は? 男? 女? 浮気相手? 恋人の有無? それとも、名前も顔も知らない相手かしら!」
「あー、うん。まず俺の名前、」
「ノンノン! わたしは仕事の話をしにきたの。プライベートは仲良くなってから。具体的には、まずそちらの人間関係を調べさせてもらってからになるわ!」
「あの、」
「そのまえに、コイツとどういう関係? 友だち? 友人? ご学友? もしや幼馴染を超える関係じゃないでしょうね! 返答次第では金額も跳ね上がるから、そのつもりで答えなさい!」
「……。」
俺は自分のグラスに手を伸ばし、お茶を濁した。
「情報屋」
「おうさ」
「こいつはなんだ」
「オレの幼馴染」
「そう! 片勿月ぃー……シオンッッ!!」
い、インパクトのあるやつを連れてきたな。
接するのは情報屋よりもカロリーを使いそうだ。今すぐにハンバーグでも頼んで補給すべきだろうか。
小さく嘆息して、重ねて訊ねた。できるだけ彼女の方を見ないようにして。
「パートナーが幼馴染とは……付き合いは長いの?」
「当然じゃない! どこをみて──」
口を挟みかけた彼女の頭を、情報屋がぐしぐしと撫でた。小柄な体躯を揺らし、「ワーッ」と騒ぐ。
「ほんとは巻き込むつもりはなかったんだけどな……情報屋始めたてのころ、俺のやってること聞きつけて、手伝うって聞かなくてさ。あんまりにもしつこいから渋々了承したら、これがまた凄腕なわけよ」
ふくれっ面で大人しくなった幼馴染──シオンを見やる。
情報屋曰く、俺たちのひとつ年下とのことだった。
妹と同学年なことに驚愕する。
落ち着きのなさも尊大な態度も全然ちがう。情報屋に対する好感度……というか、懐き方も相まって、とても妹より年上とは思えなかった。
「まぁ驚くよなぁ。でもコイツ、ほんとに情報集めるの上手いんだよ。どうやってんのか知らねえが、いつのまにか有益な情報を手に入れてきやがる」
「具体的には?」
「名塚かおりの家庭環境も、弧寄茜の承認欲求を看破したのも、ほとんどはこいつの手柄、だと思う。正確なことは覚えてねぇが」
「どんな手腕してるんだ」
いつの間にやらメニューと睨めっこをしていたシオンが、呼び出しボタンを押す。店内に響くベルを聴きながら、俺は素朴な疑問を投げかける。
「で、どうして今紹介したんだ」
「そりゃおまえ、また人探しをするつもりなんだろう?」
「……どこから聞きつけたんだか」
やってきた店員にシオンがポテトを注文する。まだテーブルには残ってるのに。
オーダーを取って下がったのを合図に、今度はこちらから本題へ入ることにした。
「頼みたいことはふたつある」
「よしきた」
「任せなさい!」
不安だ……。とくに幼馴染の方。
どことなく漂う懸念を押し隠し、こほんと思考を切り替えた。
まずはひとつめ。
「コイツには話したけど、近ごろ、付近でステンドグラスが割られる事件が起こってる」
シオンが目線で彼に確認し、頷きを返される。
「で、ふたりには犯人の素性を調べてほしい。特徴は……ええと、身長が一六○センチくらいで、髪色は暗いグレー、かな? あと、頭にでかい魔女帽子をかぶってる」
「コスプレイヤーか?」
「変人ね!」
……もはや突っ込むまい。探してもらえるだけ良しとしよう。
まぁ、たとえ情報屋が情報通で、その幼馴染が敏腕だとしても。本物の魔法使いであれば捕らえることなど夢のまた夢に違いない。
生前、魔法使いは自身を過小評価していた。
だけど、彼女のすごさはだれよりも思い知っている。それだけに、ステンドグラスを割った犯人が魔女だと知ったなら、俺は即座に根を上げていたに違いない。
しかし今回の騒動には、犯人が本物であれば、という前提がある。だからこそ、数少ない知り合いに望みを見出したのだった。
一見して情報集めを秘密裏に遂行でかさるのかどうかは信じがたい……が、ただでさえ手段の少ない俺だ、頼るほかない。
「この街でコスプレイベントなんてあったか?」
「知らない。縁がないからッ!」
元より、昨日取り逃がした魔女に関しては『念のため』。見込みも薄い、なにか手がかりが掴めれば幸運、程度の依頼だ。
俺が彼らに頼みたい調査は、情報は、ここからが重要となる。
「それで、ふたつめだけど」
そう告げると、ふたりが居住いを正した。切り替えように、呆れを通り越して感心してしまう自分がいた。
それを抑え、静かに。ふぅ、と息を吐く。
気配を感じ取ったのか、ふたりが神妙な顔つきになった。
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