1-4

 ステンドグラスのつくり方。

 そう聞くと、小学生が図画工作するような響きに感じられる。あるいは子供向け雑誌の付録みたいな、ちょっと面白いおもちゃのような。でも結局は棚の奥へ追いやられてしまう、一時の楽しみのような。そんなイメージだ。

 文字の一節を指でなぞる。

 こたつに潜り込んで眺める本は、図画工作の教科書でも、子供向けの雑誌でもなかった。生き生きとした作業工程が載る、芸術の煌めきを窓へと落とし込む一連の流れ。本屋でみつけた、大人向けのカタログだ。

 ページを開けば、透明感に鮮やかな模様が描かれたコップや、とんぼ玉を繋げたブレスレットなど、様々なガラス製品が並んでいる。この本に目をつけたのは、ちょうどステンドグラスの特集が組まれていたからである。

 デザイン作成からガラスの選定、ガラスカットを経て、ステンドグラスとしての形にしていく。

 その工程は、俺の知らない職人の世界だ。美術部に所属していた頃にも、それこそ美術の授業でも触れられなかった、感性がモノを言う芸術作品。紙に筆を走らせるものとも異なる。色彩のある透明感、どこか儚さすら感じさせる創作物。

 俺は今まで「すげえな」程度の感想しか抱いていなかったが、調べてみると改めて奥深さが理解できる。

 ネットで検索すると、なかには『夏休みの自由研究に!』なんてうたい文句で説明するサイトも多い。そこかしこで紹介される、いわば入門的なステンドグラスは、カタチにはなっているものの簡単な絵柄だ。

 それで言えば、教会で割られたステンドグラスは格が違った。

 複雑な色彩。さまざまにカットされたガラス。絵柄を支える黒枠との整合性。どれをとっても、一筋縄ではいかない出来なのだろう。

 昔、木陰が目をむいて「ステンドグラスの価値を知れよ!」と口にしていたのが、今さら身に染みる。


「あー、どうすりゃいいんかなぁ」

「最近のお兄ぃ、ずっと悩んでる」


 こたつで後ろに倒れ込んだ俺へ、テキトーな声音がかけられた。

 顔がみえないが、こたつの反対側に妹がいる。

 かちかちと、壁掛け時計の音が鳴る。

 教会でのこたごたから解放され、シスターは母親と買い物に。木陰と俺はそれぞれの自宅へ帰宅していた。


「いろいろと複雑なんだよ、俺は」

「逆に訊くけど。お兄ぃが複雑な事情に巻き込まれてないことの方が珍しいんじゃない?」


 ぺらりと雑誌をめくる音を立てながら、そんなことを言われてしまう。

 ぐうの音も出ない。

 中学から今に至るまで、俺はずっと複雑な人間関係に気を揉んでいた。

 宝石騒動、ステンドグラスの器物損壊。

 ああ、どれも元を辿ればすべて一人。魔法使い――人呼んでガラスの魔女が原因なのは明らかだろうし。


「はぁぁああ……」

「四度目のため息いただきましたー」


 ぺらり、また雑誌がめくられる。

 こいついつも雑誌みてて飽きねぇのか、と思い、一度訊ねたことがある。あのときも同じようなシチュエーションだった。

 蹴られたのでもう訊かない。

 起き上がって、俺は向けどころのない悩みを解消すべく、みかんに腕を伸ばした。


「教会のアレ、そんなに大変なの?」

「ん? あー……それなりにな。いい加減に犯人みつけないと、シスターが俺たちの母さんになるぞ」

「え、マジ」


 ごそごそと起き出して、妹もみかんを剥き始めた。

 ご丁寧に白い皮まできれいにしながら、目をぱちくりして興味を示す。


「うちの父枠に母がくるんだ。やった」

「ばかいえ、迷惑だろう。このまま居候はまずい、さすがに」

「いいじゃん。おいしいご飯食べられるし、掃除とかしてくれるし。良いことづくめじゃん。犯人が捕まらなければ」


 不謹慎なことをのたまう妹に、俺はみかんを咀嚼しながら冷ややかな視線を向ける。

 しかし、悪びれもなくこいつは続けた。


「まぁ、母にならずとも、お兄ぃの嫁にしちゃえば?」

「は」


 思わず手が止まる。

 あっけらかんに、妹はみかんを口へ運ぶ。


「酸っぱ……いやあのね? そろそろお兄ぃもさ、吹っ切れてほしいんだって。妹としては」

「吹っ切れて、とは? 何に対して」

「恋に対して」

「どうして」

「どうしてって……はぁ、お兄ぃもう高校生だよ? さすがに恋人くらい作ってよ、将来が心配だよ」


 なぜこういう流れになったのか理解できない。けれどまぁ、妹の懸念が理解できないわけではない。母と似たようなことを考えるあたり、やはり親子というわけだ。思考が似てきている。

 妹はごくんと飲み込むと、ちょっとだけ真剣に言う。


「最近はいいけどさ。ちょっと前は、また夜中に出歩いてたじゃん。ああいうことされると、心配なんだよ」

「俺は男だし大丈夫だよ」

「そういう意味じゃなくて。ていうかそういう話じゃなくて」


 きっぱりと言われ、閉口する。


「あのねお兄ぃ。この際だから言わせてもらうけど、いつまで引きずってるの?」


 ぐさり、と直球な言葉が突き刺さった。

 言わずとも、魔法使いのことを口にしていると察せられる。日頃炭酸を飲んでいるところもみられているし、語気はいつもより強めだった。


「たしかに良いヒトだったよ。お兄ぃともお似合いだし、付き合ってくれたらなんて当時は思ってた。でも昔は昔、今は今だよ。こんな言い方は良くないけど……魔女なんて訳わかんない、それもいなくなった相手よりもさ、他に──」

「だれがいるって?」


 魔法使いのことをそう言われ、分かっていても良い気分はしなかった。

 俺は自分を抑える気持ちで口を開いた。


「誰が、俺に魔法使いを忘れさせてくれるって? いるか、あんな強烈な存在を上書きしてくれる相手なんて」


 そう言い返す。

 はぁー、と頭を抱えて妹は落胆した。


「だから、最近いい雰囲気のミノリちゃんと、」

「それだよ、それ。なんでここでシスターが出てくる。あいつなら絶賛片想い中だけど」

「……、え?」


 素っ頓狂な声で、妹が唖然とした。

 数秒、とまる時間。

 カタン、カタン、と壁掛け時計の音が流れた。

 ぽとりと、妹の手にした二個目のみかんが落ちる。ころころと、こたつの天板から落ちそうなそれを止める。


「え、は……いるの? 好きなひと?」

「知らなかった?」

「いやいやいやいや! 知らないよ! 初耳なんですけど!」

「……そういえば言ってなかったっけ」


 妹にとっては予想外な新事実らしい。

 動揺した様子で、ぽりぽりと頬をかいていた。


「え、えぇぇ。てっきり、お兄ぃと良いカンジになったから、同棲一歩手前の居候で連れてきたのかと……」

「は、はぁ?」

「ステンドグラスが割れたとか隙間風がやばいとか全部ハッタリで、何ならミノリちゃん自らがガラスを割ることで口実つくって、実は挨拶しにきたんじゃないかと思ってた……」

「どうしてそこまで飛躍できる。すごいなおまえ」

「もう母さんもすっかりその気だよ。どうすんの!?」

「どうすんのはこっちのセリフだ! シスターがきてからこっち、視線が妙に生暖かいのも放任ばりに適当になったのも、おかしいと思ってたんだよ! 理由が今ようやくはっきりした!」


 と、そのとき、玄関からだれかが帰ってくる音がした。

 おそらくシスターだ。買い物を終えてもどってきたのだろう。


「んぐっ」


 喉を詰まらせて、妹が咳き込む。

 突然の本人登場に慌てたみたいだ。そこへ、居間の扉を開けてシスターが顔を覗かせる。


「あら、大丈夫ですか?」

「あ、あぁおかえり。……ええとごめん、妹になにか飲み物を」

「はいはい」


 すぐさま差し出された水をごくごくと飲んで、妹がタン! とグラスを置いた。

 そしてキッと顔をあげると――冷蔵庫にもどり、食品を入れていくシスターへ語りかけた。


「ミノリちゃん」

「はい。どうしましたー」


 間伸びした返事。こういう受け答えをみると、ずいぶんウチに馴染んだな、と他人事のように思う。

 が、妹の方はいたって真剣のようだ。


「好きな人がいるってホント?」

「ええ、いますけど」

「お兄ぃ以外に?」

「なにゆえそこで三上さんが?」


 ぱたん、と冷蔵庫の扉をしめて、シスターが振り向く。怪訝な顔で首を傾げていた。

 それが、妹に違えようのない事実を突きつける。


「あ、相手はだれ?」

「この間も訪ねてきましたよね? 木陰って呼ばれてたあの人ですけど」


 あっさり言った。


「告白は!」

「しましたけど」


 またあっさり明かした。


「付き合ってるの?」

「まだ返事待ちですけど」


 平然と告げられ、妹が肩をがっくりと落とす。かと思うと、ふるふると震わせて、バッと顔をあげた。


「なんでここにいるの!」

「え……」


 シスターにどうしてこうなってるんです? と視線を投げられるが、俺は肩をすくめることしかできない。こういうテンションの妹は、俺も母もお手上げ状態なのだ。

 妹はまくし立てるように、「どうしてこうなった」と喚いた。


「好きな人がいて! 告白もして! お返事待ちで! 甘くて苦くて最高の恋愛シチュ全開状態に身を置いているくせに! どうして片想い相手でもないこんな男の家に入り浸ることができるのです、カッ!?」

「おい」


 兄に失礼だぞ。あと口調もなんか変になってるから。


「なぜって……他に行き場ないですし」

「その木陰ってヒトん家行けばいいじゃん!」

「あー、色々あって無理なんですよ。家庭の事情というやつで」

「家庭の事情なんか踏み倒して貰いに、もとい貰われにいけばいいじゃん! なんで冴えないお兄ぃを頼っちゃったの!」

「おい」


 だからさっきから兄に失礼だぞ。

 ……けど、言っていることはもっともだ。理由も知らなければ、シスターが俺を頼るのは不自然。納得は難しい。好きな相手がいるのであれば、妹の反応が普通なのだろう。

 しかし、そうできない事情があることを知れば、きっと評価は変わる。

 シスターはあごに指をあてて考え込むと、しばらくして、爆弾を落とすことを決めたようだった。今ならうちに母親もいないし、潮時とでも考えたらしい。

 視線で「よろしいですか?」と問われる。

 俺は「任せる」と手のひらを差し向けた。


「……妹さん」


 彼女は抱えていたビニール袋をそっと畳むと、改まった風に、納得のいっていない妹と向き合った。

 そして、真摯に、どこか悲しげに、『事情』を語る。優しげに声色をこぼす。

 「あのですね?」なんて、宥めるような口調で。



「私、腹違いの妹なんですよ。木陰さんの」



 また、カタン、カタン、と時計の音が流れた。

 絶句。

 妹は言葉を失い、愕然としていた。

 無理もない。だれだってそれを訊けば驚く。事情が事情だと納得せざるを得なくなる。腹違いの兄妹である、なんて理由が明かされれば、その家族関係の複雑さは想像に難くない。

 シスターがひとり教会に通い詰めていた理由も、おのずと理解できてしまう。


「そ、ん、なことが」

「ごめんなさい、黙っていて。といっても、あなたは木陰さんとはそんなに面識ないし、問題ないと思っていたのですが」

「……」

「それでも、あなたのお兄さんを頼ったのなら、説明すべきでしたね」


 妹は「あ、」とか「うん……」としか答えなかった。それくらいしか答えられていなかった。言葉に困っているのは明白だ。俺だって、初めて知ったときは数秒放心したから。

 シスターは申し訳なさそうに眉を八の字にして、また少し思案した。そして机に乗ったガラス細工の書籍を一瞥すると、微かに笑みを浮かべる。そしてゆっくりと説明した。


「さっき、『どうしてこんな兄を』と言いましたね。妹さんは良く思っていないのでしょうけど、あなたのお兄さん、素敵な方なんですよ。真っ直ぐな、一直線みたいな恋をしてます」


 え、そういう話するんですか。

 俺は止めたい衝動に駆られながらも、自分を抑えた。

 こうして目の前で語られるとすごくむず痒い。が、落胆したような、意気消沈状態の妹に寄り添うシスターをみると、止める気も削がれてしまう。


「きっと……いえ、間違いなく、彼の恋路は壁が多い。叶いそうもないくらい遠くの、星を掴むような恋愛です。間違っていると、そう諭されるのが目に見えているくらいにはいびつかもしれない。でもそういう意味では、私とあなたのお兄さんはある意味似たもの同士なんです。だから、木陰さん以外なら彼しか頼れなかった」


 ね? と視線を投げられて、俺は視線を逸らす。首をさすっても気恥ずかしさは紛れない。

 あまり過大評価してほしくなかった。


「だから、同じく茨の恋路を紡いでいる私に、どうか一時の猶予を与えてくれませんか? 具体的には、もうしばらくここに住まわせてください」


 懇願するように、そう告げるシスター。

 対する妹は難しい表情をしていて、いろいろと苦悩しているようだった。答えを渋っているというよりは、複雑な事情があったことを知り、どうにかこうにか理解しようと努めていた。

 受け入れるには時間がかかる。

 わかりきっていた反応に、俺とシスターは顔を見合わせる。すこし考える暇を与えた方がいいだろうか? なんて憂慮していたところで、妹がぼそりと呟く。


「……お兄ぃたちは」

「ん?」


 俯かせていた顔を持ち上げて、寂しさと悲しさを混ぜ込んだ、複雑な視線を向けられる。正座をして向き合うシスターと、その傍らで見ている俺、両方に。


「お兄ぃたちは、いつも遠いところにいる」

「……、」


 遠いところ、という表現は、罪悪感にも似た衝動となり、胸にちくりと刺さる。

 それはシスターも同様らしく、苦い面持ちになった。


「わかるよ。こっちが何を言っても聞かないのも、どうしようもなく拗らせてるのも。恋愛ってそういうものだし、好きになろうとしてなれないように、嫌いになろうとしてもなれない。お兄ぃが変なことをするたび、魔女さんのことを忘れられないんだって、思う。囚われているっていうか、呪われてるっていうか……。ともかく、引きずってるのは理解できるんだよ」

「……ごめん」


 俺は素直にそうこぼすが、謝らないで、と妹が言い放つ。

 返せる言葉なんてその程度だった。それが精一杯考えた末の、俺の答えだった。


「理解した、とはあえて言わない。今でも、お兄ぃには普通の恋愛をしてほしいから。でも……こっちこそごめん。なんか、早とちりっていうか、勘違いしてた、と思う。だからミノリちゃんがしばらくウチに居るのは止めない」

「……! ありがとうございます。今日のご飯、こっそり大盛りにしますね」


 ぱあっと顔を輝かせるシスター。

 目に見えて喜び、笑顔で贔屓を公言する。妹は「別に大盛りにしなくていい」と照れ隠しして、それから俺をみた。

 目があう。


「お兄ぃ」

「なんだ」


 じ、と見つめられたまま黙り込まれると、どう返せばいいかわからん。何を考えているのだろう。

 シスターの事情は概ね理解してもらえたが、俺の恋愛に関しては別、とでも言いたげな顔だ。そんな気がする。一言でいえば、こちらの内心や決意といったモノを見定めようとしている節があった。

 しかし、不意に目をそらすと、口を尖らせて揶揄した。


「さっさと振られちゃえ」

「……かわいくねぇ」


 これでも妹なりに励ましているだということはわかるんだけど。もっと言い方あるだろうに。

 まぁ、遠回しでも応援はしてくれているみたいだ。さっさと魔女に呆れられて、こっち側に帰ってこいということらしい。

 ……。

 ……悲しいかな。

 そもそもの話。俺は、魔女に相手にしてもらえるほどの立場にすら、至れていないというのに。

 シスターとだけ仲を深めていく妹をみながら、俺はひとり物思いに耽った。

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