1-3
「あ、帰ってきた」
教会に戻るやいなや、木陰がすこしだけ表情を明るくする。
「おかえり、三上」
奥には変わらずステンドグラスの亡骸がある。大方、シスターから事情は聞いているのだろう。
「見失った」
「だろうね」
俺と木陰が一言二言を交わす。その合間に立っているシスターだけが状況を把握できていなかった。両者を視線がいったりきたりしていて、首を傾げていた。
しかし、木陰がとある単語を出した途端、シスターは顔色をかえる。
「君のその反応から察するに、あれが魔女でしょ? だとしたら追いつけなくて当然だろうね」
「魔女……? 今、魔女といいましたか」
木陰がこちらに視線を投げる。
説明してあげたら? と顔に書いてあった。
「ステンドグラスが割れたとき、こちらを覗いている人影があった。俺も全体像をみたわけじゃないから何とも言えないが……体躯と服の質、それから地面に映り込んでいた影の歪さから考えて、」
一度、言葉をとめる。
断定するのは早計だ。違和感もある。信じがたい。だが他に形容しようがない。
「魔法使い、かもしれない」
顔をしかめるどころか、シスターは「ウソですよね」と苦笑した。
だけど、俺も木陰も、否定できない。
魔女をよく知る人物なだけに、シスターは絶句する。
「木陰、顔はみたか?」
「いいや。ずっと空を眺めながら歩いてきたからね。直前まで彼女の存在にも気づかなかったし、なんなら帽子で顔を隠してた」
「あの、おふたりとも」
「空を……って、なんでだ。地面をみたほうが安全だし金が落ちてるかもしれないだろ」
「冬の空も素晴らしいよ。とても絵になる。それに知らないかい? 『上を向いて歩こう』ってフレーズ。実は姉がレコードで流しててさ」
「影響されてか。なんならいつも上を眺めてそうだけどな、お前」
「言い得て妙なり、ってやつだね。じゃ、そっちの成果は? 魔女に恋焦がれる少年」
「聞こえてますか? ちょっと」
「ご尊顔を拝めてるわけないだろう。後ろ姿もだ。本当にあっちの方角へ行ったのか? 追いかけても誰もいなかったし、真新しい足跡もみつけられなかった」
「見逃したんじゃないの? 君、そういうところあるからなぁ。僕はそれも含めて好ましく思うんだけど」
「ちょっとッ!!」
「なんだ」
「なんだい?」
鶴のひと声、というやつか。シスターの声で、俺と木陰の意識はそちらを向いた。
シスターは盛大にため息をつくと、背後を指差した。そこには、三回目──俺が経験したのは二回目──の、割れたステンドグラスが散らばっていた。
「話しながらでいいですから、どうにかしますよ」
俺と木陰は顔を見合わせて、すごすごとシスターに続く。こういうとき、シスターには敵わないのが俺と木陰だった。
散らばった破片をシスターが箒で一箇所にあつめ、俺と木陰は空き箱に拾い入れていく。これがさっきまで嫋やかな女性を描いていたのだから、痛々しくて仕方がない。軍手で拾い集めながら、俺はそんなことを思った。
しかし、こう石畳みの隙間に入り込んだり椅子の下に散乱したりされると拾いにくい。おまけに腰にくる。とはいえ文句を垂れる犯人も不明なため、俺は思考を切り替えた。
「二枚目が割れたのが八月下旬。となると、三ヶ月くらい経ってるな」
「一枚目が破られてから二枚目が破られるまでは、約七ヶ月。間隔が短くなってる。ずいぶん熱心みたいだね、三上」
木陰が整理し、シスターは手を動かしながら神妙な顔をした。
春ごろ――ちょうど宝石騒動があったあと――に、一枚目のステンドグラスが割られた。その後、二枚目が割られたのが八月。三ヶ月まえ。しかしその瞬間を俺は目にできなかった。
時刻はだいたい十八時過ぎだった。現場に居合わせたのはシスターだけで、俺は自宅に帰宅したところ。木陰は学校の美術室で筆を振るっていたという。
前回割られたステンドグラスに描かれていたのは、一輪の青薔薇を背に祈りを捧げる、白衣の天使だった。天使、という表現をすると大袈裟に聞こえるかもしれない。実際は純白の布を纏い、羽根を広げる女性だ。ガラス特有の顔つきは西洋人のもので、「これら三枚の中では、中心に置かれるに相応しい構図だよ」とは木陰談。いたく評価していただけに、当時の落ち込み具合もすごかった。
今回割られた『鳥を受け止める貴婦人』も、それに劣らぬ美しさを誇っていたと、俺は思う。素人目にみてもわかるくらいには。
ちら、と視線を投げると、木陰は表情を硬くしていた。芸術家として悲しむべき事件に、やはりショックは隠せないらしい。
「大丈夫か」
「えっ……? なにが?」
俺に声をかけられ、木陰がきょとんとする。
「ステンドグラス。おまえ、気に入ってたんじゃないのか」
「ああ、うん。やっぱり悲しいよ。素晴らしい色合いだったからね」
しみじみと、木陰が教会の内部を眺めた。
「たまにこの教会にくると、不思議とアイデアが浮かんでくるんだ。身を置く環境、筆の運び方、目指すゴールとか、色々ね。そういう意味では、ステンドグラスはこの場所の一部だった。だから、無くなった今はとんでもなく殺風景に思えるよ」
殺風景、という表現は的確だった。
一枚だけ残されている状態でさえ物足りない雰囲気が、全て取り除かれると一気に
それくらい、三枚のステンドグラスは重要だったということだ。アクセント、あるいは大目玉。なくてはならない色彩だった。
「そのうち、一枚だけ戻ってきますよ」
不意にそう告げたのは、箒を握ったシスターだった。
ふたりして「どういうことだ」という視線を向けると、空いた窓枠を見上げて説明してくれる。
「真ん中の一枚は、知り合いがツテで紹介してくれたステンドグラス作家のものなんですよ。先日連絡がとれて、設計図が残っていたようなんです。金額もすこし負けてくれるみたいです」
「同じものをもう一度作ってくれる、ってことか。すごいな」
「全く同じ、とはいかないでしょうがね。ガラスですし、色も全く同じにはならないんじゃないですか? 詳しくないのでわかりませんが」
「それでも十分さ!」
木陰が声をあげた。声色も明るくして。
「また拝めるんだね。僕としては嬉しい限りだよ」
心なしか、ガラス片を拾うテンポがはやくなった気がした。カタチあるものいつかは壊れる。そんな当たり前のことを心情に置いている淡泊な一面が、彼にもあるのかもしれない。漠然とした芸術家としての気質を身に覚えながら、俺は一定の速度で破片たちを拾い集めていく。
やがてある程度のガラスを集め終わり、残すは白く細かい粉塵だけとなった。それらをちりとりに押しやりながら、シスターが口をひらく。
「私は被害届を出してきます。もう三度目ですから期待はしていませんが。念のため」
木陰が頷いて、俺を誘う。
「僕らはそのあいだに裏手でも見にいこうか。現場調査だよ」
息の合った分担に、俺は
決して教会の裏手が雑草だらけで行きたくないわけではない。
ため息をつきたくなる原因は、昔から変わっていないふたりの関係性だった。
家庭に難あり。たしかに木陰の家庭とシスターの生い立ちは複雑だ。しかし、それでも日頃おなじ時間を過ごすことも多かろうに。未だにくっついていないのが不思議でならない。さっさと想いを告げればいいのに、なんて他人事のように考えるが、それこそブーメランというもの。
魔法使いというものがありながら、ろくに踏み込んだ話も出来ず離れてしまったのが自分だった。
「わかった。やりゃあいいんだろ。ムダだと思うけど」
「そうこなくちゃ。じゃ、行ってきなよ、ミノリ」
「はい」
なにか買ってきますから、と残して、シスターが去る。
バタムと閉まる入り口の戸を見届けて、俺はとなりへ訝しげな視線を投げた。
「ふむ。何か言いたげだね? 三上」
「ああ。何か言いたげだよ、俺は」
俺はそれ以上踏み込まなかった。皆まで言わずとも、こいつは悟っているだろうから。果たしてそれは正解で、木陰はちいさくつぶやく。
「いろいろあるのさ、君に色々あるように」と。
……相変わらず、掴めないやつだ。すこしくらいは話してくれてもいいのに。
裏手へやってきた。
案の定、冬にも負けず雑草が生い茂っている。その生命力には脱帽だ。
木陰は厚底の靴で踏みわけながら、状況を整理していった。もうおまえがホームズ役やれよ、という言葉が出かかる。
「ステンドグラスが割れたとき、周囲に人の気配はあったのかい?」
「わかれば苦労しないなー。少なくとも教会内にはなかった」
かき分け、ステンドグラスがあった真下までやってくる。わずかに積もった雪の不自然さも、雑草を踏みつけた跡もなかった。
「外も手柄なし、か」
見渡す木陰の視線をなぞる。
後方──教会の裏手一帯は雑草だらけで、とても人がいた気配はない。
「ねえ三上。遠くから何かを投げてぶつけた、という線は? いや、撃った、という方が現実的かな」
「無理だ」
「その心は?」
顎に手を添え真剣に推理する木陰へ、異を唱える。
「前に警察から言われたんだ。あの大きさのガラスを、余すことなく割り落とすために必要な物体があったとして……その大きさは、とても人が投げられる重さじゃない。まして、割れた瞬間はそれらしい衝撃もなかったよ。まるで、ステンドグラス自体が重力に耐えきれなくなったような、一瞬の出来事だった」
俺はかじかんできた手に息を当て、ポケットへ突っ込んだ。
「というか、この問答に意味は? 犯人はハッキリしてるだろ」
なんて言ってやると、木陰は暖かそうなファーの向こう側から、
「その割に、浮かない顔だね」
「……」
浮かれるわけがない。あんなものを見せられて、誰が喜べる。
行き場のない感情は、木陰になど効きはしない。すべて見透かされているということか。
「ガラスの魔女に関しては口煩い君のことだ。僕と同じように、断言できることのひとつやふたつ、あるんでしょ?」
来た道を引き返す。
後ろを木陰がついてくる。
「追いかけて思ったんだ。あんなもの、
「犯人が魔法を使ったとしか思えない状況だよ。つまりどこからどう見ても、あの人影は魔女だった。だとしても?」
「そうだとしてもだ。しっくりこない。魔法使いだったなら、堂々と入り口を蹴やぶって、無駄に豪勢な魔法で吹き飛ばすんじゃないか?」
「……ガラスの魔女って、そんなにガサツだったっけ」
教会の前に戻ってきたところで振り向くと、苦笑いする木陰がいた。
視線をはずし、寒空を一瞥する。
今度は俺が笑う番だった。
「ガサツだよ。適当だし気分屋だし、感情のぶつけ方なんて野生のトラだ。いや、攻撃的なヘビかな」
軽く冗談をいえば、ノりつつも仕返しをする。それが魔法使いだ。魔女であることに起因するのか、彼女の胸の内は変なプライドで張り巡らされているため、些細なところで面倒くさい。
パフェを前にして「チェリーを食べる順番? 後でも先でも同じじゃない」。
バスケットボールを指先でまわしながら「あんな野蛮なスポーツ嫌いよ」。
ゲームをしながら「なにこのキャラ、センスないわね」。
書店に寄れば「あと一時間待って」「私の横にいろ」。
いつだって、魔法使いは気ままに生きていた。俺はそれに振り回されて、何度ため息をついたことか。楽しかったけれど。
ともかく、そんな彼女だからこそ、この騒動を繰り返すのは釈然としない。
「……陰湿すぎるんだ、この魔法は」
首を傾げる木陰に背を向け、俺は教会へ押し入った。
さっきよりも気温の下がった内部を歩き、声を響かせ言葉を紡ぐ。
反響する足音もふたつだ。
「宝石の騒動がいい例だ」
「宝石……。五月のアレだね」
手近な椅子に腰掛けて、俺はステンドグラスのあった場所を見上げる。
「あの宝石――っていうか、宝石を模したガラスな。使い方によっては、学校をめちゃくちゃにできるくらいの魔法なんだ」
「めちゃくちゃに?」
「そう。持ち主の気質や願望次第だから、破天荒な理想を持っていれば、それだけ破天荒な結果となって顕れる。そういう魔法」
使いようによっては爆弾になる。それを、魔法使いはばら撒いた。
自分が死んだあとの、未来へ向けて。
「無責任だろ? 後始末もぜんぶ俺に押し付けたんだよ、あいつ」
「でも君が言うには、結局彼女自身が元通りにしたんだろう? それもすべて」
「ニセモノの、だけどな。それだって、俺という人間を計算に入れてようやく成り立つ算段だ。まぁ、そこはどうでもいい」
難しいな、と木陰が言いつつ、となりへ座った。
「要は、規模がでかいんだ、魔法使いの魔法は。ここぞってときに使う魔法は、大胆で、強引だ。真っ直ぐとも表現できる。清々しいとも言える。それに比べたら、ステンドグラスを一枚ずつ割るのは小規模すぎる」
「小規模って……ステンドグラスの価値をご存知でない?」
「ご存知だ。もちろん値段的な視点では大事だよ。でも、『魔法自体の規模』としては小さすぎる。一枚一枚割るのは不自然だ。こそこそ逃げ隠れて割るところもらしくない」
「んー、なるほど? 君にはそう見えてるんだね」
結局、何がしたいのだろう。
わざわざ教会の窓を割ってどうしたい? どんな意図で動いている? ただの嫌がらせとも考えにくい。目的も理由も不明瞭だ。
……現時点では、はっきりとした答えを出せそうにない。
仮にさっきの人影が魔女だとして。つまり、魔法使い本人による事件だと仮定して。その意図がどうしても理解できない。
だってそうだろう。
宝石騒動は、ガラスの魔女が復活するための儀式だった。俺という人間の抱えた理想から、自身の影法師を現実に映しだす。そこに希望を見い出し、彼女は手を伸ばしたのだ。不可能に近い結果を生みだすための大掛かりな舞台装置を、未来に託して。
けれど、この状況はまったく意味がない。
ガラスを割ったのが魔女だとすれば、当人はすでに復活していることになる。なら、なぜ割る必要がある? 割っている犯人を第三者が演じているだけだと仮定しても、ステンドグラスの破壊をどうやって『復活』につなげる?
考えてもキリがない。
俺は短く嘆息して、となりを見やった。
「……」
「……」
静けさに包まれていた教会に、外気が流れ込む。なおさら静謐さを増していく中で、木陰はスケッチブックをひらいていた。
さらさらと描かれていくデッサン。白地に輪郭が足され、重なった線がリアルさを深めていく。さすがの手際、観察眼。俺は内心で称賛を送り、前に向きなおった。
彼が描くのは、それが生き甲斐だからか。はたまた、この光景にこそ価値を感じているのか。俺には読みきれない。
推論は途切れ、紙面をなぞる音だけが漂う。美術室で感じる空気とは異なるも、心地のよい時間が降りてきた。互いに、これ以上は机上の空論になると理解しているがゆえの沈黙だ。
どちらかというと、早朝の教室に近いのだろう。
妙に馴染む空間。
冷たさが染み込んでくるけれど。寒くて眠気が顔をのぞかせるけれど。
思考はどうしても、熱を保っていた。
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