1-2

 踏み込み、さく、と地面が音を立てた。

 もう少し積もれば、車の通り道を辿っていたかもしれない。それくらいには雪の厚さがあって、見た目より冬だった。

 気温も低い。田舎ゆえか、外出すればその寒さは顕著に感じられる。いくら着込んだとて、大した効果は得られなさそうだ。

 上着のポケットに手を避難させて、俺はシスターの斜め後方を歩いていた。

 自宅から近い公園もやはり白色で染まっていて、人っ子一人見当たらない。そも、ボール遊びが禁止されてからは犬の散歩をする老人しか見かけたことがない。閑散とした入口を横切る。喧騒はなおも見当たらない。

 俺とシスターの間にこれといった会話はなかった。時おり交わすやり取りも、シンとした積雪に吸われていく。開けば飛び出る魔法使いの話題。ソレが良くも悪くも傷を残すという事実を、俺たちは痛感している。

 だから、ただ教会を目指した。白い吐息のみ、ふたりの足並みに呼応させて。


 いつぞやの夜とは異なり、昼間に眺める教会はそれなりの雰囲気を醸し出していた。

 着くなり、シスターは慣れた足取りで入口を進む。洋風の柵を押して、綺麗な白地に足跡をつけていった。俺は数歩うしろをついていく。背丈をゆうに超える大扉の鍵がひらいた。鍵束を仕舞ったシスターは、虫が居ない季節なのをいいことに、入口を解放する。

 どなたでもどうぞ。

 拒むことなく受け入れますという心構えを、玄関口で示した。寧ろ悩める人々よ来たれ、と招く風に。


「……」


 俺は立ち入らず見届けると、何の気なしに辺りを見渡した。

 緩やかな坂の上に佇んだ教会。目を引く規模かと問われると首を横に振るが、反面、地域に根ざし、寄り添っているという意味では、溶け込めているのだろう。こじんまりな庭に備えつけられたのは小柄なポストだし、なんならひとつ隣の家の方が大きい気がする。だが、逆にそこがいいまである。

 迷える羊に対して、きっとシスターは真摯しんしに耳を傾けてくれるに違いない。不必要に出しゃばらない教会こそ、シスターの人柄そのものを誇示している気がした。

 そんな教会へと続く坂には、いくつもの足跡や、自転車の描いた曲線が引かれていた。そのどれもが教会に見向きもせず、先の方へ伸びている。教会の有する敷地とアスファルトとの境目──石レンガの塀に積もった雪は、一片の染みも許していなかった。

 ……我ながら用心深いことだ。

 乗り気でない自分はどこへ行ったんだ? なんて自問自答をして、ため息で押しやる。

 そして白い息を空気に溶かして、教会の奥へと踏み込んだ。


 中は早朝の教室みたいに、冷たい空気が満たしていた。一層寒気が増して、天然の巨大冷蔵庫を連想する。

 そんな最中、シスターはまた象の前にいる。恭しく、膝をついて。

 仰ぐ彼女の視線の先には、風を吹き込ませる長方形の穴があった。それもふたつ。

 真ん中と右側のステンドグラスは見る影もない。一箇所といわず、ガラス部分すべてを失い、ただの枠になっている。綺麗に色の抜け落ちた空白が虚しさを残す。

 ステンドグラスは光を受けてこそ美しさを発揮する。それが一般的な芸術としての価値観であり、認識だ。差し込んだ日光が色づいて、室内に煌びやかな雰囲気をもたらす様は幻想的、目にした者は心を奪われる。まるで万華鏡の中に立っているかのような錯覚に陥るほど、世界を一変させるのだ。

 といっても、俺は詳しいわけではないし、常日頃鑑賞しているわけでもないため、それくらいの知識しか持ち合わせていない。せいぜいがテレビで聞き齧った程度のものでしかない。だから、この一枚だけ残ったステンドグラスは、俺が身近で拝める唯一の存在といえるだろう。

 その制作過程は、どれほど過酷で、繊細なのだろう?

 数多の色が絵の具代わりにガラスへ吹き込まれ、それによって絵を形づくる。芸術家が描くひとつの境地こそ、ステンドグラスという代物で、そこにどれだけの苦労があるか想像もつかない。

 いったい誰が、このステンドグラスの絵柄をデザインしたのだろう?

 おおらかな女性が白い小鳥を受け止め、右上へ腕を捧げている。画風は西洋をこれでもかと感じさせる。背負う模様は、さながら砕かれた空だ。白地に青い図形を散りばめ、差し込んだ日光を黄色で表し、全体的な統一感を伝えている。

 俺は冷たい空気を肺に取り入れ、慣らす。それから、おごそかで神聖な空気に包まれる通路へ踏み出した。

 カーペットに、厚みのある靴底が低い音を鳴らす。奇しくも、いつぞやの夜と同じ立ち位置でシスターに近づいた。


「今日は熱心だな」

「いつもは、見せてませんでしたから」


 祈祷、という行為なのだろうか。シスターが屈んで行うソレを目にしたのは、春先に訪れたとき以来だった。

 衣擦れとともにシスターが立ち上がる。振り返って、柔らかな微笑みを浮かべた。


「さて。ささっと掃除、しちゃいましょう」


 はぁ、とため息をつく。

 俺が付き添うのは、ステンドグラスを割る犯人を突き止めるためだ。であるにも関わらず、シスターは都合の良いボランティアだとでも言いたげに指示するのであった。


「まぁ、いいけど」


 踵を返して、掃除用具の保管場所へ向かう。カーペットは掃除機、タイルは箒だ。

 便利な掃除機はシスターに任せ、今日も俺は箒を振ることになりそうだ。そのうち木陰がくるらしいし、いつもより早く終わるかもしれない。

 なんてことを考えつつ、道具を手に戻ってくる。僅かな時間も祈祷をしていたシスターへ再度声をかけた。


「では、いつも通り。掃除機は入り口からかけますので、三上さんは奥からお願いいたします」

「最近、どうして付き添ってるのか見失いそうだ」

「これも魔女のためですよ」

「『魔女のため』を便利な言葉と勘違いしてないか」


 シスターは掃除機の持ち手を伸ばし、


「まさか。『ガラスの向こうから見られてるかも』という、ただのたとえ話ですよ」


 とうそぶいた。

 俺は箒を担いで、


「笑えない聖職者ジョークだよ」


 と嘆息した。

 そうやって、互いに苦笑いをこぼした──次の瞬間。



 カシャァァアアアアアンッッ――!!



 甲高い、予想外に軽い破裂音が耳をつんざいた。

 ただでさえ広い教会の内部に、驚くほど大きい異変が訪れる。半ば爆発音に近い、唐突な爆音だ。視界の隅を彩っていた鮮やかさが刹那のうちに下へスライドし、同時にふたりして身をこわばらせる。

 シスターが音の発生源──後方を振り返るより先に、俺は肩を掴んで引き寄せた。


「ッ……!」


 ステンドグラスが床に落下する。

 周囲がカシャン! パリン! という音で埋め尽くされる。

 割れたガラスが積もるように衝突し、飛び散る破片。鋭利で煌びやかな色合いの雨が、頭上から降り注いだ。安全地帯から眺められるのであれば、ひとつの神秘的な光景として感動していたかもしれない。だけど現実は異なる。あまりに綺麗だとしても、そこには危険が伴っていた。

 声にならない悲鳴を耳にしながら、とっさに床へシスターを押さえつけ、覆いかぶさる。衝撃で途切れた声に内心で謝罪しながらも、破片の雨を背中で防ぐために動いた。

 服越しに細かな破片が当たる感触、比例して危険に対する恐怖が膨れ上がり、膝が笑う。それでもなお、男としての使命感が働いたのか。それともただ単に判断力を失ったのか。俺は動かずに縮こまる彼女を守った。


「──、」

「──は、ぁ」


 辺りの音が急激に遠ざかって、俺とシスターは揃って目蓋を開けた。

 まだ、耳の奥に残響が残っている気がする。雨脚が弱まって止むまでに間隔が設けられるように、ガラスの雨も緩やかに収束していく。宙を待ったガラス片がピン、と床に跳ねる気配を感じながら、俺はシスターの上から退いた。


「ごめん」

「い、いえ。ありがとうございます。驚きました」


 ふたりして、その場にへたり込んでいた。

 目先の出来事を指し示す、ステンドグラスの無惨な姿に血の気がひく。


「また、割られたのか」

「みたい、ですね」


 見上げると、最後の一枚が貼られていた場所が殺風景になっていた。絵を描く黒い輪郭のみが残され、色ガラスはことごとく床へと散らばっている。

 そんな折、背後でザリ、と砂利を擦る気配がした。


「! 誰だ!」


 バッと振り返る。入り口の方で覗いていた誰かは、すぐに身を翻した。はためかせた黒い服の裾だけが見え、俺は腰をあげた。転びそうになりながら、怪しい人影を追いかける。

 と、教会の入り口から飛び出したところで、


「わっ」

「うぉっ!?」


 人影と衝突しそうになり、寸でのところで身をよじらせた。勢いを殺しきれず、すれ違う形で人物を確認する。

 落ち着いた服装に中性的な顔立ち――美術室の番人にして平日のオアシス、見慣れた少年だった。


「……、木陰っ?」

「ど、どうしたのさ、そんな血相変えて。今の人、知りあい?」

「どっちに行った!?」


 詰め寄る俺に、たじろぐ木陰。目を白黒させながらも、おもむろに指を挙げた。


「あっちか! あとでな!」


 それだけを残して、先程歩いてきた方とは反対側へと向かった。下り坂となっている道を転ばないよう注意しなければならないが、それは重々承知のうえで、速度を出した。

 目先にそれらしき人影は、みえない。

 逃げた足跡を辿ろうと探すが、通行人のものと混ざってめちゃくちゃだ。


「くそ、どうして逃げるんだよ……!」


 聞いているわけもない誰かへ向けてそう吐き捨てた。いつになく必死になって、角から向こう側を見渡しては走って、息が絶え絶えになっても探し回った。

 ひどく効率のわるいやり方だ。いつもの俺であれば面倒がってすぐさま引き返すだろう。

 だが、こうなっては話が別。さっき一瞬だけ垣間見えた影は、いつかの面影を残していたのだから。

 歩きながら息を整え、なおも周囲を見回す。それから行くさきを眺めたら、また踏み込んだ足で地面を蹴った。


「ッ!」


 十字路に飛び出しかけたところで、けたたましいクラクションが鳴る。

 咄嗟に後ろへ飛び、雪を跳ねながら車が横ぎった。その拍子、足を滑らせ横転してしまう。溶けだした雪は水分が多く、上着に染み込む。


「くっ……!」


 それでも立ち上がって、進んだ。

 服が重くなって気持ち悪い、重い。体力が奪われていく。

 それなりに進んできて、こっち側に逃げたのかすら曖昧な状況。だけど、当てずっぽうでも、しらみ潰しでも、彼女に追いつきたい一心で探す。求める。雪の反射する明かりに目を細めながら、黒い影法師だけを欲する。

 火照った身体の奥から、吐息が白く吐き出されていた。


「はぁっ、はぁっ、は、ぁ……」


 しかし──数分とたたずに俺は立ち止まる。

 無理だ。もう見失った。

 寒さを凌ぐために着込んだ上着が、今は鬱陶しくて仕方ない。湿って重くなった上着を脱ぎ、俺は盛大に息を吐く。

 途端に、疲労が襲った。

 体力不足の自分が恨めしい。いや、体力があっても追いつけはしなかっただろうけど。


「はぁ……はぁ……くそっ」


 空を仰ぐ。

 少なくとも今は、諦めるしかない。透明なウサギを撮り逃したようで、途端に底なしのやるせなさを感じてしまう。


「魔法、使い……!」


 悔しげに、彼女を呼ぶ。

 昼下がりのT字路、閑静な住宅街では誰一人として気にする者はいない。ただ背中のカーブミラーだけがそこにあって、俺は孤独に立っていた。

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