第11話「いいですよ、やりましょうか」
その日の部活は、入学式後の短い時間を、さらにバレー部と分け合わなければならなかった。先にバレー部が体育館を使用したので、その時間に外でアップを済ませ、1時間半ほど体育館で練習を行った。
練習終わりに海野は「新入部員の確保頼むぞ!」と言い放つと、さっさと体育職員室に戻っていった。他方で、練習時間が短く、また気持ち軽めのメニューだったため、部員たちはどこか物足りないようだった。みんなドリブルをつきながら試合の連携について話していたり、シューティングを行っていた。もちろん怜真は黙々とシューティングをしていた。
そんな中、悠仁、涼哉、遥也、晴、昭の5人がサイドリングで1on1をはじめ、ひと際の盛り上がりを見せていた。
「しゃー! こいっ!」
オフェンスは悠仁、ディフェンスは遥也だ。遥也が悠仁にボールを渡した瞬間にゲームが始まった。ボールを受け取った悠仁は2秒ほど遥也を観察するように間を持ってから徐に仕掛けた。
ゆったりとしたピボットで数回ステップを踏んだ後、スッと沈み込んで遥也の横を悠々と通り過ぎた。外から見ている限り、悠仁の動きは何の変哲もないドライブで、お世辞にも早いとは言えないものだった。それにもかかわらず、ディフェンスの遥也は身動き一つ取れなかったようだ。遥也が振り返った時には、悠仁がフリーでレイアップシュートを決めていた。
当然これには外野(主に晴。というか晴だけ)からヤジが飛んでくる。苦笑いで待機列に戻る悠仁を遥也は納得のいかない表情で見送り、スリーポイントライン上で待つ次のオフェンスであろう昭にボールを渡した。どうやら負けディフェンスのルールらしい。
ボールを受け取った昭はドリブルをついてレッグスルーやインサイドアウトで揺さぶりをかけるが、遥也は一切惑わされることなくジッと仕掛けるタイミングを見計らっている。遥也の様子に恐れをなした昭は、焦って雑に右手でドライブを仕掛ける。しかし、ドライブの予備動作として昭の上半身が浮き上がったのを遥也は見逃さず、完全に昭のコースを塞いだ。行き詰った昭はなんとかフロントチェンジで左に切り替えたがそれも遥也は予測していた。チェンジの瞬間のボールを遥也がスティールしたのだった。
「ありゃあかんわ」
彼らの1on1に見入っていた怜真に綾羽が話しかけてきた。
「昭ですか?」
「ああ。下手くそほど1on1をドリブルから始めたがるけど、どう考えたってそっちの方が難しいやん。だってボールのコントロールが必要なんやから、ドリブルをつかないで仕掛ける方が1歩目は速い。もちろん、上手い人間がやる分にはドリブルから始める方がバリエーションがあるわけだから別にいいんだけど、昭にはそもそもドリブルのバリエーションもない」
綾羽は自虐するように、「かく言う俺も、昔はそうだったけどな」と付け加えた。
「厳しいですね。でもおれもドリブルは苦手なんで言ってることはよくわかります」
「それに比べて悠仁はやっぱエグいな。初めの観察で相手の重心を確認してからピボットで相手の重心を意のままにコントロールして、最後には完全に棒立ちになったところを抜き去る。そんなんできひんやろ普通。それができるんなら誰も困らへんやん。しかも、あのドライブの速度やで。あんなトロ臭いドリブルにすら一切反応できひんくなるとか、ほぼ時間停止魔法やろ」
悠仁の身体能力は一般的な男子高校生の平均以下だ。足は遅いし、瞬発力もなければ持久力もない。だからこそ、ドライブは遅いし、純粋な力比べでも部内最弱レベルで、ジャンプ力も全然ない。それにもかかわらず、悠仁がチームの司令塔として絶対的なポジションを獲得しているのは、足りない身体能力を補って大幅に余りあるほど、彼の技術が凄まじいからだ。
「って、バスケ初めて3年目の俺が小学生の頃からバスケやってる怜真にこんなこと言うのは、釈迦に説法かな?」
「そんなことありませんよ。昭だって中学からやってますし、歴は関係ないです」
向こうでは、オフェンスの晴がステップバックで昭を上手くかわし、ノーマークでスリーポイントを放ったが外れてしまった。仕返しとばかりに遥也が煽り散らかしている。
楽しそうだし混ぜてもらおうかなと思ったちょうどその時、
「お前も1on1したいんやろ?」
綾羽が挑戦的な笑みを浮かべて言ってきた。
怜真が何も言わないでいると、
「俺とやろうや。俺はずっとお前と勝負したかってん」
綾羽は続ける。
「そんで、お前に勝ちたい」
強く、告げた。
「いい加減シックスマンなんて飽き飽きしててん。次は俺の最後の大会、人生でバスケを本気でやる最後の機会かもしれへん。それやのに俺はお前の交代要員として試合に出させてもらって、肝心なところではベンチで指くわえて応援してるだけ。そんなんもう耐えられへん。だいたいな、俺はお前に負けてへんねん。それやのに何でスタメンじゃないねん。全然納得言ってないからさ、悪いけど証明させてもらうで。俺の方が上やって」
怜真は初めて知った。これが敵意かと。そして得心がいった。綾羽の今までのよくわからない態度はこういうことだったのかと。綾羽の鋭い眼光を正面に受けても、怜真は決して目を逸らさなかった。しばらくの沈黙、それを破ったのは怜真だった。
「いいですよ、やりましょうか」
怜真は籠状のボールケースに向かって、シューティングに使っていたボールを乱雑に投げた。ボールは綺麗にケースに収まった。
メインリングの正面、スリーポイントラインの辺りで、綾羽はリングに背を向けた。先行は怜真に譲ってくれるらしい。先輩としてのプライドか。はたまた得意なディフェンスで怜真を抑え込み、心理的優位を得たいという駆け引きか。正直どうでもよかった。自分はシュートを決めればいいだけだから。
綾羽の前まで移動して気が付いた。周りがやけに静かだ。全部員がこの勝負に注目しているらしい。怜真の視界にちらっと映った琉瀬はとんでもなく心配そうな顔をしていて、少し面白かった。
「それで、ルールはどうしましょうか」
綾羽からいったんボールを受け取り、軽く手に馴染ませながら訊いた。
「11点先取、得点は試合と同じ、通常は2点、スリーポイントは3点。そんで勝ちオフェンス。つまりシュートを決めると連続でオフェンスになるし、ディフェンスに止められると攻守交替。リバウンドからのセカンドチャンスはもちろん無しな。ファールは基本的に仕切り直し、ただバスケットカウントの時は得点が有効で、さらにフリースロー1本が与えられる。その際、フリースローの成否関係なくオフェンスは継続する。こんなもんでいいか?」
怜真は返事の代わりにボールを返した。
「スタートだ」
再びボールは綾羽から怜真に渡され、1on1が始まった。
1on1では、初めの1歩で勝負が決まるとよく言われる。1歩目で相手を抜くことができた場合、その瞬間にオフェンスの勝利がほとんど確定するからだ。試合とは異なり、1on1ではヘルプディフェンスがいないので、抜かれた後にディフェンスが追いつくことは基本的にはできない。他方で初めの1歩にディフェンスが対応できた場合、その攻めにおいて、オフェンスはいくらか不利になる。
綾羽は右足を前に出して半身状態で怜真を待ち構えている。怜真は右足でピボットを踏んでいるため、1歩目を踏み出しやすい。小さく左にフェイントを入れてから右のドライブを試みた。しかし、ディフェンスを得意とする綾羽には通用せず、完全に並ばれてしまった。1歩目の勝負は完全に怜真の負け。あと2回ドリブルをつく頃にはコースに入られ、ドリブルを止められてしまうだろう。
しかしながら、1歩目の勝負のポイントは、オフェンスが敗北した際にはあくまでもオフェンスが相対的に不利な状況になるというだけで、絶対的には依然有利なままであるということだ。
バスケの勝敗はコースに入ることでも、ドリブルを止めることでも決まらない。いかにいいディフェンスをしようとシュートを決められてしまえば、ディフェンスは負けなのである。その意味でどこまで行ってもバスケは圧倒的にオフェンス有利なスポーツである。
綾羽が怜真のコースに入ろうとした瞬間、怜真は左足を軸にしてロールし、そのままステップバックを踏んだ。一瞬、怜真と綾羽の間にスペースが生まれる。綾羽は次の瞬間にはそのスペースを詰めたが、怜真には一瞬あれば十分だった。すでにフェイダウェイシュートを放っており、ボールはリングを射抜いた。周囲から小さく歓声が漏れた。
怜真の放ったボールは拾いに行く必要もなく、従順な犬のように主人のもとに戻ってきていた。綾羽はそれを拾い上げ、
「まだ2点やで?」
余裕を見せるように笑っていった。しかし、怜真にはそれがただの強がりにみえた。
「次、いくで」
そう言う綾羽からボールを受け取り、2本目が始まった。
次はジャンプシュートを打つ瞬間を絶対に与えまいと、綾羽は怜真に完全に密着するようなディフェンスをする。おかげで保持しているボールに何度も綾羽の手が掠っている。気を抜けばすぐにスティールされてしまうだろう。それでも綾羽の手は怜真の身体には一切触れていないので、ファールにはならない。さすがのディフェンスだと怜真は感心してしまった。ただ裏を返せば、それだけの余裕が怜真にはあった。
軽く右に振ってから左手でドライブをする。近すぎるディフェンスは、それだけで簡単に抜くことができる。実際、怜真は綾羽を完全に置き去りにした。あとはフリーのレイアップシュートを決めるだけだった。
しかし、綾羽は諦めずに怜真を追いかけてきた。そして、到底追いつける距離ではなかったはずにも関わらず、綾羽は追いついたのだ。驚異的な脚力を見せつけ、ステップを踏んでシュートモーションに入っている怜真に手を伸ばす。これには誰もが怜真がブロックされてしまうだろうと思った。
ふわりと浮き上がるボールと、その先に振りかざされた綾羽の右手。しかしながら、それ以上ボールが浮き上がることはなく、むしろ怜真のもとへ沈み込んでいく。そう、怜真の動きはシュートフェイクだった。
綾羽を抜いた瞬間、追いつかれることを想定した怜真は、通常のレイアップシュートではなく、ギャロップステップからのゴール下のシュートを選択した。仮に綾羽が追いついたとしても、慣性があるので急には停止できず、勢いそのままブロックに飛ぶことになる。それゆえ、ギャロップステップで一旦停止してから、ポンプフェイクをするだけで簡単にかわすことができると考えたのだ。そして、怜真の想定通りになったのだった。
ブロックのための綾羽の右手は空を切った。綾羽は、そのまま冷静にシュートを放つ怜真をただ見送ることしかできなかった。怜真は完全にフリーでゴール下のバンクシュートを決めた。
4-0。たかが2本差。勝負はまだ始まったばかりで、綾羽にはオフェンスが回ってすらいない。そんなことはわかっている。怜真に一切の油断は無い。
すぐに次を始めたくて、怜真は自分でボールを拾ってスタート位置に戻った。先ほどと違い、綾羽は何も言わず、怜真についてきた。3本目が始まる。
先ほどと同じような強いプレッシャー。しかし、どこか違和感を覚えた。その正体もわからないまま、今度はフェイクも入れないで右から綾羽を抜きにかかる。すると、意外にもあっさりと道が開いた。その瞬間、違和感の正体が判明した。しかし、時すでに遅し、ドリブル中のボールが手元からはじけた。そのままエンドラインを割って外に出た。
「バックチップですか」
「ああ。悠仁のを参考にやってみた。まさか、初めてでこんなに上手くいくとは思ってなかったけどな」
綾羽はプレッシャーをかけながらも、右のドライブをするよう怜真を誘導していた。違和感の正体はこれだったのだ。しかし、怜真はそれに気が付かず、簡単に右手でドライブをし、背後から伸びてきた綾羽の手にカットされたのであった。
バックチップにはそれなりの技術やセンス、そして経験が必要である。また失敗すれば完全に相手をフリーにしてしまうため、リスクが高い。少なくとも、徹底的に相手を追い回し、しぶとくまとわりつくディフェンスを得意とする綾羽には縁のないテクニックだった。
他方で、悠仁はバックチップを得意としていて、ほとんど失敗しない。というよりも、失敗するタイミングを知っているからこそ、出来ないときには無理にしようとしないという方が適切である。綾羽のセンスならばぶっつけ本番で出来るのも納得だ。やっぱり油断していたのかもしれない。
「ああ、やっとオフェンスや」
綾羽はスタート位置に立って怜真を待つ。怜真はバックチップで飛ばされたボールを拾ってくれた柳太郎からボールを受け取って、今回の勝負で初のディフェンスに入る。全員が固唾を呑む中、
「おい! いつまでやってんだお前ら! 早く体育館から出ろ!」
体育職員室から顔を出した海野が怒鳴った。
「うわ、やべっ。みんなてっしゅー!」
涼哉の呼びかけに応じ、全員が急いで体育館を後にしていく。
「続きはおあずけやな」
そう言い残すと、綾羽も自分のタオルと水筒を掴み、ダッシュで体育館を去っていった。ポツンとひとりコートに取り残された怜真の肩に、深が手を掛ける。
「おつかれ。僕はあっちの窓とドアの戸締り確認して先生に閉めてもらえるように頼んでくるから、怜真は電気と入り口の方を頼むわ」
そう言って歩き出した深に対し、怜真は問いかける。
「深は綾羽先輩とおれ、どっちがいい?」
「なんていってほしい?」
怜真の返答など期待していないというように、深は続けた。
「僕に押し付けんといて。それくらい自分で選ばなあかんで。僕から言えるのは——」
そう言って深は怜真に近づいてきて、胸に指を突き刺した。
「……面倒ごとは嫌いやねん?」
「おお、ちゃんと肝に銘じてるやん」
深は笑ってくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます