第6話「なんでこんなにイカが……」

 時刻は18時半。怜真は集合場所の駅に来ていた。


『学生ならやっぱり肉っすよね!』


 言い出しっぺであり、幹事である悠仁ゆうじんの一言に、異論を唱えた部員はいなかった。悠仁が選んだのは、そこらの全国チェーンの焼肉屋ではなく、悠仁の家の近所にある個人経営の焼肉屋だ。この『高窪焼肉店』は、悠仁が小さい頃から家族で食べに来ていた昔馴染みの店らしい。

 以前、外食の話題になった時に、とにかく安いし旨い焼肉屋があると悠仁が言うのでそれならと、去年の夏休みに1年生だけで食べにいったことがあった。そして、実際全員でその安さと旨さに驚いた。それを聞いた涼哉たち2年生も行きたいといい、今度は冬に男バス全員で行った。結果として先輩たちにも好評だったため、今回も『高窪焼肉店』が選ばれたのであった。

 悠仁の住んでいる地域は、他の部員の住んでいる地域と高校を挟んでちょうど真反対にある。おまけに鉄道沿線の乗り換えも必要なため、若干移動が面倒である。しかし、その手間を差し引いてもなお、『高窪焼肉店』に赴く価値はある。少なくともクラ高男バスはみなそう思っているようだ。そういうわけで、欠けることなく16人、全員参加だ。

「みんな揃ったんで行きましょか」

 悠仁が全体に声をかける。

「お前ら、横に広がらんように歩けよー」

 そういってキャプテンの涼哉は悠仁と共に先頭を歩き出した。まばらな足取りで他の部員たちもそれに続く。怜真はいつも通り倫と適当にしゃべりながら歩いていた。

「怜真、席決めみた?」

 途中で信長が話しかけてきた。席決めとは、今日の焼肉屋でのテーブルの割り振りのことである。『高窪焼肉店』はそれほど大きな店ではないため、宴会席は存在しない。そこで6人テーブルを3つ予約し、6-5-5でメンバーを割り振る必要があるのだ。それを涼哉が事前にあみだくじで決めてくれており、メッセージアプリで共有されていた。

「まあ、一応。おれ以外先輩やったよな?」

 怜真は、兼城かねき琉瀬、守詰かみづめ相志郎、星野綾羽、幡多柳太郎という4人の先輩と同じ席だった。席名は、『お食事会』である。

「そうそう! そんで俺んとこは涼哉さん以外1年っていうな」

 席名『きゃぷてん』は、キャプテンである宮野涼哉を、後輩の左藤信長、白部倫、梁井はりい太陽、多岐川昭、宮下陽樹はるきで囲う席となっている。そして最後が、今井悠仁、今咲深、瀧本秋寿で西遥也と蒼井晴の仲良しこよしを見守る、席名『犬猿』である。

「そういうわけで、怜真とは席違うし、今のうちにしゃべっとかなあかんやろ?」

「別にあかんことないと思うけど。ほら、あっち行ってなさい」

「えーなんでよぉ。聞いてリンリン、怜ちゃんが冷たいー」

 倫は苦笑いをしている。せめてもの情けか、倫が信長に話を振った。

「信長は今日なにしてたん?」

「春休み明けに模試あるやん。あれの勉強」

 信長はエアメガネをクイッと上げた。

「え、嘘やろ信長。おれを裏切ったんか?」

「すまんな怜真。俺は勉強に目覚めたんや」

「嘘つけ馬鹿。俺と信長と太陽で勝負してるからやろ」

「そうそう。そうでもないと信長勉強せーへんし」

 陽樹と太陽が後ろからつっこんできた。

「なんやねん。陽樹もハリーもアホの癖に」

「だからこそ、モチベーション上げるための工夫やろが」

「それで、負けたらどうなんの?」

 倫が聞くと、太陽が答えた。

「1位の人にご飯奢るって感じやけど、怜真と倫も入る? 人多い方が負担減るし」

「ぼくとしては、参加はやぶさかでないけど……」

「おれはやめ「馬鹿言え。怜真は養分になるだけやからええけど、倫が入ったらその時点で勝者確定やないか」

「おい、陽樹。ひどくな「そうそう。怜真は1番頭悪いからええけど、倫はあかんわ。だって悠仁と成績同じくらいやろ?」

「信長、お前おれのこ「そうやな。じゃあ怜真だけで」

「ハリーまでひどくな「あ、店付いた」

「おい、倫もひど「そんじゃあ怜真、またあとで」

 そういって4人は店に入っていってしまった。

「まあ、そういうこともあるわ」

 最後尾を歩いていた琉瀬に支えられながら、怜真も店に入っていった。


 店に入ると、それぞれのグループごとに席へ案内された。片側の3人席の壁側に怜真が押し込められ、その横に相志郎が座った。怜真の対面には琉瀬が座り、その横に綾羽、柳太郎の順で座っている。

 店員から食べ放題の説明を受けてから、早速ドリンクの注文を済ませる。全体で乾杯の音頭を取ることはせず、その日はそれぞれの席で親睦を深める。それが涼哉のやり方だった。そういうこともあってか、グラ高の男バスは他の部活動と比べて縦の関係も横の関係もかなりいい。

 早速ドリンクと先付けが届いたので、琉瀬がテーブルを取り仕切った。

「今年度もお疲れ様でした。とりあえず、俺たち新3年は最後まで部活をやり切ろ。そんですっぱり大学受験に切り替えよう。怜真は次の1年も精一杯バスケを頑張ること。いいな? よし、それじゃあ乾杯」

「「「「乾杯」」」」

 他のテーブルは喧しくコップをぶつけ合って食事の開始を喜んでいたが、怜真たちのテーブルは、極めて大人しく、ゆっくりとそれぞれのソフトドリンクの入ったグラスをコツンと合わせた。

 琉瀬と相志郎が先付けの肉と野菜を網に並べていく。この2人が肉を焼いてくれるので、怜真はすっかり食べる専門だ。眺めていると涎が垂れてきそうになる。

「もうちょっと待ってな」

 怜真の顔を見て、琉瀬が苦笑い気味に言った。相当肉を欲している表情だったのだろう。

「もういいんちゃう?」

 柳太郎が網の上の肉に箸を伸ばした。

「いやいや、今焼き始めたとこやん」

 琉瀬が肉を焼く用のトングで柳太郎の箸をはじく。

「なにすんねん」

「ちゃんと火ぃ通さなお腹壊すぞ」

「俺はレアな方が好きなんやもん」

 そういってもう一度肉に箸を伸ばし、そのまま口に放り込んだ。普段はマイペースでおっとりとした性格なのに、時々妙にせっかちな所を見せる。口癖は「頑張りたくない」なのに、モットーは『絶対にあきらめない』らしい。変な人である。

「うまい」

 そう言いながら、2枚目、3枚目と箸を進めた。

 琉瀬も相志郎も大袈裟にため息をついたが、表情は柔らかい。次々と網に肉を敷き詰めていく。

「ほら、怜真もボケっとしてると肉なくなんで」

 そういって琉瀬は焼けた肉を片っ端から怜真の取り皿に投げ入れてくる。

「それはダメだ、怜真。遠慮せず食べろ」

 さらに相志郎まで肉を投げ入れてくる。肉はボールではないし、取り皿はリングではない。そうつっこみたい気持ちを堪えて、とりあえず食べることにした。

「やっぱりおいしい」

 一口食べて感想を告げると、琉瀬は嬉しそうに笑い、相志郎も珍しく微笑んだ。そしてまた怜真の皿に肉を放り込んでくる。

「さすがに多すぎますって。こんなにいいですから、先輩方も食べてください。ほら、綾羽先輩も肉食べたいでしょ」

 怜真は、黙々と焼けた野菜を食べて続けている綾羽を指さした。

「ほら、綾羽先輩野菜しか食べてないじゃないですか」

「怜真って綾羽と一緒に焼肉食うの初めて? あいつは最初は野菜しか食わへんから大丈夫。それに」

「……もぐもぐ……俺は肉を自分で育てたい派だ。もぐ」

 琉瀬からセリフを奪って綾羽は左手でサムズアップした。右手は焼けた野菜を口に運ぶので忙しそうだ。

「綾羽はともかく、まあ俺らも食うか」

 琉瀬はやっと自分の取り皿に肉を運んだ。それに続いて相志郎も焼けた肉を怜真に取り分けることなく食べ始めた。

 こうして、『今年度もお疲れ様会』は始まった。


 怜真たちは、比較的に穏やかな食事を楽しんでいた。綾羽と相志郎は筋肉質のいいガタイをしているので、普段からよく食べる。そのため、食べ放題が始まって1時間が経った今も、肉の注文は途切れていない。

 琉瀬も細身の割によく食べる方だが、それでもさすがにペースダウンしていた。序盤に相志郎とペースを合わせていたせいもあるのだろう。それでも石焼ビビンバを食べているのはさすがである。

 柳太郎はサイドメニューのキムチや韓国のり、サンチュなどを多様に揃えて、味に飽きないよう、食べ合わせの開発を行っている。そして、よい食べ合わせを発見すると4人にプレゼンをしてくれる。おそらく、今日の焼肉を1番楽しんでいるのは、柳太郎だろう。

 怜真はというと、琉瀬がどんどん肉を積んでくるのにやられてしまい、絶賛ノックダウン中である。怜真の場合、もともと食が細い。

「食べるのもトレーニングやからな。俺もこれだけ食えるようになったんやから怜真も食わなあかんで」

 そういう琉瀬により、ひたすら食べることをやめさせてもらえなかったのだ。食べ始めの時に、綾羽が何か言いたそうにこちらを見ていた気がしたが、いつしかそんな視線は感じなくなっていた。もとい、食べ過ぎで怜真には周りを気にする余裕がなくなっていたというべきか。

 なんとか腹の調子も回復してきたので、とりあえず胃に優しいものでも食べようと思い、怜真はわかめスープを注文した。

「大丈夫か?」

 相志郎が心配そうに聞いてきた。

「はい。だいぶ落ち着いてきました」

「琉瀬のやつ、いつもはこんなパワハラみたいなこと絶対せーへんねやけどな……」

「そうですね。おれも初めてです」

 柳太郎のプレゼン『豆腐を荒く潰して醤油と味噌、納豆を混ぜた大豆尽くしソース』に食いつき、実際に試食することに夢中になっている琉瀬には聞こえないように、こっそりと会話を交わす。

「途中で止めてやれんですまんかった」

「いえ、本当に嫌ならちゃんと言いますから、全然大丈夫です。たぶん琉瀬先輩なりに何か考えがあるんだと思います。それに、おれみたいな細いやつに食べるトレーニングが必要なのは確かですから」

「……怜真はいい後輩やな」

 遠征の時のように、相志郎は慣れた手つきで怜真の頭を撫でてきた。妹にもよくこうしているのだろうか。普通後輩の、それも男の頭を撫でるとなると照れ臭く感じるはずなのに、琉瀬にしても相志郎にしてもとても自然だ。相志郎の手は大きくて、ごつごつしている。それに撫で方も荒っぽい。それにもかかわらず、どこかこそばゆく、心地よい。兄がいたならばこんな風だったのかな、なんてことを想像してしまう。

「お前らほんと仲ええよな」

 琉瀬が揶揄うようにいった。恥ずかしくなって怜真は相志郎の方を見たけれど、相志郎はすでに柳太郎と綾羽と真剣そうに話し込んでいた。内容は、今日の日中に受験してきた全国模試のことのようであった。いくら部活に身を入れようとも、この時期であればどうしても受験がチラつくようだ。

「つまらないこと言ってないで、琉瀬先輩も話に混ざった方がいいんじゃないですか?」

「俺はええねん。勉強は嫌いやし、馬鹿やし。そういうのはできるやつに任せておけば。多くのこといっぺんに考えられるほど頭良くないねん。今はバスケで手一杯」

 自虐なんて微塵もなさそうに、琉瀬はけらけらと笑った。

 実際、相志郎、綾羽、柳太郎は相当勉強ができる人たちだ。綾羽と柳太郎は学年でトップレベルであり、相志郎に至っては学年1位である。彼らはいわゆる難関国立大学を志望している。

 一方、怜真は琉瀬と同じく勉強が嫌いだ。そして信長たちに揶揄われた通り、成績も悪い。少なくともバスケ部では1番だ——もちろん1番悪い。テストの度に一夜漬けでどうにか赤点を免れているし、免れなかったりもする。

「だからさ、怜真」

 琉瀬を見れば、いつになく真剣な顔をしている。

「少しでも長く、俺にバスケをさしてくれよな。俺ら3年はみんな、怜真のことすげぇ頼りにしてんだから」

 急に真面目になっていうんだから、琉瀬はズルい。気が付けば、さっきまで話し込んでいた他の3人も怜真の方を見ていて、面映ゆい。

「あー、照れてやんのー」

 そういって琉瀬と柳太郎はニヤニヤしていた。相志郎は相変わらず無表情だったが、なぜか綾羽は眇めるように怜真を見ていた。

「琉瀬先輩が急にそういうこと言うからじゃないですか! もう、おれトイレに行ってきますからね!」

 「いってらー」と見送る先輩たちから、怜真は逃走した。

「そういえば、他のテーブルはどうしてんねやろ」

 トイレはその場から離れる口実だったので、別に行きたいわけじゃなかった。そういうわけで、暇つぶしに他の席に立ち寄ってみることにした。まずはすぐ横の『犬猿』を覗く。

「おい、はれぇ、そ、そろそろぉぉ、うっ、おおぉぉ、くる、くるしい、くるしいん、ちゃうかぁ?」

「お、おまえ、おまえこそぉ、はぁ、はぁ、もう、たべれません、って、いえやかすぅ」

 今にも吐きそうな晴と遥也がいた。

「この人らなにやってんの?」

 怜真が辟易して悠仁を見ると、その隣に女バスであり、怜真たちの同級生でもある三波絵梨がなぜか座っていることに気が付いた。

「なんというか……私の所為? なんかな?」

「なんでやねん。絵梨は悪くないって。それを言うなら先輩の命令を断れずに絵梨を呼びつけた俺が悪い」

 申し訳なさそうにする絵梨をすかさず悠仁がフォローした。

「いやいや、どう考えてもこの2人が悪いから」

 瀕死状態でもなおやいやいうるさい晴と遥也の横で煩わしそうにしながらも自分の肉を焼く手を止めない秋寿が、不機嫌そうにぼやく。秋寿は普段からクールでもの静かだ。その秋寿があからさまに嫌悪感を表情に出しているのだから、今日の2人の悪ノリはよっぽど酷いのだろう。

「初めは珍しく、というかいつも通り仲良く肉を食ってたんよ。パク。モグモグ。ゴクン。でもちょっと女バスの話になった時に、悠仁に三波ちゃん呼べって言いだして。ほら、悠仁と幼なじみってことはここから家近いってことやろ? 三波に連絡したら来てくれることになって、そんでこの人らテンション上がっちゃって。パク。モグモグ。旨いなこれ。これなんのホルモン? それは置いといて、三波が来たら大食い対決始めやがって、マジくそ迷惑。悠仁、同じやつもう1人前頼んどいて。モグモグモグモグ」

 なんだかんだ焼肉を楽しんでいる秋寿は、やはりクールだった。悠仁はというと、先輩2人を宥めようと頑張っている。それと同時に若干委縮している絵梨も守っている。実にかっこいいやつだ。

 そこで怜真は異変に気が付いた。さっきから奥に座る深が静かである。徐に視線を向けると、深は静かに笑っていた。

 怜真は戦慄した。すぐに目を逸らすと、秋寿と目があった。どうやら秋寿も正面に座る深に気が付いたらしい。縋るように怜真を見てくるが、しれーっと秋寿からも目を逸らす。残念ながら、秋寿は晴と遥也に阻まれて、簡単に席を離れることができないのだ。

『秋寿、すまない』

 怜真はそっとテーブルを離れた。席名は『地獄』に変更しておいた方がいいかもしれない。

 もう1つのテーブルに向かう。

 席名『きゃぷてん』はというと、非常にイカ臭かった。いや、下ネタではなくて。

「なんでこんなにイカが……」

 焼肉屋なのに、テーブルも網もイカで溢れていた。

「おう、ほうま。ひかくっけくか?」

 イカを頬張りながら、涼哉がイカを勧めてきた。他の同級生たちは、顎が痛いと文句を言いながら、チビチビとイカを食べていた。

「なんでイカばっかり食ってんすか?」

 イカを飲み込んだ涼哉はどこか遠い目で答えた。

「俺に聞くなよ」

 こちらはこちらで何かあったようだ。

「倫」

 仕方がないので、イカを箸でつまんでは落とすことを繰り返していた倫に説明を

求めた。

「いやさ、涼哉さんがイカを食べたいっていうから注文してあげたんだよね」

「大量にな!」

 陽樹が嬉しそうに補足した。

「お前マジで死ね」

「おい信長ぁ! てめぇもノリノリだったやったやろがい!」

「怜真ぁあ! 俺も肉食いてぇよぉお!」

 信長が縋り付いてきた。イカを食べる手を止めていない昭と太陽も、助けを求める目で怜真を見ている。本日2度目だ。

「じゃあ、何皿か貰って戻るわ。相志郎先輩とか綾羽先輩なら食べてくれるやろうし、柳太郎先輩も喜びそうやから」

 怜真は3皿分のイカをもって、席名『きゃぷてん』もとい『イカ』を後にした。

 席に戻ると元通り、先輩たちは焼肉を楽しんでいた。ここは最後まで『お食事会』のままだ。心底このテーブルでよかったと思った。

「怜真おかえり」

「ただいま戻りました。これ、涼哉さんのとこから貰って来たイカです」

「おおー」

「聞いてくださいよ。他のテーブルなんですけど……」

 残り少ないこの時間を楽しみたいと、怜真は改めて思ったのだった。

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