第4話「わかんないんだよ」
海野の宣言通り、次の日の練習からは、退屈な基礎練や苦しいランメニューがほとんどなくなった。その代わりに、試合に向けた実戦的な練習が始まった。しかしながら、「楽になってバンザイ!」とはいかない。昨日までの練習とは緊張感が段違いであった。
1つのミスが失点につながる。失点は敗北につながる。インターハイ予選はトーナメントのため、決して敗北が許されない。そのため、どのようなミスも許してはいけない。そういった意識がチーム全体に染みついている。プレー中、誰かがミスをすればその瞬間、誰かが声を出して指摘する。そしてプレーを止めて、全員で意見を出し合うのだ。そこに先輩と後輩、スタメンとベンチの壁はない。
海野もワンプレーずつ細かく指導を入れ、同じミスが繰り返されると思い切り怒る。例え、1度目のミスが他の部員のものであったとしてもだ。なぜならば、誰かのミスはチームのミスだからだ。1度でも指導が入ったミスであれば、それを繰り返すことは誰であれ許されない。
怜真も、ディフェンスの位置やヘルプの入り方、速攻の際のランのタイミングなど、今まで何度も言われたことをさらに細かく指導された。
先日復帰したところの倫にだって容赦はない。遠征では難なくこなせていたように見えていたが、まだまだバスケの勘が戻っていないようだ。要所で無駄な動きや出来ていない部分が目立った。倫がミスを繰り返すたび、部員たちや海野から怒号が飛ぶ。倫が唇を嚙みしめている姿に見て見ぬふりをして、怜真は自分のプレーに集中した。
この時期の練習は肉体的にというよりも精神的に激しく消耗する。そのため、昨日までの練習の半分も走っていないのに、はるかに体は重く、鈍い。練習が終わると誰しもが——ただし、深を除く——ぐったりとしており、ただ黙々と制服に着替えて家に帰る。そして、より長く休息を取って、次の日の練習に備える。春休み残りの1週間弱は、そんな毎日であった。
春休み最後の練習日、最後のミーティング。集まった部員たちを見渡してから、海野は口を開いた。
「みんな、春休みはよく頑張った。でも本番は、なんといってもこれからだ。労われるのはまだ早いだろう? 春休み最終日の明日はオフにするから、しっかり身体も心を休めるように。特に陽樹! 徹夜でゲームとかダメだからな! 返事は!? ……よし。集中力を切らさずに、まずは初戦まで頑張りましょう。最後に、女子にとって大事なことだが、日中抽選会にいってくれていたマネージャーの
『ありがとうございました!』
挨拶と同時に海野は体育職員室へ戻っていった。部員たちは一斉にマネージャーの美静に群がって、トーナメント表を見た。
インターハイ京都府予選は、市部代表決定戦・両丹代表決定戦と府大会に分かれている。市部代表決定戦と両丹代表決定戦は府大会への参加をかけて、それぞれの地区で行われる。ただし、2月に行われた新人戦でベスト8以上だった高校は、この代表決定戦を免除され、府大会のトーナメントから始まる。すなわち、府大会は新人戦ベスト8の8校、市部代表決定戦で勝ち上がった12校、両丹代表決定戦で勝ち上がった4校の計24校のトーナメントからなる。
古倉高校男子バスケ部は新人戦でベスト8に入ったため、府大会のトーナメントからのスタートだ。府大会のトーナメントの抽選は、市部代表決定戦と両丹代表決定戦が終わってからである。それゆえ、市部代表決定戦の抽選結果をいま見ても仕方がない。それでも気になってしまうものだ。
「この高校どこ?」
「そんなこと俺に聞かれても」
「去年からいた?」
「どうやろ。俺は見たことないかも?」
「え、この高校って市部代表決定戦からなん?」
「だって新人戦のベスト8掛けで俺らに負けたやん」
「あっ、そっか。マジですげえな俺ら」
「この人ら市部代表決定戦何年振りなんやろうな」
「あ、見て見て! これ僕の地元の高校!」
「だからなんやねん」
「なんもないけど」
他の部員たちも体育館の真ん中のあたりで固まって他のトーナメントを見てあれこれ言いあっていた。怜真はさっさとトーナメント表をおいてボールを掴む。誰が相手でも関係ない。自分はシュートを決めるだけだ。そう自分に言い聞かせて、試合への昂ぶりを落ち着かせる。シューティングのためにメインリングを見れば、すでに綾羽がシューティングしていた。
「綾羽先輩、トーナメント表みました?」
「いいや。だって市部代表決定戦のやつやし、別に関係ないやろ?」
綾羽は怜真を見ることもなくシューティングを続けている。
「それはそうですけど」
「そんなことよりもっと大事なことがあるやろ?」
パシュッ、と綾羽の放ったシュートがリングに触れることなくネットを揺らす。
「なあ、怜真。お前もそう思わへん?」
リングを通った綾羽のボールが怜真の足元に転がってきた。それを拾うとまっすぐに綾羽と目が合う。適当にボールを返して、怜真もシューティングを始めた。
まずはフリースローから。左腕からしなやかに放たれたボールは、ネットだけを揺らして怜真の手元に戻ってくる。美しい逆回転で放たれたシュートは、綺麗に入れば打った場所に帰ってくるのだ。怜真は左右交互に数本打つ。その姿はまるで同じシーンを繰り返し再生しているかのように見える。左右の入れ替わりに違和感を覚えないほどに、怜真のシュートはなめらかだ。
「怜真」
突然肩に手をかけられて、怜真はビクッと肩を吊り上がらせた。声の正体は、シューティングをしていたはずの綾羽だった。
「何ですか、びっくりさせないでくださいよ」
「フリースロー対決しようぜ」
綾羽は気味が悪いくらいに笑顔だ。怜真が戸惑っているがわかったのだろう。綾羽は続けた。
「いいやん暇だし。勝負って方が集中できて、いい練習になるやろ?」
気楽な言葉とは裏腹に、怜真を見つめる双眸はふざけていなかった。怜真は一瞬考えたが、綾羽と勝負をしようとしまいと、同じシュートには変わりない。
「いいですよ」
「いいね。じゃあルールやけど……」
「え、フリースロー対決するん? 俺もやりたーい!」
綾羽が言いかけたところで、琉瀬が乱入してきた。怜真には特にそれを受け入れる権限も断る権限もないと思ったので、綾羽の方を見た。
「……いいで。あ、どーせならさ、全員で連続で決めるまで帰れへんやつやろうぜ!」
いつもの綾羽だった。そうして男バス全員参加のフリースロー大会が急に始まった。
そのフリースロー大会で足を引っ張ったのは、驚くことにというか、言われてみればというか、悠仁だった。スタメン以外のベンチメンバーも、練習はスタメンと同じ内容を難なくこなしているわけで、フリースローであれば当然簡単に決める。第1周目、いきなり残り2人になるまで連続ゴールがつながった。部員は総勢16人。連続15本目に回ってきたのは、当初「どうせ誰か外すやろ」と高を括っていたが、続々とシュートを決めていく仲間たちをみて、「俺は打ちたくない! おい、誰かはずしてぇよ!」と懇願し始めた悠仁であった。
「えー! もうやや! 俺絶対外すもん、こんなん!」
駄々をこねていた。
「はよ打てや!」
「おいおい、悠仁ちゃーん!」
「へいへいへーい! びびってるやん!」
こんな機会はめったにないと、周りは囃し立てる。
ちょうどその頃、トイレに行っていた深が戻ってきた。
「お、いまどんな感じ? 結構入ってる?」
「あと悠仁と深だけやで」
晴が嬉しそうに答えた。
「深もはよ打てよー!」
遥也が急かす。2人が結託しているのはかなり珍しい——そうでもないかもしれない。
「もう! わかりましたよ! でもちょっと精神統一させてください!」
「そう? じゃあお先ぃ」
そういって深は靴下のままでフリースローレーンの前まで歩くと、道中に転がっていたボールを無造作に鷲掴みにした。
『は?』
男バスの部員だけでなく、隣のコートから男子の盛り上がりを見ていた女バスの部員たちも、体育館にいた全員が面を食らった。深は拾い上げたボールをそのまま、まるでボウリングでもするように無造作にリングに投げたのだ。
パスッ。
まるでレイアップシュートを打ったかのような自然さをもって、シュートは決まった。
「イェーイ♪」
深はみんなの方に振り返って、無邪気にピースを決めた。
「あれ、思ってたより盛り上がらへんなぁ」
少し寂しそうだが、盛り上がるとかそういう問題ではない。ただただ、全員が絶句していた。
そんな中で、悠仁は静かにフリースローレーンに立って、そのままシュートを打った。そして外した。
「……申し訳ありません」
瞬間、大爆笑が静寂を切り裂いた。改めてフリースロー大会は再開された。
結果から言って、フリースロー大会は大盛り上がりだった。1発目はあと1人まで言ったわけだが、それ以降はなかなか上手くいかなかった。そしてフリースロー大会が長引くほどに、実力差がはっきりと表れた。怜真、綾羽、深の3人がパーフェクトを達成した一方で、悠仁はなぜか外しまくっていた。悠仁を擁護するわけではないが、彼の勝負強さはまさに瞠目である。チームが絶対に得点を落とせないという時にこそ、悠仁は得点を取る。その意味で、おそらく悠仁は誰よりも勝負強い。だからこそ、あんな風に嫌がっていた悠仁はすごく珍しかった。
悠仁は未だに先輩や同級生からいじられている。それを横目に、怜真は更衣室を出る。
「おつかれしたー」
怜真に対して、パラパラ返ってくる挨拶を受けながら、怜真は先に更衣室を出てトイレに行っていた倫に校門前で合流した。
「さっきのフリースロー、怜真はノーミスやったな。さすが」
「深も外してなかったけど」
「まあ、そこはぼくが褒めるまでもないやん。って怜真もそうか」
倫はどこか遠くを見つめながら言った。
「大袈裟やって」
「ぼくは1本外しちゃったんよなぁ」
「別に1本くらいええやん」
「よくない。1本だって落としていいシュートなんてない。怜真だって知ってるやろ」
「それはそうやけど……」
倫はひどく落ち込んでいるようだった。倫はシュートがかなり上手い。だから、確かに今日のフリースロー大会で1本落としているのを見て、怜真は少し驚いた。しかし、仮に怜真が今日のフリースロー大会で1本落としたとしても、それほど落ち込むことはないし、正直全く気にしないだろう。それが2本でも、3本でも変わらない。なぜならば、外したこと自体を後悔しても意味がないからだ。1本も落とさないよう全てのシュートを大切にすることと、外したことを後悔することは一切関係ない、と怜真は思っている。ただ、今の倫にそのことを言うのは憚られた。倫を不必要に傷つけてしまう気がしたからだ。
「そういえばさ、綾羽先輩もノーミスやったよな」
少し話題を変えることにした。
「綾羽先輩ってあんなにシュート上手かったっけ? ディフェンスの鬼って印象が強すぎてちょっと意外やったわ」
「たぶんやけど、シュートフォーム矯正の成果が出てきたって感じちゃうかな。ほら、結構前から悠仁に色々アドバイス貰ってたやん」
倫の言う通り、綾羽は練習前や練習後のフリーシューティングの時間に悠仁からシュートを教わっていた。去年の年末、急に綾羽が「シュート力を上げたい」と言って、シュートフォームを大きく変えたことがあった。それを見てびっくりした海野は、事情を聞いた上で悠仁からの指導を受けるよう指示した。海野曰く、「悠仁なら大丈夫やろ」とのことである。
「綾羽さん、シックスマンとして大活躍やし、実力を認めてられてはいるけど、やっぱりスタメンで出たいんちゃう? だから足りないものをどんどん吸収していってる。ぼくは最後の大会で綾羽さんの努力が報われてほしいな」
「確かに、そうなるとええな」
怜真がそういった瞬間、倫はハッとしたようにこちらを見た。
「なに?」
「そういうとこ、怜真はほんと」
「そういうとこ?」
「……別に」
確実に倫は何かを言いかけていたが、別にというのでは仕方がない。何となく気まずい空気が漂う中、ふたりは黙って駅まで歩いた。
「あ」
倫は駅の前で何かを見つけたようだ。倫の見つめる方へ視線を向けると、綾羽がいた。怜真たちよりも先に学校を出ていたみたいだ。右手には駅前のコンビニの袋をぶら下げていて、左手にはバスケットボールを抱えている。綾羽は駅を通り過ぎてそのまま歩いていく。
「この先にある公園かな。あそこバスケのリングあるし」
倫のいうように綾羽はまだ練習するのだろう。怜真が感心していたら、自分で話題にしたくせに、倫はまた急に不機嫌になった。
「電車来るし早くして」
駅の方を見れば電車が入ってきているのが見える。倫と一緒に小走りで改札を抜けた。そして、閉まりそうになっている電車に、心のなかで謝りながら駆け込んだ。
空いている席に並んで座るが、ふたりとも無言のままだ。なぜならば、倫が1駅先で急行に乗り換えるからだ。キリよく話題を切り上げることができないために、いつしか生まれた暗黙の了解だった。
「それじゃ」
「ん」
倫が電車から出て見えなくなってから、深く息を吐いた。明らかに倫との関係がぎくしゃくしている。けれど、原因がよくわからない。こんな風に一緒に帰っているんだから、大したことじゃないのかもしれない。
「わかんないんだよ」
怜真の独り言は、揺れている電車の音にかき消された。
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