第3話「肝に銘じておきます」

 怜真りょうまは、『練習は本番のように。本番は練習のように』という言葉が嫌いだ。

 そもそも、練習とは目標達成のために何度も反復して取り組むという行為を指し、自己鍛錬的な意味を持っているはずなのに、本番の対義語として用いられているのが気に食わない。練習というものが蔑ろにされているように感じて、ものすごく嫌だ。少なくとも、怜真は練習を『』だと思ったことは一度もない。


『物事は志した瞬間から始まる』


 これが怜真の座右の銘だ。怜真の嫌いな言葉になぞらえれば、『練習』の時点でもう『本番』が始まっているのだ。

 しかし、怜真の嫌いな言葉をモットーにしている人たちは、怜真にこう反論するだろう。

「それは表現の問題であって、この言葉の本質はすなわち君の言葉の本質と同じだ。言葉尻を捕らえて的外れな批判をするのはやめて欲しい」と。

 もちろん、怜真はそれを承知しているので、この考えを披瀝しないし、ましてや誰かに押し付けることもしない。

 だから、怜真は何も言わずに、ただひたすらにシュートを打ち続ける。それが『練習』であろうと『本番』であろうと、怜真は『勝ちたい』と志したときからずっと打ち続けているのだ。現在に至るまで、1本だって外していいシュートなどなかった。

 なぜ怜真がシュートに拘るのか。それは至極シンプルである。シュートを決めなければ勝てないからだ。

 バスケの試合で勝つためには様々な要素がある。ディフェンスやパス、ドリブルにラン。しかしながら、そのすべては相手より多くシュートを決めるためである。結局のところ、試合で勝つためにはシュートを決めなければならない。その事実は、バスケがシュートをゴールに入れることによって得られる点の数を競うスポーツであり続ける限り、変わらない。

 怜真は何千本、何万本とシュートを打ってきた。純粋なシュート力だけで言えば、しんにだって負けるつもりはない。それだけの努力と結果を積み重ねて来た。

 だからこそ、気づいたことがある。怜真がシュートを外してしまうのは、受け取ったパスが悪い時でもなければ、いいディフェンスをされた時でもない。シュートが外れるかもしれないと不意に思った時だ。すなわち、怜真が自分自身に負けた時である。怜真にとっての最大の敵は、目の前にではなく、常に己の内にいる。

 このようにシュートに強い拘りを見せる怜真だが、少し珍しいのはミドルレンジを専門とするのシューターだということだろうか。怜真はスリーポイントシュートは一切狙わない。バスケを始めた中1の頃から変わらない、怜真のポリシーだ。

「怜真のそれは本当にポリシーなんかな? 本当はだったりしてね」

「え?! 誰!?」

 怜真が声のした方を見ると、コートの外でうつ伏せで寝ころびながら両手で頬杖をついている深が、ニコニコしていた。

「深か、びっくりしたわ。もうみんな帰ったと思ってたのに」

 怜真は誰よりも早くシューティングノルマ100本を終えたが、シューティングを続けていた。昨日の遠征の疲れもあってか、今日はノルマが終わった部員からさっさと引き上げていった——いつもなら倫も最後までいるのだが、いつの間にか帰ったらしかった。それゆえ、信長のぶなが陽樹はるきが体育館をあとにしてから、かれこれ1時間、怜真はひとりだったはずだ。

「別に隠れてたわけじゃないんやけど、ちょっと海野うんの先生と話し込んでて。それにしても、よくもまあ飽きずにシュートばっかり打ってられるよな。やっぱりやから人一倍シューティングがいるって感じ?」

 立ち上がった深は、「ちょっとかしてー」といいながらスリーポイントライン上に立つと、ボールを要求した。素直に怜真がパスすると、深は利き手ではない右手でスリーポイントシュートを放った。綺麗なバックスピンのかかった美しい放物線は、着弾地点で大きく弾けた。どうやらリングに嫌われたらしい。

「うーん、利き手じゃないとやっぱり無理やなぁ。さすが怜真やで」

「噓つけ。初めてでそんなけ打てたら明日にはできるようになってるわ」

「それはどうかな?」

 深は転がっていったボールを拾いにいくと、今度は怜真にパスした。

「右!」

 言われた通り、怜真は右手でシュートを放つ。シュートは決まった。リング下で待っていた深は、落ちてきたボールをキャッチすると、もう一度怜真にパスをした。

「次左な!」

 今度は左手でシュートを放つ。先ほどとほぼ同じ軌道でボールはネットを揺らした。

「お見事!」

 パチパチと拍手する深はなんだかうれしそうだ。怜真は照れ隠しで「別に」とそっけなく言ってしまった。

「いやいや、謙遜しなくてもいいやん。両打はまぎれもなく怜真の特殊能力やろ」

 深の言う通り、怜真のように左右どちらの手でもシュートが打てる両打スイッチシューターはほとんどいない。左右のバランス感覚を養うために練習に取り入れている選手もいないことはないだろうが、実戦で使える水準に仕上げているかとなれば、話は別だ。そして、怜真ほど左右同様に高確率でシュートが打てるシューターとなれば、唯一無二と言っていいだろう。

「でも両打って頑張って練習して身に着けたところで、そんなに有利になるものでもないしな。みんなそれをわかってるから練習せえへんだけやろ。右手で10本、左手で10本打つくらいなら、右手で20本打つ方が上達は早い」

「お、今話題のコスパってやつやな。確かに両打はコスパ悪いかもやけど、メリットを最大限活かしてる怜真が言っていいことじゃないと思ってみたり。まあええか。でさ、そろそろ帰らへん?」

 そういって深は体育館の入り口を指さした。そこには午後から体育館を使用する男女バレー部が覗いていた。どうやらバスケ部の練習は終わったと聞いていたのに怜真が残ってシューティングしていたため、邪魔しまいと律儀に待ってくれていたらしい。深が「ごめんな! 入っていいで!」と声をかけると、部員たちが続々と体育館に入ってきて、コートの準備を始めた。怜真はバッシュも脱がないまま、とりあえず体育館から出ることにした。

 体育館の外縁でバッシュを脱いでいるとなんだか沈黙が辛かった。怜真は適当に話題を振ってみた

「そういえば、悠仁ゆうじんは一緒じゃないの?」

「うん。絵梨えりと仲良く帰ったよ」

 絵梨とは、女子バスケットボール部に所属している同級生の三波みなみ絵梨のことである。女バスの1年のなかではずば抜けて上手く、人望もあるので、次期キャプテンはほとんど確定的のようだ。また、悠仁とは幼なじみらしい。偶然にもバスケ部には2人と同じ方向の電車に乗る部員がいないため、悠仁と絵梨はいつも2人で帰っている。ちなみに、2人が付き合っているのかどうかは、怜真にはよくわからない。

「まだ付き合ってないで」

「おれはなんも言ってないけど……ふーん。そういえば、深はえらい遠くから通ってたよな?」

「うん。片道2時間くらいかな」

「いまさらやけど、なんでクラ高来たん? 遠いし、学力的にも部活動のレベルも全くあってないと思うんやけど」

 実際、深の身体能力は、スポーツ推薦があるような高校でもトップに立てるほどに優れている。他方で、全国模試では、全国2桁に届くほどの学力も持っている。

 古倉高校は、少し勉強に力を入れているだけのなんの変哲もない公立高校だ。偏差値は60程度で、いわゆる難関国立大学への進学実績も、年に2、3人いれば多い方である。また、「府予選さえ突破すれば全国大会での上位入賞は確実だ」ともいわれるほどの激戦区である京都でベスト8に入ることは、普通ではありえないことだ。今年の新人戦でそれを実現することができたのは、紛れもなく深と、そして悠仁のおかげだろう。少なくとも、怜真はそのように思っている。

「それは言い過ぎやって。学力に関しては、言うても僕は学年2位やしな。そんで新人戦の結果も大半は先輩や悠仁、そして怜真が頑張ったからで、僕の力なんて微々たるもんよ」

「……さっきからちょくちょくモノローグ読むのやめてくれへん?」

 深は軽く笑ってそれ以上何も言わなかった。この話を続ける気はないらしい。何か尋ねたはずだったけど、怜真はすっかり忘れていた。

 脱いだバッシュを体育館の入り口に設置されているバスケ部用の靴箱にしまい、体育館横に併設されている男子更衣室に入った。更衣室はいつも通り、汗臭さと色々なデオドラント用品の匂いが混ざり合っており、なんとも言えない——もはや気にならないが。いつもは狭く感じる更衣室も、2人だけだと異様に広く感じる。

「でも、4月からはもっと更衣室狭くなるで」

「どういうこと?」

「だって新入部員が入ってくるやん。さっき言ってたけど、去年はそこそこの成績やったわけやし、期待の新人が入ってくるかもな」

「なるほど」

「まあ、怜真にとっては嬉しいだけのことやろうけど。危機感を持つべきは他の1年かな」

 勝負の世界に学年は関係ない。ただでさえスターティングメンバーの枠は5人と狭いにもかかわらず、そのうちの2はすでに埋まっているのだ。

「おれだって余裕はないよ。もっと頑張らないと」

「ほんと謙虚やな」

 深はジッと床を見つめている。目はどこか虚ろだった。

「怜真は『天才』ってどういうものだと思う?」

「いや、あの、おれ馬鹿やし、そういう哲学的なことはちょっと……」

「まあまあ、そう身構えずに。イメージの話」

 怜真はゆっくりと考えたが、どうにも言語化が難しかった。

「うーん、やっぱり深かな。深って『天才』そのものだと思う。気分を悪くしないでほしいんやけど、努力とか一切せずとも何でも完璧にこなすやん。正直そういうところは、悠仁とはちゃうかなって」

「まあ、そうなるよな」

 それを聞いて、深の表情はいつも通りのニコニコに戻った。

「訊いたってことは、深にもイメージがあるんよな?」

「もちろん。せいぜい16年しか生きてないけど、それでもたくさんの天才に出会ってきた」

「へぇ。深にそう言わせる人って相当やな。おれの知ってる人?」

「うん。悠仁に相志郎さん、そんで怜真もそのうちのひとり」

「おお、マジか」

 本気で嬉しくて、怜真はついにやけてしまう。

「僕にとっての『天才』は、無限の可能性を持っている人やねん。『誰しも無限の可能性を持っている』なんて嘘や。『天才には——』の間違いやで。天才っていう限られた人間だけが無限の可能性を持つ——限られた人間だけが無限を持つってちょっと面白いよな。要するに、どこまで行っても『有限』の僕は、凡人やって話」

「難しいな」

 怜真は顔をしかめる。

「すぐにわかるって。怜真は必ず僕を越えていく。そうなることで僕の命題は証明されるから」

「それは無いと思うけど」

「じゃあ、その時を待とか。あはは、偉そうな言い方になるけど、僕は本当に怜真を評価してるんやで」

「うん」

「反応薄いなぁ。まあ、そういうところが好きなんやけど」

 深は笑った。しかし、怜真は緊張でにやけることすらできなかっただけだった。深と話していると一方的に見透かされているような気分になって少し怖い。正直に言って、怜真は深が苦手だ——これすらきっと見透かされているのだろう。

「帰ろか」

 荷物をまとめながら話していた深はすでに帰り支度を済ませていたが、怜真はぼんやりとしながら話していたため、いまだ制服に着替えてすらいなかった。

「ごめん、もうちょっとかかるわ」

「ははは。いいよ。邪魔せえへんように待つわ」

 深は外で待っていてくれるらしい。先に更衣室を出た。それに対し、怜真は一切急ぐ素振りも見せず、たっぷり10分ほどかけてから更衣室を出た。

「怜真ってマイペースよな」

「ごめん」

「別に怒ってへんて。それより今日は暑いな」

 襟元をパタパタさせながら深が言った。

「確かに。3月にしてはって感じ」

 怜真は寒いよりも暑い方が好きなので、これくらいがちょうどいい暖かさだ。しかし、深には少し暑いようで、ブレザーを脱いでセーター姿になった。

「アイス食べたいなぁ。怜真も食べへん? おごるで」

「んー、じゃあ甘えよかなぁ」

 クラ高のすぐ横にあるコンビニに立ち寄って、アイスコーナーを見てみる。

「この季節やと全然種類も少ないな」

「おごってもらうんやし、おれは安いやつでいいで」

 怜真は1番安いソーダ味のアイスバーを深に渡した。

「いいやダメだね。センスないわ。ここは僕に任せて」

 そういうと、深は1番高いアイスを2つ手に取った。

「悪いって」

「いやいや、だって怜真と2人ってなんだかんだ初めてやろ? ちょっとした記念日だと思えば安いもんやで」

 深が「記念日♪ 記念日♪ アイス♪ 記念日♪ アイス記念日♪」と歌い始めたので、これ以上何を言っても無駄だと悟った。記念日の内容がもはや別物に代わっていることはスルーすることにした。先にコンビニを出て待っていると、ウキウキの深が出てきた。

「はい!」

「ありがたく頂戴します」

 怜真は恭しくアイスを受け取る。

「別にアイスを買うくらい『有難い』ことでもなんでもないけどな。なんせコンビニで売っているんだから」

 気分よさそうに深は笑った。怜真がそれを無言で返すと、

「あ、もしかして『アイスをおごる』ことすら『有難い』ほど普段の僕が吝嗇家っていう皮肉やったんか?」

「んなわけあるかーい」

 またしても深は笑った。どうにもからかわれているらしい。

「面倒くさいって思ってるやろ?」

「ちょっとな」

「じゃあ気をつけな嫌われちゃうな」

 2人は駅へ向かって歩き始めた。アイスの蓋を取って早速プラスチックのスプーンですくい上げて口に運ぶ。

「おいしい」

「それはよかった。うん、練習後のアイスは身に染みるな」

 怜真はものを食べる時、無言になる。それを知ってか、深は何も話しかけてこなかった。お互いに食べ終わる頃には駅についていた。悠仁のように逆方向だとかいう以前に、深とはそもそも沿線が異なる。深はもう少し歩いていかなければならない。それゆえ、ここで別れることになる。

「怜真、最後に1つだけいい?」

「電車まだやからいいけど」

「僕も面倒くさいことは嫌いやねん」

「面倒くさいことが好きな人とかいるん?」

「涼哉さんとか琉瀬さん、あとは悠仁とか? ああいう世話好きの人は面倒くさいことが好きだとも言えなくない」

「なるほど」

「もっとも、そういう人たちにとって、世話を焼くことは面倒ではないんかもやけどな」

「なるほど」

「聞き流してるな?」

「なるほ……あ、」

 ヒヤリとしたが、深は「あはは」と笑っただけだった。

「僕が言いたいのはさ、僕を面倒ごとに巻き込むことはやめてくれってこと。それさえ伝わればなんでもええわ」

「肝に銘じておきます」

「できれば行動で示して欲しいところやけど」

 深はずっと笑っていた。

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