第2話「いや、俺はギリギリまでシューティングしてから帰ります」

 京都府立古倉こくら高等学校男子バスケットボール部は、長年、弱小チームとして有名だった。

 古倉高校——通称「クラ高」は、不思議なことに生徒の男女比率が1:4で、女子が圧倒的に多い。そのため、毎年各部活同士の男子部員の壮絶な奪い合いが繰り広げられるのであるが、その激戦に負け続けていたのが男子バスケットボール部であった。それでも、何とか試合に必要な人数である5人以上のメンバーを保ち続けてきたのであったが、4年前、バスケ部はとうとう部員が4人になってしまったのだった。

 次の年、その4人は新入生勧誘に完全に失敗した。新入生が誰一人として入部しなかったのである。その結果、公式戦にも出られないまま3人の3年生は引退し、部員がとうとう1人となってしまった。

 ひとり取り残された彼は、それでもめげずに男子バスケ部を続けた。「これを機に勉強に専念したら?」という親の声も、「どうせ試合なんてできひんねやし遊ぼうや」という友達からの誘惑も、「来年に新入部員が入らなければ、廃部だから」という教師からの勧告も、全てはねのけて、彼は健気に男子バスケ部を守ったのだ。

 そして、彼が進級して3年生になった時、それはもう大変勧誘活動を頑張ったそうだ。その成果が怜真たちの1つ上の世代の部員、すなわち涼哉や琉瀬ということになる。その年、計7人が入部し、その先輩は最後にインターハイ予選にどうにか出場することができたのだった。大会の結果は1回戦敗退であったが、その先輩は、笑顔で引退していったそうだ。

 ただ、その先輩が引退したことで、1年生の涼哉が入部から2か月もしないうちに、キャプテンに選ばれることとなった。突然のことではあったが、涼哉は上手くリーダーシップを発揮しながら、そして部員同士支え合いながら、部員1人欠けることなくバスケを頑張ってきた。

 また、ちょうどその年に、前年まで強豪校で顧問をしていた海野うんのが赴任してきたこともあって、今までにないほど古倉高校男子バスケ部は強くなっていた。しかし、絶対的にみれば弱小であることに変わりはなかった。当時の公式戦トーナメント抽選会において、古倉高校が他校から「当たりくじ」と呼ばれていたことは、古倉高校男子バスケ部だけが知らない事実である。

 そのような状況が一変したのが、次年度、怜真たちが入学してからのことである。特に、深と悠仁の存在感は凄まじかった。その年のインターハイ京都府予選大会で、万年1回戦負けのクラ高がベスト16入ったという事実は、ちょっとしたニュースとなった。そして、ベスト8をかけた試合で、その後予選大会で優勝してインターハイ本選に進み、さらに全国ベスト4に入った楽仙がくせん高校を相手に、深がひとりで53点を取ったことは、界隈で軽く伝説となっている。

 以上の経緯をもって、クラ高はいまや、他校から一目置かれる高校となったのである。

 現在は怜真たちが1年生から2年生に進級する前の春休みだ。5月の頭から始まるインターハイ京都府予選大会が終われば、基本的に涼哉たちは引退となる。そのため、大会に向けて部員一同気合が入っていた。

「声出せーっ!」

『ファイトー!』

 試合前独特の緊張感が張りつめた体育館で、部員たちは昨日の遠征の疲れを感じさせない動きを見せていた。

 昨年あれば今の半分の練習量でも、足を吊ったり、ぶっ倒れたりして練習に参加できなくなっていた部員が半分はいた。しかし、今では当然のように全員でメニューをこなしている。

 ピッとマネージャーの笛がなった。

「集合!」

『集合!』

 全員で復唱して顧問の海野のもとに駆け寄る。

「そろそろ練習を試合前の調整メニューに切り替えていく。より実戦的なメニューが増えるし、肉体的疲労の少ない、練習になると思う。それでも集中を切らずにいつも通りこなしていきましょう。あと、各自でしっかり走りこんでおくこと。まだ大会まで1ケ月以上あるし、実戦練習だけじゃあ体力はとどんどん落ちるだろうからな。毎回言っているが、公式戦では一試合で練習試合3本分の体力が必要といわれるぐらいだ。……まあ、その辺はお前らに任せる。信用してるからな。昨日まで男子は遠征だったし、疲労で怪我しても意味がないから、かなり早いが今日は男女ともこの辺で終わろう。シューティング100本で各自上がってくれ。以上」

『ありがとうございました!』

 海野は部員たちの力強い返事を受け取り、満足そうに体育職員室に戻って行った。この海野は、32歳とかなり若い。しかも、クラ高に来る2年前まで、京都で毎年ベスト4を争うような強豪の公立高校である大邦おおくに高校で顧問をしていたらしく、非常に指導が上手い。それに加えてプレイヤーとしても相当バスケが上手いので、部員たちからの信頼もかなり厚いのであった。

 海野が完全に体育職員室に入るのを見送ってから、部員たちの間では早く部活が終わることに歓声が上がった。

 ちなみに、クラ高のバスケ部は海野が赴任する前から男女ともに顧問が同じであり、また、もともと男バスが部員数の問題を抱えていたこともあって、男女混合で練習を行っていた。現在はさすがにコートを半分にしてそれぞれ分かれて練習しているが、練習メニューによっては今でも混合で練習を行っている。

 現在時刻は、本来の練習終了時刻よりも2時間以上早い。部員たちは各々、早速シューティングに取り掛かった。

 クラ高校の体育館にはメインコートのリングが2つ、2面のサブコートのリングが4つ、合計6個ある。コートは男女で半々のため、男子の部員が使用できるのは、メインリング1つとサブリング2つである。その中でも、メインリングは特にシュートが得意な部員が、サブリングの一方がポスト(ゴール下付近)でプレイし、アウトサイドシュートを打たない部員が、そしてもう一方のサブリングはその他の部員が、それぞれ使うことが、なんとなく共通認識となっている。

 そういうわけで、

「あ、相志郎、すまん。シュート邪魔してもうた」

「え、ああ悠仁。いいよ、先に打って。なんやねん、どうぞどうぞちゃうわ。そんな先輩に気ぃ遣わんでええって」

 こんな風にボールがぶつかり合ったり、シュートモーションが重なって若干気まずくなることも多い。

「ちょ、遥也さん! 俺のシュート邪魔せんといてくださいよ!」

「悪いな信長。でも弱肉強食やから」

 遥也の軽口を聞きつけて、すかさず晴がメインリングの方から口を出す。

「うわー、最低な先輩やなお前」

「は? 雑魚は黙ってろや、晴」

「おいおい、聞き捨てられへんぞオラ。表出ろや遥也ぁ!」

「上等だ晴ぇ!」

 お互いに胸倉を掴み合うと、そのまま体育館から出ていこうとする2人の進行方向に涼哉が立ちふさがる。

「おい、やめろ!」

「「なんやねん涼哉」」

「ほんまお前らは目離すとすぐ喧嘩するんやから。ほら、メインの方見てみろ」

 メインリングでは怜真、倫、深と綾羽が黙々とシューティングをこなしていた。

 スパッ。

 パシュッ。

 スパッ。

 ガシュッ。

 スッ。

 スパッ。

 パシュッ。

 ガシュッ。

「あいつらほとんど外さず決め続けてるんやで。しかも、ほとんどスウィッシュやし。そんで俺みたいなへたくそがいくら邪魔しても、あいつら何も言ってくれへんのやで……というか晴もさっきまであの一員やったくせに、なにそんな目で俺を見てんねん。散々スリー決めやがって、お前ホンマ許さんからな?」

 そう言う涼哉は、もはや遥也と晴を見ていない。どこか遠い目をしていた。そんな中でもシュートがゴールネットを揺らす気持ちのいい効果音が途切れず、なんだかとてもシュールだった。

「……‥その遥也さん、キャプテン、すみません」

「俺も悪かったよ……涼哉もごめん」

「シューティングに戻ろか。……その涼哉、すまんかった。じゃあ残りはちゃんとミドルにするから、許してな」

 3人がそれぞれシューティングに戻っても、しばらく涼哉は肩を落として悲しそうにしていた。

「涼哉先輩」

「なんや」

「終わりました」

「怜真、いつも言ってるけど、そんな申告はいらんから。まだ半分も終わっていない俺のこと煽ってるんか?」

「そうじゃないですけど。まだ打っていてもいいですか?」

「練習終わってんねやし、勝手にしろや。というか俺にシュートを教えてくれ。教えてください」

「涼哉先輩もシュートくらい打ててるじゃないですか」

「そうじゃなくて、シュート成功率あげるコツとか」

「コツ? そんなの何千、何万とシュートを打てばいいだけだと思いますけど」

 そう言い残して怜真はシューティングに戻った。後ろではドサッと涼哉がくずおれて、信長や陽樹はるきたちが、「涼哉さんK.O.! カンカンカーン!」と盛り上がっていた。もちろん、怜真は気にも留めなかった。

 メインリングに戻ると、怜真はシューティングをする綾羽をじっと見つめた。

 星野ほしの綾羽あやはは怜真の先輩だ。チームのシックスマンとして活躍している。中学まではずっとサッカーをしてきたが、高校では何か新しいことを始めたいと思っていたらしい。そんな時に、例の先輩から熱心な勧誘を受けて、男バスに入部する決心をしたようだった。しかし、当時の綾羽は、トラベリングやダブルドリブルといった基本的なルールさえ全く知らない、完璧な初心者だったらしい。それにもかかわらず、入部半年後には、部内1on1大会で相志郎、琉瀬に次ぐ3位を取ったらしい。これを聞くだけで、いかに綾羽の運動センスが優れているかよくわかるだろう。

 綾羽は何をさせてもそつなくこなすマルチプレイヤーであるが、1番の持ち味はサッカーで鍛えられたフットワークを活かしたディフェンスだ。特にボールマンに対するプレッシャーは凄まじく、綾羽が試合中にあっさりと抜かれているところを、怜真はほとんど見ない。

「どした?」

 見過ぎたのか、綾羽は怜真の視線に気が付いた。

「そんなに見ても、怜真の方がシュート上手いんやから意味ないで」

 綾羽は謙虚な姿勢をとっているが、怜真が見ていた間に放たれた十数本のシュートは、1本も外れていなかった。

「いや、綾羽先輩ってすごいなって思いまして」

「なんやねん急に。褒めてもなんもあげられへんで?」

「べつにそういうつもりじゃないですけど、改めて思います。俺が高校からバスケを始めたとして、今の綾羽先輩より上手くなっている自信は無いですね」

「ふーん、——やっぱり自分の方が上やと思ってるんやな」

 綾羽の呟きは小さかったが、怜真にははっきり聞こえていた。きっとあえて聞かせたのだろうが、怜真には綾羽が自分に何を伝えたいのか、よくわからなかった。少し困ったような怜真を一瞥すると、綾羽はシューティングを再開した。ガシュッと軽くリングに触れながら、シュートは決まっていく。

「まあ、確かに俺は人より飲み込みが早かったりするけど、俺の自信をへし折ったんは、深や悠仁、そんで怜真。お前なんやで。俺もまだまだ頑張らなあかんわ。今更やけどな」

 そういって綾羽は笑った。

 綾羽は自虐的だが、事実としては、綾羽は間違いなく卓越した運動センスの持ち主である。しかし、その綾羽にこうまで言わせてしまうほどに、深と悠仁の能力はすさまじい。綾羽のディフェンスをいとも簡単にかわしていくのは他校の選手ではなく、ほとんどが練習中の深だ。悠仁も、綾羽のプレッシャーを受けても一切動じることがなく、ディフェンスがいてもいなくても関係ないかのように、好き勝手にパスを通す。

「俺の身体能力なんて、深と比べれば鷹とアヒルちゃんぐらい差があるしな。サイズも含めて完全に下位互換よ。そんで悠仁に至っては、真似するどころか、理解すらできない。いや、ほんとにあいつ、わけわからんやろ? どうやったらそこが見えて、しかもあんなパスが出せるんや? 何を考えたらああいうプレーができるんや? だからさぁ、俺が試合で活躍するためには、今出来ることを一つひとつ積み重ねていくしかないんよ。それに春休みが終わったら新入部員も入って来るやろ? またお前らみたいなやつらが来たらたまったもんじゃないし、指くわえて待ってるわけにも行かへんやん? ……よし、ラスト!」

 そう言うと綾羽は華麗なドリブルをしてリングへ向かい、華麗にレイアップシュートを決めた。

「要するにな、俺は努力だけは誰にも負けへんって決めたからな、怜真」

 綾羽はボールをボールかごに投げ入れると、「そんじゃ、おさきぃ!」とみんなに告げて、楽しそうに体育館を後にした。

「怜真? 綾羽となに話してたん?」

 綾羽と入れ違いで琉瀬が話しかけて来た。

「なんでしょう、色々言うてはりましたけどたぶん、一緒に頑張ろうぜ的なことだと思います」

 それを聞いて琉瀬は失笑した。

「なんつーか、ほんまにお前、そういうとこやぞ!」

「うん」

 いつの間にか相志郎も話を聞いていたようで、怜真は2人の巨人にもみくちゃにされる。ひとしきりして息をつくと、琉瀬もボールをボールかごに投げ込んだ。

「よし、帰ろうか」

 そう言って、琉瀬は怜真のボールに手を伸ばす。しかし、怜真はそれを避けた。

「いや、俺はギリギリまでシューティングしてから帰ります」

 一瞬の沈黙。

「……お前、そういうとこやぞ」

 相志郎は琉瀬に同調しなかった。

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