玉鉤 <後編>
僕は高校の時、地方の工業高校に通ってた。
同じクラスに女子がいなかったから、ほぼ男子校みたいな環境で過ごしてた。
だから、仕事以外で女の子と一対一で話す機会があると、何を話していいのか、今でも少し悩む。
二年に進級してクラスで係を決める時に、僕はなるべく楽な係をしたかったから、提出物の少ない保健体育の教科係に立候補した。
でも体育教師は風紀委員の顧問も兼ねてたから、僕以外なりたがる奴がいなくて。
教科係は三人または二人必要と決まっていたから「あと一人」ってなったときに、X君が立候補した。
X君は背が高いけど、おとなしくて無口で、席も一番後ろの隅で話したこともないし、目立たなくて印象の薄い人だった。
教科係のやることは時間割を見て「明日の授業は何やりますか」て担当教師に聞きに行ったり、提出物や配布物なんかの管理を任されるよね。
ほとんどの教師は職員室に行けば会えるけど、体育教師は職員室よりも、体育教科室に集まってることが多かった。
新校舎二階にある職員室に行くより、旧校舎の一階にある体育教科室に行った方が確実だった。
係になったからって、二人揃って教科室に行くことはなくて。僕がX君に「聞いてくるよ」って行くか、X君の方から「俺行くよ」って言うくらいで、別行動だった。
いつだったかな。
文化祭が終わった次の週の、テスト期間だったと思う。
保健の授業ではレポート提出の締め切りだったから、放課後にX君と二人でみんなのノートを抱えて体育教科室に行った。
課題を置きに行くと、僕らの学年の担任とは違う体育教師に「お前、襟足の毛が長いな」と注意されて「最近のジャニーズなんかはみんな長いけども、お前も憧れてるのか」なんて説教とも生活指導ともつかない、よくわからない話を、立たされたまま一時間ぐらい聞かされた。
やっと解放されて体育教科室を出たときには、廊下は暗くなっていた。
新校舎の自分たちの教室に鞄を取りに帰ろうとした時、X君が「トイレに行きたい」と言った。
「ああそう」と上の空で
「一緒に来てくれ」と言って、彼は生徒の使用が禁止されてる職員来客用のトイレに向かって行った。
職員室のある新校舎二階のトイレは、教師と来客専用としてきれいに改装されてて便座も最新式だった。
同様に体育教科室のある旧校舎の一階のトイレも、渡り廊下を通ると体育館に行ける場所だったから、来客が使う場所だと言われてた。
きれいであまり人が来ないから、使いたがる生徒は当然いるんだけど、入ってるの見つかると怒られてね。
「僕は用ないけど」て言うと「見張っててくれよ。一人じゃちょっと」と口ごもるので、いまいち納得できなかったけど「入口にいるから」と声をかけると
「誰か来た。こっち」
そう言って彼は僕の腕を掴むと、一緒に個室に入った。
なんで僕まで隠れないといけないの、と言いたかったけど、
一度入ってしまうと、そこから誰にも見つからずに出るのも難しいから。
息をひそめて足音の主が出るまで、個室で静かにしてた。
その間、X君も緊張してたのか、後ろで僕の肩と腕を掴んで、必死に息を押し殺してた。
後から入って来てた人が小用を済ませて、出て行くのを音と気配で察して動こうとすると
「まだ廊下にいる。今出たら見つかる」
と掴まれた腕と肩に、更に力を込められた。
僕らは個室に入ってから足音が遠ざかるまで、ずっと同じ態勢だった。疲れてきた僕は、扉の隙間を見つめたまま
「ねえ、いつまでこうし……」
X君は僕の背中にぐっと体重をかけるように押さえつけて、僕の口を塞いできた。
「静かに。もう少しだから」と耳元で息が乱れてた。
僕の
ベルトの金具を外す音と、喉の奥で押しつぶしたような声が聞こえた。
……ふっ…ふっしゅっ…ふ……
…っく……
僕は本能的な恐怖から
首に力を込めて、勢いよく頭を上げて彼の顎にクリーンヒットさせると、よろめく彼を押しのけて、個室の鍵を開けて廊下に飛び出した。
その後のことは覚えてない。
次の日も彼は何事もなく学校に来た。
僕は今までと同じように、彼と距離を取ることを徹底して、高校を無事に卒業した。
……先月ね、高校の同窓会があった。
場所は新宿の□□□口から近い飲み屋。
X君は会ったらどうしようと思ったけど、他のクラスメートとはやっぱり会いたかったから、行った。
現地についたらX君の欠席がわかって。
ホッとした。
みんなで酒飲んでへべれけになると、気安さからつい、あの時起こった事を話してしまった。
そしたら、クラスメートの中で同じ目にあったと言い出す奴が出てきた。
「マジぃ? そんなことがあったのか!?」
「すげー災難だったじゃん」
「あそこだろ、職員専用トイレ」
「人が来ない場所選んでたのか」
「計画的で常習性が見えるのが、余計に恐いな」
と騒いでいたら幹事がやって来た。
「言いにくいんだけど……」と話を割って、
「あのさ……
X、死んだらしい」
酔って騒いでいた僕らは、一瞬にして静まった。
「ちょ……マジ?」
「それってやっぱ……それ系の悩みとか……?」
僕らにはわからないことでも、
彼なりに深刻に悩んでいたかもしれない。
自分が被害者だという思いで、話せる仲間ができた安心感から騒いでしまった事に、少し後味の悪さを感じた。
一次会がお開きになって、僕は席を立つときによろけて、後ろの席で盛り上がってたグループの女性と軽くぶつかってしまい、謝りながら店を出た。
幹事が代表で会計を済ませて、僕ら参加者は「飲み直しの二件目どうする」「移動するか」となって、僕はみんなの集まりから少し距離をおいてついていく形で、ひとりで歩いてた。
後ろから僕の名前が呼ばれたので、振り返ると
さっき僕らが飲んでいた店の、後ろで飲んでいたグループの一人が立ってた。
「ひさしぶり。あの時のこと、覚えてくれてたんだ」
X君は、ずっと僕らの後ろで同窓会の話を聞いていた。
女の姿になって。
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