晦 <後編>

 ヘッドライトの照射範囲しょうしゃはんいからはずれた闇の中は、ごうごうとあれくるう冷気にさらされ、一層いっそう大きくきし竹藪たけやぶ反響はんきょうが、私の怒りをきつけました。


いけない

見てはいけない


誰かが頭の中で叫んでいました。



ふり向いた先には、ただ暗い竹の群生ぐんせいしかありません。



考えすぎでした。

テレビや映画の影響を受け過ぎていた自分が笑えてきました。


肩の力が抜けると、首がかたむき足元に目がいきました。




めがあった



血塗られた顔が暗い竹藪の間から浮かび上がり、私を見上げていました。


「……っんヒ」


鼻呼吸と口を開くタイミングがかぶり、無様ぶざまな悲鳴が漏れました。


顔は私に向かって口を開きました。



――……ス……セン



これは今、なんと言ったのか。

さらに何かを言おうとする顔に、目が離せなくなりました。



――スィ…マセ…ン


――ケイタイ……カシテ、クダサイ



『すみません、携帯を貸してください』?



状況が飲み込めず目をらすと、私の立ってる砂利道と竹藪は地続じつづきになっておらず、間に用水路のような大きなみぞがありました。


敷設ふせつされた溝にはまった男性は、目線が私の身体の位置よりも下になり、背後の闇が男性の黒い服と同化して見えたのです。



「驚かせてごめんなさい。この先で事故を起こしてしまいまして」


血まみれの男性は、申し訳なさそうに言いました。


「僕の携帯、電池が切れてしまって。連絡が取れなかったので、誰かが通るまで待っていたんです」


素通りされると困るから、車の前に飛び込んでしまった。

飛び込んだものの、ぶつかる前に避けようと道の端に寄ったら、溝に落ちてしまったと。


言い終わると、両腕で身体を支えながら、片足をつっかけて溝から上がってきました。

私より頭一つ分くらい背の高い、普通の人でした。



 通りに人気ひとけもなく、民家のある場所までは相当距離のある山奥で、心細かったのでしょう。


事態が一気に飲み込めると、私は車に倒れ込むように扉を開け、運転席の友人に男性の事情を話しました。


 しゃっくりと涙が止まらず、運転席で小さくなっている友人は私の顔を見て


――ぞんなごど……なのぉ……


と力なく答えると、ショックと安心感からか、顔を伏せてしまいました。


 見ず知らずの男に、自分の携帯電話を貸すのは抵抗がありましたが、げんに目の前で怪我をしてる様子を見ると、無視することもできず、私の携帯を渡すことにしました。


男性は携帯を受け取ると、指先はおぼつかなげでしたが、警察と救急へ連絡していました。


一通り連絡が終わると、お礼を言って携帯を返されました。


頭から血が出ているのですが、見た目ほど傷がひどくないのか、男の人は周辺を歩き回っていました。


 こんなところで事故に遭うのも災難だし、人気ひとけのない場所に一人置いていかれるのもこたえるだろうと同情していましたが、警察や救急車が来るまで一緒に待機たいきしていられる気分ではありませんでした。


私は男性に断りを入れて、その場を立ち去ることにしました。


友人は私の決断を聞くと、勢い良くエンジンをふかし、素早くギアを入れて発進しました。


 最後にもう一度お礼を言う男性から離れて、不安定な砂利道のゆるい左カーブを下ると、道の脇に細い電柱が見えました。


 そばのガードレールには、ぶつかってボンネットがひしゃげた白いセダンがあり、ヘッドライトとフロントガラスが割れていました。


「本当に事故だね。可哀想だ」


友人に話しかても、彼女は無言でした。


つらいなら運転替わろうか?」と声を掛けましたが「いい、今はいい」とだけ言って、だんだんスピードを上げていきます。

「スピード落とした方がいいんじゃない?」と注意したものの、無反応でした。


私の心配とは裏腹に、狭い砂利道はすぐに途切れ、舗装された車道に戻りました。

安心して、今は何時かと自分の携帯を開くと、年が明けていました。


 道の先に見つけた小さな明かりが、コンビニの看板なのを確認すると、友人は店の駐車場に乗り入れ、エンジンを切って座席を倒しました。


 両目を覆うように手をあてて、何度か深呼吸をすると「携帯でどこに連絡してたの」と聞いてきました。


「時間が気になって見ただけだよ。年越しちゃったね」と笑いかけると「ちがうよ。……あそこで。携帯でどこに連絡してたの」と聞かれました。


とは、さっきの男の人の現場でしょう。

「警察と救急車を呼んでたよ」と、もう一度事情を説明しました。

きっとあの時は、混乱して飲み込めてなかったのだろうな、と。

友人は息をのんで、私の顔を見るとこう答えました。



「あのね


 あんた一人で携帯いじってたよ」



私は目の前で男性が電話しているのを見ていたので、笑いながら通話履歴を開いて、彼女に見せました。


最新の発信履歴は友人の名前で、日時は昨日の昼過ぎでした。



あの男性は丁寧にも、通話履歴まで消したのかと驚く私に、友人は肩をつかんでささやきました。



「あんたのそばにいたあれ、ずっと笑ってるだけだった」

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